パセ カムイ オピッタ イヨルンクル『重い神々の下僕』三好文夫 "The Servant of the Heavy Gods" by MIYOSHI FUMIO「北海道文学全集 第十一巻 アイヌ民族の魂」〈HOKKAIDO LITERATURE COMPLETE WORKS vol.11 The Soul of Ainu.〉読了

立風書房が昭和五十五年(1980年)に出した北海道文学全集第十一巻は「アイヌ民族の魂」をうたっていて、下記作品が収録されています。

『風に乗って来るコロポックル宮本百合子

『コタン』違星北斗

『若きウタリに』バチェラー八重子

『原始林』森竹竹市

コシャマイン記』鶴田知也

アイヌの学校』長見義三

『暗い砦』今官一

『対談・アイヌ』鳩沢佐美夫

『重い神々の下僕』三好文夫

解説 高野斗志美

北海道文学全集 第11巻 | NDLサーチ | 国立国会図書館

装幀者ー栃折久美子

パセ カムイ オピッタ イヨルンクも、検索で出した単語のつぎはぎです。パセが重い、カムイを複数形にする意味があるのか、そもそも複数形があるのかと思いましたが、カムイ オピッタという言い方が出たので何も考えず使って、召使いの意味のイヨルンクをつけて。

三好文夫という人は、出自民族を明記されてる箇所が見つからなかったんですが、道産子です。かなり先鋭的なアイヌに関する小説などを書いていたようです。昭和五十三年(1978年)49歳で大雪山愛山渓でなくなられたとか。解説の高野斗志美サンとは共著もあったようで、解説はズバリ下記を引いてます。

頁341  解説

アイヌ問題、ね。ぼくにはよくわからないんだけど、いったい、現実に今、アイヌ人って存在するの?」

「永い浸略期ママと、その後の同化政策の結果、すっかり混血してしまった。民族的信仰も文化もすでに保有しているとは言えない。とすればもうアイヌ人は存在しない。しかしね、アイヌ人だとして差別される人間が居り、差別する人間が居る次元には、当然アイヌ人は存在するのだし、そういうところからアイヌ問題は発生してくるんですよ。わたしはアイヌ人だ。アイヌ系日本人ではない! と叫ぶ若い人たちが出てくる。すると明確にアイヌ人は存在するわけです」(三好文夫『シャクシャインが哭く』潮出版社、昭47・9)

アイヌ系日本人(アイヌ民族日本国籍)がいるのなら大和民族系日本人(大和民族日本国籍)もいるわけで、日系ブラジル人や日系ペルー人の例を出すまでもなく、私は「~系日本人」にそれほど違和感ないのですが、人によって温度差はあって当然なのかな。高野サンの解説は同じ三好サンの『アイヌの歴史』(講談社。昭48・8)から舊土人保護法を引っ張って、第七師団大倉喜八郎ガーとか書いてます。

頁339 解説

一、蒙昧無知にして不潔なる旧土人を、市街の中央に介在居住せしむるは衛生上極めて危険なり。

(略)

(『旭川市史稿・上』より)

あと、高野サンは内容に触れずにこれも嫁と、小笠原克「日本人にとって《アイヌ問題》とは何か」(『《日本》へ架ける橋ーー北海道にてーー』、辺境社、昭47・12)と小笠原克「Ⅰ 蝦夷地とアイヌ民族へのアプローチ」(『近代北海道の文学 新しい精神風土の形成』、日本放送出版協会、昭48・11)を書いてます。読まない気瓦斯。また、解説冒頭で、本書収録作家以外の、戸塚美波子という若い世代のアイヌの詩「血となみだの大地」から引用してます。(『コタンの痕跡 アイヌ人権史の一断面』、旭川人権擁護委員連合会、昭46・1)

頁335

 (略)

 私の父母は アイヌ

 アイヌは アイヌなのである

 (つまり人間である)

