ほかのひとのブログで拝見して、読もうと思った本。思った時点では今年四月十日発売の本書は図書館購入前でしたので、紀伊国屋書店で注文書店受け取りにして、ポイントもつけてもらいました。したっけ、今ではもうどこの図書館も蔵書完備。もともと1982年8月筑摩書房「世界の神話」シリーズの一冊として刊行された本だそうで、そっちも図書館蔵書がありました。とほほ。でもまあいいや。文庫化に際して一部のルビを割愛、図版を差し替えたそうです。
帯。
頁024 はじめに――イラン人の心を読む
イランは七世紀を境に大きな変化を経験しました。前にも述べましたが、それまでのイラン人の精神的支柱であったゾロアスター教を廃して、ほぼ全国民がイスラム教に改宗しました。全国民の宗教が、ある年、突然に変わる――そのようなことを私たちは想像することができるでしょうか。
それからほぼ十二世紀を経て、現在一神教であるイスラム教がすっかり定着したようですが、しかしイラン人は何かといえば光と闇、善と悪の二元論的な考え方にもどっていきます。そしてときには「ペルシャ神話」に事例を求め、ときには「蛇の王」がポスターにまで描かれるのです。
例えば中国でも魏晋南北朝時代などは、時の皇帝によって、道教マンセーだったり仏教マンセーだったりとせめぎあいがあったりしたものですが、このような事例はちょっと考え難く、中央アジアまで含め、回教回心のドミノ現象は、想像を絶する混乱を各所にもたらしたに違いありません。前世紀に現地で読まれていたバックパッカーの肉筆コピー回覧誌「イランへの道」(「インドへの道」のスピノフらしい)には、革命後もヤズド近郊の集落などでほそぼそと続いていたゾロアスター教の信仰と行事をかいま見た記録(夜にこっそりやってるのを人づてに招待される)などが載っていましたが、そういったルポは、今でもどこかの大学紀要誌のpdfにでもあったりするのでしょうか。上の、蛇の王のポスターは、ホメイニの革命時にパフレヴィー国王を糾弾するポスターで、国王の両肩から蛇が生やされ、イラン伝説の蛇王ザッハークに模されていたんだとか。
頁019 はじめに――イラン人の心を読む
(略)『王書』では蛇王はアラブの王であり、彼の子孫はつねにイランをおびやかし、悪政をしいたことになっています。
古代イラン人は、いくつもの敵を想定しています。敵は主としてイランをとりまくアラブ、ルーム(ギリシア)、トゥーラーン(トルコ)で、ときには辺境の原住民や自然現象のこともあります。神話の中にでてくるアラブ系やトルコ系の民族が住んでいる地方は、現在のそれぞれの国がある位置とはちがっています。
宗教革命時には自分たちの国王をアラブ人に模すあたりが、イラン人の感性として実に面白いと思いました。やっぱ、ペルシャとアラブって、対立関係なんですね。シナ(中国)は神話では抽象的存在として登場。インドは、剣の産地などで登場。自国のトルコ系民族を圧迫する中国がアラブのサウジとペルシャのイランの国交仲介をしたというのも、何かのメタファーになるのでしょうか。
頁087にはイエメンのサルブ王の娘とペルシャ王族の嫁取り譚が語られます。シーア派とスンニー派が入り乱れ、中国が仲介するまでイランvsサウジの代理戦争の場と化してたのがイエメンだよなあと思いながら読みました。
頁146にはアフガニスタンのカーブルにザッハーク王の子孫のメヘラーブ王がいることになっており、やはりそこの娘さんとイランの勇者との嫁取談が語られます。カーブルあたりのアフガンはペルシャ語とほぼ同じ言葉のダリ語圏なので、イラン人でなくアラブ人なのは変ジャイカと思うのですが、そこが昔話の地理が厳密でないところだという…
本書ではアラブの中にそれ以上の分解能がなく、エジプト(ミスル)もヨルダンもシリアもレバノンも、リビア以西のマグレブも出ません。ルーム(ギリシャ)は出ます。しかし、日本でもそれなりに震旦や天竺の地理が空想科学的に知られていたのと同様、頁073では蛇王ザッハークの城はエルサレムに在ることになっており、攻めるファリードゥーンはティグリス川のほとりバグダードを宿営地にします。すばらしい。
頁119「復讐」では、末子相続の不平等に不満を抱く王兄サルム(長子)と王兄トゥール(次子)の両軍がオキサス川を渡ってイランへ進軍を開始する場面があります。オキサス川はアム川で、サマルカンド、ブハラのあのトランスオクサニア、アムダリアとシルダリア(ヤクサルデス川)のあの中央アジアですので、チンギス・ハーンがホラズムを攻めたあのルートも想起しますし、イル汗国と大元ウルス、金張汗国の末子相続の伝統も想起します。長兄サルムはアラブを分け与えられ、次兄トゥールはトゥールースとシナを与えられています。インドやルーム(ギリシャ)は分割対象に登場せず。
