『シルクロードでワインを造る』"Making Wine in the Silk Road" 読了

装丁 大関栄 たぶん写真はぜんぶ著者撮影と思われます。

シルクロードでワインを造る (築地書館): 1993|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

県内のほかの図書館にも蔵書があるからか、リサイクル資料として除籍されてしまったのをふとレスキューした本。しかしうっかりあぶらものの総菜とカバンの中でいっしょにしてしまい、けっこうな油染みが出来てしまいました。本がかわいそう。ごめんなさい。

版元の著者略歴

http://tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/chosya/isii-kenji.html

築地書館の奥付著者紹介にはご丁寧にご自宅のご住所まで載っていて、現在でも番地は変わっていないようでしたが、グーグルマップで見るとそこは今はアパートになっています。1926年生まれの方ですから、ご存命ですと96歳。月日は巡り、子孫は相続税

1975年くらいからサントリーと中国の付き合いはあったそうですが、1985年に、佐治敬三社長(当時)から、現地でブドウ栽培とワイン醸造の技術指導をシロヨ、と言われ、それで行ったり来たり、長期出張だったりなんだかんだ、が、1990年のサントリー定年退社後もちょこっと続いて、1993年に本書刊行の本です。佐治社長への依頼は、中国八大元老のひとり、王震じきじきのもので、モチロン二人は朋友で、王震サンは新疆建設兵団の生みの親で、新疆は彼の第二の故郷ですので、中国側はそんな感じです。ザッツオール漢族の新疆。対する日方は、「やってみはなれみとくんなはれ」の社風をそのまま現地に持ち込みまして、それを楽しむという、そんな本です。サントリーがなんらかの証拠隠滅を図ったので図書館から放逐された本ではありません。

baike.baidu.com

王震とは - コトバンク

ja.wikipedia.org

当然行先は、石河子という建設兵団が切り拓いた漢族の街で、指導相手もなんも、だいたい漢族です。当時、となりの昌吉にも老後をシルクロードで過ごそうと引っ越してきた邦人夫妻がいたそうですが、昌吉もまた回族のまちで、ウイグルではないデス(しかもウイグルと回民もたいがい仲が悪い)ただ、建設兵団のモデル都市である石河子は、グンバツに整理整頓されていて、昌吉やウルムチとはぜんぜんくらべものにならないくらいキレイな都市だったそうです。(ウルムチは解放前の盛世才時代に、宇宙でサイアクの場所と誰か西洋人が書いてた気瓦斯)このころまだクルマーイの油田は開発されてなかったのか、上の地図にクルマーイはありません。

版元の表紙掲載ページと目次

http://tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-6736-0.html

著者の石井賢二さんが、1990年代後半に、甲州種と新疆の和田紅(和田は、ワダはゴッホになるのワダではなく、西域南道の交易都市ホータンの漢字当て字名)という品種の伝播にまつわる、日本の園芸関係者やブローカーのフォークロア、噂話、伝説について書かれた論文のpdfを先日ネットで見つけて読んだのですが、いざ探そうとすると出てきません。それがネットで見つかった、最後の石井さんの音信。上の左の路上靴補修は、明らかに漢族で、この箇所の説明によると、漢族でも南疆の人間は貧しいので北疆に出稼ぎに来たり、底辺労働に従事したりしてるんだそうです。南疆は、当時未開放の、ニヤとかの核実験場のあるほう。西域南道。シルクロードを舞台にしたマンガで知られる漫画家神坂智子さんが潮出版から出したロプノール旅行記(知ってる中国人と知らない中国人で温度差がゴイスーな核実験てんやわんやが書いてある)もこの時代だったかと。

本書頁60では、民航が不調で86456部隊という地図に無い核基地、ウスタラ(乌什塔拉)に不時着し、乗客がしばらくそこに滞在する記述があります。サントリーの邦人はヒマなので解放軍将校に百元払って近くのボステン(博斯腾)湖(本書ではボスト湖とルビ)までドライブして、外貨兌換券で払ったら相手がそれを見たことなかった、はいいとしても、基地内は放射能が漏れてるのであまり水飲むな、いやもう遅い飲んじゃったよどうしよう、というくだりがあります。汚染水。请她喝了再说吧。

