「週刊読書人」2021年1月1日号(2020年12月25日合併号)"Weekly Book-Lover"読了

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集広舎『ナクツァン あるチベット人少年の真実の物語』という本に、安倍治平という人が『アムドにおける叛乱の記録』という論文を寄せていて、その中で、『ナクツァン』ではモンゴル人部隊の残忍さについての証言が収められているが、これは、楊海英『チベットに舞う日本刀』に書かれている、中国人部隊は残忍だがモンゴル人部隊は思いやりがあったとする記述と矛盾している、楊海英本は中国の《战斗在高原》という本を下敷きにしているが、これは鎮圧する側の記録なので、『ナクツァン』での証言のほうに真実があるのではないかというようなことを書いていたです。

で、当の楊海英教授がこの専門紙に『ナクツァン』の書評を寄せているというので、何らかのアンサーが書いてあるのかなと思って、有料のウェブ版を買ってもよかったのですが、紙版も買えたので、紙版買いました。送料100日元。

いや、そしたら、講談社『中国の歴史』全十二巻の講談社学術文庫化を記念して、三巻と九巻の執筆者おふたりで対談をやってるので、思わず読み耽ってしまいました。これはホント、漢籍の読み込みスピードほかでは絶対に中国人にかなわない日本人が、それでも海を隔てた適度な距離から、世界史の中での中国の歩みを見つめ続けた研鑽の成果のひとつとして、今後はこのジャンルが衰退してしまうかもしれませんので、この時点で絶対に、残しておかなければならなかったアンソロジーです。

この対談でも、本シリーズは中国台湾でも大変な反響を呼び、累計百五十万部を売り上げ、本シリーズが契機となって、日本を学びに日本へ留学するのでなく、日本に中国史を学びにやってくる留学生が陸続と現れた、とある一方で、天児慧著の現代史の巻と、最終巻『日本にとって中国とは何か』が、台湾では出版されたが、中国では翻訳出版されなかったとあるとおり、現代中国の官製史観攻勢が日をおって激烈になってますので、どこまで邦人が伍していけるか、不安だらけだと思っています。だいたい本シリーズ刊行後、《中华文明传真》というあまりおもしろみのない官製史観本が『図説中国文明史』の邦題で創文社から出てきたのがなんだかなあ、だったです。

http://publish.commercialpress.com.hk/b5_book_detail.php?id=6052

CiNii 図書 - 図説中国文明史

別にこんなの出したから創文社がつぶれたとも思ってませんが、でも引き受けなくてもよかったんじゃいかとは思います。図説中国文明史は、講談社版中国の歴史だけでなく、農文協の図説中国文化百華に対してもカウンターだったと思う。

図説 中国文化百華_農文協刊行

講談社版は斬新な執筆者がゴイスーと、金文京、小島毅靖国史観の本も書いた人)などを挙げて自画自賛してますが、私としては、モンゴルの杉山正明さんや、中国語で論文を書いて、台湾で侃々諤々、2ちゃんにスレまで立った平勢隆郎先生が出てきたのが、こりゃスゲエ、でした。上田信という人も、『トラが語る中国史』(山川出版)は読んでいて、なんて角度から切り込んでくるんだろうと息をのんでいたです。トラが語る中国史も、あるところに寄贈しようと思ってますが、受けてくれるかどうか。

上田信という人は、環境歴史学の方向で行くのかな、と思っていたのですが、その後は、鄭和についてなど書いていたそうで、読んでみようかなと思いました。星野之宣『海帝』は、ギャビン・メンジーズ『1421』になるのかとばかり思っていましたが、たぶん、上田サンの『侠の歴史』なども読んでいたんだろうなと思います。

「俠の歴史」シリーズ|社会科教科書|清水書院

bookclub.kodansha.co.jp

講談社は三十年ごとに新たに「中国の歴史」シリーズを編んでいるそうで、今回加藤徹さんが間に合わなかったけれど次回はまだイケるのかというのもありますが、それ以外だと、誰がいてるのか、気がかりだけガーという心配ばかりの昨今です。三十年後は中国の官製史観が覆い尽くしてるのか、それへのカウンターとして、石平や楊海英教授が日本語で書きまくるシリーズになるのか、それとも。

それ以外の「読書人」今号は、新書特集で、その中に冨山房が入っているのはいいとして、その本が、きだみのる『気違い部落周遊紀行』で、突き抜けてる感がハンパなかったです。

見開きで、新年のあいさつと、よくある、取引先各社の、名刺サイズの羅列があるのですが、出版社と印刷会社以外に、書店も三社ほど入っていて、啓文堂書店はともかく、町田の久美堂と、群馬の煥乎堂が出ていて、へーと思いました。有隣堂はないです。三省堂紀伊国屋もないです。出版社も、例えば、勉誠出版国書刊行会はないです。ぜんぶあったら見開きサイズではとうてい済まない。

読書人一同の新春の挨拶はオードリー・タン(唐凤)の引用。

で、楊海英教授のアンサーなのですが、モンゴル騎兵の将校は陸軍士官学校卒が多く、作戦命令も日本語で書かれていた、日本もまた間接的に連環しているのであるとのことでした。そういう本も書いているので、分かる気もしますが、読書人はネトウヨが読む新聞でないので、書けたようにも思います。

話を戻しますが、アタマの巻頭頁の写真見出しに、劉邦から云々とあるのは、中国では現代も主賓をホストの右側に座らせるのが当たり前田のクラッカーで、なんでかというと、右利き前提ですが、ホストが直箸でゲストに料理を取り分けてあげるのが漢族風「お・も・て・な・し」なので、それでイの一番に主賓に料理を取り分けてあげられるよう、主賓をホストのすぐ右側に座らせるのだそうで、これって、漢族空間では空気や水のような、あって当然のインフラストラクチャーなので、気づく人も指摘する人もいないが、中国に留学するワイグオレン、ヨウチーシリーベンナヤン、ドゥイジョングオリャオジエビジャオハオ的エスニシティーがある時ハッと気が付ける文化習慣で、それでもって実は四千年前だか千年前だかの文献の記述も理解出来てしまうという… 本書執筆者の多くは、若い時に中国で留学出来ていた人間が多いので、そうした見識がこのシリーズの随所に横溢している。棒极了,みたいなことが書いてあります。おそらく前回のシリーズ執筆者にも、戦前の中国に長期滞在して、文人と交流があった書香の人は多かったと思うのですが、いい意味でも悪い意味でも「人民中国」と触れ合って研鑽したのが、改革開放以降の戦後留学組。例の、ケンカみたいな語気で言い合う文化にあてられて、それを咀嚼した人たち。なんしか、偶然ですが、こうした総括が読めて、幸甚だったと思いました。

以上