『北京のひとり者』《耿爾在北京》陳若曦著 竹内実訳 "Keng Erh in Peking" by Chen Ruoxi(Jo-hsi)読了

津野海太郎サンの『歩くひとりもの』を図書館で検索した際に出た本。これも何かの縁なので読みました。

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北京のひとり者 (朝日新聞社): 1979|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

カバー、各章扉に、中国の切り絵(剪紙)が使われています。中表紙だけ見ると、ドクトル・ジバゴ(映画)みたい。装丁 多田進

訳注と訳者あとがきあり。表題作については、作中の不明点等に関する作者と訳者間のやりとりが作品に反映されたが、そのほかの作品に関しては返信が間に合わなかったため、ちょっといろいろ食い違いがそのままです、としてます。謝辞に出てくる編集諸氏の名前の数が尋常でなく、福島紀幸、山形真功、川口信行、青木繁杉山正樹、毛利一郎とズラズラ並んでいます。朝日新聞週刊朝日、アジア・クォータリー、中央公論、文芸の各誌だとか。ほか匿名諸氏の協力もあったとか。なぜそんななのか(出版のゴーサインもなかなか時間がかかったとか)というと、著者の陳若曦サンが台湾本省人で、新中国建設に憧れて米国ジョン・ホプキンス大学卒業後祖国の懐包に帰ってどうのこうのするも、その時期が1966年で文革突入ど真ん中だったため、二年間北京のホテルに隔離というか待機で、その後南京の水利学院で英語を教えたり、学校付属の託児所で働いたりしたのち、

頁231 訳者あとがき

 ーーこの作者はアメリカに留学して、中国(中国本土)にいった。しかし、中国の生活にきりをつけたくなって、出国しようとしたが、なかなか許可がもらえなかった。

 ニクソン訪中以後、海外の中国人学者が訪中するようになって、周恩来がそうした学者を引見して話をした。周恩来は、中国に帰ってきて、祖国建設に参加することを歓迎するといい、いつでもきたいときにきて、帰りたいときに帰ってもらってよい、と言明した。

 すると、その学者は、実際はそうじゃない、と反論した。驚いた周恩来が質問し、学者が、作者夫妻の名をあげた。周恩来はすぐ出国を許可し、作家一行は、正式の許可をもらって、ホンコンにでた。……

 いかにもありそうな話である。

本書の最初の英語版を訳したシモン・レイという人の英語版序文によると、中華民国台湾では当初彼女の著作は発禁で、その後ところどころ削除した上で反共作品の一環として出版することになったとか。そりゃ朝日新聞のしとが、自社で出すかどうか腕組みするわけですね。本書の最初の台湾版は遠景出版社から出たそうです。

陳若曦 - 维基百科,自由的百科全书

Chen Ruoxi - Wikipedia

日本語版ウィキペディアはありません。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Chen_Ruoxi.jpg/500px-Chen_Ruoxi.jpgいつの写真か分かりませんが、英語版ウィキペディアに載ってる作者。現在83歳だそうです。

以下各話感想。

晶晶チンチンの誕生日』《晶晶的生日》"Chairman Mao is a Rotten Egg"

幼稚園の子どもが反動スローガンの妄言こいたというので学校がチビしく調査して録音して保存文書(档案)で将来にキズが残るかもで、という。何と言ったかは、英題がそのままネタバレ毛主席是坏蛋でFA、没错です。作者が南京滞在中の出来事だったようで、ハズは江蘇の五七幹部学校に行っていて不在、下の子を妊娠中。農村から来てもらっているお手伝いの安ばあさん(安太太)隣家の王ねえさん(王阿姨)とその子の冬冬も巻き込んで、てんやわんやの犯人捜し。外国帰りの帰台同胞が文革期にお手伝いさん付きで暮らしてるというのは、目をつけられやすいけれど、薄氷の思いでまあまあの水準の暮らしだったのではと思わせます。

