ムカイダイスという人の本や、アブドゥレヒム・オトキュル『英雄たちの涙 目覚めよ、ウイグル』を読もうと思っていたのですが、根が軟弱なせいか、ついつい関連書籍で出てきたこの人の小説を先に読んでしまいました。装幀&本文デザイン 大森裕二
訳者の河崎みゆき(汉译:《深雪》)という方はこの後アストラハウスという出版社からも李娟サンの長編を訳していて、researchmapによると、國學院で修士まで終えた後、そんへえの华中科技大学で言語学で博士をゲット、同大で約八年か九年日本語学科で常勤講師、その後やはりシャンハイの上海交通大学同学科で常勤講師、帰国後は國學院で非常勤講師をされているとか。言語学がご専門なので論文も兵隊支那語だったり漢語における役割語だったり、“淘寶體”(ネットスラング?)だったりでした。例えば以下。漢語にもオネエ言葉(娘娘腔)があって、それが宦官の役割語として、歴史的に大衆演劇の中で強く民衆に認知されていたとは、知りませんでした。
「中国語のオネエ言葉をめぐる現象と特質」(日本語とジェンダー14号)2014年7月
https://gender.jp/wp/wp-content/uploads/2019/02/NGG_journal_14_kawasaki.pdf
本作に関しては河崎サンが在中時に直接作者にコンタクトをとり、邦訳の許諾を得、チベット文学の星泉さんがiPhoneで通勤途中にちょっとずつ邦訳を楽しんでいたのにも似て、iPad片手に仕事の合間の大学構内や、休日に旧仏租界のプラタナス並木のカフェに出かけたりして邦訳を完了したもの。その後、日本の出版社のヒキがなかったのか、北京の外语教学與研究出版社劉喆(りゅうてつ)サンによって中国作家协会の翻译出版基金による中国当代翻译工程助成を受けて出版の運びとなったとか。出版社のインターブックスという会社は知りませんでしたが、多言語翻訳関連でいろいろやってるそうで。
中国語で「黑管」。さてこれは?
— インターブックス (@interbooksjp) 2023年1月5日
とある楽器です。でも「黒い」「管楽器」いくつかありますよね。
執筆者の伊藤祥雄先生は、現在NHK出版様の『中国語!ナビ』にて連載を担当されております
【中国語講座】なんかいや|株式会社インターブックス @interbooksjp #note https://t.co/p9lX0nS4tD
ただし、おそらくコスト的な理由でしょうが、原著の三十四篇のうち、十一篇をカットして出版せざるを得なかったそうです。作者許諾済。漢文の漢字の羅列をかな交じりの日本語に読み下すと、それだけで二倍三倍以上にボリューミーになるので、やんぬるかな。おえん。
下記目次。邦訳出版されていないものはムラサキ色にしてます。してなくても邦題がないからすぐ分かるか。
自序
◎在喀吾图 ◎カウトゥで
《一个普通人》『ある普通の人』
《离春天只有二十公分的雪兔》『春からたった二十センチの雪うさぎ』
《喀吾图奇怪的银行》『カウトゥのおかしな銀行』
《我们的裁缝店》『私たちの裁縫店』
《看着我拉面的男人》『私の麺作りを見ていた男』
《喝酒的人》『お酒を飲む人』
《尔沙和他的冬窝子》 アルシャーと彼の冬の牧場』
◎在巴拉尔茨 ◎バラアルツで
《叶尔保拉提一家》
《河边洗衣服的时光》
《河边的柳树林》
《门口的土路》
《有林林的日子里》『林林のいた日々』
《巴拉尔茨的一些夜晚》『バラアルツの幾晩かのこと…』
《更偏远的一家汉族人》『もっと辺鄙なところに住む中国人一家』
◎在沙依横布拉克 ◎サイホンブラックで
《孩子们》『子どもたち』
《深处的那些地方》
《和喀甫娜做朋友》『カフナと友だちになって』
《带外婆出去玩》『おばあちゃんを連れて遊びに出る』
《外婆的早饭》
《补鞋子的人》/『靴を修理する人』
◎在桥头 ◎橋頭で
《秋天》『秋』
《狗》『犬』
《有关纳德亚一家》
《我们的房子》
《坐爬犁去可可托海》
《怀揣羊羔的老人》『子羊を懐にいれた老人』
《在桥头见过的几种很特别的事物》
◎在红土地 ◎赤い大地で
《在戈壁滩上》『ゴビ砂漠で』
《妹妹的恋爱》『妹の恋』
《拔草》『草を摘む』
