"EXTRA"『あまりもの』from『千年の祈り』イーユン・リー(河出文庫)(新潮社クレスト・ブックス)YIYUN LI "A Thousand Years of Good Prayers"〈KAWADE BUNKO〉〈CREST BOOKS Shinchosha〉読了

だいぶ昔だと思うのですが、この人の『独りでいるより優しくて』を読んで、他も読もうと思ったのですが、それから、だいぶ時間が経ちました。どれくらい時間が経ったかというと、某自治体の図書館のウェブサイトで、そこの蔵書の「いつか読む本」をたくさん自分のログイン後の場所にブックマークしていたのですが、システム変更でぜんぶバニッシュされて、それからもう一回システム変更があって現在になった、くらいの時間です。その間楊逸サンにちょっと似ている著者は、自殺未遂し、その後、息子が自死

www.kawade.co.jp

ロゴ・表紙デザイン/カバーフォーマット 粟津潔 本文フォーマット 佐々木暁 カバーデザイン◎名久井直子 カバーアート◎Laurie Rubin/gettyimages

新潮社クレストブック版はPhotograph by Christopher Drake/Red Cover/Getty Images Design by Shinchosha Book Design Division

shinsho-plus.shueisha.co.jp

この人の漢字の名前は李翊云(雲)”Li Yiyun“で、ウィキペディアで見ると本書の漢語タイトルは《千年敬祈》“qiannian jingqi”で、ランダムハウスから出ているとあったので、ランダムハウス公式で「千年敬祈」で検索してみたのですが、結果は下記でした。

Whoops, you lost your place we can't find that page. But don't worry - there's still plenty more to discover! Head back to the homepage or find your next read below.

訳者篠森ゆりこサンは河出あとがきに新潮社あとがきのかなりの部分をそのまま入れていて、その後2007年から2023年までに起こったことなどを書いています。文庫化に際し、大幅な改稿はしていないが、細部の修正は施したとのこと。登場人物名の漢字はすべて訳者が問い合わせて作者が指定した漢字であることなどは訳者あとがきに明記されてるのですが、台湾や香港でも漢語版出てないの? と思ってしまう私は、その点の異常さというか、状況について思いを馳せ損ねていました。だから漢語版がふつうにあると思ってしまった。

イーユン・リー - Wikipedia

彼女は母国語の中国語ではなく英語で全ての作品を描き上げており、「英語モノリンガル」作家である[3]。実際に中国の出版社から中国語に翻訳出版する話が来たが、中国に自身の作品を読まれる準備ができていない、中国も自身の作品を読む準備ができていないという理由で断っている[4]。

訳者あとがきで、新潮社クレストブックス版では須貝利恵子サンと校閲部の各位、河出文庫では竹下純子サンに謝辞。

Yiyun Li

クレストブックス奥付に載ってる著者サイン。

©Jynelle A.Gracia

クレストブックスカバー折に載ってる著者写真。

楊逸サンはイーユンサンより8歳年上なのかな。下記の産経新聞の記事ふたつ、開くと最近の顔写真が載ってます。

www.sankei.com

www.sankei.com

どうしちゃったんだと思った楊逸サンの著書。劉燕子サンとの共著はまだしも、櫻井よしこサンやオーノス・チョクトサンとの共著も出しているそうで。

米国で生きるか、日本で生きるか。だいぶ違う。イーユンサンと入れ替わりに?米国から中国に帰国して祖国の懐にもう一度抱かれた、イェン・グーリン(严歌苓)サン、ピンインを英語風に読むとゲリン・ヤンサン“yan geling”のようなケースもあるわけですが…

『千年の祈り』の冒頭には、「大鹏"dapeng"に捧ぐ」という一文があり、ネットで検索すると、アルズ(息子)の名前はちがうから、これはジャンフ(宿六)ジャナイカという感じでしたが、真相は知りません。

篠森サンは原書の"working unit"を《工作単位》と、著者に聞いて戻してくれちゃってるので、我知らず「こうさくたんい」でなく、"gongzuodanwei"ゴンヅォダンウェイと、中国語が原文であるかのような錯覚で読んじゃったりするわけですが、原書を見ると、北京紅☆縫製工場が"Beijing Red Star Garment Factory"になってたりして、なんかニヨニヨしてきます。

河出文庫頁8 クレストブックス頁6『あまりもの』

 林リンばあさんの状況を聞いて、「山に至れば必ず道あり」と近所の王ワンおばさんが言う。

 そして「道あるところにトヨタあり」と次のくだりが出てくると、林リンばあさんはやっとそれがトヨタのコマーシャルだったことに気づく。

「そういうことよ、林リンばあさん。あんたは楽観的な人でしょ。そのまま前向きでいれば、あんたにも自分のトヨタが見つかるわよ」

トヨタは「豊田」で、繁体字にすれば「豐田」で、簡体字にすれば《丰田》で、ピンインは"fengtian"です。中国では誰も「トヨタ」となんて呼ばなくて、フォンティエン、フォンティエンと言っている。“(车到)山前必有路,有路必有丰田(车)”

そして名は体を表すで、上のような会話があれば、「道あるところに豊かな田地あり」「あんたにも自分の豊かな田畑が見つかるわよ」というような、漢字ならではの意味合いがどうしても込められると思います。これ、原文どうなんだろうと思いました。河出は原題載せてないんですが、クレストブックスは原題載せてます。

Extra | The New Yorker

“There is always a road when you get into the mountain,” Auntie Wang, Granny Lin’s neighbor, says to her upon being informed of Granny Lin’s situation.

“And there is a Toyota wherever there is a road.” The second line of the Toyota commercial slips out before Granny Lin realizes it.

“There you go, Granny Lin. I know you are an optimistic person. Stay positive and you will find your Toyota.”

イーロン、否、イーユンサンは漢語ではどうしても自己検閲で小説が書けなかったが、英語を手にしたことで、自分はラッキーだった、もしくは我就是幸运と言っているそうで、その反面、フォンティエンがトヨタになってしまうことで、何か失ったものもそりゃああるわけですが、それらは「分かる人には分かる」秘かな愉しみの世界に落とし込んでいるんジャイカと思いました。訳者の篠森さんは、『あまりもの』の中の、古典作品の紅楼夢へのオマージュの箇所にはあとがきで言及していますが、トヨタとフォンティエンのような卑近な例にまではいちいち触れてません。こうしたことをひとつひとつ、見つけては読者と作者が共有する小さな花園の構築が、イーロン、否、イーユンサンの作品の醍醐味であり、訳者の篠森サンが、愛されて単行本から16年目の文庫化と言ってる具体例だと思いました。

この調子で、十篇をひとつひとつ感想書きます。以上