『シルクロードを行く ―新疆のブドウとワインを訪ねて―』"Go on the Silk Road. : Visit Xinjiang Grapes and Wine." by Ishii kenji 読了

シルクロ−ドを行く : 新彊のブドウとワインを訪ねて (山梨日日新聞社): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

写真と装丁が誰なのかメモするのを忘れました。石井さんはサントリーに長年勤務された方で、トップの佐治敬三と中国八大元老のひとり王震サンのつながりで、八十年代後半から九十年代初めまで、ウルムチとクルマーイのあいだくらいにある、石河子というところでブドウとワインの技術指導を行いました。1993年に築地書館から出された本を偶然読んで、面白かったので、前書である本書も読みました。いやー、神奈川県にも東京都にも図書館蔵書がなかったので、甲府まで行って読んだです。無事読めてよかった。

頁318 あとがき
 (略)生まれは、千葉県松戸市だが、サントリー山梨ブドウ栽培研究所での研究生活が長く、「山梨は第二の故郷」という著者の思いもあり、「山日ブックス」として、本社から出版する運びとなった。
一九九〇年五月 山梨日日新聞出版部 竹田十九平

一ヶ所、誤記というか、段落が前後してる箇所がありました。あと、本書の特徴は、せりふとせりふの間の地の文を、ひともじ空けて、下げて書いてないことです。山梨日日新聞のルールなのか、作者の意向なのか。

あとの本のほうが、賓館の部屋の壁に盗聴穴みたいのがあるとか、国内線が解放軍基地に不時着したらそこが放射能漏れしてるともっぱらだったとか、トンデモエピソードはパワーアップしており、本書は、現地の農場と工場に対しての苦言、厳しい指摘が多いです。現地は最新の設備さえあればワイン先進国と同等にやれると思ってるが、それ以前に今ある設備を清潔に整理整頓して、無駄を省いてやるべしと。文革の多収量は善みたいな考え方でロクに摘果せず収穫してるので、収量の目方はいいが混ざってるクズが多く、せっかくブドウ栽培に最適な土地なのにもったいないとか、そんなの。

頁1 はじめに
 新疆は正しくは新疆維吾爾自治区といい、文革のあとに成立した中国で一番西に位置しており、日本からもっとも遠い国である。(国、といったが、このわけには本文中で触れる)

天山山脈は日本列島がスッポリかくれる大きさ(頁14)で、その南北に広がる広大な東シルクロードに、昭和五十九年(一九八四)「中国新疆農墾農工商総連合公司」と改称後もそれまでの通称で親しまれている(誰に?)新疆生産建設兵団が各地に点在している。下記は本書の各師団所在地と、その本書でのルビ。

アクス 農一師 あくそ
コルラ 農二師 くるら
カシュガル 農三師 はしゅがる
イリ 農四師 いり
博楽 農五師 ぼーら
五家渠 農六師 うーちゃちゅい
奎屯 農七師 くいとん
石河子 農八師 しーはあず
塔城 農九師 たちょん
北屯 農十師 ぺいとん

兵団本部は烏魯木斉市光明路(くあんみんるー)兵員数二百五十万人。総司令員(官)陳実(ちぇんしー)

P19
 新疆兵団は半軍半民の巨大なコンツェルンである。前記十個師団はそれぞれ農業生産体制を整えて農場をつくり、牧場、工場、漁場、商場をつくり、病院、賓館も経営している。師団のあるところは師団そのものが都市となっている。
 師団合計で大、中、小学校が二千七百七十八校におよび、各場百六十九カ所となり、耕地面積は八千三百七十㌶に達している。水利の長さも五万二千二百㌔を超えている。

石井さんが主にいたのは石河子で、解放軍が駐屯する前は何もなかった、まさに屯田都市なのですが、現在は教育機関も充実する、それなりの都市のようです。本書時点のように、載ってない地図もあるということは現在ではないでしょうが、観光で行くところでないので、そんなに旅行で行く人はいなさそう。

Google マップ

頁54
 午後の時間を狙って電話を申し込むと、意外に早くかかることがある。日本にはニ十分でかかったことがあった。軍用回線を使うから早いのだと聞いた。

上は、軍都ならではの記述。日差しが強いので、国家当局から禁止されても(当時)シエスタをやめなかったとか、所謂二時間遅れのシンジャンタイムが来訪当時まだなくて、北京時間で暮らしてるので夜十時になってもまだ外が明るくて、散歩ばっかりしていて、そうすると賓館の服務台のチャンネーが、出るとき必ず"你散步吧"と言ってくる箇所。サンブーだから、すぐ覚える単語なので、それくらいの打招呼しか意思疎通がないけれど、無視はしないという。