ボステン湖 - Wikipedia

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頁128、「半軍体制下の新疆」なので地図が入手出来ない話。私も中国関係の書籍販売をしてた時は、在日中国人研究者が何も考えんと東北地方の河川の地図を注文してきたのでそのまま中国に注文したら、まったく送ってこなくて、中国国内ならなんぼでも入手出来るのにへんやないかい、と思えど、社長に、あほやな、そんなもん輸出するわけないやんけ、と言われ、それを研究者に伝えると、研究者も、そんな機密な箇所があるわけないのに、へんだなーと首をひねってたことがあります。

頁134、北京のサントリー人から「新疆は軍事体制下」なので盗聴等もありうるから不用意な言動は慎めと言われる箇所。そういえばという話で、賓館の各部屋に星形の穴が開いていて、用途がサッパリ分からない。しかし食事にラーメンが食いたくなった時、壁に向かって「明日はラーメンが食べたいナ~」というと翌日チャンとラーメンが出て来るから便利だった、そうです。こうした不都合な真実が明るみに出ると困る関係者がいるから、本書は図書館から放逐されたのでしょうか(ちがう)石河子は招待所でなく賓館があるレベルなのか、王震おそるべし、新疆建設兵団おそるべしと思いました。チベットなら招待所が関の山ですよ、こんなん。

上は裏表紙のブドウ。これが和田紅なのか、石井さんらサントリーご一行がワケの分からんコネ検疫を邦人らしく正面突破して現地に植え付けた品種なのかは不明。

版元の著者あとがき再録

http://tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/book/6736n.html

版元の書評再録ページ

http://tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/hyou/6736s.html

鹿の角やらなんやら売ってる路上漢方薬売りの写真。だいたいこういうのは観光客目当てで、チベット人が多かった記憶がありますが、この写真ではナニ族が売ってるか分かりません。まあ本書は、チベット人を蔵(ザン)族と書いたり、カザフを哈薩克(ハザク)族と書いたり、ロシア人を俄羅斯(ウロス)族と書いたり、向こうの言うがままそのままのノート取りをしてたのか、あるいは知っててワザと昼行燈を演じてたのか、みたいな記述ですので、ミンガン、否ビンカンな民族諸問題をきっちり書いてると考えない方がキチです。

そういえば、地名も、カシュガルをハシュと書いてたりして、漢語名〈喀什〉の破裂音がそう聞こえてるだけだろ、と思いました。

頁8で、新疆では支配民族の漢族のほうが人口が少ないのに、多数を占めるウイグルほかを少数民族と呼ぶのはヘンな気がするとか、ウイグルはじめ少数民族は漢族と通婚出来ないのに漢族が少数民族の女性をめとるのは許されているとか(これ、私は初耳でした)、政府や大学、工場農場のトップは漢族で少数民族はナンバー2だ、とか、いろいろかまととぶってジャブを繰り出してます。頁11ではウイグル人(本書は一貫して「~族」表記ですが)副工場長にこっそり、将来あなたは工場長になれますかと尋ね、そんなことまったく考えてないデスヨ、とニコニコ回答される場面があります。腹芸合戦完敗の巻。

その副工場長と白酒を酌み交わす場面を除くと、上が本書唯一に近い、ウイグル人の写真。ヒマワリのタネ売り。頁14によると、ウイグルの磚茶は伊犁製、タバコは莫合烟、ナイフは英吉沙産です。野菜をあまり食べないけど、毎日ミルク入りのお茶をガブガブ飲んでビタミン等を補給するのが健康の秘訣として、"宁可一日无食,不可一日无茶" と漢語で説明をのたまってます。簡体字でなければ誰でも読める漢文をワザと私は簡体字で書きました。

頁14

「(略)朝は羊肉と玉ネギを入れて焼いたナン、これにバターをつけて食う。それに羊肉、ハチミツもだ。ハチミツは沈殿した花粉の残っている部分をナンにつける。昼は羊肉とニンジンをまぜた飯だ。食後のお茶は羊乳の代わりにラクダの乳でつくることもある。晩はナン、ジャガイモ、それに羊肉と玉ネギを刻んで入れたブタマンジュウだ。(略)」

