装幀 いちむらみさこ
科研費助成成果物。「挑戦的研究(萌芽)20K20777」
本書でイチバン私が分からなかった章。著者にとっては「奇跡の主」"Señor de los Milagros"(セニョール・デ・ロス・ミラグロス)は空気のように身近な存在なので、あえて説明するのが難しいのかもしれませんが(15歳という人格形成の終わった段階で来日、本書執筆時点で滞日27年)私には、土俗化したペルーのキリスト教催事が日本でも行われているってことなの? ちがうの? という混乱がまずありました。映画「太陽がいっぱい」で、媽祖像としか思えないマリア像を海に投げ込んでレスキューするイタリア南部(ナポリ)海浜の習俗が描かれるじゃないですか(私の模造記憶でなければですが)ああいう、ローカル行事化したカソリックのいち地方の何かかと思った。一読二読しただけでは混乱は収拾せず、この感想を書きながら、検索して、だんだんに理解を深めてる段階です。
本章を書いたオチャンテ・村井・ロサ・メルセデス "Rosa Mercedes Ochante Muray" サンは七章を書いたオチャンテ・カルロスサンとおそらくきょうだいで(どっちが上かは知らない)オチャンテという苗字はケチュア系なので、それで先に来るのかなあなんて思いました。村井という日本姓も持っていて、夫婦復姓かなと(中国でもそれは、夫婦復姓の蒋宋美齢から両親の姓をともに名乗った北京五輪100m背泳の徐田龍子サンまで、波が来ては去ってまた来るポリリズムな現象なので)思いましたが、村井をMuraiと書かずMurayと書くのが、スペイン語だよおっかさんと思いました。この章は伊賀上野が出て、そこはカソリックの管区でいうと京都教区になるそうで、その京都もKyotoでなくKiotoと書かれます。おそらくこの章も、日西両文メルセデスサンが書いてると思われます。
<目次> Índice
1 はじめに 1 Introducción
2 ペルーの宗教と奇跡の主の起源 2 La religión en Perú y los orígenes del Señor de los Milagros
3 ペルー人コミュニティの誕生、筆者の体験 3 Mis experiencias en el nacimiento de la comunidad peruana ✣
4 調査概要 4 Método de la investigación
5 奇跡の主 5 El Señor de los Milagros y la primera generación de migrantes
6 祭りの形態について 6 La forma del festival
7 リーダーたちはパイプ役 7 Los líderes trabajan también como intermediarios
8 奇跡の主の祭りを超えた、教会への所属意識 8 Un sentido de pertenencia a la iglesia más allá de la fiesta del Señor de los Milagros
9 移民第二世代と奇跡の主の将来の展望 9 La segunda generación de inmigrantes y las perspectivas de futuro del Señor de los Milagros
10 終わりに 10 Conclusiones
頁125、ペルーでは"Donde hay un Peruano ahí está el Señor de los Milagos"(ペルー人がいるところ『奇跡の主』あり)En Perú se usa mucho esta expresión:página 240(111)とよく言うそうで、同じ南米のアルゼンチンや欧州のイタリアでも、ペルー人コミュニティは奇跡の主の聖行列を行い、自らのペルー人アイデンティティを再確認するんだそうです。
下は「奇跡の主」についての日本マリネラ協会の記事。日本語。
下はスペイン語と英語とケチュア語のウィキペディアの「奇跡の主」
