『中華と対話するイスラーム――17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』(プリミエ・コレクション 37)"Islam holding dialogues with Chinese civilization: 17th-19th century Chinese Muslim ideological activities" Nakanishi, Tatsuya ( Premiere Collection 37 ) 読了

 京都大学学術出版会:中華と対話するイスラーム

中西 竜也 『中華と対話するイスラーム ―― 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』 受賞者一覧・選評 サントリー学芸賞 サントリー文化財団

選者の一人が、本書は200年あるいはそれ以上確実に残る本だと評した。これ以上の評はないだろう。

(中略)

 次に、中国イスラム教は教理面で中国伝統思想との対立をいかに回避したか、という問題も重要だ。これは政権による弾圧を避ける死活問題でもある。関連して笑話的な夫婦喧嘩論も紹介されている。イスラム法では夫が妻に「出て行け」と離縁を口走るだけで離縁が成立し、その後結婚生活を続けると姦通罪になる。しかし中国では、明確な不貞のない妻は簡単には離縁できない。離縁は妻の一族の恥だからだ。この矛盾に対してムスリム学者の馬德新(1794-1874)は、夫婦喧嘩をしても夫は軽々に離縁を口走るな、黙って殴れ、と提案している。
 さらに、中国内地(江南、雲南)のムスリム儒教との調和に腐心したのに対して、西北部では道教と結びついたという。この問題はほとんど未研究だが、(以下略)

コロナでもくもくと何か読む本として想定してたのですが、結局終わってから読んでます。こういう本に関しては、ほんとは読了とかないので。

英題は同科研事業成果報告書から。

https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-24820021/24820021seika.pdf

副題はGoogle翻訳。メインタイトルまでGoogleに頼らなかったのは、「対話」がダイアローグにならず "interacting" になってしまうので、なんじゃこりゃあと思ったので。

カラー口絵と中扉のあいだに、当時の京大総長による「プリミエ・コレクションの創刊にあたって」が掲載されていて、本シリーズは、博士増産体制に入って久しいけど、アカデミアの有能な人士が各界から諸手をあげて歓迎されてるわけでもなく、低収入で機会のない有望なポスドクたちを支援する目的も込めて刊行されているとのこと。私は清水の舞台から飛び降りるつもりで税別5k払ってこの本本屋コムで買って近隣書店で取り置き購入したですが、なめまわすように読んでみて、これは原価計算的には七、八千円で売らないといけない本だと思います。版元はそうとう勉強した。

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第35回サントリー学芸大賞受賞  中華世界のただなかで300年- ムスリム・マイノリティの生存を賭した知的挑戦の歴史  京都大学学術出版会  かつてアジアの各地から中国にやってきたムスリム移民の末裔は、時々の政治的・社会的状況に翻弄されながらも、イスラームの信仰を固守して独自の共同体を維持した。そこには、マイノリティとしての生死を賭けた、彼ら中国ムスリムの知的奮闘があった。 いかにしてイスラームを、中国伝統思想、ひいては中国社会の現実と調和させるか?「中国的イスラーム」の実像に迫る。

帯だけで私なんかはムネアツでした。本書の「中国ムスリム」の定義と、身分証上の民族区分の「回族」との違いが、学術書らしくきちんと明文化され、さらにその中国ムスリムも、中国広いですから、①内地の中国ムスリム、辺境以外の中国ということですが、河南省山東省なんかが比定されてるのかな。漢語文献も多いので、中国での研究も進んでる部分。北京の牛街はでないかったです。②西南ムスリム雲南等。19世紀の回漢対立激化、「洗回」と呼ばれるムスリム虐殺、回民起義、さらに馬徳新という指導者がメッカ巡礼を行ない、中国ムスリムでも優勢だった神秘と聖者のスーフィズムに対し、当時アラビア半島で勃興した原書購読原点回帰のイフワーン派(ワッハーブ派)におおいに刺激を受けたことが書かれます。③西北ムスリム。臨夏が「中国の小マッカ」(頁075)とは知りませんでした。中国ムスリムの太い源流はペルシャ語話者であったと考えられるが、明代以降、アラビア語が正統であるとの観念論と、生活は漢語とのはざまで、ペルシャ語は廃れ、しかし教義継承の補助言語として残ってきた、その変遷のもようを、現地資料をもとに考察しています。よく西北回族の重鎮のかたがたが、それを日本の研究者にも託そうとしたなと、ちょっと感動しました。中国の研究者やアラビア語圏のイマーム以外の、第三のどこかにも残しておきたかったのでしょう。

ペルシャ語の比重がそんなに高かったというと、元代の色目人回族祖先の構成要素のかなり大きなパートを占めてたのかなと読みながら思ったのですが、「色目人」ということば自体、21世紀は捉え直しがなされてるそうで、へーと思いました。

元の時代の「四階級制」説を覆す新事実 | 広島大学

 装幀は森華という方で、著者のつれあいだそうです。すごい熱意のある装丁で、版元ともども熱気を感じます。下はカバーをとった表紙。

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下はカバー折。

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表紙のアラビア文字について、序章扉で説明がされています。カスレとか、言われないと気にしないので。

