済州島再訪のこの章でもハルラ山をハンラ山と書いていて、私の小さな優越感をくすぐってくれるのですが(人間がちっぽけな証左)それ以上に、チェジュドのイエメン人たちに飲酒の習慣が広まりつつあることのほうに驚きました。高野秀行『イスラム飲酒紀行』番外編みたいな様相を呈してる。
頁154
「韓国人とイエメン人が、酒を飲んで殴り合った、ってことはありましたよ。その時は友だち同士で、酔ってケンカしたみたいで、大した事件ではありません」
「イエメン人が、お酒を飲むんですか?」
もちろん、ムスリムは酒を飲まないという前提に立っての確認だ。
「ええ、飲んでますよ」とキム社長は大きな体をゆすって笑った。
ここは、前回訪問時盛り上がっていた難民反対運動が、あっという間に飽きられ、忘れ去られの後の会話。熱しやすく冷めやすい、韓国あるある。と、日本では考えられているし、出て来る韓国人も自嘲する。で、私もイエメン人の飲酒には驚きました。イエメンもかつては植民地だったわけで、だからランボーがいたりしたわけですが、その時代に覚えた飲酒の伝承がまだ残ってるというには時間が経ち過ぎてると。これがイランだったら、革命前は世俗主義国家トルコ(最近は原理主義が台頭してるそうですが)なみに飲酒してたので、革命後も酒類は密輸されて来てたわけですし、シリアは少数派のキリスト教徒がワインを醸造してて、イラクだって、世俗主義のバース党時代は酒はおろかキャバレーだってあったわけなので(だからイスラムという宗教ファーストでなく「アラブの大義」なる民族主義を標榜していた)、飲んでて全然おかしくないのですが、アラビア半島はちっとばかし厳しいのではないかと思っていたので、超おどろきです。蔵前仁一サンのイエメン旅行記ではどうなってるんでしょうか、飲酒。
頁157
霧雨でしめったテーブルにはチャミスルの小瓶が並んでいる。お酒だ。
(略)
「ところでそれなんですか? お酒? ムスリムはお酒を飲んじゃいけないのでは?」
飲んでいる者たちは悪びれた。店のガラスにもたれていた青年は、うつむいて忍び笑いをする。彼は酒を口にしていない一人だ。やがて彼がこらえきれないという様子で声を立てて笑い出し、飲酒派の気持ちを代弁した。
「この人たちは、つらくて大変だから飲んでいいと思ってるんです」
「そのとおりだ」と、飲酒派の一人、髭の男が口を開く。
「ポジティブになりたいのさ。自分たちが明日どうなるかわからない。ここにいられるのか、追い出されるのか、不安でしかない。だからせめて、ポジティブにならないと」
(略)
「おいしいですか?」
「うん」
第四章で出て来た舘林のロヒンギャ協会を思い出しました。マスジッドなり組織を作って、指導者がまとめてゆかないと、こういう無軌道さがおかしな者を産み出す確率は高くなる。これは偏見でなく、同様の懸念を支援者も持っています。その場面も出る。
頁170
「(略)彼らの多くは滞在許可を得て、ひとまず大きな心配はなくなったはずで、これからの生活のためになおさら努力しなければいけない時なのに。しかも、多くの人が、いいえ、私が見る限り多くの人が……」
(略)
「お酒を飲むようになってしまったのです」
「昨日、見ました。どうして飲むのか訊ねたら、不安が大きいからだと言っていましたよ」
(略)
「よろしくない。私には理解できません。ここに住んで、仕事もできる。不認定になっても、申し上げたとおり私たちは助けるために努力します。前向きに考えられる要素はたくさんあるのに、飲酒を選んだというわけですね」
語り口が熱を帯びてきた。
「飲酒する、というのはただそれだけのことではありません。ですから最近、私達が提供する住まいにはルールを作りました。屋内での飲酒、喫煙は厳禁。特に飲酒は信仰を捨てるようなもので、彼ら本来の生が失われるのに等しいのですからやめて欲しい」
