アポウタリ タ 『若きウタリに』バチェラー八重子(岩波現代文庫)"For the Young Ainu." by Yaeko Batchelor 〈IWANAMI CONTEMPORARY BUNKO〉読了

話せば長い話になるのですが、NHKテキスト「100分de名著」知里幸恵*1を買ったら、角川ソフィア文庫違星北斗歌集*2の広告が入っていた*3ので、いつか読もうと考え、紀伊国屋で注文して読んだのですが、なかなか感想が書けずにいて、じゃーアイヌ三大歌人のほかの二人、バチェラー八重子サンと森竹竹市サンを読めば書けるかなあということで本書をまず読んで、講談社文芸文庫『現代アイヌ文学作品選』川村湊編をひもとこうとしているところなのですが、そしたら今日のグーグルロゴが違星北斗になってる*4じゃないですか。誕生日でもなんでもないのに、昭和二年の今日小樽新聞に彼の短歌が掲載されたから、それで彼を讃えて彼のグーグルロゴで、チョトマテクラサイでした。違星北斗歌集はもう少し練りたいので、かわりにこっちを今日あげます。

www.iwanami.co.jp

ja.wikipedia.org

なぜ違星北斗歌集の感想を書くのが苦しいかというと、さすがアイヌの啄木で、彼自身の思想が結核で弱っているせいかブレていて、

俺はただアイヌであると自覚して正しい道を踏めばよいのだ

と言いつつも大和民族に対しては無視出来ずどうしても一言ふた言いってしまいがちで、

日本に己惚れてゐるシャモ共の優越感をへし折ってやれ

のように痛快な歌も詠むこともあれば、透徹で平静な心境に至る時もあったようで、

まけ惜みも腹いせも今はない只だ日本に幸あれと祈る

さらにそれを通り越して、自虐的になる時もあり。

はしたないアイヌだけれど日の本に生れたことの仕合せを知る

肉体労働現場ほかでやられまくってPTSDみたいなものがあったのかなあ。いさましい歌からここまで自虐的な歌まで並べられると、読んでいてことばにつまってしまう。

そこ行くと、八重子サンはいいです。豪族の家柄に生れて宣教師の養女になって晩年もきょうだいに囲まれて過ごし、特に実弟向井山雄は聖俗ともにアイヌ民族の政治面社会面で中心的な役割を担っていたので(本書村井紀サンの解説による)矛を収めるということがない。

117

亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ こころ落とさで 生きて戦へ

解説の村井紀サンは柳宗悦とかなんとかの民芸ナントカをボロクソにこきおろしたそういう人で、晩年は和光大学名誉教授なのですが、本書に関していえば、こういう戦闘的な歌はもういいヨ、日常の教会なんか詠んだ平和な歌がイイデス、と書いてます。

16

國も名も 家畑まで うしなふも 失はざらむ 心ばかりは

「国」という概念で言うと、中国人が勝手に日本語には「~人」と「~族」の区別があって、「~人」は国のある民族、「~族」は国のない民族なので、チベット人ウイグル人はオカシイ、国を持たない民族だからチベット族ウイグル族が正しい日本語デスヨ、という例のアレを思い出してしまい、ではアイヌは、「アイヌ人」と書くべきなのか「アイヌ族」と書くべきなのか、ということを考えてしまいます。私は「アイヌ人」でいいと思うのですが、ただ「アイヌ」と書くのでもいいと思っていて、本書でもそうなっています。「アイヌ民族」と書く個所はあっても、「アイヌ族」と書かれた箇所はない、と言いたいのですが、残念なことに、1931年4月本書が最初に刊行された時序言を寄せた三人のうち、歌人佐々木信綱サンがやらかしてます。ほかの二人、言語学者新村出サンと金田一京助サンはプロなので大丈夫ですが、ポエムの世界の人はナイーブなので、ダメだった。左がその箇所。

