『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" from chapter 0 to 1. by Hao Jingfang 第0章から第一章まで読了

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この小説は出版当初から数奇な運命を辿る星の下に生まれたとみえ、出版された2016年10月の同年同月に韓国で下記ベストセラーが出版されています。どっちが先ということもない。おそろしい偶然。『82年生まれ、キム・ジヨン』が映画含めバズったので、似た邦題で中国人の小説も出しちゃいました、みたいに誤解するのは、私一人で十分ですので、真似しないでけさい。

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韓国小説の82年の意味はまだ知らないのですが、本書の84年のほうは、紙が燃える温度、否、動物農場の作者のもうひとつのアレの年です。因果な年に生まれてしもた、的な。

韓国のほうはむろんフィクションですが、本書も「自伝体」なだけで、自伝ではぜんぜんない小説です。主人公は院に進まずあれこれいきあたりばったりに生きますが、著者は精華清华大学の院をキッチリ終了し、小説もバリバリ書いてます。レビューを見ると、登場人物の生きた時代が、同時代なのになんて日本と異なるのかという感想がありますが、とりあえず主人公の人生は著者の人生ではありません。また、父母が自分の生後間もなく頃に離婚し、父親が80年代出国者で以降海外暮らしという点でも、中国の同時代人の多くとも異なった人生(知識人には少なくない生き方ではあったでしょうが)であるといえます。

さらに云うと、本書の1984年は、オーウェルの『1984年』を意識していることを隠そうともしておりませんので、中国の文人は日本とちがって、常に政治と切り離して文学を語ることが出来ない、その血脈がこの世代まで連綿と受け継がれていることの証左とも言えます。中国人は自裁はしないが圧殺はされるとはよく言われること(例外有)

もっと言うと、生まれることはふつうは「出生」"chusheng"ですので、なんで《出生于一九八四》じゃないのかなあと思いながら"shengyuyijiubasi"と打ちこむと、やっぱり「生於(ここでは〈于〉は「於」の簡体字)」以外の変換候補に同音の「剰餘」が出ますので、とほほと思いました。《剩余1984

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今これを書き始めるまで、「郝」を「赫」の簡体字だと誤解してました。ちがった。

帯なし。ブッコフからの宣伝がやたら表示されたので、¥1375円でブッコフで買ったのですが、帯なしでした。明らかに帯があることを前提のザデインですので、残念閔子騫です。

装幀 岡本歌織(next door design) 装画 平野実穂

ステキな見返し。原書表紙が〈落葉歸根(落叶归根)〉であるのに対し、邦訳表紙が〈花盛开〉(≠〈百花齐开〉)であることのあいだのバランスを邦訳見返しがとっていると感じるのは、もちろんうがった見方です。

表紙画像検索結果。右下は天津の発刊イベント告知。本書は北京と天津が主な舞台。首都北京から僅か一時間の距離の、外界に開かれた港町、天津。大阪に対する神戸、札幌に対する函館、福岡に対する長崎、東京に対するry。私の最初の中国語の先生は、天津出身でしたが南方系な外見の人で、それだけで中国の広さをみせつけてくれた人でした。

長編はこれまで分割しないで感想を書こうと思ってましたが、そんなことを言ってるとラシャムジャ『雪を待つ』もファンファン大佐『落日』(中編集ですが)も感想を書けてないままですので、章ごとに分割して感想をあげることにします。といってもこれもまた後報ですが。

以下後報

【後報】

訳者の櫻庭ゆみ子サンは、リーアンの『迷いの園』は読んだかなあ、ワンシャオポーのホワンジンシーダイは、やはり『折りたたみ北京』に収録されてる他の作家サンのディストピア作品にメタファーとして登場している作品ですので、勉誠出版の邦訳を読んでこまそうかと思いつつ、意外とレビューで「訳が読みにくい」とDISられているので、二の足を踏んでもいる、というのが私という中国現代文学研究者デス。本書の訳者あとがきの出だしでいきなり、「(略)ヒューゴー賞受賞の(略)カクケイホウの、SFとは一味違う自伝体小説をお届けする」(傍線私)と書いていて、なんだお届けするって、おまいは大森望かっ! とツッコミを入れそうになりました。