「王傑に学べ」の注で、原文の名前の〈杰〉は「傑」の簡体字だからね! とわざわざ書いています。簡体字ゲバ字トロ字に混ざりゆく時代への異議申し立て。

頁30、「五七」幹部学校が「五七」の道になるあたりがいまだによく分かってません。毛沢東がそう云ったそうで、原文は「五七道路」さっぱりさっぱりです。

kotobank.jp

家族調査』《查戶口》"Residency Check"

これもたぶん南京の話。文革期にあるまじき、シャレオツな婦人が、知識人の宿六、うっかりぼんやり、すぐ批判されて五七ほかに送られるハズのいないまに、男をくわえこんでいるだ、現場をおさえて自己批判の嵐をするだ、という。そのアマも根っからの淫乱だったわけでなくて、誰にでもコナかけて地位の力でモノにしてしまう党支部書記の毒牙にかかったですじゃ、みたいなくだりもあります。竹内実の邦訳は、本人がどこまでやったのか分かりませんが、子どもは子どものしゃべり方、田舎のひとはこういった役割語で、子どもの中には、あろうことか関西弁話者までいます。中文は表意文字ですので、ロシア語とウクライナ語が同じキリル文字でありながら方言差を如実に写し取れるのにくらべると、福建や広東のように独自の漢字を当てる以外、あんま発音差を紙の上に写し取れず、「ハオラ」であっても「ハオレ」であっても"好了"としか書けないわけなので、どういうつもりで多種多様な日本語口語を取り混ぜたのか、特に役割語について、知りたい気もします。漢字の字ずらだけ見ていても、農民の口が重いききとりにくい訛りが、聞こえてくるレベルだったのだろうか。

頁51、「一発やったろか」という単語が出ます。いわずとしれた玉田の邦訳なのですが、上海人と思われる例のシャレオツねえさんが口にしてるのがみそで、「ホントに、一発やったろかだわ!」 竹内実さんは注で、原文の〈第一次听到女人用三字经,我吓了一跳〉の三字経が、他・媽・的の三文字ナンデスヨとわざわざゆうたはります。

同様に、頁61の「めんどり」は、原文では〈芦花母鸡〉で、食肉用のプリマスロック種のメンドリなんですよ、とわざわざ付記してます。横に銀色の筋が入っているので、蘆の花のように見えるんだとか。

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この箇所では、シャレオツねえさんは、工場の近くに農民がいいのをおトクな値段で売りに来るので、よかったら譲りますよとまで言うのですが、主人公の作者は借りを作りたくないので断ります。で、ドタバタ紆余曲折あって、ねえさんの宿六が農村から帰ってくるときにもねえさんはめんどり買ってくるのですが、それはおそらくもうタマゴを産まなくなったようなとしよりの味の悪いめんどりで、特に蘆の花がどうとかいう書き方はしてなかったとか(しかし彼女は上機嫌で鼻歌歌いながら毛をむしる)

この話のオチは、中国人のシカトのしかたの基本中の基本講座で、視線をそらさずにっこり笑って会話しないというパターンです。顔をそむけて目線をあわせないような底の浅いシカトはしないのよ、という。相手に不快感を与えない笑顔で、しかし挨拶も会話もしない。これ、私とケンカしたある中国人が私の知人の日本人にこれをして、知人は、ああこの人はもう交流を切ったんだなと思ったことがあります。知人には申し訳ないことをした。

尹県長』《尹縣長 / 尹县长》"The Execution of Mayor Yin"

これも英題が語ってしまってます。陝西省南部、秦嶺を越えた興安という県城で、民にとってよさそうだからという理由で国府から八路に寝返った部隊の隊長だった人が、マルクス・レーニン主義〈马列主义〉はよく分からないといってるうちに、政治の足の引っ張り合いに巻き込まれ、さいごは、親戚の若者が紅衛兵になって造反で裏切られ、失意のうちにという話。半坡の出土文物がどうこうなどというオカズが最初に入るので、陝西南部の、緑の濃い描写を読んでいると、秦の長城あとやら、顧頡剛のエッセーやら、高行健『ある男の聖書』やらが思い起こされ、悲惨な話とうらはらに、みずみずしい気持ちになってしまったりします。

kotobank.jp

ラクターをトラックターと書いてますが、トラックは"truck"でトラクターは"tractor"

「track」は「truck」に音も意味も似ていますが、やはり「... - Yahoo!知恵袋

任秀蘭』(蘭=)"Jen Hsiu-lan"

頁124、超英という女の子のせりふが関西弁に訳されています。

「ウチの大きい姉ちゃん、あの人と同じ学級だったんや!」

"我大姊跟她是同班同学哩!"

