イラスト=蔵西 私が初めて蔵西サンの名前を知ったのは、諸星大二郎原画展か萩尾望都原画展を見に痴気情事のパルコに行った時で、書店員オヌヌメのまんがとして『流転のテルマ』①②巻が並んでいました。ラダックを舞台にしたまんがとは珍しいと思って買い求め、版元の講談社が大陸絡みなのかそうでないのか諸般の事情から③巻の紙版を出さず、電子版のみとしましたので、③巻*1読んでません。やっぱりチベットを題材にするのは難しいんだなと思ってましたが、その後、アマゾンのマットグロッソから、けっこう思い切った、チベット動乱を背景とした僧院まんがを描き、その後、司馬遼太郎原作まんがで賞をとって、今やチベット関連のあっちゃこっちゃの出版物にイラストを描いてるようです。起死回生とはこのこと。
英文が"Lyric Poems"で中文が《情歌》で日本語が「恋愛詩」なわけなので、「愛」ではどうかと思いましたが、それ以外ぱっと見つけられなかったので、ダライ・ラマ六世のチベット語表記に、「の」を意味するチベット文字三種の内、前の語の後置字がないパターンのའི(エキスプレスで文法を読みました)をくっつけて、その後「詩」་སྙན་ངག「愛」བརྩེ་དུངを置いてさいごの一本棒を置きました。
日本の和歌だと、藤原定家とか源実朝とか、だいたいホントにその人が歌ったわけですが、ダライ・ラマ六世の詩は、まあああいう人だったから、ほんとにこういう詩を歌っててもおかしくないんじゃないの? って感じの、詠み人知らずの集大成かもしれない詩なんだそうです。小野小町とか、詩ではなく弓だと、鎮西八郎為朝みたいなものだろうと。
薄いことは薄いのですが、それでも、洛陽の紙価がただたんに値上がりの昨今、ワンコインぷらす消費税で買えるのが、すばらしいです。ファラデー『ローソクの科学』を百円で出版した岩波魂は生きていた。たぶん今はもう閉館した岩波ホールのチベット映画特集が契機で、徐々に徐々にで、何かチベット本を出そうという企画が進行したんだと思います。トランスビュー版が中文版同様66首なのに対し、岩波文庫版はドーンと数を増やして百首収録とか。
輸入書 六世达赖情歌 - 仓央嘉措情诗集(藏汉文对照珍藏版)【中国・本の情報館】東方書店
岩波文庫巻末の参考文献では、于道泉サンの漢語版は1930年に民國北平中研院歴史語言研究所出版ということになってますが、2011年に当代中国出版社が蔵漢対照版を出してるみたいです。岩波文庫で、ワンコインで出す都合上しかたないかったのかもしれませんが、ひとつ残念だったのが、ワイリー式のアルファベット音をつけた例詩掲載に、もひとつ頑張ってチベット語をつけてくれなかった点。もっとも、チベット語があると、私のように打ち込んで検索する人が出るでしょうから、思わぬ何かを検索で拾われたらかなんというところかもしれません。ダライ・ラマ六世の詩をひとつ例に出す以外に、今月中旬いよいよ出版予定の段々社詩集に収録されるのかされないのかの現代女性詩人カワ・ラモ「消えないでほしいと思う」ほか、ミラレパの詩、ツォンカパの文章、サキャ格言集、敦煌文献などが縦横に紹介されますので、なんだか知らないけど学者の人はあたまいいなあと思うです。
もう一人の方はウィキペディアがないので、それで。
ネットでもちょこっと英漢蔵併記の同詩が読めるのですが、同じ詩とは思えないほど、邦訳はエロいです。さすが、性に開放的なチベット(解説では、文語はそうでもないと釘を刺してますが)をAV大国日本がさらにブースターかけたよりぬきの逸品。
頁43
柔肌やわはだ熱く燃ゆる娘こは
褥しとねで我を待ち焦がれ
若き男の精髄を
巧みに盗み取らんとや
女怪中野美代子サンが説くところの、西遊記は玄奘三蔵のスペルマティック・クライシス説を彷彿とさせる詩。
頁43
コンポの若き蜜蜂は
蜘蛛に捕らわれ夢心地
三晩同衾どうきんしての後のち
仏の教え顧かえりみる
コンポはウー、ツァンの一部だそうで、後述するように、ダライ・ラマ六世は、インドのアルナチャル・プラデーシュ州出身ですので、どう考えても自分のことを中央チベットの若き蜜蜂と呼ぶはずもなく、幾多の市井の無名の遊客たちが、遊郭と盛り場にその青春を捧げた規格外のギャワ・リンポチェに自分たちを仮託して歌ったと考えたくなります。
頁42
我と巷ちまたの娘とは
三文字みもじの契り結びしが
蛇のとぐろを解くごとく
おのずと解けて失うせにけり
下の詩を鈴木敏夫プロデューサーには捧げません。
頁44
娘の肌には馴染なじめども
胸中きょうちゅう探る術はなし
虚空の星の動きすら
星座表にて知らるるを
私の感想文なので、やはり下記の詩を最後に置きたく。AIが代作しても同じかと思います。
頁42
愛いとし娘ごこの世にある限り
酒尽きることなかるまじ
若き身空みそらの逃れ場は
酒を除きていずこにか
頁27の、41番目の歌に、「月面つくもに住まう白兎」とあり、中国では月に住むのは兎でなくガマガエルと嫦娥だったはずなので、それがチベットだと日本と同じウサギになるの? それともここは意訳?、と思ったです。ここは注釈がないので、不思議なまま。
本書は解説を読む類の本のひとつで、歴代ダライ・ラマを客観的に世界史から見た場合の位置づけ、六世をめぐる、中国王朝の康熙帝、青海モンゴルホショト部ナントカハーン、インド辺縁部の貴族名家それぞれの思惑と干渉などが、歯切れよく整理されて提示され、すッと頭に入るようになっています。チベット人民衆にとっては過大な信仰の対象でも、政権内部や外部の権力者から見た場合はそうでなく、そこには血なまぐさい駆け引きも多々あったと。
六世の生家のある町は日本語版ウィキペディアもあって、中国は領有を主張してるが実効支配はインドで、水源が中国なのでけっこうイヤラシイ渇水問題も起こってるそうです。
本書収録の詩は英文チベット小説(カムの対中ゲリラ闘争を神話的に描いた)のタイトルにもなっている超有名な詩で終わっていて、知りませんでしたが、鶴に翼を借りる際、遠くには行かへんのや、リタンまで行ったら帰って来るさかい、と言っているのは、思い人が理塘にいたからでなく、七世が理塘に生まれることを予言していた、という解釈が一般的なんだそうです。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
それでいうと、十四世がご高齢の昨今、本書が日本で出版されたのは、十五世がインド辺縁地域のモンスーン地帯で発見される、魁さきがけなのかもしれません。なんでもいいように解釈して、以上。
ダライ・ラマ六世 恋愛詩集
今枝由郎・海老原志穂編訳
ダライ・ラマ六世ツァン ヤン・ギャンツォ (1683- 1706) は, ダライ・ラマ の化身とされながら、自 ら還俗し、恋に明け暮 れ詩を詠う若者となり、 23歳で数奇な生涯を終 えた。 彼の残した6音 節4行のリズム感溢れ ある時は、今もチベットの 人々に広く愛唱され親しまれている。 慕情 逢瀬, 再会の誓い・・・ 様々な恋愛詩から100篇を精選。
赤 69-1 岩波文庫