『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』"Japanese sword dancing in Tibet. -Modern History of Mongol Cavalry" by Yang Haiying 読了

装丁 緒方修一 各章扉 石崎健太郎 巻末に「おわりにー 日本人よ、「自虐」にも「自尊」にもなるな」と、参考文献と資料。

謝辞は、靖国神社靖国偕行文庫職員各位と防衛研究所戦史研究室職員各位、藤原作弥さん、牧南恭子さん、劉燕子さん、台湾国立政治大学張中復先生、細川呉港さん、大東伸裕さん、胡麻本剛さん、日高清さん(おなくなりになられたのでおくやみのことばとともに)、田中賢一さん、板橋勝さん、石井英俊さん、川端幸夫さん、吉普呼蘭さん、名前を挙げることが出来ない青海甘粛内蒙古の各位、文藝春秋国際局出版部仙頭寿顕さん。

『ナクツァン』というチベット側から見た体験記(原文はチベット語)、邦人研究者によるナクツァン付記の論文と、本書のあいだで、解放軍兵士のなかで、モンゴル兵と漢族兵どちらがチベット人からおそれられたか、残忍という認識があったかで齟齬があると、『ナクツァン』側で読み、へーと思ってこっちも読みました。

①モンゴル兵は、チンギス・ハーンの軍という情宣が先にあったので、戦う前から恐れられていた。

②モンゴル兵は捕虜を殺さなかったが、同道の漢族部隊がモンゴル兵に投降したチベット遊牧民虜囚をバンバカころして始末してしまった。

この二点から、「おそれられていた」もしくは「残虐ではないが相手からそう誤解される余地はあった」と本書では判断できますので、楊海英さんは『ナクツァン』の指摘など歯牙にもかけなかったのではないかと思います。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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そんなことを言ったら、作者自身も、日本陸軍軍刀の切れ味を過大評価してやしないか、過大評価してるとしたら、それは中国のプロパガンダの刷り込みの結果もあるのではないか、と思いました。百人斬り論争ではないですが、軍刀は粗製乱造のなまくらが多い、いや日本刀は優秀だ、etc. この論争になると、支離滅裂に相反する主張を統合出来ないまま並列して開陳する御仁が多いというのが私の長年のネット観察の結論です。考えたくはないですが、ルパンの五右衛門はマンガです。なんでも切れたり、人肉の脂がごってり付着しても切れ続けたりはしないヨ~。本書はソコが過大評価な気がするヨー。

それとは別に、本書は、チベットをあらわす「藏」という漢字を、西藏ではそのまま西藏、メインランド・チベット以外の青海や甘粛、四川のチベット自治州をあらわす場合は草冠を除いた「臧」で表記しており、これはかなり意図的な作業のように見えましたが、その意味がまったく分からなかったです。下は参考文献の漢語文献の一部。原書の題名にそんな区別はなく、「西藏」も「○○藏族自治州」も同じように草冠をつけてますので、どうして本書で草冠のあるなしの区別をしてるのか、ふしぎでした。本省人内省人になったような、日本ならではの特殊ジャーゴンではないと思いますが、とにかく分からない。

なんで草冠のあるなしを使い分けたんだろう。頁297に「青藏」と書いてるのですが、参考文献ではそれも「青臧」になっています。

本書はモンゴル側から見た記録ですので、地名等はけっこうモンゴル語由来で、青海にフフノールとルビ振ったりしています。頁324にケサルが出ますが、モンゴル語を先に書いています。

頁324

馬泥棒を働く血肉湧き踊る物語は、『ジャンガル』や『ゲセル』(チベット語では『ケサル』)といった中央アジアの英雄叙事詩の内容を織りなしている。

字が大きくて読みやすいです。

岡田英弘*1宮脇淳子*2系列でもあるので、「シナ人」の呼称が出ますが、モンゴル語で「ジャナク」とルビを振っています。頁284。本書はほかに、「漢人」も使ってたような気がしますが、模造記憶かもしれません。「チベット人」「モンゴル人」「ウイグル人」「サラール人」など、いずれも「~人」を使っていて、「~族」はよろしくないと考える私も歓迎するわけですが、同時に、ここが悩ましい「回族」を、「ムスリム回族」と書いて、あとはスタコラ逃げてます。「回人」なんていないし、「回民」もどうかと思うし、「漢人と言語的に同化したイスラム教徒」では長いし… チャイニーズムスリムの呼び方はほんと悩ましいです。