「まえは、いつもジープで学校にきてた。たいしたもんやった! いまは歩いてきてる。しょんぼりして、だれとも口をきかん」

"以前她都是坐小吉普车来上学的,好神气! 现在只好走路了,灰溜溜的,跟谁都不讲话。"

「ウチの姉ちゃんの先生がいわはったって。みんなでよく見張ってなさい、自殺するといかん、いうて」

"我姊姊的老师说,大家都要看牢她,怕她要自杀呢!"

〈哩〉や〈呢〉があるから関西弁とも思われないのですが、〈跟〉の位置やら〈姊〉やらひっくるめて、関西弁になる要素を誰か教えてほしいです。呉方言の要素が大きいから関西弁にしてると思うのですが、分かりま千円。

『同志少女よ、敵を撃て』ではないんですが、十四歳でゲリラに参加して(たぶん抗日遊撃隊)、十六歳で入党して、太行山脈で暴れまわった女傑が、作者の働く水利学校の党委員会書記で、権勢天にも昇るなんだかどうなんだかだったなのですが、文革でもちろん失脚しまして、軟禁状態で毎日学習させられていたのですが、その彼女が監視のスキをついて脱走しましたという話です。

太行山脈 - Wikipedia

頁131に「長スネ将軍」という単語があり、ナガスネヒコのわけもなし、縮地将軍金日成みたいな単語かなと思って原文を見ると、〈长腿将军〉とあり、辞書にない単語みたいですが、どうやら「逃げ足の速い将軍」くらいな意味のようで、検索結果では二名そういう将軍が出ました。

baike.baidu.com

1937年,抗日战争爆发后,任国民党第一战区副司令长官兼第二集团军司令。在平汉路战役被日军打的一溃千里,被讥笑为长腿将军。

www.sohu.com

上の人は、『ラノベの日記』否、『ラーベの日記』にも出てくる元民國サッカー代表選手の将軍だそうで。

頁131、水利学院の西の丘を「マレー山」とみんな呼んでいて、真実のマルクスレーニン主義者たちが労働者毛沢東思想宣伝隊の根拠地を置いていたので「マレー山」と呼んでいたとのことですが、マレーシアのマレー〈马来malai〉とマルクスレーニンの略語の〈马列malie〉はぜんぜんちがうから洒落にならないんじゃんと思いました。原文は〈馬列山〉マレーとひっかけた洒落の意味が込められているのかどうか、ネイティヴでないので分かりません。

原書にはもうひとつ、『宿直』《值夜》"Night Duty"という作品があるのですが、邦訳には入ってません。そこまで入れると分厚くなるので入れてないだけの理由だそうです。で、作者の中文版ウィキペディアにもこの作品名はありませんが、なぜかウェブでぜんぶ読めるこの作品集の中文版には『宿直』も入ってます。

www.yodu.org

簡体字版もあるのですが、繁体字版と簡体字版の関係性がよく分かりません。

尹縣長- 耿爾在北京_有度中文网

尹县长_耿尔在北京 - 悠读文学网

Execution of Mayor Yin - Wikipedia

英訳短編集には、第二短編集から『ニクソンの記者団』、それと、原題不明でなんだか分からない"Big Fish"が収められています。

北京のひとりもの』《耿爾在北京》"Keng Erh in Peking"

英題の人名はウェード式。ハッハッハッ。メロドラマです。海外から帰国した研究者が、まさにその海外から帰国したという理由ゆえに、中国で晩婚どころか釣り合いのとれる相手が見つからないまま年をとって、という話。訳者あとがきで、当時の北京の風俗がたっぷり描かれているので、夢中になって読んだということばはダテではないです。東来順で涮羊肉を食べるのにハマって、気ままな独身なので、通い詰めるのですが、おひとりさまの孤客で涮羊肉食べる人がいるのか、食べれるものなのかという時点で目からウロコでした。孤独のグルメにも涮羊肉出てこないですよね、今のところ。松重豊北京に行かないし。そうか~涮羊肉ひとりで食べれるのか。ひとり鍋なのか。

