電子版はないです。装幀・組版…月ヶ瀬 悠次郎 棚瀬慈郎訳 阿部治平『アムドにおける叛乱の記録』併録 「本書を描いたことについて(著者によりあとがき)」あり 訳者あとがきあり 参考文献あり 各章扉頁に、草原やら寺院やらモンラムというのかショトゥン祭というのかみたいな寺院のお祭りの写真やらがありますが、撮った人の名前は見当たりませんでした。赛马会の写真はないデス。
表紙の下の方、または中表紙のたなびくお香、どちらかが題名だろうと考え、しばらく悩んでから人に聞くと、右は「オンマニペメフム」だよん、とのことで、ギャフン、でした。いや、アムドだと、ジャフン、なのか。本書では、ダライラマのことをジャルワ・リンポチェ(頁184)中国人をジャミ(頁286)と書いてます。ギャワ・リンポチェ、ギャミ、と言うのじゃないの、と、これも人に聞き、アムドだとギャがジャになるみたいですよ、と言われ、そんな知識がないので恥ずかしくて穴があったら入りたかったです。
【ミニフェア・まんが☆だいすき】チベット文学×マンガ②
— 内山書店【中国・アジアの本】 (@uchiyamasyoten) 2020年10月28日
『ナクツァン あるチベット少年の真実の物語』(ナクツァン・ヌロ著 棚瀬慈郎訳 阿部治平解説 集広舎)https://t.co/jFh8m8HRLg
表紙イラストは『テンジュの国』の泉一聞さんhttps://t.co/un7Cw5yBHP pic.twitter.com/MfD5npTLnY
上の書店様の公式にありがたくも著者名のチベット語表記があり(簡体字繁体字、さらにはラサ語?のアルファベット表記と、英語版に記されたアルファベット名もぜんぶ並べてます)そこからさくっとチベット文字のタイトルを検索してコピって貼りました。超べんりデスヨ。題字と表紙イラストはべつじんで、あおのよしこというデザイン書道家の人が題字を書いています。
臺灣の雪域出版社から出た中文版は品切れ再販未定みたいで、グーグルプレイに上のような電子版があることだけは分かりました。倒れる版なのか正式版なのか。
デューク大学(ノースカロライナ州のわたくし立大学で、全米トップクラスの有名大学だそうです)から出ている英語版はキンドルで読めます。
チベット語版は、本書やレビューにもあるとおり、なぜかこの内容で2007年に西寧でフツーに出版された後、倒版なのかなんなのか、なんとなく人んちで棚を見るとあったりなかったりという、「カメとめ」が旧昭和館単館上映で独走してた頃にパンフを買った人みたいな扱いで、その後ダラムサラからも出てるそうです。腕に覚えがある人は読んだらいいさ、的な。
『シャーチェ(殺劫)』ツェリン・オーセル著/劉燕子訳も出してる出版社なので、どれどれと出版社公式を見たら、トップページに下記がありました。
“俄军的总体战略是什么样的?”
“速打呀”
“前线指挥官对自己的任务清楚吗”
“熟的呀”
“VDV什么时候能空降基辅?”
“速达哟”
“俄军装甲不对推进速度有多快?”
“嗖的哟”
“乌克兰历史上被谁反复蹂躏过?”
“苏德哟”
“一旦开战乌克兰的最终结局如何?”
“输的哟”
“你只会回答这一句吗?”
“soudayo”
中国公式ではウクライナ寄りのSNS発信はなかなか出来ないということで、対比として邦人のSNSが挙げられていて、そこでコメディアン時代のゼレンスキーの下ネタを見ました。
ウクライナで中国人が中国人と分かるとボコボコにされるので、日本人を名乗った事例をおもしろおかしく風刺したカートゥーンを、グーグルレンズで画像検索した結果が下記。AIの判断では、両者は似たような出来事になるんですね。
閑話休題。本書は図書館から「状態がよくありません ご了承下さい」との付箋がつけられていたのですが、まったく気にするような状態ではないかったです。
一ヶ所赤のボールペンがハネてるだけ。すべきではありませんが、「状態がよくない」とまで言うといいすぎかな。本の内容に比して、今の日本は平和です。
この本を三章まで読んだところで、分からなかったところを人に聞きに行ったのですが、口が重く、あまり語りたくなさそうでした。ネトウヨ好みの本だからだろうか、くらいに思っていたのですが、五章を読んで、納得しました。三章はラサ巡礼の話で、解放前のラサ巡礼キャラバンの描写と、やっぱり出たかという感じのゴロの盗賊、「人殺しつつ、経唱えつつ」の世界。続く第四章は「解放」時の負け戦の話がえんえんと続く、先日読んだ「鶴よ、その白い翼を貸しておくれ」というカム滅亡記英語文学のアムド版、解説のアムド叛乱記録と呼応する記述。それらはある程度予測していたのですが、五章が、ハッキリ理由は書いてないのですが、大躍進の飢餓なのか、あるいはただ単に原始共産制の分配が生産とリンクしてないので、あるものを食べ尽くすともう飢えて死ぬしかない状態だったのか、(戦災)孤児含む子供千人、老人六百人を集めた「幸福寮」が、たった半年の半分で子ども五十人、老人十人しか生き残れない(頁398)餓死地獄に陥った日々の回想録で、毎日、この食糧をなんとかゲットした、何人死んだ、の記述の羅列で、非常に読んでてつらかったです。『ほたるの墓』で餓死するのは節子ひとりですが、本書五章は毎日節子が入れ替わり立ち替わりコンボコンボと思ってもらえばよく。しんどかった。
訳者あとがきで、2018年と2019年に訳者が直接作者に会った時、文革については書かないですかと聞き、
