『チベット語になった『坊っちゃん』 中国・青海省 草原に播かれた日本語の種』""BOTCHAN" TRANSLATED INTO TIBETAN. Qinghai Province, China. Seeds of Japanese Language Sown in Grasslands." 読了

チベット語になった「坊ちゃん」 | 山と溪谷社

紀伊国屋ほかどこでも取り扱いがなく、アマゾンだけ購入可能だったので、あのデカい倉庫に一冊だけ在庫があるのかと思って焦って買いました。したっけ、以前検索した時はなかったのですが、地元の図書館に蔵書ありで、まだアマゾンにも在庫があります。ようするに他の取次がヤマケイやめたってことでしょうか。マサカなあという。

青海省のチャプチャ(恰卜恰)というところが舞台なのですが、表紙はウー、ツァンの、ラサ郊外、カンパ・ラ峠から望むヤムドクツォだそうです。ぜんぜんちがうじゃん、とは思わないことにして、標高は違いますが、菜の花の季節の菜の花畑は共和に行く道すがらにもあったハズダカラーで読めばいいです。深く考えません。考えません勝つまでは。撮影=古野淳 カバー文字と本文写真は著者 装幀・本文デザイン=小泉弘 地図=株式会社千秋社 元図『チベット』(有限会社旅行人)

ja.wikipedia.org

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下は帯(表紙側)

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チベット文化圏、青海省の山奥で起こった「奇跡」の物語 チベット人学生が さだまさし氏の『防人の歌』を聞き取り 夏目漱石の『坊ちゃん』を翻訳

下は帯(裏表紙側)

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中国・青海省のチャプチャという小さな町にある青海民族師範高等選科学校で、ひょんなことからチベットの学生に日本語を教えることになった日本人教師の孤軍奮闘の物語。チベット語と日本語の文法の近似性に着目し、漱石の『坊ちゃん』の翻訳を授業で取り上げ、時に笑い、時に怒りながら学んだ、チベット人学生たちとの心の交流を描く。

帯をとった、表紙の下半分は下記。

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見事に日蔵対照文になっているらしいです(蔵文読めませんが)

夏目漱石 坊っちゃん

下は中表紙の一部。「坊ちゃん」だけなんとかチベット文字を写しましたが、あってるのかなあ。

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坊ちゃん སྶཱུ་སྲ྄ས།   日本語中心 翻訳演習

སྐུ་སྲ྄ས།

チベット語の、貴族の子息に対する敬称がそのまま「坊ちゃん」的な使われ方をしているそうで、その単語がそのまま置き換えられるそうで(頁94)要するに上の単語は音訳ではないです。そのわりには、ぜんぜん検索結果が出ないです。コミュニスロ・パーリーによって打破された、ドレーホーケン社会の単語なので、zhongguoでは網上に出たら即削除なのかなあ(という可能性は、ダラムサラ等の非zhongguoチベット文化圏まで検索範囲ですので、ありえなさそうで、私のスペルミスの可能性が高いです)

共和に日本語教師のしとがいる(いた)という話は私も聞いたことがあって、しかしそれは本文頁138に出てくるカメラ雑誌の老人のような気もして、要するにいろんな人のエピソードがミックスされて私の中でひとつの人物像を作り上げていた気がします。少なくとも、こんな「日本語教育の鬼」のような人物が、日蔵両膠着言語の「てにをは」の対称性を完全に把握したうえで、口語会話でなく、文法掌握を主眼とした和文蔵語訳を主体とする日本語授業を遂行して、各班に精度と成果を競い合わせるシステムを確立していたとは、まったく思っていませんでした。なんでこんな偉業が完全に埋もれてるんだろう。

頁211

「お前達に口語会話を教えないのは、一人の会話名人が生まれても、その人間がそれを自慢して自分だけの立身出世にしか日本語を使わない事が多いからだ。そんな人間をお前達も知っているだろう」

顔から火が出るようです。教える方も教わる方も、その言語の会話がペラペラな人とだけ交流してると、ラクなんですよね。日本で、英語ペラペーラなギロッポン系としか会話しない英語ネイティヴを見てて、そのえらそうな態度にヘキエキしてるはずなのに、知らず知らず自分でもやってしまう。

私自身でいうと、まず、「シナ=チベット語族」という名前に惑わされて、チベット語と日本語が同じ膠着言語であるとはまったく認識していませんでした。漢語とチベット語はかなーり違うし、チベット語押韻や声調とかあるようには認識してないけれど、シナ・チベット語族というくくりなので、専門的には同類項の言語なんだろうくらいに思ってました。本書に従えば、ぜんぜん違った。