《点豆子》
《金鱼》『金魚』
《三个瘸子》
《粉红色大车》『ピンク色のバス』
訳者あとがき――李娟と私
これだけガンガンに地名が書いてあるので、すぐグーグルマップ上で特定出来るかと思ったら、ほとんどテントを張るだけの放牧地のキャンプだったせいか、さっぱりさっぱりでした。ゴビ砂漠とあるのは訳注?にあるとおり、地名でなく砂礫砂漠の総称として出してるだけで、自序にあるエルティシ川とウルングル川は下記。
コクトカイ、富蘊県というあたりをあっちこっち牧民にくっついて移動商店として活動していたようです。
チャオトウ、橋頭に関しては、街中のようなので、こんなの出ましたというのが出ましたが、あとはさっぱり。
聖地巡礼とかないんかいというと、そういうブログもありましたが、やっぱりさっぱりさっぱり。
十三歳がバイクでサイホンブラックに行って来たゼというブログ。
ピンクバスの運行経路についての記事。
現在はそれなりにスキー場もあったり、観光村もあるようですが、どうなんかなあ。現地の夜景をドローンで撮った新華社の日本語ユーチューブの再生回数がニ十回だった。
作者の李娟サンは1979年生まれ。自序と本文だけ読むと、「実は、私はその前、学校で勉強し、その後また働きに出たので、あの家で暮らした時間はそんなに長くはありません」だったりしますし、例の寄宿学校っぽいので(週末だけ帰宅出来る、牧地の子どもを集めた学校)それだけでなく、デキがよいので、県城や省会の進学校に行ったのではないか、などと思ってしまいますが、百度を読むと、そういうことだけでもないようで。
李娟上中学时,因为没有户口,学校曾拒收她。高一那年,妈妈带李娟回到四川老家,做小生意赔了钱,一家人决定重回新疆。李娟转到富蕴县二中,后来索性退了学,跟妈妈学裁缝。她们的生意并不好,于是只好进入山野,跟着哈萨克牧人转场。在阿勒泰山区,她们开过小店,卖小百货。李娟也曾到乌鲁木齐打工。将近20岁时,她开始业余写作和投稿。
(グーグル翻訳)※カッコ内や取り消し線は私が付けました。
Li Juan さんが中学生のとき、登録された永住権(戸口)を持っていないという理由で、学校は彼女を入学させませんでした。彼女が高校1年生の時、母親はLi Juanを故郷の四川省に連れて帰りましたが、小さなビジネスでお金を失った後、家族は新疆に戻ることに決めました。Li Juan は Fuyun County の第 2 中学校に転校し、(あっさり)学校を中退し母親から裁縫を学(びました)ぶために↻レました。彼らの商売はうまくいっていなかったので、やむを得ず山に入り、カザフスタンの牧夫についていきました。アルタイ山脈では、彼らは小さな雑貨を販売する小さな店を開きました。李娟もウルムチに出稼ぎに行っ(たりしまし)た。20 代後半(二十歳前)に、彼女は非常勤の寄稿者(アマチュアの投稿者)として(エッセイの)執筆と寄稿(投稿)を始めました。
生産建設兵団出身なのに戸口、戸籍がなかった件について、いっさい百度もウィキペディアもこのエッセーも触れてない、父親が関連した事項なのかなと空想してます。ご本人が出てる動画は二本ありますが、たった二年で、ものっそ様変わりしてる。
二年前の動画。
四年前の動画。
ウィキペディアは、邦文版はなくて、英語版には触れてない、新疆生産建設兵団出身についてバーンと書いてるのが漢語版です。
本書は花地文学榜2014年度散文金賞と2013年第四届天山文藝賞というふたつの賞を受賞しており、少数民族に寄り添って生計を立てたはぐれ漢族の最後の世代が彼女だと思うのですが、それでも、少数民族を漢族が描くわけなので、少数民族が生きづらければ生きづらいほど、海外からの作品への視線は厳しくなりがちだと思います。
特にそれを感じたのが『カウトゥのおかしな銀行』で、この地の銀行は信用社一社しかなく、ローンは春の種まき用の一種類しかない。富蘊県の戸口も持たない李娟サンの母親が、夏の牧地に移動するカザフ人に付き添って商店を開くにあたって、商品を購入する資金がじゅうぶんにないので融資を頼みに行って、貸してくれるわけがないのに、ご近所のよしみで、たった三千元に過ぎないが、資金を借りることが出来た、という記事。
