チベット幻想奇譚|星泉 チベットの現代作家たちが描く、現実と非現実が交錯する物語
装画・扉絵 蔵西 装釘 宗利淳一 ←クギの字を使った「装釘」は、暮らしの手帖などに使われていると、ほかの方のはてなブログで拝見しました。
収められている十三の短編の、一個一個の感想の、九個目。第二のチャプター「Ⅱ 異界 / 境界を越える」カテの作品。星泉さん訳。初出「ダンチャル」《章恰尔》2013年。
漢語版《雨衣》《民族文学》2015年。漢語版はタイトルに西暦の年号を入れてません。
邦訳初出は光村図書「飛ぶ教室」60号、2020年。
この人に関しては、チベット語表記も漢語表記もぜんぜん心配してません。チベット語の著者名は下記サイトで打ち込みと完全一致してますし、そこに題名もズバリ出ている(のでコピって、単語の末尾につけるお約束記号 ། を足しました)
སྒོ་མེ་ཚེ་རིང་བཀྲ་ཤིས་ཀྱི་སྒྲུང་དེབ་གཉིས་པར་དུ་བསྐྲུན། | ཀྲུང་གོ་བོད་ཀྱི་དྲ་བ།
上は草原で寝っ転がる、マニア受けのインスタ映え的写真ですが、職場でつぶらな瞳で写ってるのは下記です。
སྒོ་མེ་ཚེ་རིང་བཀྲ་ཤིས་དང་ཁོང་གི་སྒྲུང་གཏམ་སྐོར་གྱི་བཅར་འདྲི། | ཀྲུང་གོ་བོད་ཀྱི་དྲ་བ།
下の漢語サイトでも、ルンタにもたれた横顔というインスタ映え的写真。
むしろ、アルファベット表記が分からなくて、弱りました。もちろん私はワイリー式なんてさっぱりさっぱりですから、しょうがない。ゴメ・ツェラン・タシサンの「ゴメ」は瞑想を意味する「ゴム」(sgom)にེ「e」をくっつけたんだろうと、ワンアンドオンリーの邦人チベット医學の徒、小川康さんが京大情報リポジトリに載せてた論文からアタリをつけ、
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/200287/1/Himalayan-16-204.pdf#page=4
ツェランについては、ツェラン・トンドゥプの時はラサ後語のツェリンのTseringで載せちゃったのですが、このワーキンググループ関連でよく名前が出てくるドッカル・ツェランサンが、そのままTseragで自分の名前をアルファベット化してるので、この人もアムドだし、それでいいだろうとTserangにしたのですが、さてそうなると、ラサ語なら何の問題もない「タシ」が、アムドだとチャヒとかザシとかになるのではないか、いやいやならなくて、ザシはむしろ漢語訛りだろう、的な正しい解がまったく素人の自分には分からないので、TashiとTserangで、分裂したまま置きました。
下記の人はカムバですが、タシですよね。
Tashi Wangchuk (activist) - Wikipedia
下の人みたいに、フツウにTashi Tseringでいいような気もするし、アムドっぽくもしたかったし、という。
ゴメサンは漢語名でウェイボーをやってるので、そこでは、漢語チベット語入り乱れて、いろいろ発信されてます。
お話としては、西寧でステキな黄色い雨合羽(チベット語でチャルラというらしい)を買ってもらった九歳の小学二年生(日本よりおそいのか)が、カンカン照りのなか自慢しいで合羽を着て暑くて死にそうになったり、記録的な水不足で雨ごいの水神供養、ルトルという儀式を行うことになり、人や水神のかたちをした供物を作ったとき(小麦粉で作るんでしたか、ちがうんでしたか)それに着せるおあつらえの黄色い服ということで、小学二年生の主人公の知らぬところで雨合羽が使われ、という話です。
上は、コロナカ前に神楽坂で撮った、合羽着たコボちゃん像ですが、こんな感じの供物だったんですかね。あるいは、タール寺(クムブムモナストリー)の七つのナゾのひとつといわれる、日本の浴衣を着たお地蔵さんみたいな仏像の話にも通ずるところがあるのか、どうか。
そういうお話です。青海省の都市部はわりかし人工降雨がさかんですので、まだ人工降雨が一般化してなかった幼少時をなつかしむ、という意味合いがあると思われます。ちがうかな。以上
【後報】
私が打ち込んだ『チベット幻想奇譚』の、チベット文字がいちぶ違ってるとご教示頂きましたので、つつしんで訂正します。まだほかにもあるんだろうなあ。
✖: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས།
○: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒྲུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས།
トッホッホ。(2022/11/16)