『チベット文学と映画製作の現在 གསེར་ཉ། SERNYA セルニャ』 vol.1 読了

ペマ・ツェテン映画特集 

ブックデザイン 草本舎 

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所「言語の動態と多様性プロジェクト」研究成果 

2013年12月1日初刷。読んだのは2019年3月5日の三刷。

現在vo.7まで出ており、vol.3が配布終了とのことなのですが、vol.1とvol.2は増刷されているので、vol.3もそのうち増刷されるのか、それとも諸般の事情でホントウに配布終了なのか、さて、どっち、という。

 すべての記事タイトルにチベット語が併記されていて、目次も左のように日蔵両文で書かれています。気合い入ってるな~と。蔵文部分しか写真にとってませんが…

前身の『火鍋子』という紀要雑誌も何度か手に取ったことがあるのですが、B5版の、やはりイラスト表紙のオフセットで、同人みたいと思ったことがあります。表紙がざらざらの汚れがつきやすい紙で、指紋がすぐついたりしたので、扱いムツカシーと思ったです。セルニャはそこは修正されていて、傷みにくいA5版の、ツルツル紙の表紙です。火鍋は今でこそ中国人の中華の定番で、日本でもどこ行ってもありますが、ミレニアム前後の頃は、まだ中国四川から四川漢族移民の多い西北少数民族地帯の風物だったです。もちろん回族の多いところでは「清真火鍋」があり、西北ではむしろそっちが漢族の火鍋よりメインなのですが、いま日本の中国人の中華の火鍋屋でそんな話をしても、「中国人より中国に詳しいデスネ」と、うわべだけのお世辞を言われて尾張名古屋は城で持つ感じです。個人的には、むかしの地球の歩き方シルクロード編で、留学生が冬のウルムチで、極寒の中、漢人の店に飛び込んで火鍋をつつく話が印象に残っています。

 途中まで読んで、ラシャムジャ『雪を待つ』の感想を書き終えるまで続き読むのを封印してるペマ・ツェテン『ティメー・クンデンを探して』の訳者あとがきなんかにも、『火鍋子』は出てきたと思います。ということは、ツェラン・トゥンドゥプの邦訳にも『火鍋子』が出るのかな。それが『セルニャ』になるわけですが、その辺の整風運動は分かりません。整風でもないか。

 まあ、いつものように、雑誌名くらいはチベット語で書いてみようと思ったですが、数回まちがえました。下が当初参考にした表紙などの書体。

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まず、གསིར༌ཉ།と書きました。ファクトチェックで検索して、何も出ず。

 次に、གསེར་྅།と書きました。 ི ེにしたので、ピリオドで区切られた前半部分が、ゴールドであることが分かりました。

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しかし、よりのほうが似てる字だと思って改変したので、後半部分をバズりました。否、ハズしました。

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目次部分の書体もよく見て、後半部分も修正し(ハネの方向が右でなく左)、検索すると、はたして、「金魚」を意味する当該単語に辿り着きました。

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あっとおどろくタメゴローじゃないですが、金を意味するチベット語と魚を意味するチベット語で、意訳してるんですね。英語の"goldfish"とおなじやんけ。

キンギョ - Wikipedia

གསེར་ཉ་ - Wikipedia

最近のグーグル翻訳の躍進はめざましく、ウイグル語もビルマ語も追加され、ウェブページの翻訳が出来るようになっているのですが、チベット語はまだ未対応で、同じ言語かなあと私がてきとうに考えているブータンのゾンカ語も対応されていません。ので、上のチベット語の「セルニャ」のウィキペディアが、ほかの言語の「金魚」の項目とリンクもされてないし文章もやけに短いけれどなんて書いてあるんだろうと思っても、分かる人に読んでもらう以外、ほうほは、ねえ、です。

ここまでのくだりで、なぜかひさびさに早稲田にあったチベットショップのつぶやきを見て、今回東京2020に参加した競歩の中国代表に、アムドの遊牧民出身で、ロンドン五輪でも銅メダルを取った選手(チベット初のメダリストだとか)がいるとか、高野秀行がコロナ感染してナントカ療養してた(薄氷の家庭内隔離が奏功したとか)とか知りました。なんでチベットの店が高野秀行をフォローしてたんだろう。ブータン?角幡つながり?

切陽什姐 - Wikipedia

 全然関係ないですが、こんな記事も見つけました。

[B! COVID-19] コロナ感染の野々村真 自宅療養で悪化し入院 妻・俊恵が告白「肺が真っ白」「心電図をつけて」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載

話を戻すと、映画「静かなるマニ石」ロケ地のチェンザ県って、尖扎县なので、行ったことあるような、ないけど、ミニバスから、あこがそうだよ、と川向うかなんかを指さされたような。そこからして、もうね。

撮影日誌の、チャップリンの真似をする俳優というのは、私も見たことあります。セルニャはレプコンと書きますが、私はレゴンと呼んでました。トンレンから热貢に変えただけやん、と言われても、当時そう聞いたのだから仕方ない。チベット人が誓いを立てる時、破ったら名刹を燃やす、というと聞き、アロンウー・ゴンバ!というと、ロンウーゴンバを燃やすという意味と聞きまして、隆务寺(ロンウースー)そのまんまの発音でチベット名ナノカと思った覚えがあります。その辺は、vol.2に出て来る化隆(ホワロン)がそのまんまチベット語でも意味を成すというくだりでもう一度想起します(未来形)

