『死への祈り』『すべては死にゆく』読了

死への祈り (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

死への祈り (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

死への祈り

死への祈り

Hope to Die (Matthew Scudder Mysteries Book 15) (English Edition)

Hope to Die (Matthew Scudder Mysteries Book 15) (English Edition)

すべては死にゆく

すべては死にゆく

All the Flowers Are Dying (Matthew Scudder Series)

All the Flowers Are Dying (Matthew Scudder Series)

アル中探偵マット・須賀田シリーズラスト3作中2作。
もうそれだけで泣きそう。
作中の主人公年齢は64歳と68歳。
ごく自然にグーグル検索や、バイアグラといった単語が、
作中に出てくるようになりました。

守護天使のおかげかどうか知りませんが、
たまたま二冊まとめて借りたので、
フラストレーションを感じずに済みましたが、これ、前後編です。
『死への祈り』が出てすぐ買った過去進行形のファンは、
それから『すべては死にゆく』が刊行されるまでの4年間、
作中の犯罪犠牲者にも似た、焦燥と不安、あきらめ、等々の、
悶々たる日々を過ごすことを余儀なくされたわけで、
作者も罪なやっちゃ、
作中のサイコ人格をあれだけ鮮やかに創造出来るだけあって、
作者にも当然そのへんの片鱗というか素養がある、と思ったりしました。

しかも『死への祈り』は、帝国の逆襲とか、
バックトゥザフューチャー2みたいな、
絶対続きがあるよ、というフリを入れてないのです。
出版界は映画界より儲からないからかもしれませんが、
これは本当に蛇の生殺し。
作中、イキそうでイカせてくれないので懇願すると、
殺されるという形で、別の意味でイカされてしまう犠牲者がいます。
ファンはそうならなくて本当によかった。

邦題ですが、ホープは祈りでなく希望と普通に訳せばいいのにとか、
花はどこへ往った(Where Have All The Flowers Gone ?)の回答が、
ALL THE FLOWERS ARE DYING
というタイトルなのはだいたいみんな分かるから、
花はみんな死んでゆくと直球で訳せばいいのに、
と思ったりしました。

アル中ビルドゥングスロマン風に読むと、
『皆殺し』(1998)でスポンサーの死を描いて非常に読者(私)の印象に残ったので、
今回も何か自助グループ的なテーマ設定を試みた気がしますが、
メインにもならず、成功したとも言えないと思います。
『死への祈り』はAC、アダルトチルドレン
『すべては死にゆく』は匿名という伝統。

前編は須賀田さんの息子のストーリーがあるのですが、
須賀田さんは確かに強盗を撃って跳弾して無関係の少女を即死させ、
それが原因で警察職も妻子も捨ててるのですが、
その時点ではアル中になる前の酒飲みだったわけで、
離婚しただけの子をACというのはどうか、
とも思ったので、作中そのへんの話が尻すぼみになったのも、
うなづけるかなと思ったりしました。

あとはネタばれを含む話を、後報で書きます。
【後報】

  1. 守護天使というのは、この小説の犯人が、その導き(と本人は解釈)で、次々と間一髪で須賀田さんや警察の包囲網を逃れてゆく、という描写です。
  2. 須賀田さんの一人称と犯人の三人称を使い分ける実験小説構成については、やはり当初は違和感ありました。
  3. 残虐描写は相変わらずで、だから読まないほうがいい人は読まないほうがいいです。読み終わるとそうでもないんですけど、読んでる時は相当イヤ。須賀田さんシリーズは、途中から残虐シリーズになったので、ハヤカワが翻訳から手を引いて二見に移ったと、今回検索した読書感想か何かで読みました。本当かどうか知りませんが、ありそうな話です。というか依存症患者主人公にした小説にショッキングシーンばかすかぶちこむのって、どうなんだろう。今度医師の意見を聞いてみます。
  4. 次男アンディが母親の葬儀で再会した父親に、酒場でおかしなことを言うシーン。母親がドイツ旅行直前に死んだ件で。

