『海を見ていたジョニー』"Farewell, My Johnny." by ITSUKI HIROYUKI ○五木寛之(講談社文庫)読了

『青年は荒野をめざす』*1『さらばモスクワ愚連隊』*2と来たので、これも読んでみました。

カバーデザイン・石岡瑛子 写真・内藤忠行 いきなり凄いの来た。

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コロナカで鬱屈した都民の思いが凝集して大盛況だった都立現代美術館の石岡瑛子展はまだ記憶に新しいかと。

石岡瑛子 - Wikipedia

内藤忠行 - Wikipedia

表紙(部分)左をドアノブかと思い、自由へのどこでもドアのドアノブかなあと思いましたが、トランペットのマウスピースだと思い直しました。右がトランペットなので。ほそながい部分がついてるはずなのですが、とれてるのか外してるのかは分かりません。そもそも着脱可能かどうか知りません。そしてあいだに鳩。鳩を撃つ。

五木寛之サンの講談社文庫では本書と『さらばモスクワ愚連隊』が同じ体裁で、写真は波濤です。こちらも石岡瑛子ザデインと思われ。『風に吹かれて』も黒い表紙なのですが、ちょっと体裁がちがう。ほかはもっとちがう。

解説は川崎彰彦サン。これも凄いの来た。早大露文科の同窓なのかな。

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川崎サンは寡作で古書店ボッタ値ばかりなのですが、なんとか一冊読んでます。

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津野海太郎サンの本に出てきたので読んだはず。津野海太郎サンを読んだのは、山口文憲サン『団塊ひとりぼっち』に出てきたから。津野サンは、生涯独身と思いきや還暦で初婚という、これも凄い経歴。ナイジェリア發國際ロマンス詐欺に引っかかったのではなく、編集者と結婚したんじゃいかな。

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「野牛バッファローのジョニーと言う奴もいる。座間のキャンプから時どきこの街へ出てくるんだよ」

頁16。ジョニーは座間キャンプから来ましたと。もうこれでおなかいっぱい。なんでアーミーがネイビーの基地に來るんだよとか、そういえば青春の門も五木サンでしたねとか、人間の条件とどっちがおもしろいでしょうかとか、思考はさんざ乱れる。舞台はおそらく横須賀です。車で行くにしろ、電車で行くにしろ、行きにくそう。246もしくは東名で大和トンネルの渋滞を抜けて、保土ヶ谷BPから横横。電車だと、どう行くんだ。JR横浜線もしくは相鉄線で横浜に出てJR横須賀線もしくは京急に乗るのか。

ジャズは人間だ、良い人間だけが良い演奏をやれる。そう信じる黒人兵ジョニーのかなでるピアノは、少年の心にしみた。しかし、彼が汚い戦争から戻ってきた時もはやブルースは・・・・・希望と絶望が交錯する五木寛之の魂の詩「海を見ていたジョニー」。ほかに「素敵な脅迫者の肖像」「盗作狩り」「CM稼業」「私刑の夏」など。

カバー裏の作品紹介。ジョニーはズージャでなくレゲエをやるべきだったか知れません。

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素敵な脅迫者の肖像』業界もの。頁50、おでんもあればブイヤベースも出来る店だが、テレビだけがないという小さなレストランのメニュー、五目スパゲッティが印象に残りました。エビとハムとグリンピーストシイタケが入っていて、紅ショウガの薄切りがそえてある「国籍不明の料理」だとか。川崎サンも解説で取り上げてるくらいなので、みな思うことはいっしょなのかと。

盗作狩り』文部大臣が郷里の中学校校歌に自作の詩を贈った。しかしそれは、地元の少女が市制施行記念に市が募集した歌に応募し、佳作となった作品だった。少女の妹がワイドショーに投書したのがきっかけで、制作スタッフが動く。実は大臣の詩は、ある大物作詞家にこっそり作詞を依頼し、第一秘書が作詞料をピンハネしたものだった。大物作詞家は出入りの下請け作詞家希望青年にその仕事を丸投げしピンハネした。青年はその市の図書館で市の広報誌バックンナンバーを閲覧した際にその詩を見つけ、こりゃいいと完パクした。しかしその詩は応募者の姉が自作したものでもなく、さらに事態は混迷をという。たぶん福岡の中学校なのですが、地元公務員や教育関係者の誰も気づかなかったのでしょうかと、今こうやって整理しながら思いました。

CM稼業』業界もの。ダマテンで代理店二社に競作させてたメーカ。その掌で踊った広告マン(というかCMプランナー兼音楽プロデューサー)

私刑の夏』これだけ毛色の変わった作品で、敗戦後38度線の北に抑留されて、南下出来なくなった引き揚げ者たちの話。川崎サンの解説によると、早大には引き揚げ者が多く、ほかにもこのテーマで作品を学内ガリ切り同人に発表していた者がいたとか。手元に現物がないので記憶だよりと言いながら、川崎サンは、その学生はイニシャル「I」でペンネーム大貝邑二と言い切ってます。誰なら。検索しても何も出ませんでした。

頁204

「(略)おれは日本人だが、日本が嫌いだね。この土地で散々いい目に会ってきたんだ。風向きがかわれば悪くなるのは当り前だろう。勝手によその土地へ乗り込んできておいて、具合が悪くなると早く帰してくれとギャアギャア騒ぐんだ。そんなに内地が良けりゃ、内地を離れなければ良かったのさ。そうだろう、え? 」

そう言いながら、ソ連軍に通じて引き揚げ者からいろいろ捲き上げて暮らしてた青年もいい加減北朝鮮はヤバいと見切りをつけて帰国しようとします。しかし。

川崎サンは本書の作品はすべてデビュー翌年に書かれたものと書き添えてます。文庫化されるとロンダリングで初出が分からなくなるアレを鑑みての一行。こういう気配りが当たり前に出来る人が、えてして市井に埋もれるのであろうと。以上