作者によると、インドの言語はだいたい屈折語で、中国語は孤立語で、チベット語膠着語だとのことで、膠着語となると、日本語ハングルトルコ語モンゴル語のなかーまということになるじゃいですか。いやーおかしいと思った、ベトナム語ともタイ語ともチベット語はちゃうもんなあ、なんて今さら言ってもしらじらしいだけですが、それにしても、口承文学の語り部ネタなんかよりぜんぜん、日本のチベット学者は日本語とチベット語の「てにをは」が完全に対応するという事実を大々的に公表してない、隠してる、チベット学者による「てにをは」隠し許さん、みたいなことを言ってもいいんじゃないかなあと思いました。でも、ほんとにそんなに文法似てるのかしら(発音はまったく似てません)

だって、いちばん近いはずのハングルでさえ、「に」とか「へ」とか、ズバリ対称というわけではないじゃないですか。双方に特有の使い方があって、イコールにならないことのほうが当たり前という認識だったのに、チベット語だと完全にイコールなんですか??? にわかには信じられないです。東京外語大説明してけさい。(修飾語と非修飾語の順番が日蔵で逆なのは、昔エクスプレスで読んだ気瓦斯)

チベット語 - Wikipedia

本書は、ここに限らずですが、ところどころ高圧的なところがあるといえばあるので、どこかでこの人と知り合ったとして、なかよくなったとは限らないな、と思いました。が、その辺は本人も百も承知でしょう。後半、ラスト急速に、瞬間湯沸かし器みたいな性格、ナイフのようにとがった部分を収めだし、後任の日本語教師が自分の築き上げてきたものを灰燼に帰して、じゅうらいの意味のない日本語教育に戻るであろうことを予感しても、後任や周辺をクソミソにけなしたりはしません。帰国後、ブログをやっていたようですが、2012年くらいで更新が途絶えたそこも、ずいぶんおだやかです。どうしたことなんだろう。人は何処かへ行ってしまって、ブログだけが残る、ということが今世紀多発してますが、この人のその後と、エキセントリックな部分が何故静まったかは、気になります。

しかしその結末部分以外は、この人はずいぶんカッカ怪気炎をあげていて、熱いです。「先生に触ると火傷しますよ~」なんて、口語日本語が得意な生徒から冗談言われてたんじゃいか。読んでいて思ったのが、この独善的かつ語学面で天才肌な態度は、中公新書『トルコのもう一つの顔』の作者と同じだ、ということ。あれも、ウソのようにスリリングな、作者曰く全編実話なのですが、語学の天才という点が、共通してます。

もちろん本書は日本語教育の本ですので、作者は日本語教師の資格をちゃんと持った経験豊富な人で、「ネイティブと話そうペラペーラ文法ワカリマセン」の現地在住大陸浪人ではないです。本書を読むと、その後なくなったのでしょうけれど、西寧には名古屋の南山大学と提携した私立の日本語学校がある(頁68)など書かれており、いくつかの出来事の時系列のミッシングリングをあてはめて、ひとりウンウンいったりしました。

石井遊佳 - Wikipedia

なんとなく、上に、承認欲求が満たされたのか次作のない在インド日本語教師ウィキペディアを置いてみました。いろんな日本語教師がいる。杉良太郎サイゴン日本語学校で会った日本語教師は、ピースボートが来るたび、邦人とおちかづきになりたいと群がってくるベトナム人から上陸日本人の民泊先を選ぶ際、便宜の見返りのスペックを重要視していました。そういうの、当時のピースボート乗船者は知ってたんだろうか。

以下、日本語教師と『坊ちゃん』翻訳よもやま話の感想。

頁99。略。頁115。中国共産党チベット語文法にまで干渉していたとは。頁128。付箋をつけていて、興味深い個所ですが、今北産業では説明出来ません。

頁180、「栗」という単語を漢語からの借用語でしか表現出来ないことを知って関係者ガックリする場面。作者は、日本語が将来、カタカナ語を駆逐したら幼稚な単語しか残ってないような状態になるのは願い下げだと言ってます。いい場面ですが、ただ、このように翻って我とわが身を省みる態度は、ネトウヨに好まれないだろうなと思いました。

頁190、サムイェは行ったことありますが、このお寺で、チベット仏教と中国禅宗の宗教論争が行われた歴史は知りませんでした。その話も面白そうなのですが、なまなかな知識でも歯が立たない論争なのかもしれません。夜な夜なおばけが出るのは荒屋敷Ⓒ西遊妖猿伝

頁200に蔵日辞典が出版されてないとありますが、ちっさいの、日本で出版されなかったっけと思い、検索すると、増刷してないみたいで、すごい高値がついてました。増刷しましょう! しないか。

頁206、「ブー」と言って、汽船が止まる、という一文を、生徒たちは訳せず、汽船は機械で人間ではないのだから「言う」わけがないと全否定にかかった箇所で、そもチベットでは、六道輪廻の畜生道に堕ちた人間以外の種々は、人間ではないのだから喋れるわけがないとドライな発想に、先生はカルチャーギャップを感じ、ここは私もへえと思いました。だって前世が人間なら、人語を解すかもしれないじゃないですか、まれに。チベット人は輪廻の中に生きてる割に、人間と畜生を厳しく峻別するんだなと。本書ではチベットにはペットという概念がないとまで言い切っていて、そうすっと、下記の動画のこどもは、かなり漢族化した価値観があるということなのかと思いました。飼い犬がおそらくミスで凍死して泣いてしまう子。下記の本の感想を書いているときに見つけました。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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何度聞いても親父が漢語〈冻过去〉〈已经〉〈老常〉〈巴不得〉など漢語を混ぜて喋ってるように聞こえます。チベット語の部分はサッパリサッパリなんですが。

