『モロッコで断食ラマダーン』たかのてるこ(幻冬舎文庫)رمضان في المملكة المغربية" تاكانو تيروكو (جينتوشا بونكو)" ⵕⵎⴹⴰⵏ ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ "Ramadan fasting in Morocco" by Takano Teruko (Gentosha Bunko)読了

ラマダンに関する本を検索すると、これしか出ませんでした。天下のたかのてるこサンの名著(らしい) 

カバーフォト たかのてるこ カバーデザイン 松田美由紀幻冬舎デザイン室)2002年4月刊幻冬舎刊単行本上下巻を文庫化の際タイトルを分け、上巻を『サハラの王子様』・下巻を本書として2004年文庫化したもの。回教圏異教徒女子ぼっち旅貞操の危機&This is セクハラてんこ盛りはおもに上巻に収められているそうです。

本書が『モロッコ断章 堀田善衛に捧ぐ』的タイトルだったら私の折れたアンテナにはひっかからなかったでしょう。ズバリラマダンなタイトルでよかった、分かりやすさは武器。たかのつながりで高野秀行サンがからだを張ったラマダンエンタメノンフとか、ハッサン山田考サンのラマダンファナティッカーズ原理主義日記とか、もっといろいろあるかと思いましたが、出なかった。

2002年に書き下ろしたわけですが、旅行じたいは1993年の日芸卒業旅行で、9年後に書き下ろしたのも、ただたんに機が熟しただけだったようです。執筆当時まだ東映在職で二足の草鞋を履いていて、クドカン監督長澤まさみ主演でテレビドラマ化した『ガンジス河でバタフライ』に続き、時系列順に旅の記録を書いてみた感じ。ライターとして独立後、ネタが尽きたので学生時代の旅行までタコの足食い私生活切り売りで公開したわけではないという。

たかのてるこ - Wikipedia

アラビア語にもエジプト方言やモロッコ方言があるそうですが、グーグル翻訳にはその分解能がないので、タイトルのアラビア語はてきとうな機械翻訳です。語順が下書きとHtmlで変わってしまいますし、タカノがタカヌ、テルコがティルク、ゲントーシャブンコがジントゥシャブンクになってるようですが、気にしない気にしない(直しようがない)デス。また、本書ではベルベルには文字がない(ので消えてゆく言語)(頁19)となってましたが、ウィキペディアにはベルベル文字があったので、それの「モロッコ王国」と「ラマダン」を貼りました。グーグル翻訳はまだ未対応で、子音を書くのかどうかなど、記述ルールが分からないので、「たかの てるこ」と「幻冬舎」のベルベル文字表記にはトライしてません。

ティフィナグ文字 - Wikipedia

モロッコ王国を旅するうち、ある日突然始まったイスラムの摩訶不思議なイベント〝断食ラマダーン”。日が昇っている間は水もだめ、煙草もだめ、食事なんてもってのほか! 空腹のまま彷徨い続けた後に辿り着いたのは、心優しきベルベル人の村だった。秘境の村で落ちた恋の行く末は!?  スリルとサスペンスと笑いに満ちた〝愛の断食”紀行エッセイ第三弾!

読んだのは平成30年(2018年)の12刷(!)それだけ指南書、体験記がないんではないでしょうか、邦人向けラマダンの。右はカバー裏の煽り文句。

*本文中の地名は、旅行者の間で一般的に使われている発音をもとに表記してあります。 *通貨レートは1993年当時のものです。 *本文中の会話部分は、紙数の都合上、実際のやりとりから大幅に省略・整理されています。筆者の英語力が高いと誤解されないようにお願いいたします。

頁8、【本文中の表記について】素晴らしいと思いました。なんていうか、言語力なんてそこそこでも、超能力でコミュニケート出来ると思ってしまうのが「旅行」で、旅行のみならず、ブラジルなんて移民社会なので、ポルトガル語能力がほどほどでも、身振り手振りそのほかで、なんしか運転中のトラブル等も乗り切ってしまうと言います(当てられ損社会ともいう)しかしそれで、本書のように深い会話、論理を構築した会話が出来るのだろうかという疑問もありますので、だからこそこうした旅行記はファンタジーとして素晴らしいと申せましょう。私はこうした相互誤解のすえの苦い痛みを何度も経験してしまいましたので、臆病になってますが、素晴らしいものは素晴らしい。

1993年春(バブリー!)たかのサンは卒業旅行でモロッコを移動中、始まったラマダンに巻き込まれます。異教徒は免除だが、公衆の面前で飲み食いはしてくれるな、周りはみんな飲み食いしてないんだからとモロッコ人から異口同音に言われ、空気嫁な邦人のたかのサン(大阪人ですが)は素直に従い、日没後のイフタルを呼ばれまくったり、外国人なのにラマダンしてると云うとみんなうれしそうな顔をするので、調子に乗ってラマダンします。

