だいぶ間が開きましたが、続けます。
編訳者:海老名志穂サン。段々社編集坂井正子サン。装丁者未記ながら、担当されたということなのか、草本舎の青木和恵サンにイラストレイアウトの謝辞。イラストは蔵西サン。日本学術振興会特別研究員研究奨励費と東外大AA研共同利用・共同研究課題「チベット・ヒマラヤ牧畜文化論の構築 ー民俗語彙の体系的比較にもとづいてー」の成果一部。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
概括は上記。
五人目はトクセー・ラモサン。 རྟོགས༌སད༌ལྷ༌མོ། rtogs sad lha mo
最初読んだ時は、ラサっ子かぁと思いましたが、広域行政区分としての拉薩で、実体はラサ市街から車で五時間かかる(グーグルマップ調べ)ところの出身みたいです。
本書ではチベット語の地名が「ペンボ」と書かれてますが、併記されてる漢語名《林周県》のウィキペディアを見ると、林周県のチベット名はルンドゥプ県となっていて、ペンボはそこを流れる川の名前みたいです。
いずれにせよ、アムド主体の本書では珍しい、中央チベットのしとです。本書は詩人の漢語名を一律載せてません(理由は不明)が、この人は例外的に、検索すれば漢語名出るんちゃうかと思ったのですが、出ませんでした。残念閔子騫の反対。
རྟོགས་སད་ལྷ་མོའི་སྙན་ངག | ཀྲུང་གོ་བོད་ཀྱི་དྲ་བ།
རྟོགས་སད་ལྷ་མོའི་སྙན་ངག་བདམས་བཀོད། - མཆོད་མེ་བོད་ཀྱི་རྩོམ་རིག་དྲ་བ།
べっぴんさんで、上のサイトにも画像があります。
例によって、下記、詩のタイトルの原文の、打ち込んだ字が合ってるかは知りません。こうやって、グーグル翻訳の魔の手が伸びていない文字、言語で遊べるのも、あとどれくらいだろう。
『私とラサとの距離』ང༌དང༌ལྷ༌སའི༌རྒྱང༌ཐག
2010年に海西州(青海省)の文芸誌「カンギェン・メト」གངས་རྒྱན་མེ་ཏོག "GANGS RGYAN ME TOG" 《岗尖梅朵》に掲載された作品。この人は2014年に青海民族出版社から『チベットの女』བོད་པའི་བུ་མོ།という詩集を出していて、そこにも収められているそうです。བོདがチベットで、བུ་མོが「娘」だそうなので、どちらかというと詩集の題名は『チベットの娘』でいいのではと思いますが、そうするとあの有名なリンチェン・ドルマ・タリンサンの中公文庫自伝邦題とカブるので、それで『チベットの女』なのかもしれません。
བུ་མོ - Wiktionary, the free dictionary
チベットの娘 : リンチェン・ドルマ・タリンの自伝 (中央公論社): 1991|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
上は、この詩と途中まで同じ文字が並んでる歌。宝くじにでも當たった歌でしょうか。这首歌是藏人小伙子中彩票的歌吗?
チベット語のカッコには、༼ ༽ という記号を使う風潮があるんですね。どんな言語でもこういう遊びが流行る素地がある。
『神々に守られるチベット人』བོད་ ངས་ཁྱོད་ལ་བྲིས་པ།
これも、2014年の詩集『チベットの女』བོད་པའི་བུ་མོ།に載ってる詩だそうです。これは、ネットに落ちてたので、拾いまして、ので、打ち込んでません。
ཀྲུང་གོ་བོད་ཀྱི་དྲ་བ།-བོད་ ངས་ཁྱོད་ལ་བྲིས་པ།
本書ではこの詩のタイトルをབོད། ངས་ཁྱོད་ལ་བྲིས་པ།と書いていて、ネットに落ちてるのと、一ヶ所だけ違います。「།」という文末にしかこない句点みたいな記号が、本書ではチベットを意味する単語の後ろ、文中についていて、文中に置くのがアリかナシか、私は分からないのですが、ウェブに転がってた詩にはついてないので、珍しい本書の誤植の可能性もなくはないと思ってます。
『チベットの女』所収の詩は大概ネットに落ちてるかと思ったのですが、『私とラサとの距離』は落ちてないので、逆になんでやろと思いました。
『チベットよ 私はあなたを書いた』ལྷ༌ཚོགས་ཀྱིས་སྲུང༌བའི༌བོད་མི།
未公開作品。執筆は2020年とのこと。
その後の数葉のイラストは、家屋、ポタラ宮、ジョカンというのかバルコルというのか八角街というのかの一角で、ビャクシンをもうもうと焚いてる場所、だと思います。
その後、三浦順子サンの【コラム5】「チベット伝統医学の女医」1980年代のダラムサラにおける名医、ロブサン・ドルマ女医を引き合いに、チベット医学と女医について平易に説明してくれます。伝統的なチベット医学を学ぶ方法は、三つあるが、①僧院併設の医学院で学ぶ方法は男子限定。②ダライ・ラマ13世がラサに設立したメンツィーカンで学ぶ方法も男子限定。③医師の家系に生まれたものが親から教わる方法は女子もオッケーだが、跡取りはまず男子で、女子へ医術の伝授は例外的だとか。
それでもロブサン・ドルマ女医のように、名医は生まれるということで、三浦さんによると、チベット医学はかつては仏教の伝統学問のひとつに過ぎなかったが、チベット人の世界各地への拡散に伴って、インドのアーユルヴェーダ同様、人類の生活圏のそここで、代替医療の一角を占めるまでになっていて、で、現在では、自治区でも亡命政府側でも、男女平等にチベット医学を学んでチベット医になることが出来るんだそうです。
以上