17世紀半ば、アンゴラ人Angolanのペドロ・ダルコンPedro Daiconという人がパチャカミージャ(エルふたつ)地区の壁にヘススサンと聖母マリアサンとマグダラのマリアサンの絵を描き、奴隷の信徒会"una cofradía de esclavos"が信仰を始めたとか。
左の絵です。
その後、治安を懸念する当局の介入などによって、一度は廃墟となった同地区ですが、18世紀、度重なる地震からの復興に際して、リマ市市議会がこの絵をリマの守護聖人と認めたことなどから、毎年10月になると聖行列が行われ、たいそう盛り上がるんだそうです。
上の写真はウィキペディアから。確かに盛り上がってます。何故かこの祭列は紫のフォーマルでキメなければいけないようで、リマの写真を見ると大群衆がみんな紫で、見ててクラクラしてきます。
頁136、伊勢崎教会の奇跡の主信徒會代表は、「紫色の服等分からないことが多いと思う」"Creo que hay muchas cosas que no entienden, como la imagen del Cristo moreno, o porque vestimos el hábito morado, etc."と言ってるそうで、黒人が書いたから黒いキリストなのは分かるとしても、何故紫の服なのかサッパリサッパリでした。英語版ウィキペディアなんか、
There are seasonal delicious sweets like mazamorra morada ("purple pudding")
(グーグル翻訳)マサモラ・モラーダ(「紫色のプリン」)のような季節のおいしいお菓子があります
と書いてるのですが、「だからなんだよ」と、泣きっ面に蜂になりそうになりました。
「クラシコ」という名前の、マサモラ・モラーダとアロス・コン・レッチェのハーフ&ハーフ。こんなの奇跡の主のパープル・レインとどう関係あるのか。ペルー料理は確か、焼きめしと焼きそばのハーフ&ハーフもエアロポルテだかアエロポルテ、要するに「空港」と言うそうで、どうしてなんだか考えるな、感じるんだ"Don't think, foolfeel."で行くしかない時があります(どんな文化もそういう一面は持ってますが)
しかしメルセデスサンに言わせると、「奇跡の主は外国人の信仰というより、普遍的な教会であるカトリック教会の「ただ一つの信仰」表現である」(頁137)"El Señor de los Milagros es más que una fe de los extranjerons, es una expresión de la "unica fe" de la lglesia universal, la lglesia católica. " página 229(122) だそうで、そこでけっこう長いことゴッツンしてました。普遍なのか? 普遍でいいのか? ペルー人の自己表現なんでしょ? う~ん。


伊賀上野は三重県なのにどうして京都教区ナンデスカ~と言いたくなる、上野教会の聖行列の写真。京都のカソリック教会というと、下賀茂だか上賀茂だかで例のスコットランドの半ズボン姿でバグバイプ吹いてた神父サン(でもフランス人だったような)が思い出されますが、もう百億光年の彼方の時相なんだろうな。


浜松教会はどこの教区なのか書いてありません。伊勢崎教会も。
この章の主題は①教会にも忍び寄る少子高齢化②教会活動に熱心な信徒と信仰心篤い信徒の比率の違い③同一宗教内の民族モザイク、だと思います。
頁132「日本人信徒は高齢化が進み、どんどん亡くなっていく」página 234(117) "También dijo que la communidad está disminuyendo porque va envejeciendo y los mayores van falleciendo, las personas que trabajan se van jubilando, y contribuyen cada vez menos, y todas las iglesias se encuentran en una situación diffcil."
