『ピリカ チカッポ(美しい鳥)知里幸恵と『アイヌ神謡集』』"Pirka Cikappo. Yukie Chiri and Ainu Shinyōshū (A Collection of the Ainu Epics of the gods)" by Hiroko Ishimura 石村博子 岩波書店 IWANAMI SHOTEN 読了

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カバー装画◉結城幸司

ピリカの「リ」は小文字で、「ピカ」なのですが、はてなブログは、本文は、フォントの大きさを変えて細工して、アイヌ語対応のカタカナを表示出来るのですが、タイトル部分はフォントの大きさを変えられず、アイヌ語対応のカタカナを表示するのは無理なので、小文字にせず出さざるを得ないです。『ゴールデンカムイ』のおかげで、日本語では小文字にしないカナ文字でもアイヌ語では小文字にする、子音のみの音があることが徐々に理解されて来てますので、IMEのカタカナの小文字にいくつか追加して、例えばローマ字入力で"ashixripa"と打って「アシパ」が表示出来るようにしてもらえればと思います。その容量がないとは思いますが、やってほしい。まあその前に、アニメでどこまでアイヌ語の名前が原音に即して発音されているか私は知らないわけで、声優さんの中に、ひとりふたり天才的な音感の人がいて、その人のセリフだけ「アシリパ」が「アシパ」だったりするとすごいと思うのですが、さて。

話を戻すと、「ピカ」という単語は私はかなり昔から聞いていて、きらら397の頃は安かろうと言われていた北海道米が「夢ぴりか」って、なんですか、になっただいぶ前に、『コージ苑』の相原コージサンの実兄が、相原ピリカという名前でスピリッツにちょろっと出て来たりしていたので(ミュージシャンなのかな)*1そこからです。

本書は2022年に出てますので、名のみのコロナカ、コロナカ終焉期に満を持して出版で、集大成になってますかどうか、作者も迷い道くねくねという。故横山むつみサン、銀のしずく記念館広報松本徹サン、本田和義サン、小野有五サン、ゴールデンカムイ監修の中川裕サン、志賀雪湖サン、舞香サン、村崎恭子サン、阪口諒サン、結城幸司サン、岩波書店編集中本直子サン、故切替英雄サンにあとがきで謝辞。

出だしは幸恵サンの親族について。初代主筆中江兆民の地方紙に、「アイヌには稀なる財産家」と評されるアイヌ名カンナリキ、1871年制定戸籍法で金成喜蔵を名乗った人物がまず出ます。晩年はやっぱり騙されたりでスッカラカンになったそうですが、私立アイヌ学校の設立を早くから札幌県に嘆願していたとか、何人ものポン・マッ(小さい妻で、妾の意味だとか)がいたとか、いちいち面白かったです。アイヌといえば手塚治虫『シュマリ』を想起する人は多いと思いますが、ポン・ション(ちいさいウンコ)という名前のアイヌの孤児が登場したのを思い出しました。乳幼児の死亡率が高いので、わざと悪い幼名を子どもにつける、という説明での名前だったはず。その「ポン」に、こうして再会。インカラマッの「マッ」がついて。

頁37、旧土人学校、アイヌ学校について、視察団が多過ぎて授業のじゃまになるという描写は、新しかったです。幸恵さんの母校上川第五尋常小学校参観者には、皇族はじめ、宇垣一成若槻礼次郎松本幸四郎徳富蘆花とそうそうたる名前がズラリで、そうそうでない名前の御仁は、その何十倍も押し寄せたでしょうから、お迎えから事前の掃除やらで、勉強が遅れて大変だったそうです。もしア和同学なら、そういう負担はなかったのじゃないという児童の自伝での不満が紹介されてますが、それはどうかなと思いました。本書は、森鴎外の視察と彼の感想を引用してます。