なにしろ向かいの席にも相席で一人客の老人が座るのですから、ひとり鍋が確立されていることは論を待たないです。社会主義配給制の時代ですので、東来順も二部制営業で、それぞれ二十名の予約しか受け付けてないのですが、そこは当然コネで仲良くなった回族の師傅に券を確保してもらっており、沒問題です。

頁153

「熱いうちにおやんなさい! 竹葉青を四両ばかりどうです?」

"趁热吧! 要不要来四两竹叶青?"

“不好劳驾,老鲁,我自己来”

「手数をかけてはすまん。魯さん、自分でするよ」

酒はカウンターに自分で買いに行かねばならず、そこまで知り合いの店員の厚意に甘えるのはどうかという場面です。100g200g買うということは、量り売り。別の服務員が、あの有名な接客、お釣り投げつけをする場面もあります。“唉,这服务态度!”老人摇头苦笑,莫可奈何地坐下来。“算了吧“ 耿尔劝慰着,(後略)別のページでは百貨大楼で缶入りクッキーを「売らない」と服務員に断られたりしてます。すばらしいですね。しかも、そのデパートが、〈西单〉でなく〈东单〉なのも、よくぞそっちを選んでくれましたという感じで、好もしかったです。また、外食の多い主人公は、マイアルコールと脱脂綿を持参してて、テーブルの下でこっそり箸と皿をアルコールで拭いて消毒してから食事してます。なんでか書かなくても分かると思いましたが、書きますと、もちろん肝炎予防のため。さすが海外帰りの研究職。というか、外食は肝炎に気をつけろとは、のちのちの90年代でもまだかなーり言われていたこと。

最初のお相手は高嶺の花というか、首都の模範労働者家庭の、こんな若い娘は、外国帰りの一回り以上年上の男性とは、釣り合いがとれなかろうよ、と思いました。その彼女が、北京ダック(邦訳では「烤鴨カオヤー」と記し、注釈で、外国ではペキン・ダックという、とつけ添えています)なんていなかものをたぶらかしてるだけで、北京っ子は当然涮羊肉ですよ、と言って、年末奨励金で涮羊肉をリーオゴしてくれるのが、主人公耿爽、否、耿爾サンの涮羊肉はつたいけん。主人公はコーヒー党なのですが、友誼商場やらコネやらであっても、当時の北京でそんな旨いコーヒーをそうそう入手出来たんだろうかと、そこは想像出来ませんでした。はやばやとお茶党に切り替えた人や、ネスカフェエクセラにいつも飢えていた人とかなら、分かります。

この小説は、北京の風景もさることながら、それは、美人の産地で*1外国人の中国団体旅行に必ず入ってくる競輪、否、桂林の描写が対比として実に生き生きと描かれているので、それでどちらも印象に残るのだと思います。ふたり目のお相手が、桂林の女性で、まーなんとなく、社会主義時代にありがちな行動?で、仕事を休職状態にして北京のツテの家に長期居候ちゅう、の遊民。ウィドウだったかな。やはり年下ですが、最初の子よりは離れてないです。この女性は南方人なので羊肉なんか食べませんが、外国家電製品の冷蔵庫や船便で持ち込んだベッドには興味津々でした。主人公は、こっそり、これらもまた大変だったんすから、文革だし、と心の中でぐちります。

この二人目の女性と漓江下りを陽朔までするのですが、なんとお忍び旅行中のハン・スーインご一行と遭遇するのです。これ、作者の実話じゃないでしょうか。「慕情」でお馴染みハン・スーインのパートナー、インド国軍大佐ルトナスワミ "Vincent Ratnaswamy" が漢語世界では〈陆文星〉で紹介されていたので、《参攷消息》を読んだ主人公のツレが、陸サンだから中国人だと思っていたのにインド人みたい、としゃべる場面が、すばらしいです。陽朔をヤンクショーと呼んでいた白人たちまで思い出されてくる。