ハオハイドン、否、ハオジンファンサンの邦訳というと、《流浪苍穹》《人之彼岸》がそのまんま邦題になってる、漢字の持つ魔力に日本語が敗北してるかのようなタイトルがどうしても目についてしまうので、この小説はどうなんだろうと思ったですが、ベテランの方の訳でしたので、そこはだいじょうぶでした。むしろ、編集の藤吉さんという方に訳者あとがきで謝辞を述べるとともに、「これまで使っていた言葉の賞味期限と翻訳者の立ち位置の確認の点でとても勉強になりました」とあり、後者はおそらく政治に関するメタファーをどこまで翻訳者が訳注でフォローすべきかの話でしょうけれど、前者が、当代中国のナウなフィーリングやホワイトキックをどうすれば鬼のように訳せるのかという話のようにも見え、う~んと思いました。

話を戻すと、蒼穹を流浪するとか、人の彼岸とか、分かったようで分かりませんので、そうした漢語の語彙を平易な日本語に落とし込めないなら、いっそそのまま素読しちまえよ、素読でいいじゃんと捨て鉢に思っています。

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私はむかし、アグネス・チャンの中文をNHK中国語会話テキストがものっそやさしい日本語に落とし込んでるのを見て舌を巻いたことがあり、これこそが、他言語の訳者とは全く違う(ハングルはちょっとあるかもしれませんが)「漢文を日本語にする」意義と醍醐味だと強く思っています。漢字をそのままにてにをはつけるだけの作業は、読み下し文を作ってるだけで、邦訳じゃない。

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どうも私は日本語の彼岸、お彼岸のひがんでなく、漢語のビーアンというと、臧天朔"zangtianshuo"というミュージシャンの上の歌を想い出してしまい、"如果你有新的,新的彼岸。請你離開我。离开我。"の「彼岸」は、どう考えても沖雅也の「涅槃で待ってる」の「涅槃」とは違うよなと思ってます。

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ここで言う彼岸が、単なる新世界、別世界なのか、太平洋の此岸と彼岸、珠江の下流上流を指すのか、実はいまだにサッパリサッパリです。もしおまへがあたらしい、あたらしい彼岸を得たのなら、おれとはサヨナラしてくれ。サヨナラしてくれ。

話を戻すと、櫻庭サンも清音濁音は有気音無気音にあらずルールの信奉者なのですが、やはり時折気になる箇所があって、頁206(第八章)「燕京」のルビが「えんきょう」で、ええ???と思いました。「えんけい」やろー、と思っているので。

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私も乗ったことありますが、上のウィキペディアでは北京語読みの「イエンジン」ということになっている、神戸と天津を結ぶフェリーも、邦人はみな「えんけいごう」と呼んでました。「京」を「けい」と読むのは、陳舜臣大人小説の基本のキでもあり、「京師」と書いて「けいし」と読む単語が、それこそ石を投げれば当たるくらいワンサと出てきます。

ただまあ、ここは、燕京ビールという北京で非常にポピュラーな瓶ビールの話ですので、兵隊支那語ならぬ駐在支那語、留学生支那語では「えんきょうビール」と読まないとどうにもふいんきが出ないのかもしれません。私が飲んでたのは黄河啤酒。ビールのはっちょんが、ハングルに比べ格段にやさしいのが中国語の長所の一つです。ソウルでパッチム不完全な「メッチュ、メッチュ」を連呼して白い目で見られるノガタチョッパリを演じるより、京師(みやこ)でピシージウイーピン!ライ!ライ!と威勢よく声を張り上げて歯でビンのフタをこじ開けたりライターを使ってフタを開けたりしてるほうが、ずっと楽しいですよね。Let's 酒鬼。

