『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 4 & 00. by Hao Jingfang 第四章と第00章読了

第三章の終盤に、将来的に不動産価格は高騰するので、ぜったいに今のうちに分譲マンションなどを押さえておかねばいけない、という話が出ます。

これ、2006年の話で、よかったでしょうか。北京なので、環状路ほか都市整備が着々と進んで、五輪開催を見据えていたのだと思いますが、前世紀末に既にして、どんな地方都市でも公務員宿舎などの払い下げというかタダみたいな値段での買い取り所有化があって、その団地の部屋を転売して儲けるミニ万元戸がそこここにいたと聞いています。前世紀末でも、儲ける人間はもう儲けてしまい、今からでは割高の購入になるだけだみたいな話がありました。結局いつでも、どこでも、目端の利く人間は、そこからまだ儲けられる、値上がりすると読めて投資して高額の利益と共に資金を回収出来、そうでない人間はいつでも踊らされて乗った船がドロ船で、沈むだけなのかもしれません。

第四章前半は、80年代中国を知る外国人にとってもうれしはずかし、闇チェン、チェンジマネーの話です。実態経済と表向きの為替レートに乖離があり、外貨を持つものだけが輸入品で大きく儲けることが出来た(取り締まられなければ)の時代。父親は下放時代の知り合いの農村青年(富農出身)とともに、冷蔵庫工場の外国為替五百万元を持って、天津から南方へ旅立ち、広東、深圳、羅湖で闇チェンほかで資産を倍増させようと目論みます。素晴らしいですね。工場幹部が口頭であいまいにうなづいて、国家の要請にこたえて工場も改革開放を推進しよう! と言って為替の持ち出しに暗黙の許可を与えるところが笑えました。

チェンジマネーですが、目の前で紙幣を数えながら手品の要領で中身を抜いて、渡された時には半分の枚数になっている、あの有名なウイグルマジックの場面は出ません。ウイグルって言葉は、バックパッカーの世界では、こういう時にも使われてたんだよなあ、そういえば(モンゴルマジックやチベットマジックはありません)

主人公は海外留学や院試を勧められながらも優柔不断で決め切れず、結局、データ入力するだけの公務員の端くれになります。コネで。

頁106(第四章)

「もし自由と責任があるとしたら、どちらを選択すべきなの?」

「わからない……」父は言った。「……でもこの二つは、ふつうは分けられないんじゃないか」

そして分譲マンションを買います。2DK。六十平米餘。頭金二十万元。残り二十万元は三十年ローン、月々千元の支払い。

頁108(第四章)

コンパクトなモデルルームは効率的に見え、外観も華やかだったが、建築現場は乱雑に散らかり、将来のアパートは鉄筋とコンクリートがむき出しになったまま雑然としている。

彼女が入力するデータは統計局の、GDPに関するもので、國府時代からのバンカーだった祖父(山西省の行内ボイさんが解放軍に従って北京へ)は、大躍進の二年間は数字が正しくなかった結果起こったと警鐘を鳴らし、実際入力データは正しくないのですが(笑)2006年なので、何も起こりません。杞憂。日本でも年金データがてきとう入力だったので払い込んだ年金が消えたりなんだり、いろいろ起こりましたが、驚天動地のみぞうゆうの大混乱の中、政権委譲や革命が起こるほどではなかったので、実質何も起こりませんでしたと言っていいようなよくないような。

ここはストレートに大躍進批判をしてて、発表の2016年当時はおkだったわけですが、今のキンペーチャン政権三期目だとちょっとコワイ気もします。こうやって皆己のこころの中の自粛警察に忖度してゆく。

頁119(第00章)

(略)統治者は人々が自分で物事を考えるのを妨げるために彼らを貧困に陥れているのではなく、それとは全く逆に、統治者はあらゆる力を使って人々が富むように仕向け、その状態を自分の立脚点にするのだ、と。

 それを私はこの目で見たのだ。

例外、小さなバイキング、プッケ、他。以上