これが川軍到来以前のウイグル食生活と思いました。「ラグメンないじゃん」というツッコミはどうでもいいとして、奶茶と蜂蜜以外はだいたいオダサガの店にもあるメニューな気がします。

北島サブちゃん「函館の女」の替え歌。永谷園の鮭茶漬け。駐在って、そういう替え歌作るの好きですよね。「ホルムズ海峡冬景色」というのを以前別の本で読んで、「つまらなそうなラクダ見つめ泣いていました」のサビが秀逸だと思ったのを思い出しました。西域北道でニイハオ娘とか、漢族社会としか付き合ってないと、言えないせりふ。

そういう新疆漢族社会(川軍ともまた違うある意味エリートたち)の中で、検疫関係者から日本に招待しろとか(頁49)日本では専門知識もロクにないくせに買い物の時間だけは確保を要求されるとかの、サントリーにしてみたら屁でもない出費場面とか、果樹園なのにまずレンガで高い塀を作ってガラスの破片とか埋めて覆って、苗木の盗難を防ぐべきだとの中方の主張をナンセンスだと感じる場面や(しかし現代のシャインマスカットなど見てると、中方の主張が正しいような気もします)苗木の植樹間隔や畝の間隔が、すべて日方の提起より短い密集農法的距離で中方から要求され、土地はナンボでもあるのに、密集すれば多収が見込めるとか甘い!甘いんじゃ!とキレそうになる場面など、が、ありつつ、天安門事件かわいそうとかぽろっと言ってたり(首謀者のひとりがウイグルなのを知りつつ明記はしない)(頁12)やはり日本人は腹芸の国、を堪能してることになるのかしら、と不安になったりならなかったりの本です。それが新疆平和を乱すもとなので図書館から放逐されたのかなあ(違う)

賓館の服務台。見事なまでに漢族社会で、ガンブー、否幹部の前だと一張羅でどうでもいい仕事をしたりする例のようにも見えますが、ちがうかもしれません。頁30には、サントリーの外国賓客から見えるように、ハイヒール履いてドカチンヨイトマケする娘が出てきます。

ホンマの南疆からの出稼ぎ漢族の描写は下記。

頁23

 彼らはいつ見ても作業服は同じだ。一カ月も前の服と変わらない。髪の毛が後の方で逆立っているのも昨日も今朝も変わらない。(略)昼休みになると地面にゴロゴロ横になって寝ている。

頁24

「南疆の人が工事をやっている。窓は開けないように」

頁24

 昼食時になると彼らは小さな洗面器のような食器を長い箸でたたきながら給食を受けに行き、帰りはその食器に飯とお菜と油餅を載せて、食べながら歩いて来、現場に戻ると車座になって食べていた。(略)

上の、現場の人間が、箸でホーローの食器を叩きながら歩くとか、歩きながら食べるとかの風景は、私も見たことあるのですが、もうなにもかもアイマイです。21世紀も20年経った現代では見れない風景だと思うんですが、どうだろう。実はチャウ・シンチーの映画「長江7号」の一場面で見た記憶だったりしたら、イヤだなとも思う。

石河子には大泉沟という人造湖があり、武昌魚という魚が取れるそうですが、まあ放したんだろうなという。毛沢東がホメた魚とネットで出ますが、本書にはそんなことは書いて無く、白身がイケるが小骨が多いと書いてます。

Wuchang bream - Wikipedia

頁91

 中国の女性でさえ

「開放トイレは嫌です、でも永い習慣で馴れています」

という。開放トイレは中国に限ったことではないが不潔な点は天下一というべきか。

この人は他国でもドアなしトイレを体験してるんだなあと。

上の市内中華書店(新華書店でなく)は、天安門事件前の内装ではないかと。マルクスレーニン毛沢東も貼ってない。

頁143の〈玆聘〉という単語は知らなかったので(ハズカシー)調べました。

兹の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

聘の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

著者が石河子葡萄栽培與醸造加工協会の名誉会員になる場面なのですが、著者が現地の研究者たちに、協会を作れ作れとけしかけて科学技術協会副主席黄岩女史が作るには作ったのですが、会費のアテもないし会員もひとりもいない(入会票だけてきとうに配って音信待ち)し活動予定も未定なので、「名誉会員じゃなくてメイヨウ会員じゃん」とサントリー内でギャグにしてしまう場面。

