父親は外貨持ち出しがバレて、外貨管理局に出頭せざるを得なくなります。上司黙認だったのになんで? というと、父親を巻き込んだ農村ちょいワルが海南島でクルマを購入(密輸?)しようとしたのですが、同様の御仁が多く、ひたすら入荷待ちになってしまい、その間に現地で摘発が入ったです。
で、出頭と同じタイミングで母親は主人公を出産、父親は立ち会えませんでした。私は読んでて、これが原因で父母が離婚したと思ったのですが、第七章冒頭に、離婚は主人公十一歳の時とあり、これが理由としても、それなりに年月を経たうえで、お互い冷静に考えてしたことだと分かります。しかし私はそのへんちゃんと頭に入りませんでした。
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このみじめな一幕を母は生涯覚えていた。(略)当時の思い出を私に語ってみせるときも、他の家では早くからチキンスープを用意していたのに父さんときたら午後いっぱいお母さんをうっちゃっておいたのだと言い、話してるうちにまた目を潤ませるのだった。
(略)心底傷ついていたのだ。
私も、スーパーで安かった鶏の丸焼きを持って行って、罵倒されました。年寄りのニワトリなんか買って来てどういうつもり? ひなどりでないと、と言われたのか、逆を言われたのか、覚えてません。分娩前に嘔吐で、”盆儿paner!盆儿paner!“ と叫んだ時も、パルが洗面器だととっさに分からず、デクノボーのように立ち尽くして、怒鳴られ、看護婦サンに叱責されました。私は〈盘子〉panziと教材で習っただけで、洗濯機や洗面台のある外国人生活でほとんど洗面器を使わなかったこともあり、アルホワした発音がまったく分からなかったです。鶏の件は、世の中のセオリーの逆かもしれませんが、確か地坛医院で、そういう妊婦さんばかりでした。あの頃もまだ中国都市部の男性は革靴ばかりで、泊まり込みの男性陣の足のにおいが、つきそいエリアに充満していた気がします。あとは、母乳を吸収固着させる石膏の袋が、天日干しして砕いて再利用するので、窓際にずらっと並べられていた風景。日差しだけは燦燦とおだやかで。
……
主人公は、九ヶ月くらいで仕事をやめ、学生時代の友人とルームシェアして、日本なら中央線沿線群像になるような、文化人サロンというか、なにかおもしろいことしてみたい!的なムーヴメントに身を置きます。読んでいて、李娟の邦訳者河崎みゆきサンが上海時代、そうした文化人たちの鼻持ちならない権威主義にヘキエキしていたところにアルタイの辺境から李娟の文学が、一服の清涼として、さあっと吹いてきたのだ、的なことを書いていたのを思い出しました。*1*2郝景芳サンがオサーン文化人とやりとりする動画を見たことありますが、一分のスキも見せないようガチガチに武装してる感じで、なんでそんなしんどい世界に身を置いてるんだろうと思いましたが、訳者あとがきによると、彼女は作家業の傍ら貧困児童支援プロジェクトを次々と立ち上げているんだそうで、それでめんどくさい重鎮とのツキアイもせんければならんというところなのかと納得しました。光あれ。