カバー写真も本文写真も著者 デザイン 三木俊一 梨木香歩とこの人の往復書簡集でこの人を知り、じゃあ読んでみようかで一冊読んだ本。
本書関連の動画URLを出版当時並べたものが上記。リンク切れはご容赦願いたいとのことで、八年の歳月を経て、それなりに見れません。私の日記の初期に、鳥居みゆきをはりまくったらすべて削除されたのと似て非なる現象。繊細な歌手のプロテストソングの動画が消失してたりすると、ちょっと心配になります。作者もジャスミン革命にかなりのめりこんでたみたいで、その後の喪失感というか虚脱感というか、まだ怒りに燃える闘志があるなら巨大な敵を撃ちたいんだけど味方と呼べるものが烏合の衆で、まずそこに幻滅というか、戦い方が分からない苦しさみたいなものが読み取れます。
タイトルのアラビア語はグーグル翻訳。ちゃんとエジプトがエジプト人の自称するところの国家名「ミスル」「マスル」になっています。ジャパンがニッポン。
私にとってエジプトはDIOが潜伏してた国であって、それを学ランの高校生が倒しに行くという、荒木飛呂彦曰くバビルⅡ世へのオマージュの舞台で(バビルⅡ世じたいはイラクじゃいかと、あと導入部はチベット)、しかし荒木飛呂彦の旅行した頃は、外国人を標的にした原理主義者のテロとかなかったろうので、そこは変わるエジプトかと。作者に言わせると、経典の民の共通テキストである旧約聖書の聖人モーゼを迫害したファラオの国であることを誇りに持つがゆえに、回教世界の穏健派と世俗主義(当時、現地ではリベラルと言い換えてたんだそうで)との恥知らずな(いい意味で)折衷主義、楽天路線がエジプトであったはずなので、それが原理主義者の勢力増大とかアリエナイ、ということらしいのですが、でもねえ、中近東の現代史を見ると、パーレヴィ朝が倒された後のイラン、サダム=フセイン後のイラク、アサド後のシリア(まだ終わってませんが)もし軍が世俗主義のバランスをとるのをやめたらこわいトルコの未来、ソ連撤退後タリバンのアフガン、リビア、etc.etc. 世俗の強権国家が倒れた後の西アジアからマグレブは、なべて原理主義が台頭してるじゃないですか。それはもう、歴史の必然なのではないでしょうか。
エジプトはナンでなくパンだそうで、おいしそうな焼きたてパンがたくさん出る話を読んでるうち、なんとなくパン食べたくなって、買ってしまいました。フスマの入ったパンの話があり、イランで食べたパンも、そういうサブウェイみたいなパンだったなと思いました。ペルシャ語をほんのちょっと習った時、先生に、「イランはあんなに欧化された社会なのに、なぜ狂信的なイスラム至上主義に圧倒されてしまったのでしょうか」と質問したことがあります。欧化近代化されたからこそ、伝統をおろそかにしてしまったという後ろめたさがあり、そこにもってきて、宗教的正統性は伝統回帰にありといわれると反論出来ないのだ、それがホンマの伝統か、歪曲された捏造伝統かはさておいて、という回答でした。それがそのまま本書にあてはまる。
去年八月に撮った東北沢のエジプト料理店。以下後報
『コプト社会に暮らす』 (岩波新書 青版893)読了 - Stantsiya_Iriya
【後報】
この人、カイロ大学OBということで、現都知事はこの人のパイセンなんですね。妙な時期にこの本読んだなと。
在日エジプト人というと、私の見る数少ないテレビには出ないのでよく分かりませんが、フィフィという人がいますが、カリーマサンは東京新聞にコラムを書く人、フィフィは虎ノ門なんとかやサイバラ夫がTLに来る人、ということで、日本での路線は、現状たぶん水と油なんだろうなと。ただ、回教と女性については、同じ主義主張ではないかいなと思うのですが、どうだろう。それは、ムスリムのファナティックな連中が、それだけ彼女たちに対して基本的なナントカ権を踏みにじってるから。女性アイコンに逃げられたりもする日本のネトウヨから見ても価値観が遠いんだろうなと。