ちなみに、違星北斗サンも、歌集に収められている遺稿の中で、二ヶ所ほど*5やらかしてます。そして、北斗サンは、それ以上に、『疑うべきフゴッペ遺跡 奇怪な謎』という小樽新聞上の論争をしていて、これは、小樽高商西田彰三教授がアイヌの遺跡と結論付けた線刻文様のあるフゴッペ遺跡に対し、アイヌは文字を持たないなどの理由から、コロボックルなどアイヌの伝承にある先住民族の遺跡ではないかと異議申し立てをしたもので、漫画原作やらライターやら大阪芸大客員准教授をやってる山科清春サンがソフィア文庫の注釈で「アイヌは侵略民族」とのヘイトによくキリトリで使われると書いているくらい(山科さんは侵略民族とは書いてませんが)メタクソな混乱の渦の原因を作った文章で、今フゴッペ遺跡を検索すると、ウィキペディア違星北斗は現代人によるニセモノではないかと言ったなどという創作文(そんなこと違星サンは書いてない)を載せてますし*6余市町のホームページでは、アイヌとは別の民族がそこに住んでいたとの伝承があることを挙げて*7、ほかにもウィルタとかいろいろ北方民族はいるんだから、侵略とか先住とかだけの視野狭窄でやいやいゆうのやめれ、と言いたい感じでした。要するに北斗さんが作った混乱は、令和の今も収束していない。

話をバチェラーサンの歌集に戻すと、『若きウタリに』巻頭歌は、アイヌ語で歌われています。アイヌ語で五七五七七。

1

モシリコロ カムイパセトノ コオリパカン ウタラパピリカ プリネグスネナ

知里幸恵サンはアルファベットでアイヌ語を綴りましたが、この頃はもうカナ文字で表現するようになっていたようで、この後さらにブラッシュアップされて、「アシパ」のように、パッチムのような子音のみの音を小文字で表すようになったのでしょう。この頃はまだぜんぶ大文字。

金田一京助サンによる上記の歌の邦訳

「大八州国知ろしめす神のみことのたふとしや、神のみいづのいや高にさかえますべし」

左は頁172の実弟向井山雄サン。

カムイ=神として、現人神である万世一系の皇統、天皇陛下こそカムイであるという解釈。私はこれを読んでいきなり度肝を抜かれました。一視同仁もいいところ。岩波現代文庫は左寄りとかねてから聞いていたのですが(だから佐高信とかよく出てくる)その歌集の巻頭歌がこう来たかと。

和光大学名誉教授の村井紀サンはこれに補注をつけて、彩流社彩流社キター)『〈アイヌ學〉の誕生』丸山隆司*8による「大地の神、尊い神にわれら尊ぶ 人々の長よ 善良でありましょうよ!」という別訳もあるが、生前八重子さんは金田一訳に異を唱えてないので、金田一訳の皇国賛歌でいいんじゃない、としています。岩波現代文庫編集部が好太王日本陸軍改竄説の李進熙サンと同じ大学の名誉教授に託した思いは裏切られた。

金田一京助サンは自身の序言でも「我が敷島の道の上に、この歴史的な刊行」とことほいでいます。いやー一視同仁すごい。白土三平サンが『カムイ伝』第三部シャクシャイン編書かなかったのは、カムイ=天皇説に脱力したからかもしれません。『カムイ伝』講義*9を書いた法政大学元学長サンの見解も知りたいところ。カムイ=天皇説を知っていますか「それは近代の話でしょう? カムイ伝は江戸期、近世です」と答えるに1ペリカ

村井紀サンはバチェラーサンには鷹揚なのですが、金田一さんや、獄中差し入れで本書を知って大激賞した中野重治サンには手厳しくて、それは、両者ともにアイヌを「滅びゆく民族」だと考えていたからだそうです。アイヌ亡びてないから、いるから、という。中野重治サンに対しては、「雨の降る品川駅」にももやっとした書き方をしていて、具体的にどういう点がアカンのか今検索しましたが分かりませんでした。

頁126 中野重治『若きウタリについて』(『控へ帳』「文学界」1935年3月号)

 私はアイヌの現状を知らない。わづかに蟹工船乗組員から赤化する率の大きいことのために彼等が除外されていることを知ってる位である。

共産党に入党する人が多いとは知りませんでした。

b.hatena.ne.jp

ロシアにおけるアイヌ - Wikipedia

帝政ロシア時代のアイヌは自らを「アイヌ」と名乗ることは禁じられていた。大日本帝国側はアイヌ民族が居住している、もしくは過去に居住していた全ての地域は日本領であると主張していたためである。

