ゾンシュクキ གཟུངས༌ཕྱུག༌སྐྱིད། songchukkyi『チベット女性詩集 現代チベットを代表する7人・27選』དབྱངས༌ཅན༌པི༌ཝང༌ལྟང༌ལྟང༌། "Tibetan Women's Poetry Collection. 7 Representatives of Modern Tibet, 27 Poems." (現代アジアの女性作家秀作シリーズ)(Contemporary Asian Female Writers Excellent Works Series)

チベット女性詩集│ゾンシュクキ/デキ・ドルマ他

編訳者:海老名志穂サン。段々社編集坂井正子サン。装丁者未記ながら、担当されたということなのか、草本舎の青木和恵サンにイラストレイアウトの謝辞。イラストは勿論蔵西サン。日本学術振興会特別研究員研究奨励費と東外大AA研共同利用・共同研究課題「チベット・ヒマラヤ牧畜文化論の構築 ー民俗語彙の体系的比較にもとづいてー」の成果一部。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

概括は上記に書きました。

ひとり目の詩人はゾンシュクキという人。གཟུངས༌ཕྱུག༌སྐྱིད། songchukkyi. 

名前で検索したら、ベルギーのチベタンコミュニティが数日前にあげたチベタンフェスティバルの動画が出ましたが、あんまし関係ないと思います。

www.youtube.com

チベットではアムドに属する、マンラと呼ばれる、青海省の貴南出身だとか。

www.google.com

黄南でなく海南なので、より牧畜、草原のイメージが強そうです。

ja.wikipedia.org

ウィキペディアではマンラをチベット語མང་རと書いており、たぶんそれで合ってるはずなのですが、先日、四川省の丹巴という地名のチベット語、ロンタクをརོང་བྲགウィキペディアそのまま引き写してチベットの人に見せたら、"rong brag"だったら後ろの単語に発音記号がついてないですかね、と言われ、帰宅してウィキペディアを見直したら、日本語版からチベット語が消えて、英語版のアルファベットが"rong zhag"になってました。世の中いろんなことがある。

www.recordchina.co.jp

「貴南」で検索すると、貴州と南寧を結ぶ高速鉄道建設計画が出ますが、まったく無関係。

やむことのない流れ འཇགས༌མི༌སྲི༌ད༌པའི༌བཞུར༌རྒྱུན།

チベット文字表記はすべて私の手打ちですので、まちがっているか分かりません。間違っているのが分からずペーストした場合、半世紀はその表記で検索した結果がこの日記とそのペースト先だけになります。いや、そうでもないかな。これからは、ずっといっしょね、は日本が10年パスポートを出した時のキャッチコピー。

2002年ダンチャル掲載。ダンチャルは漢語表記すると《章恰尔》(音訳)になる青海民族出版社のイカス文芸誌なのですが、長いことそのチベット語表記が解読出来ていませんでした。

ウメ書体で書かれているので、何がなにやら。

《章恰尔》创刊40周年:攀登新时代的文学高峰_藏人文化网

baike.baidu.com

笑っちゃうんですけど、中国の漢語サイトは、百度含め、ぜんぜん「ダンチャル」のチベット語を併記してくれないんですね。どうもそういう線を引いたらしい。リョー・タケウチ監督作品《大涼山》を見ても、少数民族がノシ上がるためには漢語による高等教育が必須、というはっきりした思想が前面に見え、母語による高等教育という発想は、全然実際的でないという結論になったのかなと。

40周年記念号。やはり何がなにやらデシタが、右上にアルファベット表記が見えます。

ほかの号の裏表紙。さらにはっきりとアルファベット表記が見えます。"SBRANGCHAR"

སྦྲང་ཆར།

tibetanperiodicals.wordpress.com

アルファベット表記から"world press"のサイトに飛んで、やっとダンチャルのチベット語表記を知ることが出来ました。

སྦྲང་ཆར།

」以外すべて予測と違いました。書道でいうところの「たて」というか「はらい」が、草書体だとこんなに伸びるとは。「」も「」も、こんなに伸びてインカ帝国でした。「」のてきとうぶりもすごい。