本書頁10で、高齢のジャーナリスト、ムハンマド・ヘイカルが、出会ったクウェート人女性から、エジプトの女性に何が起こってるのか? かつてエジプトは、半島やレヴァントを内包するアラブ全体を啓蒙するともしびだったのに… と問われて泣きそうになったとテレビで話す場面があります。その後で、サウジのワッハーブ派の影響を受けた「サラフィー主義者」「タクフィール」という用語が出ます。
上記は東京外語大関連による2013年の現地紙の邦訳。
で、本書はタクフィールの例として、ピラミッドなど古代遺跡は背神者だったファラオが作ったから破壊すべしという主張を挙げています。本書は2013年刊行で、で、今検索したら、イギリス人もピラミッド破壊すべしとの主張があるようで、
⬜️ CNNの報告によると、イギリスの反人種主義抗議者達が、ブリストル市の奴隷商人の像を破壊し、川に投げた後、エジプトのピラミッドを破壊するよう求めたそう(英字)https://t.co/68l4Zi8iOP
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2020年6月14日
だんだんバーミアン遺跡破壊したタリバンみたいになってきた…てか、英国はまず盗んだ遺物を返すべき。
こういうのを見て、日本での主張は左右別でも、エジプトや女性という観点では、同じ声をあげざるをえないし、あげてるんじゃいかと思いました。いや、あげてないか。やっぱ別か。私の勇み足か。
ぉい、お前んとこの国のWHO事務局長どうにかしろってコメント来たけど、それエチオピア、エジプトじゃない。そもそもどうもできん。
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2020年6月14日
私にはテドロスはエチオピア人にも見えず、印僑みたいに見えるんですが、印僑じゃないんかな。あの巻き舌の英語といい、マラソンで見るすらっとしたエチオピア人とぜんぜんちが…
というか、フィフィツイート見て、ハオハイドンの思わぬ情報を見たんですが、ホンマかいな。ハオハイドン(かくかいとう)、今どこにおるんやという。
本書のコラムの半分は、日本アラブ協会発行「季刊アラブ」連載コラム『アラブ人のこだわり』を大幅に加筆修正したものだとか。残りの半分は、多分長いコラムで、アラブの春を巡るアツいやつだろうと思います。
頁59、ルッコラはエジプトではガルギールと呼ばれて、道端で売られている最も安い野菜のひとつ、とのことなので、作ってみようかと思いましたが、調べるとヨトウムシもアブラムシも付きやすいんだそうで。同じエジプト野菜でも、モロヘイヤは後発で害虫からもおいしいと認識されてないせいかたかられず、手がかからないので楽なのですが(ただし花が咲き始めると実が有毒)、ルッコラ、そういう話だとヨトウムシがつくんじゃ嫌だなと。
ルッコラ【地植え】|住友化学園芸 eグリーンコミュニケーション
頁61、チーズとうじ虫みたいな名前のコラムは、エジプト農村の手づくりチーズについてのコラムで、そんなのこの21世紀のインダストリアルエラにおいては、そのうち絶えてしまうだろうという予感を読者も共有するのですが、エジプトの市販チーズでは「イスタンブリーチーズ」というのが似てるそうで、検索すると、下記が出ましたが、どうやって日本から入手すればいいのか分かりません。ドンキのバイヤーが血迷って買い付けないかな。
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頁87に、「ドッア」という、「ア」の音が、声門閉鎖音と云う、アラブ人でないなかなかうまく言えない音という単語が登場し、調味料のようで、日本語ウィキペディアで「デュカ」と書いてあるやつかなと思いました。
بذكاء و دقة の発音: بذكاء و دقة の アラビア語 の発音