頁364では、「進歩派」と書いてレフティー、流氓的無産階級と書いて「ルンペン」とルビ。前者とか、よく知ってるなあと思いました、ジャーゴンを。

頁291、チベットの馬具職人、皮革職人はインド、パキスタンからやってくるムスリム職人が多いとあり、『白い鶴よ、その翼を貸しておくれ』とまあまあ一致する記述だと思いました。鶴のほうでは新疆からカムまで来てることになっていた。

頁342、2011年7月に東京都写真美術館で外国メディアが撮影した、四川大地震でのジュクンドォの死体処理のすさまじい写真に触れ、中国人の遺体の扱いの粗さに言及しています。例の中国新幹線脱線事故で車両ごと埋めてしまったほうをまず連想しましたが、刊行後の出来事だったのかな。中国語教室で、生徒さんと先生とで、熊本地震のときの、一ヶ月かけて大学生の遺体を収容した時の日中の感想のちがいについて、侃々諤々の議論があったことも思い出す。粘り強く努力を続けて、一ヶ月かけてご遺体を家族のもとに届けることが出来て、感動したという邦人生徒さんと、すでに死んでいて生きていないのだから、人月も工数もかけて発掘する意味が分からないという漢人の先生。

中国四川省で発生した地震災害を受けた岸田内閣総理大臣発習近平中国国家主席及び李克強中国国務院総理へのメッセージの発出|外務省

本書のもとになった本を『ナクツァン』論文では《战斗在高原》という内部刊行物だとしていて、本書によれば、それは回収された禁書だそうです。うまいこと入手出来たんだとか。そこまでは知りませんでした。その辺の路上で売ってたものだとばかり。

図書館本なのですが、最近は細かいですね。利用者さんが、「自分の前からあった」と濡れ衣を着せられないようゆうのも分かるので、「上部角シミあり」と明記されてるのも理解出来ます。

楊海英 - Wikipedia

この人は1985年ごろ西北をほっつきあるってたそうで、その放浪が後年のこの著作にもつながったわけで、体験者の老人たちの数々のインタビューが顔写真入りで本書に載ってるのは、まあ邦人研究者には逆立ちしても出来ない芸当だと思います。邦人だと、相手の身の安全とか考えてしまうだろうので。

文庫本は下記。

ほかにもいろいろあって、その後、モンゴル騎兵はウランフもなにも、どんどん粛清されたそうで、その辺も鑑みて、南モンゴルの著者が、北モンゴルうらやましい的なまなざしを送る箇所(日本の力士界を見ての話ですが)には、うなづきました。

とりいそぎ、以上

*1:

*2:

朝青龍はなぜ強いのか?,岡田宮脇研究室(宮脇著書)

関係ないですが、「ちむどんどん」が叩かれるのは、脚本家が「パッチギ!」を書いた人で、「パッチギ!」が、てるこ教などではアリエナーイダカラの、邦人男性と韓国人女性の恋愛を描いているから(韓国人男性と邦人女性ならよいが、逆はアニヨシロヨ。邦人男性と韓国人女性のカップリングは、現実にはたくさんある組み合わせですが、フィクションだとなかなかね、という…)ではないかと邪推したりすることもあります。どうも「ちむどんどん」の叩き方が、知人はN國黨ではないかと言いますが、てるこ教の誇るネット騎馬隊のやり口に似てるような気がするので。安倍元首相がごまめ叩きで「撃ち方やめい」をやった時に似ている。今はじっと我慢の時期で、声高な反論を慎むよう指示があるのでしょうから、それでたまったうっぷんのガス抜きに「ちむどんどん」が使われているのかも、と。

それで実は、現在は愛されている朝青龍が、一時期、朝は悪、白(白鵬)は善、みたく、都合よくマッチポンプされ、白鵬をお行儀のいい偶像として祭り、朝青龍は何をしてもオセロの黒い人並みに攻撃されてた件について、一説によると出だしが、韓国人記者への朝青龍の無礼なふるまいだったとする説があり、韓国人記者は、韓国もモンゴルもどちらも日帝支配の歴史の残滓のしばりに苦しんでいるハラカラですよね、みたく朝青龍に連帯を求めたのに対し、センチメンタルいらんねやみたく粗暴に突っ返されたので、それで朝青龍叩きのキャンペーンを張った説。

なんか似てると思ってます。愛国者として叩いてるが、原因を探すと、韓国のメンツをつぶす行いをしてたから、だけだったという点が。