頁29、瓶の栓抜きがうまく開かないので日本から持参してあげたとあり、当時の中国って、ライターを使って器用に開けたり、二本の瓶の栓と栓をうまいことはめて開けたりしてなかったっけ、と思いました。留学生がそれを覚えて、帰国後居酒屋バイトでそれをやって毎回オオウケしたという話も聞きました。ここは、冷蔵庫があるのにまだぬるいビールの習慣の現地で、冷えたビールを要求する箇所からのつながり。

頁30、毎回油っこい調理法なので、市場で見る新鮮なホウレンソウを(おひたしにしようと思って)ゆでてと厨房にいったら、切らずに根もとらずにゆでたとか。キュウリの漬物も煮た肉も、キレ味良く切ってない。包丁研がずに力で切ってないかという箇所。で、ときどき骨片まじり。しかし、そこに続けて、ちゃんと切るときは切ってると書いてます。

頁31
 しかし乱暴な調理だけかというとそうではない。油でサッと炒めた素土豆糸すーとーどーす(ジャガイモの千六本)などは見事な細さで斉一だし、皿に盛り上げられたモヤシは、一本残らず根が切ってあるのには驚きだ。モヤシの根切りなど私の古女房は面倒くさがってしたこともない。また、ゆでたピーナッツが、皿の上に一つひとつ同方向に山盛りされているものを見たときには、これは丁寧なんてものじゃないと、積み上げる手間とその気持ちに黙って脱帽したものだ。

盛り付けの手をちゃんと洗ったのかとか言いたいが、こういう仕事をえんえんやらされる中国人もいると思うと、もくとう、といったところだったとか。

頁46に映画の広告看板の写真があり、《金猴降妖》と《瓦尔特保卫 萨拉热窝》と書いてあったので検索しました。前者は中国国産アニメ、後者は第二次大戦を描いたユーゴ映画。

西遊記 孫悟空対白骨婦人 - Wikipedia

www.youtube.com

上の動画は、誰かが勝手にあげたものだと思うので、そのうち消えるでしょう。予告編だけ挙げたかったのですが、見つからず。

瓦尔特保卫萨拉热窝 - 维基百科,自由的百科全书

Walter Defends Sarajevo - Wikipedia

www.youtube.com

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/zh/9/93/Valter.jpgこれもたぶん勝手にあがってる動画、私としてはトレイラーだけでいいんですが、見つけられず。

頁86
 強い日差し、肥えた白い砂壌土、豊富な灌水、伸びる樹勢、有機肥料、晴天続きなどの条件から、新疆はまさにブドウの最適地であり、放っておいてもブドウはできてしまうところである。まさに天恵の地というものだ。
 南米から帰ったときも、アルゼンチン、チリではブドウはできてしまうもの、日本ではつくらなければできないもの、と感じたが、新疆ではさらに強く印象づけられた。

石井さんの写真も載っていて、けっこう押しの強い人物に見えます。理系なので、ゼロサム思考も徹底していて、こういう人が日本を支えていたんだなと分かります。下記は、工場に日本製のミノルタのカメラがあるという箇所。

頁103
「私の家に置いてある」
「なに! どうして自宅に置くのか。研究員が自由に使えないじゃないですか」
張は不思議そうな顔をした。自分の家に置いてなにが悪いという表情になった。
「これは国家の予算で買ったんでしょ。それなら私物ではない。誰でも使えるように試験場に置かなければいけない。私もこんどは借りるから試験場に置いといてくれ」
「試験場に置くと皆でこわすから駄目だ。私の家に置く」
「そりゃいかん。こわれたら直せばいい。張場長のものじゃないのだからここに置け」
ブドウの糖度計も自分の家にしまってあるので、研究員は借りにくいという。
しまいには私も怒って
「カメラも糖度計も試験場に置け」
といった。
どうも公私混同が気に入らない。区別がないのである。
ある日、張が自宅に招いてくれた。器に盛ったブドウが山になっている。リンゴも立派なのがある。
「これは張場長が作ったのですか」
「そうだ。試験場から持ってきた」
私は自家用に自分の屋敷で栽培したものだと思っていたので
「じゃ、これは試験場のものですね」
「そうだ。一番いいものをとってきた」
「それなら張場長個人のものじゃない。試験場に金を払ったのですか」
張は困惑の態である。
私を接待してくれるのはありがたいが、立場を利用してとってくるのは泥棒ではないのか。
「そうでしょ、張場長」