「メッカ」と同じようにはっちょんする気がします。でも上のフォルボの例文も、前半の意味がさっぱり分からない。しかもはっちょんしてる人がスーダンの人だし。
上エジプトとか、スーダンの人に対しては、なんとなくおそれがあると書いてあったような。梨木香歩との対談はシリア内戦後なので、シリア難民について、シリア人は器用で料理上手としてました。で、アル・ジャジーラが実は公正中立なメディアでないとか、ベリー・ダンスが盛んな国はエジプトと、あともう一つの雄はトルコである、といった具合に、中東についての視座は本書でも散見されるのですが、イランはまったく出ません。出てもいいのに。パキスタンやアフガン、バングラディシュといったインド亜大陸も出ませんが、これは単に遠いからだろうなと思いました。ひとりだけ、インドネシア出身でエジプトに帰化した回教圏コスモポリタンみたいな人が登場したかな。で、マグレブのほかの国が、出ないんですね。チュニジアやリビアは、ほんのちょびっと革命絡みで出ますが、アルジェリアやモロッコは、ぜんぜん出ない。これは、なんでか不思議でした。そこを飛ばして、レコンキスタ(国土回復運動)でカソリックにとられてしまった、スペインはちょこちょこ出ます。チーズには足がくさいみたいな意味はないだろうかとか、「アッラー!」がフラメンコの「オーレ!」になったとか(頁159)アラビア語で塀に囲まれた庭園を「カルマ」というが、アンダルシア地方にもこういう庭園が多く残っていて、スペイン語だと「カルメン」になるとか(頁167)ちょこちょこ出ます。
著者は、大学で若い人を教えてるので、そこで動画なんか見せて、感想、反応を聞くことが出来る点が強みだと思います。アラブの大御所歌手も、日本の学生にはウケが悪いとか、そういうのがすぐ分かる。
オリエンタルダンスの動画。女子会なら自由にこのダンスが踊れるのに、男子がいると、エチケットがあるので踊れないというエッセーがあり、日本人から、エジプト人は誰でも踊れるんですかと聞かれた時には、少し考えて、キホン誰でも踊れます、と答えてます。その後で、現地ドキュメンタリー番組を見て、金持ち男性のパーティーで踊らされる貧困女性があることを知り、ショックを受けながら(知らなかったことに対しても)追記しています。
この歌は、良識があると、ちょっとおしょすいような歌だそうで、しかしこういうのがあるのもエジプトということらしいです。ファラオ礼賛と一神教崇拝のあいだの矛盾をつきつめると、一神教だけしか残らず、それではもったいないので、深く考えずつきつめないのがエジプト人気質とあり(頁215)、それは北部パキスタンでも中央アジアでもそうなんだけど、だんだんに追いつめられてるのが現実ではないかと思います。
もうひとつ、エジプトの人口三割くらいを占めると言われるキリスト教徒に関しては、ひとつ章を立てて詳しく書いており、ほかの部分では、さらっと流してるだけです。ハイスクールの同級生にもクリスチャンがいたが、日常生活でも、思想信条の違いに関しても、深く突っ込まず、知ろうとしないでやりすごすのがエジプト流、というふうに読めました。「ハサンとモルオス」という、実に面白そうな映画が紹介されてますが、リンクの動画は消えてます。勝手にあげたやつだったのか。全編あげるとかありえないものな。マルコがモルオス、パウロ(ポール)がボーロス、ジョージ(ゲオルグ)がゲルゲスという具合に、アラブにおけるクリスチャンネームの読み方も分かります。国内にキリスト教徒がいるだけなら、シリアもレバノンもいるわけで、さらに非アラブの少数民族をいうならクルド人がシリアトルコイラクにいて、でもそういう民族の多様性が宗教に打ち勝てないのが、作者の主張と異なり、21世紀の現実に、私には思えます。タクフィールによるシーア派殺害は本書にもちょっと出ます。
本書の作者近影と、東京新聞の去年の作者近影はまだ同じですが、さて、更新されるのか。以上です。
(2020/6/15)