このように高野サンは煮えたぎりまくってるわけですが、どうも私は読んでいて、未読で読むつもりもない香山リカ×小林よしのり対談同様、これでは論破というか、相手を折伏(しゃくぶく)出来ないのではないかと思いました。スターリンの民族の定義にある、彼をどの民族に帰属せしむるかの一因、「自己同一性」アインデンティティの応用編で、他者からの規定(差別)が互いの民族を形成するという話だと、その解消は何も「民族」という錦の御旗を立てなくてもいいんじゃな~い、と、右でなく左のなだいなだサンあたりも『民族という宗教』(岩波新書)で言ってるような気がするからです。「民族」以外のやりかたで差別解消に向けて努力すればいいじゃん、いやそれじゃダメなんだ、あくまで「民族」でないと、という話が日本だとこんなに話しにくい。ヘソで茶を沸かすレベルの面白さ。民族という錦の御旗が56個も確立されている中国で、少数民族のそれが蹂躙されているというふうにスラスラ話がつなげられるのとちがって、日本はなかなかです。高野サンのように、アドルノが憤死したのと同様の寸前までイキってもしかたないので、地道にやるしかないと思いました。

ツルツルページの本作関連。

アイヌの神への尊崇断ちがたい青年が、多くの同族と訣別して、ダイナマイト強奪犯人の容疑で逮捕……。アイヌの〈重い神々〉と深い苦悩を描いた中短編集。

語り手は、「発行部数六万たらずの、地方新聞社」(頁310)勤めの三十代後半男性。既婚者。六万部も出てるのに「足らず」なんですか? と現代人の価値観で判断してはいけないという。

私は、所謂土人学校の時代がいつからいつまでで、北海道における民族混淆公立学校の時代がいつからか不勉強なので、検索しました。国立アイヌ民族博物館のFAQによると、1937年(昭和12年)を境にアイヌ学校は廃止されたようです。そこから共学化と、それにまつわる問題が始まったと。

お問合せ・よくある質問 – 国立アイヌ民族博物館

様似町のひとの別サイトの記事を見ると、様似町の学校は昭和七年、少し早めに廃校になってます。その頃北海道のあちこちでいろいろあったのかなと。下記は主人公の家に行った語り手が女性から投げつけられる言葉。

頁310

「わたしは、あんたを覚えています。私は貧しいコタンの子でした。あんたは金持の獣医さんの坊ちゃんでしたね。わたしは確か、一年生か二年生でした。あんたは六年生で級長でしたね。……廊下の片隅で、わたしはアイヌアイヌと囃し立てられ、小突かれるままに泣きじゃくっていました。そんな時通りかかったあんたはいつも見て見ぬ振りをしましたね。コタンの子を助ける気持はなかったのです」

「……………」

 栗原に、応じる言葉はなかった。そういうことは確かにあった。いや、数多くそういう場面に遭遇した。(略)

語り手は主人公にもそういう不義理をしています。『君たちはどう生きるか』のコペルくんだったら、とりあえず寝込んで、ガンダーラ美術になぐさめられるところです。主人公は、下記のような人間です。中学校時代、同級生(語り手とは別人)を助けて言うせりふ。

頁315

「そんなこと、気にしないでいいさ。お前は良い人間だよ。だが俺は、アイヌ人以外のものに、人間の気持ちを求めたりはしない」

人並外れて体格もよく、学業も優秀だった彼が、中学を中途退学して猟師の道(伝統的なアイヌたつきの道)に入るまで折られ続けた毎日があったと。下記はつきあいのあった猟師の証言。

頁321

「菊さんはアイヌ人だから、俺たちにゃわからん神様を信心しとるんだが、熊の居所が俺たちに皆目見当がつかない時だって、菊さんはちゃんと探し出すよ。アイヌの重い神様が教えてくださるというのだが、それにはかなわんよ。なんてったってな」