これ、分かるんですが、前半の、工場長の、壊すからしまうという考え方も分かる。中国だから乱暴に扱って壊すわけでなく、日本でも日本人で、責任感のないものは粗略に扱って簡単に壊す。で、名乗り出ない。今の私の職場を見てるとよく分かる。若いゆとり世代がそうなのではなく、今の五十代六十代でとんでもないのばっかし。バブル世代だからなー。で、そこで、上の人間の腕の見せ所になるわけですが、これがねー。要するに、壊れた後で、修繕費とか交換費とかが潤沢にあって、交換部品や新品がすぐ入荷出来ないと、直らない。壊れたまんまで。どんどん荒んでくんですよ。壊した人への〆は〆として、ディシプリン、規律を重んじなければなりません。それとは別に、ちゃんとメンテ出来てさすてなぶるな運用が出来るかどうかは、補給のもんだいもあります。舶来のミノルタのカメラなんか購入して、当時の新疆の省都以外でメンテし続けられるわけがない。身の丈にあったインフラ整備がたいせつです。『チベット語になった「坊ちゃん」』という、青海省日本語教育の本に、学校の図書室には日本語の寄贈書籍がうなるほどあるのに、破損や盗難をおそれてカギがかけられてほとんど開室時間がなく、著者が怒り狂う箇所がありますが、それも想起しました。

摘一颗葡萄罚款拾元

上のふだは、「顆」が繁体字です。

石井さんは生産兵団総経理陳実サンのキモ入りで、新疆各地の工場を視察巡回し、米国高官にも解放されなかった陸路での天山山脈越えを外国人で初めて?達成したとおだてられたりするのですが、そこでも、上がしっかりしてると下もキビキビ動くが、上がコネにんげんだと、その工場はきたなく、ダラしないと看過、否看破してます。むかしマンションの工事現場に什器の搬入のアルバイトをした時、長谷工アーベストだったかな、現場をまったく仕切れず、崩壊してる現場があって、打ちっぱなしのコンクリのフロアのそこここに梱包材を二次利用したテントで暮らす東南アジアからの出稼ぎ人夫がいて、捨てられたカップラーメンの汁がコンクリにしみこんでいて、上から仕上げをするからいいや、みたいな考え方で見て見ぬふりをしてたのか、惨憺たるありさまでした。焚火のあとまであった。

まあそんな話は一部で、本書も、愉快な話が多いです。

頁124
 小鳥の好きな医者がいた。鳥籠に入れて散歩していると、おばさんが走ってきた。「娘が病気になった。診て下さい」と手を引っ張って家へ連れて行った。医者は鳥籠を入り口に置いて二階の娘の部屋に入ったが、鳥が心配で仕様がない。娘を診ながら「猫は…」ときいた。とたんにおばさんは赤くなってモジモジしながら「ええ、少しばかり生えています」。

上記は、「毛」も「猫」も、声調はちがうがおなじ「マオ」なので、それをあげつらったギャグ。なぜか石井さんが通訳に日本語で話して、爆笑させています。下記は通訳のエピソード。

頁125
曹の前の通訳の谷陽は愉快な男だった。私がおぼつかない中国語を言うと
「それ、近いです」
と直してくれた。しかし別のことを言っても同じように「近いです」と言ってくれる。ヘンだなと思いながら
「近いって、どう近いんだ」
「全然近いです。相手には分かりません」
「それは『違い』の間違いじゃないのか。近いというと合っているということになるぜ」
「ハイ、そうです。近いです」
「違いだよ、チガイ」
「そうですか。近いと違いはちがうのですか」
「そうだよ。今度から近いというときは鼻をつまんでいってくれ」
谷はそれから私の顔を見ながら鼻をつまんで「チガイデス」というようになった。
「石井先生、カルピスは発酵の味ですね」
「ホホー、谷さんは発酵がわかるのか」
「ハイ、発酵の味だと書いてあります」
「そりゃ初恋の味のことじゃないのか」
「チカイですか」
「違いだね」

下記も笑い話ですが、[足享]という単語が出ないので、弱っています。図書館にいたのだから、漢和辞典でも見ればよかった。

頁210
「なんですか、キジ撃ちっていうのは」
曹が聞いた。
「キジを撃つときはしゃがんで銃を構えるだろ。その恰好がトイレでの格好と同じだからそう言うんだよ。日本では主に山に慣れた人の隠語だがね」
「中国にもあります」
「ほう、どんな」
「輪[足享]ろんどんに行くって言うのですよ。輪は順番、[足享]はしゃがむの意味がありますから」
「そうか、なるほど。じゃ今夜はキジを撃ちにロンドンに行くか」(爆笑)

英国の首都なら〈伦敦〉なので、〈轮〉で、イコール「輪」で分かりますが、しゃがむでdunだと、〈蹲〉ジャナイノカナア。

しゃがむの中国語訳 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

頁224
 気管支炎とは隠語で恐妻家のことだ。よく煙草をすすめられるときに「気管支炎だ」と言って断るときに使うが、冷やかしにも使う。「気管炎ちーぐわんえん」も「妻管炎ちーぐわんえん」も同じ発音なのだ。

