『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 7. by Hao Jingfang 第七章 読了

第六章のさいごに、ルームメイトと主人公が小学生だった頃の流行歌手がつぎつぎと出ます。ここは、先の香港の地名や店名とちがって、香港の歌手はすべて漢字名、台湾の歌手はひとりが漢字名に國語もしくは普通話のはっちょんのカタカナルビ(有気音無気音は清音濁音に非ずルールなので、カタカナにすると変わりません。これがピンインとウェード式なら、それなりに変わるのですが)です。香港勢が温兆倫、張學友、劉徳华,林忆莲、Beyond。デリック・ワン、ジャッキー・チュンアンディ・ラウ、サンディー・ラム、ビヨンド。台湾が張信哲チャンシンチャア。台湾のもうひとりが、アルファベット表記のみで、"Amei"です。なぜ漢字名で書かなかったのかは、各自好きなように解釈しよし、という。

私がこの人の歌をいちばん最初に聴いたのは、たしか、原由子の「花咲く旅路」を流していたら、ある中国人が、彼女もこの歌を歌っているよ、と聴かせてくれた時です。歌詞はたぶんぜんぜん違うんでしょうが、それは張學友がサザンほかでバンバンやっていたこと。

主人公が父親に会いにイギリスのマンチェスターに行ったのが1994年。父親は十年前に出国して、職を転々。工場労働、デリバリー、中国雑貨のスーパーでアルバイト、商品仕入れ、輸入、そして陶器の仲買人として、広東省の某村の陶磁器を英国各地で代理販売。

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(略)家主は中国人で、二階も階下も皆中国人だった。父が言うには、二階の住民は学者で国内の大学では副教授だったが、客員研究員として英国に来てから帰国が嫌になり、レストランのバイトで居住資格を得て一家の生活を維持しているという。

(略)「父さんも同じようにしてきたんだ」と父は言った。「でも彼らは父さんとは違う。大学生だし、教養がある、なのにどうしてこんなに我慢するのだろう」ずいぶん長い間、父は若者の将来について彼ら本人たちよりも心配していた。(以下略)

国内の状況がそんなに知られてないとも思えないのですが… 《争鳴》やらなんやら読めたでしょうし。

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(略)タウンハウスがある区域は殺風景な街はずれで、街路樹は一本もなく、行き交う人々は多くがヒジャブをかぶったムスリム女性か、十人ほどの子供を引き連れた黒人、そして黄色い皮膚の人間たちだった。けれども家の窓から望むと、通りの向うにある公園の庭や、広々とした草地、瑞々しい緑の葉が茂る樹木が見えた。春の光の中のピンク色の桜はなんだか見知らぬ花のようで、でも美しかった。

母と主人公は八ヶ月しか英国に滞在しませんでした。

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 公立の小学校は学費がかからない上、毎週政府から数ポンドの補助もあり、その額は学校で昼食をとるのに十分だった。この福祉サービスが国籍に関係なく施行されることが、私にも母にも不思議でならなかった。時には十数人の子供を連れた中東やアフリカ人の母親が、各種の福祉サービスのみで一家を養っているのを見ることもあった。小学校にはアジアやアフリカから来た生徒が多く、白人の子供は逆にそれほど多くはなかったが、当時は私もこれが普通ではないことに気がつかなかった。(以下略)

ブレイディみかこの息子さんの学校とはちがうのか違わないのか。マイノリティーばかりの学校だからいじめがないわけではまったくなく、やっぱり意志の疎通が出来ないと、それだけでいろいろ起こったようです。しかしチャイニーズはわりとハバを効かせた部族集団だったようで、彼女をおちょくった相手はバックを恐れて?謝罪し、少しずつ主人公はクラスに溶け込んでいきます。math、算数というか数学では彼女は級友より二学年先に進んでいましたが、世界史や自然科学の各面で、彼女は英国の義務教育で目を開かされます。古代ギリシャ古代ローマ、人体の構造、恐竜と鳥類。

前章の感想で、父母のディボースはそれなりに考え尽くされたものだったと書きましたが、ウソです。帰国しない父と帰国させたい母のあいだで妥協点が見いだせず、しだいしだいに感情的にエスカレーションして、決裂し、そして後悔したということのようです。

祖父は1992年に地区頭取として退職します。分配システムからビジネスモデルへと工商銀行の当該地区をソフトランディングさせた功績は大きく、退職時は銀行全体で盛大な送別会が開かれ、規模も参加者も文革時に祖父が糾弾された批判集会と同じだったそうです。まさにザ・キンペーチャン。紅衛兵から走私へ、華麗なる転身。そんなことばっか。祖母は勤務先の国営工場郷鎮企業の工場が1990年倒産。

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(略)祖母や他の労働者たちは工場で、そして市政府の前で無言の座り込みをして正義を訴えた。太陽に照り付けられ疲れで倒れ込むまでになっても政府関係者は顔すら見せなかった。祖母はこうして過ぎ去った過去の世代へと取り残され、そして忘れられていった。

 あの年月は飛ぶように過ぎ去っていった。激しく荒れ狂った情熱も、しまいには遠のいていき、跡形もなく消えてゆく。

またここで、父母とともに下放された青年のうち、最後まで都市に帰って来れなかった二人のその後が簡単に記述されます。村でもいちばん粗末な家屋に住み、ひとりは転轍手に、ひとりは散髪をなりわいとしたという。

去阿童木! 正义绝对胜利

並行して語られる、21世紀初頭の中央線沿線青春群像中華ヴァージョン北京版狂騒曲はとどまるところを知らず、人肉検索大國でのSNS誹謗中傷、「有名になってやる」(頁188)そして主人公は初セックル(たぶん)の相手と出会います。相手は、蘇る院浪。

主人公とルームメイトは、ちょくちょく円明園の近くの喫茶店に行くようになり、そこではよなよな(昼間かも)朗読会やら討論会やらイベントが催され、ルームメイトは妻子持ちの店主と好い仲になるのですが、どうも私の知ってる時代的中国には喫茶店はなく、东北で朝鮮族がタバンの漢族バージョンやってみたとか、独自資本のファストフードとか、スターバックス(星巴克)北京一号店とかまでです、私の知ってる中国の喫茶店は。ちなみに私は養老乃瀧北京一号店とローソン(罗森)上海一号店にも行きましたが、なんの自慢にもならない人生でした。