『特攻服少女と1825日』"The Girls who Wearing Special Attack Uniform (=Tokkōhuku ; One Kind of Long Jacket of Bōsōzoku ; Japanese Biker Gang) and 1825 Days" by HIGA KENJI 比嘉健二 読了

ほかの人のブログで拝見して、読もうと思った本。最近なかなかほかの人のブログで気になった本まで読めなくなっていて、これはひさびさです。

dps.shogakukan.co.jp

装丁・装画 城井文平 編集 露崎瑞樹 

ティーンズロードは私も数冊読んだことがあります。本書には出ませんが、「ヤンキー森高を探せ!」「ヤンキー阿部ちゃんを探せ!」という連載企画の名前は覚えてます。金沢から上京していた女性が、帰省した時だか教育実習だかの時に、地元のティーンズロード熱にあてられ、その熱気ともども持ち帰って教えて呉れたです。もともとその人は、「ディズニーランドは行ってみたら面白かった」等々の名言を残した人で、東京に正面から対峙するのが照れくさくて、斜に構えて東京に相対していた人たちのひとりだった、と言ったら「え―自然体で生きてるのにそんなカテゴライズされたら心外革命やわ」とか言いそうな人です。そうした人たちに、レディース暴走族を主テーマに作られた雑誌は、すごく刺さったらしい。私も、東京一極に組み込まれないオルタナな文化の発露としてこの雑誌を読んだのかなあ。

小学館サイトの著者写真は、こういうコワモテライターの人ってよくいるよね、小学館だけでも、『魚とヤクザ』*1『正直不動産』などの著者や原作者*2はこの手の写真だった、なのですが、フィリピンパブ絡みの写真は印象が違います。

www.news-postseven.com

news.mynavi.jp

社長だから、そこそこの年収があったわけじゃないですか。家は持ち家ではなかったのですが、家賃20万円以上のところに住んでいて、車もBMWとかに乗っていて、それなりの生活だったんです。

ところが突然のリストラで、

(略)フィリピンにも何回か行って老後の一つの生き方でアジアという選択ができたということは、私にとってすごくいい選択肢が見つかったなと思っています。

水谷竹秀サンの本*3に出て来そう。

比嘉愛未がこの人の娘さんという事実はなさそうです。頁45、鈴木誠厳という人や岩橋健一郎という人が出てくる箇所によると、生まれは沖縄だが足立区育ちだそうです。

比嘉サンは、1987年に湘南で、ホットロードそこのけに単車やハコ乗り四ツ輪の集団がギャラリーの前を通り過ぎる幻影を見て、本書の企画を立てたそうです。その十年、いや十五年くらい前かなあ、小学生だか中学生でギャラリーやってた人が、目つきでも悪かったのでしょうか、横に来た族車の乗り手からくわえタバコをほっぺたにジュッとやられたそうで、「根性焼きって最初すっと入るんだよな、抵抗なく。で、2、3ミリ進んで止まる」と、ほんとかどうか分からない話をしてくれました。手の甲にタンベ焼きはやいとの一バージョンとして聞いたり聞かなかったりですが、すれちがいざまにほっぺジュッ、はエグいと今でも思ってます。比嘉サンがそういう目に遭わなくてよかった(棒

高田馬場の小さいほうの出口にむかしあった書店は、戸井十月(私は「じゅうげつ」と読んでましたが、「じゅうがつ」と読むんだそうで)サンの暴走族本や竹の子族の本などを常時置いていて、本書頁41はその辺の考察もしています。学生運動崩れのインテリライターにとって、警察権力と対峙する暴走族は連帯の対象だったが、相手側にその意思はぜんぜんなく、全くの片想いとして終わってしまったが、ともあれそれで写真集などの出版物は残ったとか。比嘉サンが勤めていたアダルト系出版社は、族が商売になることに気が付いて業界に参入したそうで。

