『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』読了

 炎上したこの人の近刊でこれがあるのを知って読みました。

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

 

 以下後報。

【後報】

ブックデザイン 尾原史和(SOUP DESIGN)

装画・扉イラスト 木下晋也 ポテン生活のしと。木下晋也 オフィシャルサイト

www.uha-mikakuto.co.jp

www.e-aidem.com

小田嶋隆 - Wikipedia

タイトルの「元アル中」という表現がありえないことは作者がいちばん分かっているはずなのですが、なぜにこんなタイトルをつけているのか、なかなか咀嚼しがたいですので、うまく感想を書けないでいます。絡んで喧嘩売って炎上する癖のある人だから、ワザとだとは推測します。自助グループの出版物で、いちばんアマゾン等で売れるのが、どうしたら回復するのかのハウツー本だそうで、そういうところから、ワザとこんな題名をつけてみたのかもしれません。

頁1 告白-「まえがき」に代えて

「アルコール依存は治らない。けれど、“断酒中のアル中者”として、暫定的な断酒を一日延ばしに続行することはできるかもしれない」

 これが、一度アルコール依存症になった人について語られる言葉です。

 その意味で、いまも私は”断酒中のアルコール依存者”です。この状態は、坂道でボールが止まっているみたいなもの、だと言われています。

(後略)

 なぜ著者のボールはふたたび転がり始めないのか? 引力に逆らって止まり続ける不自然な状態「死なないアル中」なのは、なぜなのか? ドッギャァァァン!!!(棒

読んだのは初刷ですが、版元公式によると、六刷までいってるそうで、ヨカッタデス。

<目次>

告白ー「まえがき」に代えて

一日目 アル中に理由なし

まず、「飲んじゃった」が先にある / なる人とならない人 /  暇とお金がなければ /  ちびちび、と一日中…… /  破局点にぶつかると、急にひっくり返る-カタストロフ理論 / 連続飲酒発作が起きたとき / 太宰治が傷つきやすかったのは、心が汚かったから? / 締切のプレッシャーは関係ない / 酒で現実逃避はできない

二日目 オレはアル中じゃない

いったい誰と飲んでいたのか / 酒場に一人はいる「先生」 / 帰る前に一軒寄らないと帰れない人たち / 神秘的なくらい「オレはアル中じゃない」 / 否認の病 / 肥満のリバウンドに似ている? / 考え方の病気です / 異様にケチになって、ケチつけていた / 依存「物質」があるのではなく。依存「体質」がある / コラム 酒と文章1 

三日目 そして金と人が去った

玉井病院の常連さん / 点滴打ってまた飲む / まともな人のフリが上手 / 一人暮らしがいけなかった…… / 一緒に会社をやっていた奴がおかしくなって / 先輩の誘いを断る新人 / 私が会社を辞めた理由 / そして気づけば衣装ケースで / 「食うか、飲むか、どっちかにしろ!」

四日目 酒と創作

ゴルフがきない身体になってしまった / 仕事が減り、膨らむ借金 / 「緩慢な自殺」という設定で自分をごまかす / クリエイターは破滅型の無頼漢であってほしいという願望 / オール・オア・ナッシングという傾向 / コラム 酒と文章2

五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」

五日間、一睡もできなかった / 次々に聞こえる幻聴 / 医者がそう言うならそういう設定でやってみようか / アル中、アルコール依存症アルコホリック / 「四〇で酒乱、五〇で人格崩壊、六〇で死にますよ」 / 酒がない人生を一から組み直す / 酒は、音楽の聴き方や本の読み方を酒の都合で書き換える / 酒から見る野球とサッカー

六日目 飲まない生活

薬でソフトランディングさせる / “オダジマさん”を少し前向きで積極的で陽気で機嫌良くした人 / 酒をやめてから一度だけビールを飲んだとき / 4LDKの二部屋で暮らしているような寂しさ / 「私は酔っ払いです」というポジションの楽さ / 翼をなくした鳥に訊いてみればわかる / 酒をやめることが自然になってきたのは、タバコをやめてみてから / ニセモノの人生に耐えられるか / 「アメリカに行けば」と「どうせ死んじゃうんだし」

七日目 アル中予備軍たちへ

最後の会計で自分の額がわかるようになった / 単純化への欲望が / 立案や計画がすごく嫌いな人たち、要注意! / 紅茶と日本茶とコーヒー豆を全種類制覇した / お酒は物語込みで消費しているほうが安全 / 私がもしサラリーマンだったら / 土俵際の感覚 / 高飛車な人間だから締切を守る? / 仲の良い飲み友だちがいる人は、やめるのがきつい / 仕事がないからこそ、酒を飲む / アル中予備軍たちへ / 短編 ヨシュア君のこと

八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威

 つぶすべき時間がなくなった / 全員が犬の首輪をしている / コミュニケーション企業が世界を支配する / スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ / 余暇をすべて吸い取られる / 何かに依存するということ

告白を終えてー「あとがき」に代えて
<ここまで>

納得出来るところも、出来ないところも、個々あると思います。「薬でソフトランディングさせる」なんて、飛びつく人いっぱいいるかもしれません。「医者がそう言うならそういう設定でやってみようか」は功を奏すると思うのですが、反発する人多いかも。「酒をやめることが自然になったのは、タバコをやめてみてから」なんて、酒がダメなんだからせめて喫煙くらい大目に見させてくれよ、の人のほうが多そうなので、全然だと思います。