頁45、例の、女学校でなく女子職業学校に進学するくだり。入学初日の自己紹介で、幸恵サンが訛りのない正確な標準語で自己紹介し、和人の生徒たちはみな自身や親の出身地方の訛りが抜けないので、羨望の対象になったとか。しかし、作者は、アイヌ学校の和語は標準語なので、そこで学んだアイヌ子弟は皆「優麗なる東京弁」が話せたのだと書いています。さて、本当にそうなるものなのか。フフホトのモンゴル人は、ウルムチウイグル人は、学校で学んで流暢な北京語が話せるのか、それとも周囲の漢人に影響されて、河北訛り、四川訛りの漢語話者の方が多いのか。

私としては、チベット人にはあえて言及しないことにします。雲南にも。答えを知ってる気もするので。

女学校での彼女は、一歩引いて、ガードを固くして、うちとけない態度だったそうで、同級生の回想も、彼女は非常に抑制的だった、としてる者が多いとか。その中で、ふっと、級友が回想のなかで、そういえば彼女は、朝手首の毛を剃ってくる、と告白していたわ、と思い出すくだり(頁47)があり、私の職場の、鹿児島の系譜のオナクラクンも、ときどき美容エステに行って、手の第二関節の指毛を剃ってもらってると言ってたなと思い出しました。まったく関係ありませんが、私は夏の北京で、道行く短パン中国人男性がみなすね毛がないので(北方系?)臑毛があるのがリーベンレン、没有脚毛就是中国人,と言って、別れた嫁さんにたしなめられたことがあります。

頁51は、旭川の通学がどれほど彼女の心臓に負担だったか、作者が歩いてみるヶ所ですが、途中に日本最古のアイヌ記念館「川村カ子ト(カネト)アイヌ記念館」が出てきて、その人を知らなかったので、とても勉強になりました。傑出した技量と度胸を持った測量技師で、アイヌ測量隊を率いて魔の峡谷といわれた天竜峡の測量任務を全うして飯田線を開通させ、樺太、朝鮮でも線路測量で活躍した人物だったとか。アイヌの快男児のひとり。

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本書は、総合的に見ての、金田一京助の功績に肯定的で、中川裕サンの言を引いて、現在のアイヌ学はなべて金田一著作を原点としている、としています。ユカラはそれまでは「蝦夷浄瑠璃」として和人に認識されていたそうで、それを、いや、一連の英雄譚は、叙事詩だ、戯作ジャンルの浄瑠璃ではなく、イリヤッドやオデッセイ同様の、叙事詩だ、と、発見し、定義したが金田一京助サンだとして、彼の足跡を、感動的に紹介しています。

もちろんネガティヴな面も書いてます。

頁106 ”善意"の奥にある敗残の民族という見下し
 金田一は自分と縁を結んだアイヌに対しては、 研究者の枠を超えてできる限りの支援を行った。 幸恵が寄寓中、登別の実家の土地が没収されそうになった時も、心底怒り、内務部長宛てに没収取り消しの手紙を送りつけている。
 だが、金田一にとってアイヌとはあくまで滅びゆく民族である。和人と混血を重ねることで日本人と同化し、アイヌであることがわからなくなって 自然消滅することが最も幸せな道”と信じて、 疑うことは一ミリもなかった。 自分の育った東北地方のように「昔、この地方にはアイヌという種族がいたところだったそうだ」と、かすかに言い伝えとして残るくらいが歴史の必然だと断定する。 そして自分のやっていることは「神話の起原、叙事詩の誕生、文学がそこから生まれた文学以前の文学の発端」 (「ユーカラの伝承」『日本文化財』 一九五六年四月号七月号〈アイヌ文化特集〉)を採集し、解析していくことにあると、何度も語っている。

彼のこうした側面は、後年、あえて言及されなくなってゆくということですが、言及する一部の少数の人がエキセントリックなので嫌われていて、それでいつしかなかったことのようになっていたのかどうかまでは、分かりません。