去年でしたか、イラン料理店のマスターから、「トルコ人」なるものは後世の造語で、歴史上存在しなかった、彼らはアゼル、またはアゼリと呼ばれていた、と熱弁を振るわれたのですが、本書ではアゼルもアゼリも登場せず、トルコはトゥールース(いやトゥーラーンでしたか。ドットはつきません)と呼ばれます。イランの強敵です。
頁011 はじめに――イラン人の心を読む
「イラン」とは、アーリア人種を意味するアーリアンの変形したもの、「ペルシャ」は、イラン南部のファールス地方の意味を持っています。ですから厳密にいえばイランの方がペルシャより広い意味を持つことになります。
頁057で「アラブのザッハーク」と紹介される悪の化身は、テヘラン近郊のエルブルズ山脈のデマーヴァンド山に封ぜられます。テヘランは標高1,500mありますので(たしか)この山にはスキー場があったはず。ちがったかな。あと、アルスラーン伝記がこの山の名前をインスピで使っています。
蛇王ザッハークは両肩に生えた蛇に毎日一個ずつ人間の脳みそを食べさせないといけないので、それで無辜の領民の命が毎日犠牲になり、怨嗟の声が国土に満ち満ちたという話ですが、蛇の世話をするために拉致られた美姫ふたりが一計を案じ、片方の肩の蛇には羊の脳みそを食べさせて胡麻化し、毎日ひとりの人命を救ったそうです。頁058。ひと月に三十人も助かった人たちは、山中に隠れて暮らし、彼らがクルド人の祖先になったとか。日本のネトウヨ的には親日のトルコに仇成すクルドは日本の敵、イランもかつて上野にいた時はアレだったので*******(思ったんですが、アイヌ人に"Oh,dog!" ”哎呀,狗啊“と日语で言うのと同レベルで、イラン人に"No need." “不要了”と日语で言うのもアレかなと。しかし考えすぎかもしれないです)となりそうですが、まあ私はウイグルねたでも水谷尚子サン(ということはアムネスティ方向になるのかな)なんかに近いポジションにいたいので。ついおとといも「ウイグル迫害はファクトチェックで捏造と認定されたってネットで見たんだけど」と言われましたが、どのねたの話なのか。閑話休題。
頁017 はじめに――イラン人の心を読む
(略)ジャムシード王が、インドの神話では黄泉の国(死者の国)のヤマ王と呼ばれ、仏教に入ると私たちも知っている地獄の閻魔大王となります。
ゾロアスターがヒンディー / 仏教に入り、そして漢訳仏典を経て日本人の死生観にまで影響を及ぼす。インドのムンバイにもゾロアスター教徒がいて鳥葬(天葬)やってますとか、それがマダガスカルやアフリカ東岸にも植民して、フレディ・マーキュリーの実家もソウデスとかは余談で。宋代に中国を賑わした喫菜事魔はマニ教徒だったそうですが…
頁013に、その日になるとペルシャ文化圏の国々のグーグルロゴがそうなる、西暦三月のイランの新年ノウ・ルーズの説明。七草みたいな決まり事アイテムやら、日本から輸入した金魚を使って見立てる「カル魚」など。回教の少数派のシーア派の中にさらに見える、回教化以前からの文化的血脈。本書時点の1980年代と違って、今は金魚も中国からの輸入かもしれません。
ゾロアスター教やペルシャの伝承、そしていまなおイランの人びとがそらんじる叙事詩『王書』をもとに、ペルシャ神話の主要な登場人物・名場面を紹介する。善神アフラ・マズダーと悪神アハリマンが競い合う二元論的世界観、蛇王ザッハークの悪政、霊鳥スィームルグに育てられた白髪の子ザール、700年生きた英雄ロスタムの栄光と悲劇……。アラブ、ギリシャ、トルコの多種多様な民族が混淆するイランの地よりもたらされる幸不幸、人の世の儚さや運命の惨さへの嘆きに満ちている。ペルシャ文学研究の第一人者がやさしく物語る入門書。解説 沓掛良彦
世界史の教師が、アフラ・マズダはナントカ語で、アーリマンは英語読みで不対称だ、アーリマンでなくナントカ語(フラ語?)でアングラマリニョと呼びたまへ、とゆっていましたが、上のように専門家もアハリマンと書いてるのだから、ええやんという。逆にアフラ・マズダの英語読みが分かりません。ぱっと検索で出ない。
装幀 安野光雅
カバーデザイン 岩瀬 聡
カバー装画 Firdawsi. The Shahama 写本より
帯裏。新刊広告。澤地久枝サンのミッドウェーの本は六月刊なのでまだここにはアリマセン。巻末には十二ページに渡って本の広告が並んでいて、漢籍関係だけでも、阿辻哲次、林田愼之助、吉川幸次郎、小川環樹とズラッときて、クラクラしてしまいます。もう我々はむつかしい本はダメなんすよ。精神世界が豊かになるのは分かってんですけど、分かってんですけど。そういうのにまじって例の法政大総長、カムイ伝が第三部シャクシャインの乱編を描かなかった点をスルーしてる田中優子サンの本が載ってたりするのもご愛敬。これが21世紀四半世紀を過ぎようというあたりの、日本の知の一里塚。以上