韩素音 - 维基百科,自由的百科全书

主人公たち中国人観光客の乗ってる船のエンジンを、エンジントラブルの〈外賓〉ハン・スーインご一行のモーターボートと入れ替えて、それでその時点で主人公たちの漓江下り遊覧旅行は中止となって、四十余名の乗客は、船ごと川の真ん中に取り残されます。ここも含め、〈外賓〉という単語は、なぜか訳さずそのまま使われているんですね。「外国からの賓客」というふうに訳さず、そのまま〈外賓〉を日本語の文章にねじこんでる。〈愛人〉は一ヶ所だけ、そのままねじこんでますが、アイレンとルビを振って、愛人バンクの愛人じゃないデスヨ、と分かるようにしてます。でも〈外賓〉は、分かるやつだけそのまま「ワイビン」と読んでくれよ、って感じ。竹内ピストル。竹内実のガチンコファイトクラブ。外宾waibin。

東来順でも、〈外賓〉が二階の外国人用席に案内される場面があります。华侨。庶民は上の階は覗けないので、何が違うんだろうと憎しみながら妄想をたくましくしますが、主人公は北米の研究機関で働いている友人が彼に会いに来中した際利用してるので、サンビスは過剰だが、料理はいっしょだと知っています。私も外貨兌換券時代に北京ダックの全聚徳と上海豫園の緑波廊に行ったですが、もうその時代だと、中国人向けの席の方が安いからそっち行きたいよう、外国人用はボッタだし、料理も、白人なんて味音痴だろう的に手を抜いてそう、てな時代でした。

この小説は、メロドラマなので、彼女(ふたりめのコワンシーガール)の身分がよくない、黑五类の地主階級出身なので、外国帰りの主人公にふさわしくないという理由で、ふたりの結婚申請がたなざらしのまま時が過ぎ、そして、シェルブールの雨傘のようにオチます。シェルブールの雨傘に国家権力の介入という要素を入れたらこうなっちゃいますた、って感じ。

本書は、人名はなべて有気音無気音は清音濁音にあらずルールのカタカナで、マオツォートンだったりリンピァオだったり、今の新聞がそこまでやらない当時の人名までカタカナにしています。あのころは、将来それであちらも邦人の名前を日本語読みで読んでくれるんじゃいかと思ってたのかなあ。まあそううまくはいかない。

竹内実 - Wikipedia

竹内実サンは、陳若曦さんが序文で述べた、中国人の尊厳は、いかなる専制政治制度によっても変えられるものではない、という部分に激しく共鳴したそうです。この頃の竹内さんは、いかに文革がヒドいものだったか、あちらの情報を読み漁ることに血眼になっていた時期だったようで、もうどうしてよいか分からない、

訳者あとがき

ーーわたしの心のなかに、わたしの中国がある。これを相手にしよう。

という状態になっています。現代の21世紀でも、「天安門事件なんてなかったですよ、みんな外国のプロパガンダです、私は情報を見たんです」みたいに言う在日中国人を見るたび、同じ思いになることがありますが、それでいいんだか悪いんだか(悪い)

中国人は専制政治下でも活路を見出す、かどうか分かりませんが、ファンファン大佐の『武漢日記』帯に内田樹サンが寄せた文章を思い出しました。そうそううまくはいかないと思うんですけどね。現政権は、加害者なのに被害者にまざって、十三億総ざんげ、みんなが大なり小なり被害者だった、の論法で、加害者なのに被害者ヅラをして文革後半戦以降の傷痕時代を乗り切った連中の政権だそうなので。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

地元の図書館は、大量の中国関連の寄贈書がかつてあったのかな、それで新井一二三サンの香港時代の書籍なんかも読めたのですが、これはそれとは別に、図書館が所蔵を続けた本みたいです。もってていただいて感謝。アマゾンで¥150の出品があっても、しらなければ入手しようと思わない。感謝。以上です。

*1:いや、棺桶の産地だったかもしれません