『風船 ペマ・ツェテン作品集』読了

 装丁 緒方修一

風船 ペマ・ツェテン作品集

風船 ペマ・ツェテン作品集

 

 電子版の表紙は、帯を取り込んでいます。実際の帯は薄茶色。

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いのちはどこへ向かうのか いま世界が注目する映画監督であり小説家の短編集 近代化によって伝統が変化しつつあるチベットで生きる、羊飼いの家族たち。三世代の穏やかな生活と、その中に隠された若夫婦の葛藤―― 春陽堂書店

この出版社からこの本が出るのは、かつて勉誠出版チベット文学翻訳ユニットの本を担当した人がここに転職した縁からだそうです。

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Ⓒ2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved. 羊飼いと風船 アッバス・キアロスタミウォン・カーウァイも、その才能に惚れ込み高く評価するチベット映画の先駆者、ペマ・ツェテン―― 第20回東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した『羊飼いと風船』の劇場公開が決定 2021年1月22日(金)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!

私はこの映画を新百合ヶ丘で見ました。

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映画と小説最大の相違点は、映画が一人っ子政策現役バリバリの1995~2000年頃の設定で(パンフの字幕監修者説明に依る)小説は一人っ子政策撤廃後の現代である点です。小説讀んで驚いてしまいました。ふつう、日本だと、小説の方が読む人も少ないし、手打ち入力めんどくさいので拡散もろくろくしないから、ヤバねた書けますが、映像だと、言語化が苦手な直感バリバリさんもようけ見るかもしれませんし、映倫がありくさるし、配信DVD等から抜かれるなど、どう拡散するか分かりませんので、それほど突っ込んだ描写はしにくい、が暗黙知だからです。なんでペマ・ツェテン逆張り狙ったんだろう。映画は舞台を現代にして、小道具のモトローラ携帯をスマホに替えておいて、小説ではこれでもかと一人っ子優遇の少数民族サイドの視点を書きまくるわけにはいかなかったのだろうかと。

それとも、中国では活字と映像の立ち位置が、逆転してるんでしょうか。書の國だけに。

 草原に暮らす羊飼いの家族たち。その穏やかな生活のなかにある、秘められた葛藤と孤独を描く表題作「風船」のほか、仏教的世界観と近代的価値観が混じり合う現実を生きるチベットの人々をユーモラスに、幻想的に、時にリアリスティックに描いた短編6作品を掲載。ほか、自伝的エッセイと、訳者解説も所収。映画監督としても注目されるペマ・ツェテンの小説家としての魅力、そしてチベット文学の魅力を伝える。

  風船 ペマ・ツェテン作品集|ペマ・ツェテン 「風船」「 轢き殺された羊」など短編6作品を掲載。

で、さらに驚いたのが、本書が漢語作品の邦訳だけで作られていたことです。あの映画の原作が、漢語で書かれていたとはなー。ペマ・ツェテンはバイリンガル作家で、チベット語でも漢語でも作品を執筆してるそうで、しかし、どうしてもパイのでかいほうが注目されやすいだろな、と。本書収録作品のエロにしても、漢語で書くと、ムッツリスケベ度が高まろうというものだと思いました。

 『風船』原題《气球》は広東の文芸誌「花城」2017年第一期掲載。花城文学賞受賞。花城って、下記の本の出版社ですよね。あまりのバカバカしさと、六章の四節で終わるという意味深さに笑った覚えがあります。中国の刑罰史を研究してる真面目な先生も読んだ本ですが、読んでどう思ったんかなあ。

books.google.co.jp

邦訳は「すばる」2020年3月号掲載。映画字幕と小説で、人物のカタカナ表記も異なります。タルゲ≠タルジェ、ドルカー≠ドルカル。なぜそうなるかは、たぶん気分の問題、てきとう。漢語とチベット語表記の違いからだと、もっとカッ飛んだ差が出ますので、そういう話ではない(はず)

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横浜市緑区・東鴨居中PTA 卒業生にサプライズ企画 夢と希望乗せ風船大空へ | 緑区 | タウンニュース

轢き殺された羊』《撞死了一只羊》青海湖」2015年2月号掲載。日本では例の翻訳ユニットの同人誌vol.5_2018年初出。頁065の、ねばっこい煙草というのは、タールが手についたのかと普通は思うと思いますが、阿片チンキかしら、などとどうでもいいことを考えます。済度。訳者解説にも「魔術的リアリズム」がお約束で登場してきますが、逆に私は、「辺境の喪失」ということを強く考えました。もう莫言のように、山東を舞台にしても、それほど相手にしてもらえないのかもしれません。山東のどこが田舎やねん、と反撃されそう。東山彰良の小説のように、中国の高速道路網をマイカーでかっ飛ばす描写が読者の共感を呼ぶ時代なのではないかと。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

映画化。

 『九番目の男』《第九个男人》初出不明。あちらの短編集二冊に収録との由。日本では「すばる」2016年1月号掲載。映画「タルロ」のヒロインみたいな女性が主人公。こういうのも、チベット語ならなんともないのでしょうが、漢語だと思うとインビになる。〈臭第九〉とかそういう古い言葉は出ません。

よそ者』《陌生人》初出不明。あちらの短編集二冊に収録。日本では例の同人誌vol.2_2017収録。作者の小説には、意外とヨッパライが多い?

マニ石を静かに刻む』《玛尼石,静静地敲》初出不明。あちらの短編集二冊に収録。邦訳初公開。右遶(うにょう)という言葉を初めて知りました。映画「巡礼の約束」で、聞き分けのないガキがマニ車を逆に回すシーンを最近見て、けっこう衝撃でした。夢に人が出てくるのは、何か言い残したこと、心残りがあって、それを伝えたいから、と聞いたのを思い出しました。洋の東西を問わず。関係ありませんが、某がっかいの人が、右回りにチベット寺院を回らなかったので、大いに驚いたことがあります。同じ仏教でも、偶像崇拝を否定する新仏教とは、かくも違う。ちなみにチベット仏教は、原始仏教回帰論者からも、化身(輪廻転生)を否定されるなど、さんざんです。五体投地なども、膨大な非生産的エネルギーで、信仰の無駄遣いだと思われてるのかしら。

黄昏のパルコル』《黄昏,帕廊街》初出不明。二冊に収録。邦訳は同人誌vol._2017掲載。これくらいバイリンガルになりたいものです。

三枚の写真から』《三张照片和我的青少年时代》光明日报2016年12月9日初出。邦訳は例のユニットのブログ。エッセーです。

以上