『恋するアラブ人』"Koisuru arabujin (Arabs in love)" by Karima Morooka Elsamny 読了

装丁 松田行正 日本アラブ協会発行「季刊アラブ」1997年~2004年連載エッセー「アラブ人のこだわり」を中心に加筆修正だそうです。著者の『変わるエジプト、変わらないエジプト』の、ルッコラとナセル大統領だかサダト大統領の箇所を読み返した際に、ついでに借りました。

恋するアラブ人

恋するアラブ人

 

 恋するアラブ人といっても、イスラム教が登場する前の文學含め、残っている叙事詩など、歴史上の恋バナというか、あられもない感情の発露を、縷々書きつらねたエッセーという感じです。日本でも、田辺聖子やらなにやら、いろんな作家が源氏物語やら万葉集やらに書かれた歌人やお公家さんのこんころもちをエッセーにしてるので、そんな感じかと。ただ、なんとなくのイメージですが、日本だと、女性が女流のかな文学や和歌を観察してまとめてる感があり、本書は、女性が男性の勲をまとめてる感があります。もちろんアラビア文学にも女性の書き手はいて、本書にもそれは紹介されてるのですが、アラブの男性はラブラブを言葉にすることにためらいがないようで、英雄のこひや、守ってあげたいダメなんとかがいっぱい残っていると。日本は、吉田兼好西行松尾芭蕉の恋をだらだら書いてもあんまし面白くないのかもしれません。儒教の影響おや、誰か来たようだ

ふと思うのが、日本の漢学者が漢文を紹介するエッセーでも、レンアイはなんしか、きれいごとの精神論もしくは漢人のムッツリスケベエロになってしまう気がします。

この本の感想は、一度途中まで書きかけて、画面がフリーズしたので、そのままほっとけばよかったのですが、強制終了したので、何も残っておらず、そうなるとまた書き直すのがめんどくさいです。類例に、吉川忠夫『こうけいこうの乱始末記』クスミの人の朝湯朝酒カンゼンエッセーなどがあります。いずれも、付箋をぜんぶ抜いた後で記事が消えてしまい、書き直すには読み直さねばならず、やる気が起きていないという。

 『変わるエジプト、変わらないエジプト』も、シリア難民とエジプトについてのくだりなど、読んだはずが今回どこに書いてあるか思い出せなくなっていて、見つけられず、ホントにこの本で読んだんだろかと思ったりしました。

本書は、大きく三つのパートに分かれていて、各パートの扉ページにアラビア語が書いてあるのですが、説明がないのでうらめしいです。白水社のケチ。

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最初のパート、「アラブ人のこだわり」扉ページのアラビア文字

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次のパート、「恋するアラブの男たち」のアラビア語

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さいご、「アラブは歌う」のアラビア語。今日帰りに代々木上原で降りて、その辺あるってるムスリムをかたっぱしからつかまえて聞いてみようかと。でも多分どれも、詩なんだろうなと。

英題は下記から。2012年の記事なので、現在はいろいろ違うかと。あの時は肌を露出しておっけーかとけっこうなアラブ女性がうきうきして、その後被害がどうとかの記事も出て来たという。

For a Real Understanding of the Islamic World | The Japan Foundation Web Magazine Wochi Kochi

アラビア語に関して、頁182、アザーンだかアディーンの、「アッラーホ・アクバル(神は偉大なり)」を「アッラーホ・アクバール」と伸ばしてしまうと、文法的に「偉大」が複数形になってしまい、神の唯一性信仰の告白と矛盾してしまうのだが、悪気がないとはいえ、この誤りを犯してアザーンを放送実況する人が、えんえんあとを絶たないんだとか。私も、映画エクソシストの冒頭、バグダッドの発掘現場の前の市中にアザーンが流れる場面で、まず「アッラーフアクバーウ」と云ってるので、のばすもんだと思ってました。マレーシアのラットの漫画『カンポン・ボーイ』のラマダンの場面でも、伸ばしてたような。

 頁69に「トッズ」という、エジプトアラビア口語の蜚語というかスラングが登場し、"So what?"とか、"I don't know it."とか、“我不怕你!"などの意味で使うんだそうですが、それが、もとはトルコ語の「塩」という単語だそうで、マムルーク朝からオスマントルコ時代に、トルコ人の徴税官をごまかす時に、これはなんだ、塩でげす、おでえかんさま、と役割語で答えていたのが、転訛したんだとか。回教世界は、漢字一辺倒になってしまった中華と異なり、アラビア語ペルシャ語トルコ語が、現在まで並立してますので、ぜったいアラビア語に他の語彙が入ることもある(英語以外で)と思ってました。知ってよかったです。

頁81、アラブ世界の多様性というか、方言差についての記述で、エジプト訛りは、「ジャ」が「ガ」になるとしています。この「ガ」はフラ語の"r"のような有気音でなく、関東の「音楽」の鼻濁音でもなく、関西の「音楽」の「ガ」のように読めました。要するに、チャオズがギョーザになる山東のようなもので、エジプト人はアラブのサンドンレンだと理解してます。

作者の「カリーマ」の「カ」も、日本語の「カ」ではなく、唇の両端から音を漏らすんだそうで、口角を引いて出すんかな、など想像しました。意味も本書の何処かに書いてありましたが、忘れました。いい意味の単語だそうで、だから、代々木上原で発音チェック出来るかもしれませんし、アラビア語話者があんましあの辺にもいないことが分かるかもしれません。ウルドゥー語ベンガル語インドネシア語が多いことが分かった、みたいな。

 ナンみたいのにサンドイッチやモロヘイヤ以外に何がエジプトフーズなのか知りたくて、ルッコラもその一環でしたが、本書には、フムスとコシャリという国民食が二つ出て来ますので、今度聞いてみます。覚えてれば。

ja.wikipedia.org

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以上