"妻管烟"かと思ったですが、変換候補だと"妻管严"です。

口絵の写真一枚。解放軍の芸能部隊移動中。この中に若かりし頃のキンペーちゃんのオクサンがいます、と言うと、それはウソです。

上の左下のような人が中年になって、日本でこないだ参院選から、チャンネル桜の党で出たという… なんて。たぶん別人でしょうけれど。口絵。石井さんは、解放軍居留地ぐらしが長いので、それほどウイグル語に精通しなかったようで、「ヤクシミシース」も「ヤクシマ」と書いています。頁180。屋久島(やくしま)で覚えていて、島の名前を度忘れする箇所。イスラム教のアホンに間違えられる箇所(頁186)でも、「アホー」と書いています。わるぎはないです。

頁163、巡回視察中、アクスの先でなにげなくカメラを出したら、スパイと間違えられて拘留された時の解放軍青年兵のことばは漢族でなかったので、通訳にもよく分からなかったとのこと。ウイグル兵をウイグルに配置するとも思えず、モンゴル兵とかチベット兵かなあと思いました。今読んでるチベットの本にも、解放軍のモンゴル騎兵が出てきて、楊海英の本だとモンゴル兵は漢族とちがって温情があることになっているが、現地での聞き取りでは、漢族兵より恐れられていたとあり、ちがうと書いてあります。

これ、ウイグルでなく回族ではないかと思うのですが、どうでしょうか。ウイグル人は既婚女性でもこんなにかくさない気瓦斯。カラフルなスカーフくらいなかんじで。

頁282
 烏魯木斉空港から北京に行く飛行機に乗るときは、税関を通るときに必ずパスポート提示を求められる。
 軍帽をかぶって青い制服を着た兵士が、鋭い目つきでパスポートを調べ、無言で返してくれるのである。
 新疆は中国の自治区だ。国内線ではないか。その国内線に乗るのにパスポートが要るとはどういうことだ、と思った。羽田から大阪に行くのにパスポートを見せるようなものだ。国内線で要るわけない。
 しかしここでは要るのである。北京に行くには国際線に乗るのと同じである。だから私は新疆は中国の中の中国、国だと述べた。国が違えば当然パスポートがなければ出られない。烏魯木斉空港から乗る中国人も全部、パスポート代わりの身分証明書を出している。

冒頭で新疆を「国」扱いしてる理由は上記で、石井さんは笑い話のつもりで、また当時はそれで受け入れられたと思いますが、今の愛国者だと、「ホントに外国なら、中国人もフージャオ(H音)パスポートじゃないデスカ、中国人はシェンフェンジョンだけで済むですから、やっぱり国じゃないデスヨ」とか、「日本もチョンシェン、オキナワでパスポートだったデスが、それやっぱり外国だからでしょう?」とか、やいやい言ってきて、閉口するかもしれません。

私はこういう写真をぜんぶ捨ててしまったので、あーくやしいなあと思いながら見てました。右の看板、いちばん左は切れてて漢字でも読めないのですが、それ以外は〈民族食堂〉〈牛肉面〉(〈面〉は麺の簡体字でもある)〈价格合理〉(適正価格)で、〈理〉が多少けものへんに見えなくこともなく、しかし狐狸huliと合理heliでは中国人的にダジャレになりにくいだろうから、他意はないと思うことにしました。

巻末に参考文献。終わりのほうに、関牧村(关牧村)という女性歌手が出てきて、写真も載っていて、石河子出身とあったのですが、今検索しても、そういう記載はありません。

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よく分からない、中国語ペラペラの白人タレントさんを集めたテレビ番組に出演する関牧村サン。

baike.baidu.com

关牧村 - 维基百科,自由的百科全书

満族で、河南省出身で、原籍は遼寧

関牧村 - Wikipedia

1983年、王星軍(新疆籍の映画俳優)と結婚し息子を儲けるも、お互いに多忙でまた性格の不一致から離婚[2]。

本人がではなく、旦那サンが新疆人なのかなあと。百度によると、甘粛省張掖の人だそうですが。

baike.baidu.com

ダンナサンは今はアメリカ在住とのことなので、なんしか中国的に不透明な、書けないことがあるのかもしれませんし、そんなことないのかもしれません。ここに、関牧村サンの代表曲を置くと、けっこう見に来る人がいることは分かるのですが、作ったような自然、九寨溝の近くの東チベットジャナイノみたいな風景と組み合わせた動画しかないかったので、ちがうものを置きます。中国語でドレミを聞くと、「レ」が"le"ですので、やはりちがって聞こえるという動画。

www.youtube.com

以上