頁75、幸恵さんと金田一京助の二人三脚というか、アイヌ語ネイティヴでない金田一と、和語ネイティヴではあるけれど、和語の中の、方言によっては区別があいまいな発音、「ツ」と「チ」、「シ」と「ス」、「ヒ」と「シ」(東京弁)などに自信がない幸恵サンとで、どんどんキャッチボール、往復書簡をするさまがあり、「簸る」という、私には読めもしないし、意味もとれない単語が出たりしました。

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バチェラーニパ以来、アイヌ語は日本語同様必ず母音が子音とセットになった表記をされてきたが、子音単独表記が原音に近いと看破し、それを実行したのは幸恵サンが最初だとしています。頁79。そうなんですね。

本郷小学校に傘を届ける幸恵さんと春彦坊ちゃんとのエピソードが、中井三好サンの本と、ちょっと違います。こっちでは、春彦ぼっちゃんがいやがって、幸恵が傷ついたと、『金田一家、日本語百年のひみつ』という本からの引用というかたちで書いています。

ここから私の付箋はだいぶ飛びます。頁179。神謡集が岩波文庫の日本文学のジャンル(黄色と緑色)でなく赤帯(海外ジャンル)に入った点について。ほかの本にも登場した、ダサイ先生の娘さんで、仏文学者の津島祐子サンらが表立って抗議したが、「まだすっきりとした解決には至ってない」とあります。同じ岩波書店から出てる本にもそう書かれてしまう。すごい話。でも8月10日に改訂版がまた赤帯で出ますという。非常非常残念閔子騫

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頁181、姪のむつみさんのくだりで、関東ウタリ会(当時はアイヌでなくウタリと呼ぼうみたいな風潮があり、レラ・チセという早稲田の店がオープンした時、アイヌ料理と堂々と名乗ったので、どきっとしたりしました)や中曽根首相の単一民族発言が出るのですが、パートナーの横山孝雄サンが、赤塚プロの一員だったのがいちばんおどろきでした。赤塚不二夫のフジオプロがここで出るのか。下落合。

小野有五サンが出るのは頁186。クリスチャンだそうで、オノ・ヨーコのいとことは、他の箇所(頁190)に書いてあったこと。本書でおもしろい点のひとつは、池澤夏樹サンの扱いで、2000年の知里幸恵展の名簿にサインがあったが、運営の誰も当人に気づかなかった、としか書かれてません。此処一ヶ所しか出てこない。いいですねえこの扱い。すばらしい。

知里幸恵サンの検索をすると、彼女のひとり芝居をする女性の公演告知やらが出てきて、どんな人なんだろうとさらに検索するも、よくワカラナイで終わってしまうのですが、本書は頁192からその舞香という人にも光をあてていて、いろいろ書かれていて、彼女がどんな人で、どんな思いでお芝居をしているか、分かるようになっていて、よかったです。

バチェラー八重子だけでなく、違星北斗という歌人も紹介しており、後者の人の過激な詩が読めたのもよかった。二人の伝記作家による幸恵さんの伝記のくだりでは、資料貸し出し他に際し、金田一幸恵不倫説があって、ちょっと空気がおかしくなっていたことまで書いてます。スバラシイ。ほんとスバラシイ。それだけに、やっぱしウポポイについては、奥歯にものがはさまったというか、どっちつかずはやっぱどっちからも高評価されない好例というか、な書き方になっていました。そうなんだなあ。でも、行ってみます。

登別はクマ牧場しかないよ、熊くさいよ、としか北海道出身者には言われてませんが(伊丹十三が広告に出たカルルスの湯もあるのではと言うと、うんそうだったとなる)あと、こうなると、8月10日に出る神謡集読んで、いつか記念館に行ってみる、それしかないと思います。実は白老は、下記の本を読んでから、ずっと行ってみたかった土地でもあります。何か約束されているのかもしれない。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

以上