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中国のアラビア書道。ご本地のアラビア書道とちがって,中国書道風に「かすれ」をだすのが特徴的。(頁001)
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とにかく愛がある、各所へのイラストの挿入されかた。真ん中は、4章にだけ出現するノンブルわきのぱらぱらまんがのようなもの。右のモスクの画は、序章にだけ出現します。各章アタマに「はじめに」というサマリがあるのですが、左のように、サマリには必ずイラストが添えられています。こうした装幀者の遊びに対し、コラムは、えっ、ここで、という感じに本文ブッタ斬って挿入されており、ふつう難しい本のコラムは、息抜きの軽い四方山話なのですが、本書は、本文にまとめきれないアナザーストーリーってだけで、本文同様硬いです。そんなコラムありかな。

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頁085。この辺は中国でも研究が進んでそうな、儒教道教が中国ムスリムにどのように影響したか、中国ムスリムの回教理解にツールとして儒教道教のロジックが使われた具体例、みたいな箇所。本書の第一のヤマは、この後第四章五章、凄惨な回民蜂起とその滅亡を経た後の雲南回族指導者が、漢族には読めないアラビア語で書いた、イスラム法清朝の法規との乖離を如何にするかの箇所。

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頁371。世界最古のペルシャ語文法解説は、ペルシャ語が興隆し廃れたのちの中国西北で編まれたという箇所。ここはペルシャ語で活字組んでいて、前述の五章はアラビア語で活字組んでます。ゲラの校正、専門家(著者を教えた教授たち)による原稿☑は、入稿が遅れたこともあり、その都度五月雨式にやったそうで、見る方も大変だったと思います。本書の中国ムスリムは漢語を母語としてる回民ですので、ウイグルやカザフ、キルギスといったトルコ語系の中国回教徒やペルシャ語系のタジクは出ません(ハミの、中国に初めてイスラム教を伝えたと伝えられる伝説のひとの盟友のお墓、聖者廟の写真は頁013にあります)トルコ語系まで入ったらもう手に負えなさそう。

西北回族が、平凡社東洋文庫でお馴染みのペルシャ語書籍、シャー・ナーメ(王の書)や薔薇の園とか読んでたとは、ちいとも知りませんでした。やっぱりことばは読めないと、片手落ちです。聖者廟も、中国にいた時一度も行きませんでしたし、〈拱北〉という名前も知りませんでした。本書はかなりこまかく回っています。パキスタンだと、ホージャがどうとか言ってた気がするのですが、もう覚えてません。

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刊行時は自炊の時代だったので、こういう断り書きが奥付に。

 臨夏が中国の小メッカなら、浙江省のイーウー、义乌,義烏は現代の「蕃坊」だそうで(頁383)張承志が中公新書で『回教から見た中国』(朝日新聞にその書評を書いたのは林真理子)を書いてからまるっと二十年ほどで、ここまで研究が進んだんだなーと。張承志の本には、文革人民解放軍が戦車出して回族村ひとつ消した話が載ってますが、本書には同じ時期に、日ごろ対立する回漢が協力して聖者廟を守った話が載ってます。

カラー口絵XViにさまざまな中国のアラビア語ペルシャ語の中国ムスリムの本が紹介されていて、民國期に回教の本土、中土、中国から震旦に将来された文献のリプリントやその解釈本が多いそうで、新華社とかそういう認可された出版社の出版でないため、なかなか近年出版流通が難しくなっているそうです。その反面、90年代に北京のドンスーの清真寺で礼拝のさい、イスラム原理主義から見た回族批判打倒攻撃の私的中文印刷物が配布されていた、などの証言も載せられていて、難しいのうと思いました。誰が何処で刷るんだろう。それとはべっこに、中国ムスリム自体の原点回帰の風潮の表れとして、回漢折衷の建築方式の、仏教寺院みたいな屋根のモスクは、建て替えのつど姿を消しつつあり、その後は、東トルキスタンからアヤソフィアまで大陸を縦断してどこにでも見られる、玉ねぎ頭のミナレットのモスクが建てられてるんだそうです。中国回族ならではの特色が消えるのは寂しいですが、よりハッキリ回教色を打ち出すということなのかと。

全然関係ありませんが、知り合いのアメリカ人の英語教師は、二、三年前にもう日本を離れて、誰も招聘してないのに勝手に上海に行ってあちらで英語を教え出していて、もう日本人の姉ちゃんが喰われないからそれでいいのですが、そういう時代ということであれば、向こうから呼ばれなくても、ハッサン中田考さんなどは、ワッハーブ派に対しスーフィーが反論書を出したりしてる中国西北に行って、イスラム学者として、千人会議を千一人会議に増やしてみるというのはどうでしょうか。千人会議はイスラム神学やらないのかな。

【後報】

口絵、頁iによると、回族の聖者廟の呼び名、〈拱北〉(ゴンベイ gongbei)〈拱拜〉(ゴンバイ gongbai)は、ペルシャ語で「ドーム」を意味するゴンバド"gunbad" に由来するそうなのですが、チベットが好きな人なら、すぐにチベット語でお寺を意味する「ゴンバ」དགོན་པに発音似てるな~と思うはずです。この辺、偶然なのか、何か影響があるのか。

民族雑居地域だと、どうしてもチベットなどが標高が高いところに行くので、そうすると、より水源に近いところということになり、それが農村だったりすると豚を飼うので、不浄な水が下流回族の村に流れてくるということになり、それだけでもう戒闘の立派な理由になります。おそらく雲南でも、彝族など山岳少数民族が上流で、同じ事が頻繁に起こっていたのではないかと。

(2020/10/23)