上巻頁50
「父さんがかわりに行ったら?エレインと」
 気まずい沈黙ができた。アンディも気づいて言い直した。「ごめん。自分でもなんでそんなことを言ったのかわからない」そう言って、彼はグラスを取り上げて掲げ、グラス越しに天井の照明を見た。その昔、私もそういうことをよくやった。ロング・アイランド・アイス・ティを注いだグラス越しではなかったが。「こいつに警告のラベルを貼って出すべきだ。ごめん」
「気にするな」
「どっちみち」アンディは言った。「エレインはドイツになんか行きたがらないよ、だろ?」
「どうして?」
「彼女はユダヤ系じゃなかったっけ?」
「だから?」
「だから、ドイツを旅したくてしたくてたまらないなんてことにはならないんじゃないか?石鹸にされるのを恐がるかもしれない」
 マイケルが言った。「アンディ、少し黙ったらどうだ」
「ジョークだよ、ジョーク」
「面白くないジョークだ」
「おれのジョークは誰にもうけない。石鹸もラノリンも。勝てないね、あんたらには。今日はおれのジョークは誰にもうけない」
「それは、今日はジョークを言うのにもってこいの日というわけじゃないからだ」
「それじゃ何にもってこいの日なんだ?教えてくれ」

それが須賀田さんに及ぼした影響。

上巻頁126
ふたりに会った酒場の話はもうしたっけ?」
「ハーシーの小さなチョコレートをいっぱい詰めたボウルが置いてある酒場でしょ?」
「そう、そこで私は飲みたくなった」
「わたしならチョコレートじゃなくて、キャンディバーが欲しくなってたかもしれない」
「でも、飲まなかった。いや、飲むなど真剣に考えもしなかった。それでも、その欲求は強くて、そのあともしばらく残った」

次男の問題が分かったとき。

上巻頁222
「マイケルは母親似だ。体つきも母親の家系に似て、がっしりしている。アンディは父親に似た」
「これからもっと似てしまう可能性もある」
「父親みたいに酒を飲んでるんだろう。これまで何度飲酒運転をして、何台車を駄目にしているのか知らないが。そう、私には自分がどうすべきかわからないんだ」
 エレインは自分にコーヒーを注いで、私と向かい合ってテーブルについた。
「あいつが私に似てるとしたら」と私が言った。「何から何まで私に似て、お巡りにならなかったことがかえすがえすも残念だ。お巡りになってたら、盗みたいだけ盗んで、その後のことなど何も心配しないですんだのに」
「刑事時代、あなたは盗っ人なんかじゃなかった」
「しかし、自分のものじゃない金をポケットに入れていた。そして、それを正当化していた。人がたいていそうするように。アンディを見るといい。あいつはただ借りてたんだと言ってる。いずれ返すつもりだったと。もうきみにはわかってると思うけど、私はゆうべから堂々めぐりばかりしてる。アリゾナの刑務所であいつを腐らせたくない。一方、金であいつを救いたくもない」
「そこがむずかしいところね」とエレインは言った。「でも、あなたが自分で決めなくちゃ」
「きみならどうする?」
「それまたむずかしいわね。なぜなら、わたしの問題ではないから。また、わたしの問題であってはならないから」
「きみがアラノン(アルコール依存症患者の家族、縁者の会)の連中に話したら、彼らからはどんな答えが返ってくると思う?」
「権限を持つなかれ」彼女はためらうことなく答えた。「窮地から救い出すことで彼に便宜をはかるなんてことはしちゃいけないって言われるでしょうね。そんな便宜はいい教訓を得る機会を奪うことでしかないって。自分の蒔いた種は自分で刈り取るようにならないかぎり、彼は何も学ばない。彼がどこに向かってるにしろ、他人の助けがないほうが早くそこにたどり着けるだろうって」