  1. といっても礼拝はしません。そもそも異教徒に開放されてるモスクが限られている。テルコもムスリムに改宗したらみたいな話は流石に出ない。モロッコだし。
  2. 私はモロッコもトルコみたいな政教分離世俗主義国家で、飲酒もおk、ラマダンもほどほどだと思っていたので、本書の導入は意外でした。
  3. 礼拝をしないので、たかのサンはサフール(夜明け前の食事)の後、毎日昼まで寝ます。日の出の礼拝をしない。ので、ラマダン開始の時刻が、日の出の時間でなく、ファジル、白い糸と黒い糸の見分けがつく時間からというクルアーンの記述に従っていることは書かれていません。最後まで気づかなった可能性もあります。
  4. 日中寝てて、夜は食事とミントティー飲みながらの雑談しかしてないので、昼間働きながらラマダンも体験するという、まっとうな勤め人のラマダン体験記にはなってません。これが旅行者の泣き所か。夢の遊民社。ときどきステイ先の子どもと掃き掃除したり水汲みに行ったりくらいのカジテツはします。
  5. 本書のラマダンは、イフタル(日没後の食事)とサフール(夜明け前の食事)以外に、夕食を食べます。これ、無理だろ、三食なんて、この短時間にぜったい消化しきれんと思いました。そして、たかのサンは太り、ずぼんのボタンをしめずに上着でごまかす生活に入ります。日の出以降、消化をうながすために胃腸薬を飲もうにも飲めないこと自体がまたツラい。
  6. 卒業旅行でラマダンなので、今年、2024年のラマダンより、もう少し早いスタートかなと思いました。真夏のラマダン体験で、炎天下飲まず食わずを長い日没まで苦しむ「人の不幸は蜜の味」が楽しめる旅行記でないのは残念閔子騫です。「あなたこころ悪い!ユー、ナンバーテン!」厳密な月の満ち欠けによる神学者の判定抜きにカシオの計算サイトを使う*1と、1993年のラマダンは2月23日から3月24日までということになり、さ来年が2月18日からみたいですので、さ来年リピートしてみたら、往時の思いがどわっと溢れるかもしれません。
  7. なんというか、たかのサンは、ラマダン最後まで完遂しません。やり切らない。理由が、里心がついた、日本での日芸卒業式にやっぱり出たいから、です。毎年同じ日なら、日芸の卒業式は3月25日、場所も毎年同じなら(コロナカ除く)日本武道館で挙行らしいので、それまでに帰国ということだと、3月25日からのイードラマダン明けの大祭、無礼講祭り)は体験してないということになります。もったいない、来年もう一度たかのサンがラマダン体験して、イードまでやり切って、続編「33年目の再訪」を書いたら売れるかもしれません(売れないかもしれない)
  8. スリランカ料理店のイフタルはカンジというタミル料理のおかいさんからスタートでしたが、モロッコのイフタルはハリラ(الحريرة)という豆のスープで始まるようです。どちらも飲まず食わずで数時間後のおなかにやさしい。

ja.wikipedia.org

頁22、毎日日没後、広場に人が集まって、大道芸が始まったり、音楽の生演奏にあわせて男も女も踊りまくる場面があります。こういうの、どんどん原理主義者がうるさくなって、現在はどうだろうと思いました。モロッコあたりだと今でもベリーダンス健在で、歌舞音曲一切禁止のタリバンをマジキチクレージーと思ってるかもしれません。

頁75、ジュラバという衣裳が注釈なしで出て、分かりませんでした。前編に書いてるのでもうそれでって感じなんだと思います。

en.wikipedia.org

頁92

「人間が弱いのも、変わっていくのも、悪いことじゃない。それは当然のことなんだ。たとえば弱さに関していうと、イスラムでは禁酒だよね。それは、弱い人間に酒なんか飲ませたら、どうなるか分かったもんじゃないと考えているからなんだ。酒を飲んでもいいことにすると、酒を飲んだにもかかわらず、車の運転をする人が必ず出てくる。飲酒運転が原因で、大きな交通事故が起きることもある。日本も飲酒はオーケーでも、飲酒運転はオーケーじゃないよね? 飲酒運転を取り締まるより、弱い人間にもともとお酒を飲ませなければいい。そう考えて、イスラムでは先にお酒を禁止してしまっているんだ」

 確かに、日本が銃を禁止しているのも、弱い人間が銃なんか持ったら何をしでかすか分かったもんじゃない、と思ってのことなのだ。そのことを思うと、イスラムの禁酒も理にかなってるよな。