話を戻すと、本作掲載の同年、ゾンシュクキサンは家族とともにダラムサラに亡命します。また、本作は「セルニャ」掲載済とか。

ヤンチェンマ』 དབྱངས༌ཅན༌མ།

1998年に海西州(青海省)の文芸誌「カンギェン・メト」གངས་རྒྱན་མེ་ཏོག "GANGS RGYAN ME TOG" 《岗尖梅朵》に掲載された作品。

baike.baidu.com

これもまた漢語サイトには一ミリもチベット語の単語がないのですが、なんしかうまいことチベット語表記を検索することが出来ました。 ཐུགས་རྗེ་ཆེ།(トゥジェチェ)

ཐུགས་རྗེ་ཆེ - Wiktionary

ふと思うんですが、宋代くらいまでになんかあってからですかね、中国にはサンスクリット語パーリ語の仏典原籍がまったく残っていないわけで、漢訳仏典のみ。外国語の仏典は、敦煌などの石窟に隠して、入口を埋めた状態のが発掘されるだけ。それと、現代、ガンコに中文に少数民族言語を併記しようとしない精神が、重なって見える気がしないでもありません。なんかいやなことでもあるんですかね。日本語みたいに、三種類の文字をチャンプルー状態にして気にしない表記文化から見ると、ヘンな感じ。

話を戻すと、ヤンチェンマは弁財天にあたるチベットの音楽の神、ミューズで、これも亡命前の作品だそうです。

en.wikipedia.org

ふるさとでは』 ཕ༌ཡུལ༌ན།

左は本書のカバー折。この作品のいちぶが使われています。

「ダクモ」という雑誌に1999年発表されたとのこと。私の能力ではどこのどうした雑誌なのか探せませんでした。サキャ派の宗主は妻帯出来るそうで、今の宗主とその前の人とで、二代続けて、奥さんの名前が"dagmo"だったそうですが、関係ないだろうと。亡命は2002年とのことだったのですが、この詩ですでにアムドへの望郷の思いをつづっていて、なんだろう、すでにどこかに潜伏していたのか、あるいは正式に亡命申請する前に、すでに別の資格でインドほかに滞在していたのだろうかと思いました。

雨音』 ཆར༌སྒྲ།

未公開作品。執筆は2018年とのこと。現在在住の豪州メルボルンにて執筆した作品とのこと。

この後四ページ、蔵西サンの、イラストとはちがったタッチの、荒涼とした、青蔵高原なのかどこなのかのスケッチが続きます。

その後は、三浦順子サンによるコラム『亡命した尼僧の話』、1980年代後半、インドでチベット語を学ぼうとした三浦サンが、尼寺を紹介され、行ってみると、山中の一角の敷地内に、各自掘っ立て小屋を自作して住んでいるところで、しかしそこで、尼僧たちは、ほかとちがって、ここでは男女分け隔てなく学べて幸せだ、と口々に語っていたとか。

仏教そのものが男女に格差を築いている宗教であることにも遠因があるわけですが、しかしまあ、チベットの尼僧院というと、すぐにエロネタ、ヤリホーダイみたいな話が、事実とは別にすぐ飲み屋トークの延長で出て来たことも事実だったです。青海湖の小島にも尼僧院があったので、上陸しさえすればハーレムだが上陸出来ません、とか、そういうの。

ほかにも、高原チベットから高温湿気の低地インドに降りて来た亡命チベット人社会に結核が蔓延していたこと、生活インフラゼロの掘っ立て小屋から三浦サンは数ヶ月で逃げ出したこと、西洋化した亡命チベット人エリートと、ニューカマーの生活レベルを無視した信仰生活との乖離など、短い行数に凝縮された想いがどばどば語られます。

つづく。