「重い神様ですって?」

「そうよ。……俺もわからなくて聞いたらな、重いっていうのは、偉いってことだってねえ」

主人公の名前は志藤菊治で、父親が頑固にアイヌの戒律イレンカを守り通し、その志を受け継いだとか。日本の戸籍も守らないからアイヌ式の婚礼をしただけで妻の籍を入れるとかそういうこともしない。誰でもそこまで読んだら、じゃあなんで名前が志藤菊治なのと思うかも。同民族以外にアイヌ名を教えてないんだろうと思いますが、叔父にあたる人物は紋間イペウクという名前なので、志藤ビッキとか志藤シンリツ・エオリパック・アイヌとかそういう名前で知られてもいいのではという向きも無論あろうかと思います。でも、そういう名前が三界に知られることまでひっくるめて軽蔑してる、古典原理主義アイヌの人だったのかもしれません。『暗い砦』のカニは遠く札幌まで知られた快男児だったわけですが、三好さんは主人公をそういうふうに造型しようとは思わなかったようです。下記は叔父の証言。

頁326

「わしとてアイヌ人としての誇りはもっているつもりです。東の窓はカムイプラヤといって、神々の出入りなさるところです」

 イペウク老人が指差した東側の窓の柱に、アイヌ人の木の幣がまつられてあった。

「……菊治は、幼い頃から神々への祈りを父親に教え込まれました。菊治の父親は、祈りを知らぬアイヌ人を同族ウタリと認めなかった。わしもそれには異論はなかったが、しかし幼い菊治が可哀想に思えてならなかった」

下記はかつて同じコタンだった人間の証言。

頁331

「菊治はわたしらを、騙りアイヌと言って貶すのですよ。こうして観光地で商売をするのがいけないと難癖をつけるのです。アイヌの神々と祖先の伝承を売りものにしていると言うんです。おかしいじゃありませんか。わたしは歴としたアイヌ人だ。神々のお恵みを受けてこうやって暮らしているんだから、決してアイヌ人を騙っちゃあいません。(略)」

(略)

「……だが、それがどうなります。喰って行けなければ神々もなにもないでしょう。この観光コタンは戦後、いまの長老エカシがあちこちの貧しい同族ウタリを呼び集めてこしらえたのですが、それまで喰うや喰わずだった同族ウタリたちが、今ではどうにか此処で人並みの暮しをしているのです。それがなぜいけないのですかね。わしらが湖畔に見切りをつけて此処へ移って来る時も、菊治はわしらを塵屑みたいに罵りましたよ」

 いまの栗原には、そういう志藤菊治の心中がなんとなくわかるような気がするのだったが、だからといってこの男が、神々に罰せられなければならないとは思えなかった。

「志藤君は、最近このコタンに来ましたか」

「……もう、ずいぶん来ないね。わたしらが団体客の為に熊祭りをしていた時、菊治が暴れ込んだのは確か二年ほど前で、それきりです。もっとも、もう来られた義理じゃありませんがね」

右はピリカ社版「原始林」口絵

『原始林』作者の森竹竹市サンはこんな歌も詠んでます。

柾屋根はローカルカラを害ねると嘆ぜし人ありコタン視に来て

しかし私は柾葺屋根なんてものを見たことがなく、日本の農村伝統建築と言えば藁ぶき屋根だと思っていたので、萱葺きといえばアイヌ家屋、大和民族は柾屋根という道産子の常識がまったく分からなかったです。しかも本書のツルツルページだと萱葺を「カラブキ」と誤植してるし。固く絞った雑巾で拭いた屋根なのかよ。いや、カラマツで葺いた屋根か。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/Shirakawa-go_houses_1.jpg/450px-Shirakawa-go_houses_1.jpgだから逆に、北海道の人は岐阜の合掌造りを見て、アイヌのチセかと思うかというと、さすがにそれはないのかな。壁がちがうから。で、『暗い砦』に、「彼ら民族の風習として、死人の出た家は焼き払われる」(頁235)とあり、それを踏まえて二風谷コタンのストビューなど見ると、焼き払われず残ったために、見えるはずのないものが幾人も幾人も、うそです。鬼城、うそです。

茅葺 - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/36/Zemaiciu_kletis%2C_2007-04-21.jpg/375px-Zemaiciu_kletis%2C_2007-04-21.jpg左はウィキペディアに載ってた、リトアニアの19世紀の茅葺き家屋。