本書はその回想録になる予定だったのですが、シーナサンの本の雑誌風雲録とちがって、どこの出版社も出版に二の足踏んで、鈴木智彦サンというライターサンに紹介された小学館だけが興味を示し、ただし回想録でなくノンフィクションとして往時のレディース群像としてならな、そうしてくれたら出しやん、と週ポスの酒井裕玄サンに条件を出されたとか。それでこういう本になったそうです。あとがきはほかの編集者露崎瑞樹サン、橘高真也サンへの謝辞、キツネ目の男宮崎学(故人)伊集院静(故人)から座右の銘、そして愛犬ムギタ(チワワ)追悼でしめくくられています。フィリピーナへの謝辞はないです。

そういう本なんで、レディースがたくさん出ます。曰くタテ社会、曰く女性の引退した先輩をOGでなくOBと呼ぶ、ティーンズロード史上最大構成員を誇る族は歴代メンバー全員が市販の履歴書用紙に履歴書を記入、曰く趣味は「喧嘩」や「暴走」が好まれ、「テニス」や「音楽」の趣味は軟派とみなされる。(頁79)先輩の言ったことを忘れないようノートにメモをとる姿勢が励行(頁82)

頁82

「まるで学校みたいだね」

「私は中学も行ってないので、漢字とかあまり書けなかったんですが、スケ連に入って漢字を覚えました。私にとってはスケ連は学校みたいなものです」

弱小の族がシメられると、全裸で公園を走らされたりしたそうです。頁99など。走った当事者がケロッとしてるので麻痺してしまいそうですが、頁83に、同郷のセクシーアイドルが、学生時代族連中から目をつけられて(目立ってたんでしょう)かなりいやな思いをして、今でも地元に帰れないと吐露した話なども出ます。

なんとなくですが、私は、『セクシー田中さん』の脚本家にヤンキー体質の印象を抱いていて、生徒会気質のまんが家とは、バトルのルールがちがうんじゃいかという気がしています。むかし、優等生の女子が、不良に上から目線で注意して、女子便に閉じ込められて冷水を何度も浴びせられて茶巾絞りでボコボコにされて、不登校になっていた。

頁94、曰くこじゃれたシンプルなデザイン、アートっぽい仕上げがきらい。ごちゃごちゃしたお祭り騒ぎのような、ドンキホーテのようなデザインが好き。

ティーンズロードはSTOP!シンナーキャンペーンを持続的に行っていたそうで、それだけシンナーの薬害がすさまじかったからですが、私は情報アンテナが折れてるので、それだけ猖獗を極めたシンナー、トルエンが、現在ほぼ落ち着いた状況を見せてるのはなんでなのか、知りたいです。

シンナー - Wikipedia

シンナーの乱用は2010年代後半から激減。毒物及び劇物取締法違反で検挙補導された少年の数がワースト1を記録し続けてきた福岡県においても、年間1人もしくは0人となる年が増えた[5]。

脱法ドラッグや処方箋薬などにとってかわられたのではないかと仮説を立てても見ましたが、どうもそうでもないようで。

頁105

日本ダルク代表近藤恒夫(2022年没)は「シンナーが一番怖いんですよ、結局いろんなドラッグにハマっても最後にまたシンナーに戻ってしまうくらいハードなんです」とその恐ろしさを力説していた。覚せい剤など中毒性のあるドラッグを体験したとしても、最後の最後はシンナーに戻ってしまうというのは意外だったが、それだけ常習性も強いことの裏返しだろう。

そんなおっかないものが沈静化したんだから、すごいことですよね。シンナーの成分が変わってラリりくい成分になったからだろうか、とも推測しましたが、証明出来ません。ここで、東口のアルタ近くで日中堂々と売人が通行人にシンナーを売りさばいていた、とあります。映画の看板の下に立ってる人がそれだと、ダブルワークで売ってた人がバイト先にいて、その人から聞いたことがあります。でも「飲む方ですか打つ方ですか」と聞いて、タブレット錠かナントカかを渡していたそうなので、赤蝮の瓶に入れたトルエンを売ってたわけじゃなさそう。りんたろう監督の映画「幻魔大戦」のとおりなら、人類滅亡の日まで新宿駅東口の映画看板はなくならないはずでしたが、事実としてなくなりました。