なぜこんな、ひなびた蔵漢文化境界線上の村にチャップリンがいるのか、について、有名な話である、クムブムモナストリー(タール寺)に、どこから来たのかさっぱり分かってない、日本のこどもの浴衣が奉納されている(それを着た仏像があるんでしたか)と結び付けて、西北や西南によくいた、完全に現地化した、英語を一切しゃべらない人民服のイギリス人農夫などがここにもいて、彼がひっそりとチャップリンを教えたということはないだろうか、などなど、いろいろ空想したものです。とてもなつかしい。

同じく撮影日誌で、羊肉のスープとアムド風のパンをみなで心ゆくまで楽しんだ、というくだりは、チャップリンを見た時、日本の民俗学者だか文化人類学者だかの人がメインだったのですが、その人が、青海の単調な食事に飽きてワガママを言い出して、同仁県で広東料理食わせろとだだをこねたことを思い出しました。今なら粤菜レストランも現地にあるかもしれませんが、当時は、青海省で、広東のものは、出自不肖の粤ナンバーのサンタナを幹部というか干部ガンブーが所有してるくらいが関の山で、広東料理とか無茶言いなさんなって感じでした。火鍋子でいいじゃない。

「静かなるマニ石」のシナリオ邦訳が収められているのですが、西遊記のVCDがじゅうような役割を果たしていて、VCDと書いてヴイシーディーと読み乍ら同時にウェイスィーディーとも読むワザを自然に身に着けている(そうでないとしっくりこない)自分を思い出したり、また使われるパートが女怪中野美代子が大好きなパートだったりで、そんなところにも日本とチベットの深層における交流の確かな手ごたえを感じました(うそ)

 

"和尚様、悲しむのは止めてください。和尚様、私たち今夜結婚するんじゃありませんか”

三蔵法師

"いやいや、やめてください” 

 もいっちょ。

"和尚様、どうなさったのですか?”

弟子

"痛い”

三蔵法師

"私も。どうしてこんなに痛いんでしょう”

弟子

"まさかおめでたでは?”

三蔵法師

"弟子よ、大変なことになった” 

 同じ題材を同じ漢語で流すわけですが、どうしてチベット人というフィルターでろ過すると、こんなにもムッツリスケベ度がなくなるのでしょう。チャウ・シンチーが同じことをやっても、ムッツリスケベが執拗に迫る展開になるでありましょう。オーメイ、フトーファー。

春の岩波ホールチベット映画祭では「静かなるマニ石」「ティメー・クンデンを探して」「五色の矢」やりませんでしたが、次回もしくはどこかのチベット映画特集でかかって、それが私のアンテナに届いたなら、観たいと思います。

私はこのチベット文学研究会の主催者の仕事量を見て、ボーントゥトランスレートというか、その驚異的なスピードと量にシャッポを脱ぐだけなのですが、このvol.1でも翻訳短編をふたつさらっと掲出していて、おっかねえなあと思いました。でも、《流浪歌手的梦》がどうして『ある旅芸人の夢』になるの? 歌手は旅芸人じゃないじゃない、について徹底ナントカ、をしようとは思いませんでした。

セルニャを送ってもらった時、ついてきたレターに、「現代チベットの文化的動向を紹介」とあり、古典はメインじゃないよと暗に言ってる面もあるんだろうなと思いましたが、創刊号には、チベット文学者の心に響いた、古典文学、口承文学の一行を紹介するページがあり、『ミラレパ伝』『水の教え』『大海への桟橋』『チベット愛の書』『真珠の首飾り』『王朝明鏡史』『深甚な意味の核心』『常啼菩薩の譬喩品』『レルン=シェーペー・ドジェ自伝』という、チベット文学っていっぱいあるなあ、という数々と、死体物語と並ぶ古典のいさおしの大ベストセラーで最近ドイツ語から岩波文庫入りした話からの一文が紹介されています。この企画がその後も続いたのか、どこぞのヤッカミでアホくさくなってやめたのか、それは知りません。

日本文学に触れたチベット人の小文が二つ紹介されていて、まあ、当たり前ですが、現代文学です。漢族がよく、紅楼夢と同じ感覚で、とりあえず源氏物語の抄訳を読んで日本文学を語ろうとしてくるのに辟易してる邦人にとっては、まあそうだわね、漢訳読むにしてもハルキ・ムラカミからのが自然だわね、そりゃそうだ、と思うにちがいありません。アムドというか青海省で日本文学というと、共和で写真屋さんが日本語教師をして、坊ちゃんを教えた回想記の本が有名ですが(私は本は未読)その人がセルニャを読んで、夏目漱石は出て来るけども坊ちゃんは出てこない、チベット文学者による坊ちゃん隠しだ、などと云うかというと、言うわけもないわけで、せっかくの題材と労苦を、自分で間口をちぢめてアナウンスの可能性をせばめている功罪は、死後公正に判断されるんでしょうと思いました。後世。

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ཤར་ཕྱོགས་གསེར་ཉ チベット文学研究会

bo.wikipedia.org

ཤར་ཕྱོགས་གསེར་ཉ

以上