(略)

 それに、酒の勢いで好きでもないのに口説いてくる人だっている。私の友だちの中には、「酒を飲んでるときに『好きだ!』と言われても、それは『好き』と言われたことにはならない。酒の力を借りて告白するなんてもってのほかだよ!」と断言している子もいるくらいだ。

「私はお酒がほとんど飲めないし(略)”酒もヤクもナシにナチュラル・ハイ!”っていうのがモットーだもん。でもね、日本人はシャイな人が多いんだよ。だから、私はガチガチだった人がお酒を飲んでリラックスして、心を開いてくれるムードが好きだな」

「でもね、てるこ。お酒を飲まなくても、心を開いてくれる人はもっと好きでしょ?」

この頃はまだ飲酒運転が厳格に取り締まられる前なので、21世紀の現状を鑑みると、酒類の販売を禁止しなくても飲酒運転の取り締まりは成功しうるとか、そもそも飲酒のない社会の青年からこのように言われても、説得力があるのか、など、突っ込みたい人は突っ込んだらいいと思います。「素直じゃないね」「ひねくれてる」「その性格で実社会でも損してない?」などなど反論されるかもしれないし、咳しても(ネットでも)ひとり、かもしれない。

頁94

イスラムでは女の人がベールを被っていて、ロングスカートをはいていることが多いよね。あれも、弱い男を誘惑しないようにする知恵なんだ。弱い男のために、女性に協力してもらっているようなものだよ」

「そうだ、私、モロッコに来た途端、酷い目に遭ったんだよ!」

 私は彼に、タンジェのレストランでトイレに行ったとき、ボーイに強引にキスを迫られたことや、カサブランカの宿で友だちになったおんなのこの彼氏に、彼女も了解したうえで襲われそうになったことなどを洗いざらい話した。カリッドになら、何を言っても受け止めてもらえそうな気がしたからだ。

(略)

「でもね、カリッド。カサブランカの男は、彼女の同意も取りつけたうえで、私の寝込みを襲ったんだよ。あのカップルの取った行動は、イスラムの一夫多妻と関係があるのかな? って考えもしたりしたんだけど」

 彼は、とんでもない! という顔になった。

イスラムとはまったく関係ないよ! それは大きな誤解だ。それは、そのカップルの嗜好にすぎないよ。頭がイカレてるカップルだ! (略)」

頁124、たかのサンはカリッドの実家に泊まるさい、両親でひと部屋、姉夫婦でひと部屋、カリッドが帰省時に泊まる部屋の三部屋しか夜をしのげないので(ほかは隙間風がヒドい)カリッドの部屋で寝ますが、何もありません。もしくは、勝手に読者行間嫁。たかのサンは『ダライ・ラマに恋して』*2でも男性同行者とふたり部屋に泊まったりして、何もないので、そこがいいのかもしれません。

本書でもステイ先の両親は息子の嫁にと自分が嫁いできた時のネックレスをプレゼントしますし、カリッドも求婚します。が、この時点でたかのサンは大学にシーカレがいるしで、その後の生涯をモロッコベルベル人の山居で過ごす「こんなところに日本人」にはなりませんでした。『モンキームーンの輝く夜に』*3と、さらにその後の人生を思うと、女性の価値は若さではないけれど、自分で自分に踊ってしまうことって、あるよな、と思う。

男性の旅行エッセーって、恋愛が出てくると、「男の身勝手」「旅の恥はかき捨て」「港々にオンナが」がいやらしく顔を覗かせるのですが、女性の方が恋愛原理主義というか、おせいさん(田辺聖子)の昔から、恋せよ乙女、恋なしに万物は語れない、というのがあると思っていて、本書は見事にそれを昇華させています。本書のアマゾンレビューで、本書に恋愛場面は不要、女性読者はみんな読んでドン引きやわ、みたいのがありましたが、私は逆だと思う。あるいはヤヌスの鏡

頁163

「カリッド、ミントティーを〝モロッコウイスキー”と呼ぶワケが、やっと分かって来たよ」

 私はおしゃべりとミントティーで、ほのかな陶酔感を味わっていたのだ。

「だろ~? ミントティーで酔うことができたってことは、てるこはもう一人前のモロッコ人だよ」

「フフフ」

「ヘヘヘ」

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カラーページが12枚くらいあり、旅行者の部屋に遊びに来た現地人がベッドに腰かけているところをパチリの旅行者あるある写真や、大人に比べて撮りやすい村のこども写真があります。でも私は白黒の、頁90の山並みの写真が好きです。街から村への移動中の写真。たぶん、東チベットの緑とも、イサーンのひび割れた大地とも、ちがう色なんだと思う。見てみたい。以上