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また、頁135(第五章)に料理の名前がズラズラ並ぶ箇所があるのですが、「東坡肉トンポーロウ、魚香肉絲ユィシャンドウス、八珍豆腐パチェントウフ、蝦仁面筋シャアレンミエンチン、鉄板牛柳ティエパンニウリウ、葱爆羊肉ツォンパオヤンロウ、蘑菇炖鸡モウクトゥンチ、酱香茄子チャンシャンチュェツ」は、清音濁音は有気音無気音に非ずルールのルビを振ることだけで疲れてしまったのか、〈面(麺)〉〈鸡(鶏)〉〈炖(燉)〉〈酱(醤)〉と四ヶ所も簡体字が混ざってしまい、それが意図したものでないことは、「東(东)」「魚(鱼)」「絲(丝)」「蝦(虾)」「鉄(铁)」は日本漢字を使っていることからも分かるのですが、その陰に隠れて、チンジャオロースーでお馴染みの「肉絲」ロースーが「ドウス」と誤植になっていて、たぶん土豆丝"tudousi"(ジャガイモの千切り)なんかと脳内でごっちゃになったのだろうと推測しました。你逗死我了。

本書は、深奥の自己との対話が「第0章」「第00章」「第000章」「第0000章」「第0000章」で語られ、第一章から第十七章までが、自己のライフヒストリーと父親のライフヒストリーが交互に語られる形式になっています。このファザコンガー。

第一章では、頁11、要を摘んでナントカカントカの華国鋒が死んで鄧小平が全権を掌握し、本格的改革開放が始まった時代に、下放から帰ってきた、下放時代にくっついて結婚した父母のもとに、「ラッパ型ジーパン姿」で28インチの自転車に乗ってやってきた、村の不良青年の成れの果ての場面で、ジーパンは分かるが、ベルボトムはないんじゃないの?と改めて思いました。ジャジャンクー監督の映画「プラットフォーム」《站台》(2000年製作)や「青いイナズマ」《任逍遥》(2002年製作)には80年代の最先端風俗としてベルボトムが出てくるのですが、私はそれを映画による歴史の創造だと考えてます。西側でとっくに廃れた60年代風俗のベルボトムが80年代中国を席捲する理由がない。で、カクカイトウサン、否、カクケイホウサンはこうした映画を観て、この時代のトッポい風俗はこういうものだと、まんまと模造記憶が後継世代に植えつけられる典型になったのではないかと、こう思います。

こういう80年代うれしはずかし描写から何の説明もなく話は一変し、2006年に主人公がチェコプラハ在住の父親に会いにゆく場面になります。鉄のカーテン崩壊後の東欧旧社会主義諸国は、どこも一山あてようとやってきた中国人商人がたくさんいましたので、それかなと思いますし、江沢民サンが東欧で大使を遍歴してたりユーゴの中国大使館がアメリカに誤爆されたりの「連帯」の関係上、東欧暮らしはそんなわるいイメージじゃないですので、この描写、ジャブはそれなりに読者の腑に落ちるはずです。

プラハというと、還暦を越えた前川健一さんが突然若い頃の欧米バックパック旅行ツマラナイ説を撤回転向、チェコはいいのうという本を出したりしましたが、前川健一さんはスタート地点が中華料理店の厨房だったにもかかわらず(その後大学へは行かず出版業界の録をはみつつ東南アジアをぶらぶらする)なぜかほとんど中国や中国人をその著書でシカトしてますので、プラハでもそこの新華僑たちは出ません。

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改革開放の熱に浮かされた父親がその後どうして海外暮らしになったのか、また、それにしたって要するに出国出来たわけデショ?という紅眼病読者をどう転がして料理しようと作者が目論んでるのか、ドンドン、いろいろ読者の興味をつなぐ序章だなーと思いました。ここまでが一章迄の感想です。以上

(翌日)