頁219、「漢学の先生」をチベット人に説明するのが実に難しく、「中国語の先生」ではないと何度言っても相手はピンとこず、とうとう「中国文化の先生」で妥協点を見出したというのが、そうかもなと思いました。チベット語のイチ、ニ、サンも、日本語やハングル同様、漢語由来のフチク、ニ、スムですが、それとは関係ないのだろう。というか、ベトナム語のイチ、ニ、サンであるモッ、ハイ、バーは、なんであんな漢語と違うんだろうと思います。タイ語のヌン、ソン、サム、シー、カーだって漢語由来に思えるのに。

漢学について教えることは出来なかったわけですが、岡田英弘ほかが唱える、三国時代にそれまでの漢民族はほぼ全滅して、別の連中にとってかわられた。連綿と日本人が学んでいるのはそれまでの高貴な文化であり、それ以降のヤドカリ民族の文化ではない、をチベット人に説明し出すと、「先生、そのヤドカリの中には、吐蕃や吐谷渾、羌族も含まれるのでありますか?」と非常にしどろもどろな展開になる可能性もあると思いました。「漢学の先生」の後すぐ、「端渓の硯」が出てきて、中国文化に何の興味もないチベット人生徒たちにまたまたその意味の説明につきあわせたので、ゴクローサマですと先生は心の中で思ったとか。

頁224、坊ちゃんが「色町」の入口にある団子屋で団子を買うと、教師の行動が筒抜け社会なので、生徒たちによからぬ誤解をされてみんなニヨニヨする場面を翻訳するにあたって、まず「色」という漢字の持つ意味を理解する漢語堪能な生徒が反応し、さらにカンの良い生徒も反応し、チベットでも門前街には売春業がおさかんであることが分かるのですが、私には頭では理解出来るのですが、実際に自分が行った大寺院の前の風景の何処がそういう店なのか、何度思い浮かべてもサッパリ分かりませんでした。漢族の床屋売春のようになまめかしいライトや〈洗头按摩〉の看板があるわけでもない。チベット人同士ならピンと来るのでしょうが、いやー分からない。チベット人男性は性交前に、相手が性病にかかってないかどうか、性器を目視確認して、性病が分かると性交しないと聞いたことがあり、女性に同様の権利はないのかと聞くと、考えたこともない様子だったのだけ、かろうじてそれっぽいエピソードとして思い出しました。

坊ちゃんの「色町」は、女生徒の許諾を得て、「マル・ンツォン・カン」という単語をあてたそうです。公安によって壊滅させられたといわれるセルタとかあの辺の、草原に忽然と出現した僧院と街に行けた人は、アムド語会話のテキストの「私はクンブムに行きたいです」の「クムブム」を「マル・ンツォン・カン」に置き換えて試してみてもよいと思います。今テキスト読んで、私は「私は」も「~に行きたいです」も全く読めへんかってん。

頁250に「ジャヒ」という生徒がふたり出てきて、これ、ザシダワ(タシダワ)のザシじゃないかと思いましたが、スルーされてしまいました。ツェラン・トゥンドゥプの『ラロ』などには、漢語訛りのチベット語なる表現が出てくるのですが、それにさらにアムド語のクセが絡むというカオスを想像しました。

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このジャヒと、その次の女子生徒が落第する話はとってもおもしろかったです。今の日本の高校全入時代の高校生に聞かせてやりたい。といっても今の高校生も、まったくついていけないのに中退も不登校もしないで卒業する子はそれだけでほめてしかるべきなのかもしれませんが。

膠着語の回廊ーおわりに」まで読んでも、楽観的になる要素はひとつもないのですが、しかしこの日本語教師の先生がチベット語の文語文法とアムド語の対照関係を指摘したことが発端となって、頁192と頁275、アムド語口語文法という画期的な本が書かれるなど、相互交流の生み出した成果はそれはそれであるわけです。悲観的にしかならない状況下でも花は咲く。咲かすことは出来る。以上

附:九月には読み終わってた本なのですが、ファンファン大佐やラシャムジャ『雪を待つ』のように書きかけのまま時間が経ってしまい、ただこの本はまだ読書感想をあげてないかったので、諏訪ほかに持ってきて、なんとか感想を書きました(当初感動した部分はあんまし引き写せてない気がしますが、もう仕方ない)太田にも持ってってたのですが、太田では何も出来ず、今回の旅行でやっとです。書けて良かった。