国内の同胞(漢族)ならともかく、海外からこの話を読むと、漢族優遇以外のなにものでもなく、少数民族が同じように農業ローン以外の目的で農業ローンの金を借りに行っても、すげなく追い返されるのがオチではないかと、厳しい目で見られることは間違いないでしょう。ラサの四川商人とチベット商人の扱いの差をつねづね聞いてるものとしては、アルタイでもイリでも同じなのは分かってたさ、フン、くらいな感じで。
そこでさらに李娟サンは無邪気に、実はそのお金をウチらは、まだ返済してないんです、誰に返したらいいか分からないし、私たちも何度も引越ししたもんだから、ウフフ、みたいに書いて、火に油を注ぐわけです。河崎みゆきサンは、いっとうさいしょ、中央電視台の書籍紹介番組で司会者が本書の『ある普通の人』を紹介し、掛け売り商売をする主人公たちと、売掛帳に、自分が何を買ったか忘れても、自分の筆跡があることを認めて、八十元を四回の分割払いで支払うカザフの牧民男性の姿に、打たれるものがあり、上海の権威主義的な文化人たちに辟易したこともあり、本書の邦訳を考えるようになります。同じように、飾らない朴訥なカザフ人たちの誠意に気持ち良いものを感じていた読者たちは、借金を返済しない展開に「翻ってこれか、广场舞大妈来了!!!“
作者は2009年にこの話に補足して、銀行員が道に迷ってウチらにばったり会ったので、最後には返済したとしてます。偶然に頼らず自分たちから信用社に出向いて返せよと言う人もいましょう。服装店から雑貨店に転業した後、店に酒を飲みに来るカザフ人たちのおもしろい生態を描く『お酒を飲む人』に関しても、売ってるお酒は漢族の《二锅头》なわけですし、イスラム原理主義的に、おまいらが販売しなければ精神汚染は広まらないんじゃ、と攻撃されそうな話でもあります。オーダーメイドの服飾店のくだりは、アルタイ山脈バージョン『バルザックと中国の小さなお針子』ってな感じで、とってもよかったんですが、どうしてこうなった
どうしてこうなった!とは (ドウシテコウナッタとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
文中頻出するドンブラというカザフ人の楽器については、カザフスタンのほうの動画がいっぱい見つかりました。
なんかいっぱい動画があるドンブラ弾きのお嬢さんが、ロシアのテレビに出た時なのかなあ、というもの。「エータ、ドンブラ」とか司会者が言ってるのは聞きとれました。
再生回数の多いドンブラ兄弟?
なんだか分かりませんが、キタイと書いてあるので、中国側カザフのドンブラ弾きかなあという動画。アラビア文字の字幕がついてるのを、さらにロシアかどっか、キリル文字圏があげてるという。
漢语文学なので、頁69〈殊途同归〉頁111〈奶奶个腿〉`など、四文字熟語が出ます。前者はドラえもん第一話みたいな話で、新幹線で行こうが鈍行で行こうがちゃんと大阪に着く的なオチで、後者は、河崎サン自身かつてはファッキューみたく訳してたようですが、本作では「くだたばりぞこない」という、実にピッタシな日本語をあてています。すばらしい。
頁102に、三十年以上前にカザフ人が教え込まれ、生産建設兵団のオカーサンも当然歌える革命歌が出て、《大海航行靠舵手》だそうで、それを冬の夜、ロシア人が建てた時代そのままの家屋でドンブラ片手に酔ったカザフ人とオカーサンが大合唱するのは、すごい絵だと思いました。
本書は「カザフの遊牧民」「カザフの半農半牧の~」みたいな言い方をしたり、「漢民族」と書いたりして、なるべくハーサークーズゥ、ハンズゥ、的な言い方をまるくして邦訳してるのですが、頁193だけ、置換忘れか何かで「漢族」と書いてます。「カザフ族」はちょいちょいあったかどうだか忘れましたが、ほかは「漢民族」で、ここだけ「漢族」だったので、おお、と思いました。
頁202に、飼ってた犬の名前がふたつ出て来るのですが、意味がぱっと分からないので検索しました。最初の《琼瑶》はヴィッキー・チャオの出世作、《还珠格格》の原作者で台湾の女性小説家。あとの《赛虎》は毒をかぎわけて人命を救ったかしこい中国のわんこ。