「つまり局長は、イスラム教の信仰を尊重しているというわけですね?」
「当然ですよ!(略)
郷に入れば郷に従え、の逆だがその熱意に打たれた、と前川サンは続けていますが、私は、やっぱり『イスラム飲酒紀行』だったかなあ、自分の社会の道徳規範を守らない人間、こっそり破る人間は、ほかの社会の道徳も同じように破る、という人間観察を思い出しました。アラブ人の中には、タイに行って女買ってスリクと酒ざんまいという人間もいるが、やはりそういう人間は人として尊敬されないと。相手国でも、一般社会、国際的にも。
でまあこういう話は私は職場でちょくちょくして、私の本意とは裏腹に、ムスリムに対する偏見を助長させてしまい、力不足を痛感するどころじゃないことが往々にしてあります。あるいは、話をした相手の理解力がそもそも腐っていると、相手のせいにして自分をなぐさめる。例えば、回教徒にとっては飲酒のほうがハラルの禁忌を破るよりずっと敷居が低く、酒は飲んでも豚肉は食べない(意識的に食べない。異教徒の世界では、誤飲ならぬ誤食はあるかもしれない)ことについて。
頁156
「僕はこれから夕食に行くけど、いっしょにどうだい?」
「いいよ、自分で作るから。ありがとう」
この会話も、けっきょく、ハラルでないものを食べさせられるリスクがあるので、断ってるわけです。豚肉がだめというだけでなく、豚肉を調理した鍋で調理したものもだめなんだから、徹底してる。という話を職場ですると、「なにそれありえねー、だからイスラム教なんて世の中からなくなったほうがいいんだよ、女性の外出禁止にしろヒジャブにしろ、害悪になる教えばっかりじゃん」と言う御仁を産み出してしまうんですね。まったく自分の非力さが情けない。豚肉をGに例えて、Gはおいしいのになぜ食べない、と迫られたらイヤでしょ? と話すのですが、だって豚肉おいしいじゃん、と、話はすれちがうまま。
もちろんこの件に関しては理想的な解決法があって、済州島にはイエメン料理の店がオープンしてます。安全なハラルで、おいしい本場イエメン料理を提供してる。あとがきによると、最初の店は潰れたけれど、また別の店が出来たようなので、私ももし済州島に行く機会があったら、何をさしおいてもその店には行ってみたいです。前川さんがおごったり誘うなら、そこにすればベスト。東京にもイエメン料理の店あるじゃん、という話とはまた別で。
あと、日本だと千葉に協会があるんでしたか、ハラル認証はカネがかかって大変らしいですが、韓国はそんなこともないのか、えっこんなインスタント麺もハラル認証とってるの? ってパッケージを見て驚くことも多いです。
それ以外だと、滞在許可がとれなかったイエメン人が韓国をくさして、その人は難民認定の審問で親米か反米か聞かれたので反米ですと答え、サダム・フセインをどう思うか聞かれたので尊敬してると答えたら、ダーイシュ扱いされて国外追放されたそうです。だけど俺は自分の節を曲げることはしねえぜ、ファックコリア! みたいなことを言うのですが、チェジュドで会ったのではなく、フェイスブックで知り合っただけなので、真偽の度合いは模糊としている、そうです。(その後フェイスブックは削除)
表紙(部分)英語は、エスケープとかランナウェイとかでなく、音楽用語のフーガです。
頁178に、桐溪郑蕴という人の漢詩が出ます。
寒梅莫恨短枝摧 hanmeimohenduanzhicui
我亦飘飘越海来 woyipiaopiaoyuehailai
皎洁从前多见折 jiaojiecongqianduojianzhe
只收香艳隐苍苔 zhishouxiangyanyincangtai
三行目が、回教徒の飲酒とダブって見えて仕方なかったです。
頁189、世界遺産、サナア旧市街の城門のイラスト。下記と同じものでしょうか。ちがうのかな。
以上