著者の担当医は海の見える病院にいて、中公から新書の著書を出すほどの人だったそうですが、アル中はもう見ないと決めて開業したんだとか。それが著者を見ることにしたのは、インテリだから見どころというか、治りどころがありそうだから、という、かなりの確率で読んだ他者が怒髪天を突くくらい激怒しそうな展開があるのですが(頁115)、メリノールセンターの父というか、某神父さんの本を読んだ時も同じ記述があって、それって…と暗澹たる思いにならないでもないでした。

著者の飲み方は、量を過ぎず、しかし切れ目なく、消耗すると点滴打って飲める身体に戻ってまた飲むという、水ものどを通らないという経験を私は聞いただけですが、したことのある人は、同じだと思うと思います。失見当と不眠と幻覚幻聴と、あと、ケガしやすいとか、自分の子どもも落っことして大けがしかけてでもその時へらへらしてたとか、そういう典型的?な症状の個所があります。ので、診察後ピタッと一滴も飲まなくなったとか、一度だけかつての飲み友だちの酒豪に無理につきあわされてビール五、六本飲んだが罪悪感だけで、別にそれでまた連続飲酒には陥らなかった、という記述に関して、「ほんとのアル中じゃないんじゃない?」と言われたら反論出来ると思います。著者は行政の支援とか関係なさそうなので自分がアル中であると証明する必要はないでしょうが、「ひとりで逝ってよし」「背中を押すな」みたいな論争に首突っ込んで炎上する人なので、こうしたことは明言出来るにこしたことはないかと。まったくめんどうだ。

著者は借金は親が返したし、奥さんも見放さないでいてくれたので、そこが違うと、違い探しにこだわる人は大好物が目の前にあると思います。かなり深刻な状況になるまで、まがりなりにも仕事を続けられたのは、仕事が自営業のみならず、本人が職種として開拓してパイオニアになった「テクニカルライター」だからかもしれないと思いました。四国の一太郎ジャストシステムに、相棒と単身赴任の場面など、ゼロワンでえんえんこん詰めて書く仕事なので、大好きだったんだろうなーと思いました。

頁21に出てくる本

飲酒症 : 「アルコール中毒」の本態 (中央公論社): 1986|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

お医者さんの著書。「アルコール依存症」ということばはごまかしで、実態に即して「アル中」といえよ、という、言いっ放し聞きっぱなし以外の場所では天下の暴論が、著者とのトークでは炸裂したとかしないとか。「アルコホリック」という言い方は、気取ってんじゃねーよ、と私は思いますが、著者は、人をけむに巻く時多用するそうです。えーずるーい(棒(頁112)

頁54に出てくる本

危ない薬 (データハウス): 2001|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

これは、依存「物質」でなく、依存「体質」がある、という個所で、それを主張していた人の本だそうです。体質をプログラムによってコントロール出来れば、楽しくつきあえるのではないか、人生は… という主張が正しかったかは、彼自身が自殺したので、例証されないまま永遠の謎なんだそうです。

青山正明 - Wikipedia

目次に病院名が出てくるので、その病院知りませんでしたので、マスクした方がいいかなと思いましたが、しなくてよいことが分かりました。みんな治療費回収出来ず潰れてゆく。

頁62

 失敗は、成功の母のような顔をしているが、たいていの場合、別の失敗の愛人であり、さらに別の失敗の母親になるもの(以下略)

奈良漬けになったからといって悲観する必要はないけれど、大根のままでよいなら、無理に奈良漬けにならなくてよいよね、という個所だと私は理解しましたが、違うかもしれません。「緩慢な自殺」の解釈も、私と著者とで異なります。そういうレトリックで自分を誤魔化してるとはちょっと思わないので。著者と吾妻ひでおの対談は私は読んでないのですが、「4DKの二部屋」と吾妻ひでおの1ページブチヌキで夜風に吹かれる場面は共通した心情を描いてると思います。でもふたりは自殺願望の維持などの面で、相違があって、やっぱり同じというわけではないそうです。

サッカーと野球の違いは、特になんもと思います。バスケやラグビー、ゴルフのマスターズ、テニスの大阪なおみでも観て、また違うか考えたらよいと思います。春高バレーとか。

SNS社会についての危惧の個所。私は、下記の人は、娘に会えない以外に、スマホでゲームが四年間出来ないことが想像以上の負担だったのではと推測してます。さてどうか。

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あとはヨシュア君の個所ですか。この人が過去に新聞に書いたことなどから類推するに、これはフィクション、小説だと思うので、「言いっ放しのルールに反する!」と言わなくてもいいと思います(自助グループに顔出したのが10回とゼロ回なわけないだろう)ヨシュア君のような、医者をもだまくらかすような、筋金入りの虚言癖の人が、自分でも依存症と信じ込んでるとか、いてもおかしくないと私もこれまで見てきた人から思いはします。あるいは何か目的があって演技して偽装してる人が、いるのかなあどうかなあという。五百万ペリカアレしてもおとがめなしとかアメリカじゃ考えられないとアメリカ人が絶叫して、ちょろいやんけいっちょやったろうかみたいな御仁が出るかどうかですね。出し子入れ子が見つかるとも思わないのですが(棒 そういうことがあったらコワイと、足を運ばなくなるというのは、危険ですが今の日本の福祉社会のひとつの側面だと思います。キープカミンバックは断酒の三本柱のひとつですが、診察の方で代替策が得られればというと、外来ミーティングくらいしか知らないです。あとは相談出来る人に相談か。以上

(2019/6/24)