頁171◎橋頭で『犬』
特に遊牧民たちが放牧が終わってアルタイの奥深い山の牧場からすっかりいなくなってしまうと、どのくらいのはぐれ犬たちが冬の寒さの中に取り残されてしまうのか。(略)彼らは野外でエサをとった経験に乏しいうえに、日一日と寒さが増してくるのだ……(略)
秋の牧場を閉めて遊牧民たちが下山すると、必ず暇な男たちが車に乗ってやって来て山に入り、犬を捕獲する。そういう犬たちは荒れた山や、峰を歩き続け、突然遠くに人影を見つけ嬉しくてしきりに尻尾を振って駆け寄っていく。走って近づいてみると、棍棒でめった打ちされ、殺されてしまうのだ……山に入って犬を捕るのは、野生の生き物の狩りをするよりずっと簡単だから。
犬殺しの男たちの民族が書かれていないのは、あまりに明白だからでしょうか。それとも、民族によらない混成部隊だからでしょうか。
この小説に出るのは、漢族(四川出身の主人公一家と、河南出身の、もう一家。それとあと官員)とカザフ人がほとんどで、回族は終盤ちょっと出たかもしれません。ウイグル人は、だいたいが都市商工民なので、ひとりだけ、住んでるのがどれだけいるかは分かりませんが、主人公一家と交流があるのはひとりだけ、オバサンが出ます。あとは、頁75に、英吉沙(イェンギサル)のナイフが出ます。李娟サンの持ってるナイフで、友人になったカザフ人の青年は、実はイェンギサルのナイフより、今はクチャのナイフの方がいいと言います。
イエンギサルかどうか覚えてませんが、私のナイフのうちの一本と鞘。今宵は血に飢えておるわとか全然そういうことはありません。
页84は、林林という青年と、李娟サンの淡いはつこいの話の中に、大盤鷄dapanjiという料理が出ます。ルビが「ターパンジー」で、本書のルビルールが有気音無気音は清音濁音に非ずルールであることは分かっていたのですが、それなら「鶏」もチーユの「チー」と書くべきではないかと思いました。
で、私は、オダサガのウイグル料理店にこのメニューがあることは知ってはいたのですが、所謂新疆漢族の料理と思っていたので(李娟サンのこのエッセイでもその扱いです)頼んだことはなく、今回この本でこの料理が出てきたので、慌てて食べに行ったです。というか、この料理を食べてから読書感想をあげようと思ったので、いろいろ遅くなりました。
水 池袋の新疆料理に行く手もあったのですが、近場のメニューにあることが分かっているものを、わざわざ山手線運休を冒して行くこともなかろうと。
こんなの。大盛と中盛しかなく、お店の人と相談して中盛にしましたが、インスタではないけれどインスタ映えを鑑みると、大盛にすべきだったかもしれません。
お店の人が、鶏肉は骨ごとブツ切りなのでご注意とひとこと言ってくれて、気が付きました。麺は、メニューではもう「きしめん」となってますが、蘭州牛肉麺の太さの分類でいうと、〈宽〉とか〈大宽〉だと思います。回族料理の手工麺の分類名称がウイグル料理に適用されるかどうか知りませんが…
お皿の大きさを比較するために、箸を置いたところ。箸で食べる方が、フォークより汁が飛ぶ気がしてならないです。フォークくれと言えばよかった。辛いですよ、中国籍の人はもっと辛くして食べますとお店の人が言いましたが、まあそれは話半分で聞きました。不怕辣,辣不怕,怕不辣なんて三省しかないので。ただ、のぞがまだ本調子でないので、そこにこれだと、直りかけの時に豚キムチラーメンやペヤング超大盛唐辛子てんこ盛りを食べてぶり返した二の舞だけ気を付けました。
ので、食べなかった唐辛子と、鶏の骨。お店に、中央アジア専門の大学のセンセイが来ていたと聞きましたが、なんしかその時のアタマでは、ベルマーレの前CEOと一字ちがいの人しか思い浮かばず、その人ではないようでした。
先方がトイレで席を離れていた時でしたし、そのまま店を出ました。私はただの市井のにんげんですので、また機会があればということで。何を話せばよいやら。よく諏訪に行くので、甲賀三郎の人穴とか知ってるかというと、暗黒神話で読んだだけですし。
話がそれました。お店のメニューでは「トホ コルミス(ダパンジー)」でした。
以上