NHKテキスト 2022年9月「100分de名著 知里幸恵Chiri Yukie『アイヌ神謡集』Ainu Shinyoshu」Nakagawa Hiroshi中川裕 読了

アイヌ神謡集』に関しては、私は、外堀から埋めていっているので、こういう本も出ていると知り、読みました。NHKは姓+名のじゅんにアルファベット表記してくれて、うれしいです。

誇り高く、生きる。

人間以外の視点から世界のあり方を伝える物語。

銀の滴降る降るまわりに――。

アイヌが長年謡い継いできた物語を、

アイヌ自身がアイヌ語で書いた初めての本。

カムイ(環境)と支え合って生きる豊かな精神文化、

美しくも謎めいた文学表現を味わうための最良のガイド!

雑誌なので他社広告が入ってまして、これがそろい踏みというか。

角川! 集英社! 

違星北斗歌集って、文庫になってたんですね。ソフィア文庫とは。しかもこの広告が表紙裏。

集英社新書のなかの超特急!アイヌ語入門はちらっと見てみたいです。「ヒンナ」」は「おいしい」ではありませんとか書いてあるのかな。

www.asahi.com

吉川弘文館! 北大出版会!

岩波書店! 

この時点(昨年)ではアイヌ神謡集の新版はまだ出てませんので、旧版の広告。ご存じのとおり岩波書店の本は、取次が不退書店でない限りは返本出来ませんので、実は今、岩波文庫を置いている奇特な書店の岩波文庫の棚は、新旧両版どちらも並べたままになっていて、どっちを手に取って買ったらいいか、戸惑う人も少なくないかと。光文社新訳がそこにさっそうと登場して読者をかっさらうかというと、それは現状ない。

『ハルコロ』が連載されてたのは創価学会潮出版ですが(手塚治虫ブッダ横山光輝三国志も)文庫化の基準が偏向してるとかしてないとか、とかくのうわさもある岩波現代文庫に入ったというのがいかにも「らしい」話で。

100分de名著の中で、中川裕先生はアイヌ神謡集岩波文庫で外国語文学の赤版に入っていることをおおらかに肯定していますが、石村愽子サンの『ピカ チカッポ』は津島祐子サンがそれはおかしいと公開質問した件など、「おかしい」側に立った記述があり、それを当の岩波が出すというのも、言論の自由的にイイ話だと思っています。キンペーチャンがプーさんを弾圧するのはおかしいという本が日本僑報社から出ないかな。

中川先生は「日本語でない言語を何と呼ぶか」と生徒に質問し、「外国語」という言葉しかないと結論付け、なので、日本語で書かれた文学でない『アイヌ神謡集』は赤版なのだ、と言っていますが、これは日本語と日本文学の意図的な混用なので、おかしいです。『アイヌ神謡集』は日本文学であり、日本文学は必ずしも日本語で書かれたものだけではありません。日本語以外で書かれた日本文学の最も優れた成果のひとつが『アイヌ神謡集』です。

”汉语以外的语言叫什么?“ “外语!” 漢語以外にも五十何個かの言語が中華人民共和国の「中国語」になるので、「外国語」でなく「外語」という言い方があるわけですが、まあこれは当の漢民族の中にもピンと来ない人が内地に多いので、いわんやをや日本人をや、というところで。「日本語でない言語を何と呼ぶか」「ほかの言語、です」

アイヌ語も日本語も孤立言語で、ハングルも孤立言語で、世界に孤立言語はけっこう多いそうで、パキスタン北部のフンザなんかも、孤立言語ばっかしだと聞いたのを思い出しました。でもイスラム教への改宗とウルドゥー語教育がセットでどしどし進められてるそうですが。

熱くなってしまいましたが、そのほか、NHK出版の本もいっぱい広告が出てます。が、アイヌ関係はなし。大河ドラマ蝦夷をやった時の関連本は、もう品切れなのかな。何十年も前ですし。平田オリザサンの本や、平家物語、鎌倉殿、100分de名著の別冊でマンガを多く取り上げている、など。

全四回の講座のうち、第一回は神謡集に出て来るさまざまなカムイの話ですので、飛ばしてもよいかと。第一回だけ聞いても、シロカニペ ランラン ピカン コンカニペ ランラン ピカン のカムイ、シマフクロウの詳細は分かりません。第三回を聞かねばならない。私は山梨でしかフクロウ見たことないですが、昼間眠そうに大木の上のほうの枝に止まっている姿がメインで、ひるまはめったに翼なんか拡げないので、ちっさく見える鳥だと思ってます。

第二回が、モチはモチ家というか、神謡集のアイヌ語は、口語会話とは構文が違うなど、専門的な指摘が多く、面白いです。彼女の詩の一人称は、通常の口語会話の一人称と、単語も文中の順番も異なるそうで、ウエペケに神秘的と言うかおごそかというかなんというか、異化効果を与えるために彼女がくふうしたのではないかと中川センセイは想像しています。

また、口伝というものは、「常套句」が繰り返し登場するものなんだそうで、それだからこそ、毎回違うセッションなのに、同じ曲といえるのと同じことが起こっていると。下記がその提唱者で、現在は定説化。どっとはらい。パイアイのつる、ティイイのつる、ちょん!

また、彼女の詩は、スペースが一文字分だと読点、二文字分だと句点、というふうに、記述で文法が分かるよう工夫されてるんだとか。

常套句は英語でフォーミュラというそうで、「ホテナオ」という常套句が取り上げられます。「ほでなす」とか「ボケナス」とかホホデミノミコトとか思い出すので、いいことば。

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kotobank.jp

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第三回は、これまでけっこう収集されたユーカと、神謡集のそれとは、何がちがって、それはどこからくるものなのか。クリスチャンだったからその要素があるとか、いろいろ専門家の分析で、べんきょうになりました。

本書のアイヌ年表は、知里幸恵サン以後は、第三部シャクシャインの乱編をさいごまでやらなかったカムイ伝にあてつけてるわけではないと思いますが、マンガ主体のトピックになってます。それもまたなんというか。違星北斗という人が読んだら、へんなのと思うかも。でも逆に偏りがないということなのか。文化史に押し込められているのではなく、そこに光を当てたフォーカスです、という。

以上

【後報】

しかし、やはり、私がアイヌだったら、自民族へのまなざしやマジョリティーとの関係性で、若い時はけっこうエキセントリックになってたと思います。

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上の年表のある暮らしの中で、「先住民族ではない」論議がふっと頭の片隅に浮かんでくるだけで、時折血管がブチ切れたりすると思います。

(2023/9/9)