この小説は、ダイナマイト70kg盗難の話で、ダイナマイトといえば爆破で、アイヌと爆破というとシャクシャイン処刑の日に起こった「風雪の群像」爆破事件(実行犯は民族派とは無関係のテロ組織)ですが、この小説は事件より前の発表で、しかし三好さんは最初に「風雪の群像」作者に異議申し立てをした人だったそうです。

kai-hokkaido.com

本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市中央区宮の森)の吉崎元章館長はいま、本郷のスケッチやメモ、日記などの一次資料と向き合いながら、美術誌「美術ペン」(1966年創刊・北海道美術ペンクラブ)で、この事件のいきさつを詳細に再検証する連載をつづけている(「本郷新『風雪の群像』をめぐって」。2021年春号スタート)。

これ、読んでみたいと思ったのですが、まだまとまってないのかな。上のサイトでは、「風雪の群像」事件をこう総括しています。

(略)近年では「セトラーコロニアリズム」という考え方が議論されている。セトラーとは、外部からやってきてやがてその地の主権を握った人々のこと。アメリカやオーストラリア、そして北海道などはセトラーが作ってきた社会だ。

議論ではまず、セトラーには現代においても、多くの人が半ば無意識に抱いている植民地主義を自覚することが求められる。(略)その上で、先住の人々とセトラーが過去に起きたことを共に考え、相互に受け入れ、現在において尊重しあう関係を築くことが掲げられる。

下記は、語り手が主人公の叔父の牧場まで乗せてもらった馬車での道中の話。

頁324

(略)彼はその若者の澄んだ眸と長い睫に、アイヌ人の面影を見た。きっと混血だろうと彼は思った。

(略)

「紋間イペウクさんを、もちろん御存知でしょう」

 若者は栗原を窺うように見た。

「よくは知りません」

「でも、きみはアイヌ人でしょう?」

(略)

「知りません!」

 若者の態度が急に変った。(略)

関西人なら絶対にしない質問。下はイペウクサンによる謎解き。

頁327

「(略)あの男は、菊治とはまるで逆でね。アイヌの総てを軽蔑しているのです。アイヌと呼ばれることを、何よりも嫌悪している。アイヌ人の母親を憎み続けている。混血の若者に良くあるタイプなのですが、それを叱ることは、誰にもできないでしょう。……」

森竹竹市サンの詩に、「雑婚ーー 混血ーー 同化ーー これをしも滅亡ほろびと云うなら 私は民族の滅亡の 一日も早からん事を希う」(頁82)「エカシの孫は エカシの血こそ混れど もうシサム(和人)になるんだ シサムにーー」(頁83)というのがあるわけですが、改めて、民族要件のひとつはアイデンティティと思います。だからアイヌ意識を高めないよう、アイヌ自称者にメリットを付与するな、という言説が民族施設をめぐって出てくるかどうかは知りません。下記は森竹サンの短歌。

頁95

先導が一人出来たぞ今度こそウタリよ行こう! 自力更生

(外山兄当選)

自力更生キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と思ったので載せます。もう少し毛沢東がチョッカイ出してたらすごいことになってたんだろうな、北海道。

頁328

 自分も、そして妻も、アイヌ人に生れ合わせなくてよかった、と栗原は、志藤菊治の身辺を探っていてはじめて、それまでまるで関知しなかったアイヌ人の苦渋の内部を覗かせられたいま、ふと、自分たちはその囲いの外側にいる人間であることに安堵したのだった。

この次の行で語り手はイカイカンそんなことではイカンと反省するのですが、私はここを読んでいて、「中国人に生まれなくてよかった、あんな過当競争社会に生まれなくてよかった」という邦人社会にまたしても思いを馳せてしまいました。その日本人学校を租界だスパイ養成機関だと攻撃して同化せんと目論む十五億の民。果たして邦人は漢族と同じ現地学校に通う状況に耐えられるや否や。

ということはサッパリ思いませんでした。セトラー、日暮れて、夕波小波。以上