上巻の、自助グループ描写。

上巻頁57
 禁酒を始めた頃には、レキシントン・アヴェニューのモラヴィア教会で毎夜、深夜の集会が開かれていた。が、今はもう開かれていない。すでに何年も経つ。が、AAの集会というのはヒドラの頭のようなもので、かわりに新しい集会が二ヵ所で開かれるようになった。ひとつはダウンタウンのハウストン・ストリートで。もうひとつは、私がこれから行こうとしている西四十八丁目のAAのクラブハウス、アラノン・ハウスで。普段は歩いていくのだが、すでに何分か遅刻していた。歩道に出ると、ちょうど一台タクシーが縁石に寄って停まった。手を上げ、そのタクシーに乗り込んだ。
 みんなで禁酒の手引き書の序文を読むところに間に合った。空いている席を見つけて坐り、これで二日続けて集会に出たことに気づいた。そして、ここしばらくは毎日出席することにしようかと思い、次に出るのはきっと一週間ぐらい経ってからだろう、とすぐに思い直した。これから何をどうしようとしているのか自分でもわからなかった。しかし、そういうことを言えば、どうしてこんなところで、

ここで言う、禁酒の手引き書とはなんなのか、知りたい気がします。
日本の自助グループが読んでいる薄い本は、日本独自の編纂なので、
米国にはないはずなので、何をどう訳したのか、とか…
https://b2c.aaws.org/images/aawsImages/carouselPamphlets.jpg
https://b2c.aaws.org/
たくさんありすぎて、どれのことやらさっぱり。
あとタクシーって、ありえるのか。もうひとつの自助グループのほうがありそう。

上巻頁58
 深夜の集会に集まる人種は昼間の集会のそれと少し異なる。昔のモラヴィア教会の集会では、酔っぱらいがまぎれ込み、椅子を放り出しはじめ、それを何人かで取り押さえて本人を放り出すということも珍しくなかった。今でも深夜の集会ではいくつものタトゥーを見ることができる。それに革とボディピアスも。全体に、若い人と禁酒を始めて間もない人が多い。なんとか飲まずにいようとして、その日最後の集会に身を置くのである。集会が終わる頃には酒屋はどこも閉まっているから。もちろん、酒場は朝の四時までやっており、デリカテッセンでは二十四時間ビールを売っている。それでも、午前一時ともなれば、素面のままベッドにたどり着き、そのまま眠れるチャンスが広がる。
 新参者と健気な努力をする人に加えて、深夜の集会には、生活環境のせいにしろ、気質のせいにしろ、夜型人間も集まる。また、長いこと禁酒生活を送っている人で、なんらかの緊張感のある集会を好む人もやってくる。そういう連中は、誰かがナイフを抜いたり、椅子を投げたり、発作を起こしたりする集会のほうが好きなのだ。
 六十二年という歳月のうち、十八年を素面で過ごしている私は、若くて荒っぽいまわりの新参者とはまた異なる気持ちで坐っていた。
 異なるといっても、それほど差はないが。
 集会が終わると、話し手に礼を言い、椅子を片づけるのを手伝って、夜の通りに出た。

日本に深夜の集会なんてあるのか、知りません。
レイトナイトは聞いたことありますが、どうだろう。
一応今英語のほうも検索しましたが、どうだろう。首都圏、関西…
ただ今は、英語なら、オンライン集会というのもあるみたいなので…スカイプスカイプ

上巻206
私が禁酒を始めて以来二度にわたり、AAのグループに集会の場所を提供している店先教会がペリー・ストリートにある。私が集会にかよいはじめた当初は、そこでの集会は日に二回か三回だった。それが今では早朝から深夜まで、ひっきりなしに開かれている。

下巻の隠れたテーマは匿名性なので、読み返すとやはりその記述が目につきます。
まず、飲酒する人間のための集会も必要ではないか、と退職中年が笑うシーン。(頁19)
次に、有名人がゲストスピーカーの時。

下巻頁20
 その夜のAAの集会には四十人から五十人程の「出席者がいて、少なくともその半数はレイを知っていたはずだ。が、匿名性の伝統はわれわれのあいだに深く根づいており、彼を含めた話し手がひとりひとり話したあとのディスカッションの時間になっても、レイ・グルリオウのことは本人が今話したよりもっとたくさん知ってるぞ、などといったそぶりを見せた者はひとりもいなかった(AAは“アルコホリックアノニマス”の略で“匿名のアルコール依存症患者”の意)。明日になってほかの集会でほかのメンバーに、“ゆうべセント・ポール教会では誰が話をしたと思う?”と持ちかける輩はいるかもしれないが。それはやってはいけないことだが、われわれはそういうことをどうしてもしがちだ。それでも、AAのメンバー以外の友達には話さない。私がジョー・ダーキンに話さなかったように。ただ、ここでもっと大切なのは、集会でのわれわれの関係はそういったことに影響されない、ということだろう。