頁151には、鉄飯碗ということばが出て、これって、ファンキー末吉原作マンガ『北京的夏』に出て来る「鉄鍋飯」のことカーとも思いました。検索すると、「鉄飯碗」のほうがふつうみたいです。「鉄鍋飯」はどっから来たんだろう。

鉄飯碗 - Wikipedia

铁饭碗(中国語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 中日辞典

親方日の丸みたいな意味で、スージー司机から工場長になりあがった男が実務知識ゼロなのでみんな困ってるという話で、日本人技術者である著者がクビにして実務に熟練した人間を工場長にしろと言い捨てたら本当に優れた人間が工場長に任命されたが、前の工場長もクビにならず、しかし病気だーとかなんとかでおもてには出て来ず、そのうち新任の技術者上がりの工場長が畑ちがいの販売業務やらなにやらをバンバン押し付けられて最後は転任でいなくなり、著者に手紙で「石河子は短いあいだでしたが嫌な想い出ばかりです、早く忘れて新天地で頑張ります」と書いて来たそうです。しかしここで作者は関西企業サントリーだからか、前のコネ工場長がましになって熱心に働くようになったので、まあよかったよかった、鉄の食器だって壊れたらもう使えないから、壊れず使えるようになってよかったよかった、とオトします。サントリーすごいデス。

頁156に、陳冰師団長が著者を石河子初の北京ダック専門店に招待する話があり、私が北京のどうでもいい店で食べたインチキ北京ダックと同じ、包餅は厚いわネギは固いわ味噌はたいしたことないわダックは焦げてる上に切り身が大きいわのトンデモ北京ダックで、作者は理系らしくまったく忌憚のない意見を忖度ぬきにズバズバ師団長に進言し(ほかの同席中国人は誰も北京烤鴨を食べたことがなかった)後日別の宴会で出たペキンダックは格段に味が進歩したとか。こういう人間でないと中国ではだめなんですね。絶対。

在宾馆的服务台穿着白色西装微笑的小姐叫骆辉。其他人员:盧再華、野添ひとみ(外号)

办公室主任:沈越文

工作人员:李治遠,谷陽,劉麗萍,阮忠達(神户生而到二十岁住,饮上海水)呂楊、張盧、小漂、竜環、菫新平、王培武(會説日語)趙国良、袁美娥、黎明、戴满岐、王茸琦

驾驶:狄生

干部:陈实(新疆生产建设兵团原党委书记)_百度百科

師団長は陈冰。

新疆農墾進出公司社長:盧相勛

サントリー関係者:入江邦洋、馬詰裕子、荻野喜平、村上課長

部下:内藤(下の名前も書いてあったと思うんですが、分かんなくなりました)

こうした血涙(でもない)的努力の成果で、今では雲南のワインのほうが本場おフランスに学んだりして出来がいいそうですが、新疆にも確かにワインがあって、日本のウイグル料理店でも(浦和とか)輸入してシシカバブと一緒にドウデスカとやったりしてるんですが、そも在日ウイグル人じたいも挨拶が「ヤクシミシース」(マスターキートン第一話でキートンウイグル人古老にこの言葉で挨拶してる)から「アッサラームアレイコム」とムスリム共通のことばに変わっていて、お店に来るトルコ人の客が「この店は酒を供してるのカー」「いやいやそれはヤポンユック(日本人)向けなんでー」と言ったりする時代なので、それほど新疆のワインが成功しなくても、それはそれでしかたないかもしれません。シリアみたいにキリスト教徒がワイン作ってたとかそういう話(高野秀行イスラム飲酒紀行』)ならいいでしょうが、そうなると作り手はやはり漢族になるだろうし、それなら新疆より雲南ほか、もっとワイナリーの適地があるだろうということになるのかと。でもそれは、トライの努力を否定するものではまったくないので、いい本読めてヨカッタデスとしか言えないです。以上

【後報】

ストリートビューの松戸はその番地まで入ったものではありませんでした。

(2022/10/28)