頁113などに出ますが、読点を三つ重ねた「、、、」を、三点リーダー「…」のかわりにする簡易文法も面白いと思いました。別に電子媒体に打ち込んでるわけでなく、留守電のテープ起こしなのに、「…」でなく「、、、」

ヤンキーは地元が好きで、はやりすたりにあまり興味がないの例として、頁120に、編集部に遊びに来た東京郊外のレディースにティラミスをごちそうしたが、誰一人ティラミスを知らなかった、という話が出ます。でも編集部詣ではディズニーランド観光のついでだったりするらしいので、ディズニーランドは別格ということがここからもうかがえると思います。

番宣に使われている本書の選評は星野博美白石和彌辻村深月ですが、星野博美サンは頁124に出てくる橋口譲二サンの弟子なので、なんとなくアーソウカという。

頁180、かつての業界関連会社のユーチューブチャンネルにティーンズロードの有名人が出ると再生回数がバズるとか。旧車會はあまり女性がいない認識ですが、旧レディースが加わることもあるんだなと。本書に出てくる女性は流石というか、現在若い女性を支援するNPO法人代表とか(頁189)ライターになった人間、大学入学卒業した人間、教師になった人間(頁247)などが出ます。比嘉さんは日大夜間だそうで、なぜ夜間と、ちょっと思いました。

1988年から1998年まで続き、8号まで隔月刊、以降月刊のティーンズロードが、コギャル雑誌「egg」に追われるように終焉を迎えたというのが、むべなるかなという感じで、特服がファッション的にガン黒とルーズソックスに全国的に駆逐され、石原都政の東京一極が完成したと言ってしまえば象徴的ですが、21世紀にギャルと呼ばれる女性が誰一人ヤマンバでもルーズソックス履きでもなく、舊車會が往時とさほど変わらないファッションでオッサンライダーとして疾駆しているのを見ると、生き残ったのはどちらか、という命題も生まれると思います。まあ、旧車会に女性はほとんどいないんで、みちょぱ藤田ニコルを架空の特攻服オバサンと比べるのは机上の空論でしかないんですが…

頁217によると、ティーンズロード廃刊の真相は、部数減もさることながら、次第にスタッフが現役の族に暴力を振るわれることが増えたからだそうです。マスコミの人間だからといって距離のある付き合いをするわけでなく、逆にオイコラされるようになったと。それが管理職となった創世記の編集メンバーに危機感を抱かせ、手を引かせたと。

ヤンキー雑誌族雑誌はあるのに、チーマー雑誌はなぜ生まれなかったのか(あったけど私が知らないだけかもしれません)1991年くらいに既に比嘉さんたちは渋谷でチーマーに記者として接触しているのですが、ティーンズロードみたいなダセえ雑誌に絶対載せんなと、けちょんけちょんだったらしいです。というか、チーマーもOB、先輩後輩のタテ社会で、上からマスコミ取材NGのお達しが出ていたそうで、それじゃ雑誌なんて作れませんよね。走るのが好きな連中でなく、不良だから出てはいけないのかなあ。

前にも書いたかもしれませんが、1996年くらいかな、裏原に住んでた知り合いが、終電後竹下通りを歩いていると、よわそうなチーマーがカツアゲにきたので、ケンカなら相手してやるよとのこのこ相手についてったら、三十人くらいに囲まれて、もちろん素手の喧嘩になるわけなく、最初からバタフライナイフ出されて、負けを認めたらまず財布ごと身分証明の免許証とられて、訴えたら居所分かってるからどうなるかみたいな脅しをされたことがあり、本書を読んでて、それも思いだしました。そういう文化に族文化が負けて淘汰されたとしても、それは必然だったかしれません。比嘉さんは東京リベンジャーズ読んで、刺さらなかったそうです。

「特攻服」の英語・英語例文・英語表現 - Weblio和英辞書

巻末に参考文献三冊。

'69新宿カミナリ族は、いま… : 青春ふたたび帰らず 福田文昭写真集 | NDLサーチ | 国立国会図書館

シャコタン・ブギ : 暴走族女リーダーの青春 (角川文庫) | NDLサーチ | 国立国会図書館

以上