『挽歌』"Banka" (Elegy) by Yasuko Harada(新潮文庫)"SHINCHO BUNKO" 読了

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読んだのは新潮文庫。カバー装画 日端奈奈子 昭和36年10月30日初版の平成25年11月25日六十八刷改版。町田の八木義徳が解説を寄せた昭和六十一年が四十六刷。昭和三十一年十二月東都書房から出版された単行本が七十万部。連載はその前年、釧路のガリ版刷同人雑誌「北海文学」にて。奇跡のようなベストセラー&ロングセラー小説。道浦母都子サンの女性文化人取材記に著者が出てきたので読みました。電子版は角川文庫

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東都書房版表紙(部分)

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この使い込まれ感は、当時からの蔵書ではないのかもと思いました。寄贈本の中に入っていたものを、選書のひとが、これは書庫に入れるべきと入れた気瓦斯。

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東都書房版も一年で71刷という。一万部近くを七十回増刷したのか。右の作者写真は、ウィキペディアにも使われている有名なもの(であることは後で知りました)

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どえらい小説だと思いました。ストーリーが、ではなく、主人公が自分の心理状態を的確に読者に伝える、その伝達力が素晴らしいです。テレパシーのようだ。

どさんこマンガ家相原コージも『漫歌』という作品をアクションで連載してましたが、やっぱこれが念頭にあったのでしょうか。

第二次世界大戦から十年後の釧路。千島列島を失った根室に代わり漁業基地となったため、六万人の人口が十二万人と倍増。石炭や木材を豊富に産出し、「しかし町の明りの果は、広い真暗な湿原地に呑みこまれているのだった」(頁49)秋の彼岸からクリスマスを経て、春の彼岸へ。蛍の光原曲は頁21。

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主人公は米軍統治から六年を経たこととはそれほど関係なく、英語よりフラ語ドイツ語を駆使します。ありがとうをサンキューと言わずダンケといい、下記フランス語で男性の情欲を燃え立たせる。

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頁225

「だって小母さま、問題はゲルでしょ」

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ブルー ⇒「ブリュウ」(頁62など)

クリスマスツリー ⇒「クリスマス・トリー」(頁115)(トドマツをもみの木の代用)

頁209「オルボアール・マダム」

頁436”Adieu Monsieur.”

頁36/50「フイフイ教」頁148/221「回教」主人公が「回回」という言葉を知っていること、それと回教という言い方、両方を知っていること、しかし「イスラム教」という言い方をしていないことは気に留めました。当時はそうだったのかと。

頁79に「先住民族」「土民」という単語があり、これは東都書房版からそうであることを確認してます。アイヌという単語は出ない。ウィルタとか他も加味して抽象的な言い回しをしているのか、そうでないのかは分かりません。

頁102

「わたしお腹空いてないのよ」

 わたしはメニューを眺め「蝦コキール」と書いてある個所を、彼に指し示した。空腹でないことなどは問題でない。左手の悪いわたしは両手でナイフとフォークを使えないのである。コキールなら不様な真似をしなくてもよいからよかった。

敗戦から十年なのに、もう、片手でおいしく食べれる洋食が何か心得た戦後世代が台頭しているという。

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頁82

 そのちっぽけな食堂には、客が一人もいなかった。粗末な木のテーブルと木の椅子が、六、七組不揃いにならんでいて、投込み式の石炭ストーブが、ごうごう音をたてて燃えていた。

これが21世紀だと異様にものがなしいのですが、いざなみ景気だかなんだかの頃だと、そうも思わないです。ここで食べるのは鍋焼きうどん。

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頁120

「怜子ちゃんや……」小父さんは太った短い首を、わたしのほうにねじむけた。

「椅子は二つしかふさがっていませんぜ」

「いいんだって」と、わたしは押し殺した声でいい、顔をしかめてみせた。

役割語。喫茶店のマスターのほうがお金を持っていて、アルバイトの雇用主なのに、没落名家(といっても開拓成功者から数えて)の子女へはこのような言葉遣い。頁155、男性がジープで主人公を温泉へ連れ出す場面もいいです。馬車もとおる郊外の道。トラックが運搬するのは薯やビート。夏目漱石の小説に出てくるような大森の逆さクラゲから、現代のラブホまでのミッシングリングのひとつ。下記「十勝石」は頁325。

十勝石とは - コトバンク

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/An_advertisement_in_a_Japanese_magazine_using_Kyowago_in_1937_%28cropped%29.jpgこの小説は、どういったらいいのか、「協和語」的なせりふが二ヶ所ほどあります。

頁195

 桂木さんが発つ予定だと言ったまえの日、わたしはダフネで久田幹夫に言った。

「おねがいある。みっちゃん、あすも此処に来てよ」

同じ単語がもう一ヶ所。

頁316

「誰にもわたしのこと言わないで」

 そう言ってわたしは、わたしが札幌まで出て来た目的を彼に告げるときが訪れたのを感じた。彼に逢うという第一の目的は達せられた。だがまだ目的は残っているのだ。

「おねがいある……」とわたしは桂木さんの胸に手をかけ、彼をきつくみつめた。

なんなんだろうと。北海道は日本人が海外飛躍する前のステップ期間、準備段階の共和国ですから、のちの協和語に比推する日本語があったのかなあと。

協和語 - Wikipedia

日本語版ウィキペディアは、現地人のおかしな日本語しか収録してませんが、英語版と中国語版は、日本人のおかしな中国語も収録しています。まあでもこれらは、当時の日本人が話していたにせよ、戦後、映画等で日本兵や民間日本人を演じた中国人俳優がブーストさせたことは論を待たないアルヨポコペン

Kyowa-go - Wikipedia

  • 你的幫我,我的錢的大大的給。 nǐde bāngwǒ, wǒde qiánde dàdàde gěi.
    • Original Chinese: 你幫我,我給你很多錢。 nǐ bāngwǒ, wǒ gěinǐ hěnduō qián. (If you help me, I'll give you a lot of money.)

协和语 - 维基百科,自由的百科全书

每天每天的干活计大大的 每天都有很多工作

この小説を漢字一文字であらわすなら「」です。「懶げ」「ものうげ」

第十四章まではそれが続き、いつの間に日本人は戦後復興してコーヒーをのべつまくなしに喫茶店で飲むようになったのかとか、日本でクリスマスを祝う習慣はいつから始まったのかなあ、戦後十年でもうこんな盛大なのか、なんて思いながら読みます。私の中で主人公のイメージは、やせぎすで、目が大きい、野沢直子のようなイメージ。のちの世でパンクを気取るような感じ。それが、十五章になってからは、デスマスクが、映画エクソシストの般若のように浮かび上がる映像的な描写となり、十六章は、そこからの解放というか、まあそんなトラウマになるほどもないので、次の恋が待ってるのかもしれん、というオチと理解しました。

桂木夫人が、ばあやの言葉を聞いた時の気持ちを察するにあまりあるのですが、そこで死ぬ権利を駆使しなくてもと思いました。主人公は朝シャンする場面すらありますが、石鹸で洗っています。そして煙突なみに煙草を吸う。以上