頁487
(略)吐き捨てるように「文化大革命の時は、チベット人同士で争った。そんな話は書きたくもない」と答えられたのが印象的であった。
ということで、シャーチェやツェラン・トンドゥプトンドゥプジャの小説にあった出来事を想起したのですが、しかし、解放時の反乱を描いた本書でも、チベット人によるチベット人の処刑場面は縷々描かれます。素手によるリンチでなぶり殺しにされる活仏らの場面がひどかった。三原順のマンガのせりふで、鋭い爪もくちばしも持たない鳩の喧嘩は、一撃で致命傷を負わせることが出来ないので、だからこそ凄惨ななぶり殺しになり、じわじわと、緩慢に、息の根が止まるまで、執拗に攻撃が続く、とあったのを思い出す場面です。
叛乱を政府側の記録からたんねんに拾った阿部治平さんの論文は、①楊海英が《战斗在高原》という資料から拾って『チベットに舞う日本刀』に書いたモンゴル騎兵についての記述と、本書の記述にへだたりが大きい。楊海英教授は本書の感想を「読書人」に書いている(有料記事)そうなので、それは読んでみます。②本書は、「チベット人」「漢人」と「~人」表記を一貫してるので、頁442「イ人」なる表記も出ます。けっきょくこれは「~人」「~族」の使い分けについて、日本人の深層意識が問われているのだと思います。③
頁432
プンツォル・ワンギュルは「こうした階級闘争の結果、全国人口の8%しかいない少数民族のうち、十数万の人々が地方民族主義の帽子をかぶせられ迫害を受けた。これに引きかえ人口の92%を占める漢人にはだれひとり大漢民族主義分子がいないのである。この不公平な現象はどうしても理解できない」と慨嘆している*1(A Brief Biography of Phuntsok Wanggyal Granranpa by Daweixirao)9
本書では、生き埋めにこそなりませんが、広く掘った穴に大人数が詰め込まれ、穴の中で生活する場面があります。このあたり、馬歩芳がやったことですが、長征の途中で延安に行かず、河西回廊を目指して西寧近郊で包囲殲滅された紅軍が生き埋めにされた「万人坑」の意趣返しの気も少ししました。
上記①についても、木村肥佐生の偽装の十年に、新疆で援蒋物資輸送隊を襲って強奪したカザフ人が盛世才に追われ青海ツァイダム盆地へ逃げ込み、海西モンゴル人たちを惨殺した一件を南モンゴル人(インナーモンゴリアン)たちも知っていて、その意趣返しをゴロクにしたということはないだろうかと思いました。誰かそういう、歴史の連環についても考察してくれたらうれしい。
ナクツァン・ヌロさんは、1993年に退官するまで、ジュクンドォ(玉樹)州裁判所の職員をやったり、曲麻莱県の副県長をやったりした方ですが、その時々で呼ばれる名前が変化しており、本書で一番多く呼ばれる呼ばれ方は「ヌコ」です。ねこのネットスラング「ぬこ」を連想しながら読みました。
本書の訳で好きなのは、チベット人のオノマトペというか、「オ・ヤ・ロ・ロ!」(頁119)とかそういう、驚きや何かの時に漏れる音波をそのままカタカナで書いてる箇所です。ほんとにチベット人がそばでしゃべってるみたいな。ディクパ・コ!オフパ・コ!
本書の註は、けっこう出典を示してるだけで、知りたきゃ出典読めよ、読めば分かるさの世界です。註があるのかないのか分からないものも多く、例えば、「ゾン」は、ブータンとか知ってると、ああアレね、と、あれってなんだよの世界になりますが、「ロ」が分かりませんでした。
頁134
(略)そこへ馬に乗った男が現れ、「お前達はどこのロだ?」と尋ねた。ツェホルが「ゴツァ・ロだよ。何でだ?」というと、彼はさらに(以下略)
上が「ロ」が最初に出て来る箇所だと思います。氏族(クラン)部族(トライブ)みたいな定義なのか、住んでる村落一帯を言うのか、分かりませんでした。主人公は甘粛側のアムドのはずですが、後半はゴロのカテで見られます。ゴロはタフだから自給自足で食料を見つけ、飢え死にしない。えらいもんだ、的な。
頁176に、ラサ巡礼の道すじがだいたい載ってます。チャラン湖とンゴラン湖と書かれているこのふたつの湖って、ザリン湖、オリン湖じゃないのかと思いました。マドォの近くだし。ここは私も行ったことがあり、漢族が湖の水産資源のでっかい魚を獲りまくって平トラで都市部へピストン輸送してるのを、トラジや馬のチベタンが「呪われろ」みたいなこと言って毒づいてました。ここから星宿海を経てナムツォまで西へ進み、そっからラサへ南下するのが巡礼のルートなんですね。またエラい道を行くものだ。自然動物の描写がハンパなくよかったです。星宿海は、旅行人のチベット編に、馬で行くとかなんとか書いてあり、リチャード・ギアも魅了するチベットみたいな本の著者の人が、どこかの大学生が馬で行ったと、昔言っていた気がします。チベット人の若者も馬で行ったと、青海省の教育機関で聞いたこともあったようななかったような。上記木村肥佐生の本では、民国時代に砂金掘りに連れてこられた漢族囚人が逃亡行き倒れのざらしになってるのを、西川イチゾーさんと目撃する箇所があったかと。そして、私が玉樹で目撃した、党書記殺害の罪で公開裁判で死刑を宣告された首領の回教密猟団は、この辺を縦横無尽に解放軍ジープや東風でうろつきまわっていたらしいです。いいなあ、三章。そして四章はかなしく、五章はむごく、つらい。以上です。