『飲酒症 「アルコール中毒」の本態』(中公新書)読了

 飲酒症 : 「アルコール中毒」の本態 (中央公論社): 1986|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

下記の本に出てきた本です。主治医の著書だとか。

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 装幀 白井晟一

著者を検索すると、下記の人が出ますが、同姓同名の別人です。

田中孝雄 - Wikipedia

全七章で、各章の冒頭に金言があります。たとえば。

頁2

“ひとは次の五つの理由で酒を飲むことができる――祝祭日のため、乾きをいやすため、それから未来を拒むため、さらに美酒をたたえて、最後にはどんな理由ででも。”   ――フリードリッヒ・リュッケルト 

 この次のページには千利休のことばがあります。“一盃は人 酒を飲み 二盃は酒 酒を飲み 三盃は酒 人を飲む” で、出典が星和書店の村田忠良『断酒学』各章冒頭のことばの出典は不明。巻末に参考文献一覧あり。作者は山梨県の精神衛生センターに勤務していて、その時大規模調査の予算がついて、いちど入院した人の、断酒節酒継続飲酒の違いと余命の関係等を調べることが出来ていて(頁134まわり)、その關係か、全国都道府県の精神衛生センター一覧が載ってますが、もうそういう名称ではないんだとか。

精神保健福祉の歴史 | 高知県庁ホームページ

何故かサイバラ吉田類の国、高知県ホームページがいちばんその歴史を分かりやすく書いているという。作者は金谷から東京湾フェリーで神奈川県に来て海が見えるその地方の病院にも勤務しており、しかしなだ いなだとはすれ違いだったそうです。なだ いなだの組んだ革新的システムも、運用する人があれだとあれな様をつぶさに見たとか。

頁137、アルコホリズムという言葉自体、1849年にスウェーデンの内科医マーヌス・フスが創造したことばで、歴史はそこで途切れると書いていますが、ドランクネスとかでよければそれ以前からあるので、わざわざ「アル中」という名称にことわらなくてもと思いました。元禄お畳奉行のアル中っぷりとか読んでもそう思う。でも、そこにこだわったので、「飲酒症」ということばを発明して、それですべてを包括的に説明しようとしたのかと。でもこれ、なんかブラックホールとホワイトホールというか、クラインの壺というか、吐き出された先が自助グループしかないんですよね。それで万事解決と思ってるわけでもないと思うんですが。小田嶋隆さんの本自体そうではないし。

頁118のアル中家族の研究も、欧米の先行研究や、自助グループが家族ぐるみだったり、家族のための自助グループが別にあることを取り上げて考察してますが、要するに自助グループにつながらなければ崩壊すると。文章にすると一行ですが、当事者ひとりひとりと話すの大変だろうと思います。自助グループで、酒害相談対応してる人を尊敬します。

それとは別に、頁69、Mullan, H & Sangiuliano.I. による、『アル中の集団精神療法とリハビリテーション』という本が登場し、院内ミーティングや外来ミーティング的な試みの萌芽が始まった時代の回想があります。効果があったかどうかとか、医者のほうが学んだこととか、竹を割ったように明快に書いているので、とても写す気になれませんが、まあそうやって時代は進歩して来たと。

頁40を皮切りにたびたび「山型飲酒」という言葉が登場するのですが、これが私がローカルで見聞きして来た理解と違ってました。飲酒期間と中断期間の繰り返しなのですが、中断期間というのが、本書によると、身体的に受け付けなくなる、飲めなくなっている期間だそうで、それが入院断酒等で、また飲める身体にしてもらうと飲んでしまうことを指すそうで。私がこれまで聞いてきた、飲酒欲求が湧かない期間、という言いかただと、半分しか説明されてなかったんだなと。なぜ飲酒欲求が湧かないかというと、受けつけなくて吐いたりして苦しいから。それでも飲む人とのちがいを説明することばだったのか。検索してみると、誤字のある機関もありましたが、おおむね、病院や保健センター等のホームページで出てくる説明は、作者と同じでした。

なんで作者が「飲酒症」なんてことばを作ろうとしたのかの理由のひとつに、三浦半島の病院、山梨県、東京のど真ん中の病院それぞれで、ぜんぜんケースが違って、群盲象を撫ですぎる状況だったからだそうです。最後のところなんか、飲み会が続いて調子が悪い人が、自分が酒が切れないのは依存症だからではないかと診察に来るのばっかで、それと、前二者の入院ケースや手のかかるケースと、あまりに違うので、どれか一個だけだと全体像を見誤るし、依存症を気にする人と否認の病まっさかりの人とを混同して対処したら大変だし、どうしたもんかで色々考えましたと。酒の話ではないですが、私は個人的に、北里東の人は、違うタイプの人に騙されたと思っています。某事件を起こした人は病院の人が考えたタイプではなかった。

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こうやって考えてばっかいると、本書の隣の本のタイトルが、『飲める心の記録』『飲む心』に見えてくるから不思議です。見えてこないですか。おかしいなあry

以上