なんでもかんでも、どんなコミュニティでもそうなんですが、既成の日本の団体は少子高齢化でシュリンクせざるを得ないんですね。以前橋本大三郎サンの講演聞いた時も、まあこの人はプロテスタントなので新教の教会でしたが、キリスト者の日本での人口比率における圧倒的少数振りと、欧州の世襲宗教とちがって、自覚的に選択した上でのキリスト者が多い(戦前の良心的徴兵忌避など)自分たちの日本での役割を思い起こし、少数者として改めて多数派に警鐘を鳴らそう、身を挺して社会に善を示そう、それが少数派そして自覚的に宗教を選択した者の役割である、みたいなことを、今後どれだけ続けていけるのかということがあるのだと思います。実際に私が知っているカソリック教会も、フィリピン人の司祭サンからベトナム人の司祭へと代替わりがあって、フィリピン人の人は本国から来てた人でしたが、ベトナム人の人はボートピープル世代で日本で苦労して神学の世界で足場を築いてきた人ですので、とても厉害で、ぬくぬくと生きていた邦人なんかメじゃないところがありました。蹴散らす蹴散らす。同胞だけでも社会主義国から研修生で来てる今の本国人とはどういう関係なのか分からないでしたしね。交流はあっても、あまり勧誘して引きずり込むと社会主義国の何かのバランスがあるかもしれないし。日本人の信徒会は誰が来ても支えてゆくというスタンスでしたが、邦人信徒会自体が進化の系統樹でアレなので、①は③にレガシーマイグレーションしていかざるを得なくなる。
頁133「一年に一回参加すれば守られると思う人もいるだろう。しかし、宗教は魔法ではないです」página 233(1178 "Algunas personas creen que, porque participan una vez al año, ya están protegidas para todo el año. pero la religión no es magia, "
②もふつうにあるあるで、働きアリの割合ではないですが、自助グループでミーティングに参加する人とサービスに従事する人の割合みたいな感じで、ペルー本国のペルー人自体が、カソリック七割の国土だが、教会活動に熱心に参加して教会を支えてゆこうという人は人口の一割くらいしかいない、と頁118にあり、なんでもソウナンデスネと思いました。
página 246(105)
Los resultados del censo peruano de 2017 mostraron que el 76.0% del total de la población de 12 o más años de edad se declaraba católico. En el censo anterior de 2007, la población católica había alcanzado el 81.3% de la población peruana, por lo que podemos apreciar una considerable tendencia a la baja.
Con ocasión de la visita del papa Francisco al Perú en 2018, una encuesta realizada por el medio digital Perú Católico mostró que, si bien el 78% de los católicos decía asistir a misa todos los domingos, solo 21% decía participar de algún grupo de la parroquia. Asimismo, con motivo de la visita del Papa Francisco al Perú, Mons. Norberto Strotmann, Sectetario General de la Conferencia Episcopal Peruana, en entrevista con el diario Perú 21, estimó que "en el Perú, solo el 10% de los fieles están muy sercanos a la iglesia, cumpliendo sus deberes como católicos"
③伊勢崎教会のペルー人修道女のコメント。
頁137
祭りとしてブラジル人に「アパレシダの聖母」、フィリピン人の「サントニーニョ(幼きイエス)」ベトナム人には「ラ・バンの聖母」を持ってくるようにして、みんなで祝う祭りは素敵と思います。
página 230(121)
Creo que sería maravilloso tener un festival en el que todos celebraran juntos, pedir a los brasileños que traigan la imagen de Nuestra Señora Aparecida, a los filipinos con el Santo Niño y a los vietmitas con Nuestra Señora de la Ban.
伊勢崎ということは、大泉なんかのルポで読む、エスニック・グループ同士が、お互いに交流したりするような方向にはならない、いくら国際交流協会が笛吹けど踊らない、その状況を踏まえての話だと思います。素敵だけど、なかなか実現しない。宗教が同じでも、言語が違う、民族が違うと、さて。
かてて加えて、本書では触れてませんが、その宗教内での新興勢力の存在もバカにならないと私は思います。深沢正雪サン『パラレル・ワールド』で、大泉にブラジル人のデカセギが来た時、同時にブラジルのわりとキッツいキリスト教新興宗派、収入の十分の一税を課すようなアコギな教会も同時に進出していたという記事があり、一寸思い出しました。そういうのって、エスニック・グループの枠を超える方に逆に熱心なのか、いやいやと同一言語内に引きこもるのか。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
そういう貴重な情報の報告が、左翼系出版社でなく、新仏教の創価学会の潮からの本に書かれていたということ自体が、日本で狂わずに信仰を考えてゆく、その示唆を示している気もします。どういう人がそういうことを考えながら日々暮らしてゆくポテンシャルを持っているのか。
インパクト出版会 / ペルーから日本へのデカセギ30年史 Peruanos en Japón, pasado y presente

この写真は、本書の日本語部分とスペイン語部分の境目の、著者紹介訳者紹介の所に載っているのですが、スペイン語での説明がない気がします。スペイン語では説明不要ということなのかも。"pasado y presente"というタイトルですし。日本語の題名にはないニュアンス(というか単語自体ちがう)
以上