私は「アイヌ民族」という書き方をすると、「大和民族」と対になるので、うまいかなと思います。どうも「大和族」ということばにはなじみがないので。「アイヌ」だと対になるのは「倭(やまと)」になるのかな。

八重子サンはきっぷがいいので、後先考えず人のために金をどばっと使ってたそうで、戦争中は宋さんという朝鮮人の面倒を自腹を切って見ていたそうです。戦後はその縁で、京都で成功した宋さんに招かれて京都観光中に脳溢血でなくなっています。北海道のウトロと京都のウトロは無関係と北海道のウトロのウィキペディアに書いてあるのもさもありなんという。

ja.wikipedia.org

語源はアイヌ語の「ウトゥルチクシ (Uturu-ci-kus-i) 」であり、「その間を-我々が-通る-所」という意味である。岩と岩の間に細い道があり、そこを舟で通り、集落から浜へ往来したのが由来だという[2]。ウトゥルだけだと、「その間」という意味になる[3]。

純然たるアイヌ語であり、京都府宇治市のウトロ地区とはまったく関係ない。

www.asahi.com

元の地名「宇土口(うどぐち)」が由来とされる。

グーグル翻訳にアイヌ語はまだないので、本書のタイトルをアイヌ語にするとどうなるのかさっぱりさっぱりで、たぶんこれも合ってないんでしょうが、つけないのもなんなので、つけました。

最初は、本歌集に「アウタリヒ」という言い方があるので、それを使おうと思いました。

11

アウタリヒ モシリイコンヌプ トノトなり イカエチクーな エチイホシキな

金田一訳 アウタリヒ、我が同族よ。モシリコシヌプ、国の一等恐ろしきもの、国を亡すまがものは。トノト、酒なり。ゆめ飲むな、ゆめ酔ふな。

「若い」という意味のアイヌ語を検索すると、二つ見つかりました。語尾に「ッポ」をつけるやり方と、あたまに「ポン」をつけるやり方です。前者は知里幸恵評伝のタイトル『ピリカ チカッポ』に使われてますし、後者は手塚治虫『シュマリ』の登場人物ポン・ション(小さなうんこ)に使われてます。「ッポ」にすると、「ヒ」の語尾とバッティングしそうなので、「ポン アウタリヒ」にしようかと思いました。ですが、「ぽウタリ」という言い方があって、「アポウタリ」というかたちにもなるそうなので、それにして、それに「~ヒ」をつけてよいものか分かりませんでしたので、「~に」の意味の「タ」をそのままつけました。合ってるかどうかは不明。以上

*1:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*2:

www.kadokawa.co.jp

*3:

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20230907/20230907214543.jpg

*4:

https://www.google.com/logos/doodles/2024/celebrating-iboshi-hokuto-6753651837110303-2x.png

Celebrating Iboshi Hokuto Doodle - Google Doodles

This Doodle celebrates Ainu poet and social activist Iboshi Hokuto, who wrote many tanka and haiku that aimed to improve the perception of the Indigenous people of Hokkaido. On this day in 1927, one of Hokuto’s tanka, (a 31-syllable poem), was published in the Otaru Shimbun, a major Japanese newspaper. Illustrated by Japan-based guest artist Koji Yuki, today’s Doodle, depicts ocean landscapes and common aspects of Ainu life and culture in woodblock print.

ja.wikipedia.org

www.kadokawa.co.jp

昭和二年十月三日小樽新聞掲載の歌は下記四首。

頁16

アイヌッ! とただ一言が何よりの侮辱となって燃える憤怒だ

獰猛な面魂をよそにして弱い淋しいアイヌのこころ

ホロベツの浜のはまなす咲き匂ひエサンの山は遠くかすんで

[編注]エサンは渡島半島恵山。北斗はイサンとも表記

伝説のベンケイナッポの磯の上にかもめないてた秋晴れの朝

*5:

頁128

頁214

*6:

アイヌ出身である違星北斗による「この遺跡はアイヌのものではない、現代人によるニセモノではないか」という反論が、同じく『小樽新聞』に掲載された「疑ふべきフゴツペの遺跡」である。

*7:

余市町でおこったこんな話 その113|まちの紹介 |北海道余市町ホームページ

*8:

www.sairyusha.co.jp

*9:

www.chikumashobo.co.jp