アル中でなくとも、肝臓や腎臓など内臓に起因する理由で飲酒をやめなくてはいけない人や、
自分の飲酒に問題があると認めざるを得ない人が、
断酒の自助グループに来ることもあるようです。医者が薦めたりとか。
何がどうアル中と違うのか、という点は、知りません。知る必要もない。
あと、服用してる薬の関係で酒を断つべき、という人もいるかもしれません。

頁205に、男性のみ参加資格のある集会が描かれています。
別にヘテロが出てもいいのですが、大半は、会場の土地柄ゲイとあります。
こういう集会が日本にあるかは、またまた私は知りません。
同性愛者だけ、但し男女混淆の集会は聞いたことあります。

女性限定の集会は非常に多く開かれていますが、
これはセクシャルマイノリティーの問題とは全然別で、
スクリーニングテスト自体男女で異なるように、
女性のなかでしか話せない女性特有の事情があるから、ということだと思います。
当事者でないので、うまく言えませんが… 
飲酒の契機とか、身体への作用の仕方とか、いろいろと思います。
須賀田さんシリーズは、"Women's Meeting"未出です。

下巻頁69
南部というのはおかしな地域で、アルコールに関して不可解な法律がいろいろとあり、それが州境を越えるたびに変わるのだ。ビールしか買えないところもあれば、まったく何も買えないところもあり、仮に酒屋があっても、かぎられた妙な時間帯しか営業していなかったりする。酒場で飲む場合も形ばかりの会員権を購入するよう求められることがあり、そういう店は会員制クラブを自称している。五ドルから十ドルばかりの金を一度払えば、会員に与えられる権利も特典もすべて手に入れられ、なんのことはない、金が続くかぎりいくらでも飲めるのだ。

須賀田さんシリーズでドライステートの記述があるのは、ここだけと思います。
NYを舞台にした小説だから、NYの飲酒事情しか書いてない。
アメリカは広いですね。
この小説と、それに出てくる自助グループを知らない、
彼自身の認識してる自助グループと違う、
といった感じの米国のアル中もいるので、
アメリカの広さを考えます。

全然関係ありませんが、ミック・バルーが、その凶暴性が衰えた時、
後ろから刺されずに、「ワルのにおいのするアイリッシュ・バー」オーナーとして、
不良デビューした社会人が興味本位で訪れる店の繁盛でくってけてる、
という描写に、なんかすごいものを感じました。
前の作品でレギュラー死んだ時の読者の反応がすごくて、
かといって(主人公以外の)現実味のない老後は作者的にイヤだったのか、
なんか悩んだ後のある気がします。

以下ネタばれを含みます。
プレストン・アップルホワイトにアリバイがあったら犯人の計画は全部無効だろう。
アリバイについて書かれた文章がまずないのがどうかと思いました。

で、犯人が意外な場所にいるというクライマックスには、
ふと、アメリカは福祉が日本と違うから、
自己申告偽っても自分の問題だけになる部分が大きいのかなあ、と思いました。

頁345ですが、助言者スポンサーには、苗字くらい明かそう。
役職についたらその書類は実名だし、日本固有の自助グループは実名制です。
なんというか、この後須賀田さん小説はあと一冊残ってますが、
それは八百万の死にざまの少し後の初々しい禁酒時代の話らしく、
断酒歴二十年のふてぶてしい須賀田さんの最後がこんなオチで、
なんだこれ、という感じはぬぐえませんでした。なんということでしょう。以上
(2014/9/13)

【後報】
TJがネットのディトレーダーになったというのも、不満。
リーマンショック以前の話ですし。
須賀田さんが健在なうちはいいですが、
家賃統制はあくまで須賀田さんの名義で変更は効かないので、
彼の人生設計と須賀田さんのそれに対する態度、
さらに須賀田さんの実子に対する態度を鑑みて、
「その後」が読みたい気はやはり、あります。
(2014/9/15)