諸星大二郎原画を観に三鷹に行く際に、何かついでに見てこまそうと思って、そういえば最近胸アツな皇族の方が通われたICUの近くに中近東文化センターがあったなと思って、来ました。江上波夫コレクションの横浜ユーラシア文化館は二度三度と行く機会があったのですが、三笠宮殿下のこちらは、ほんとうにひさしぶり。
最寄りのバス停に生き方案内、もとい、行き方案内があり、スマホの地図アプリが使えなくてもサクサク行けるようになっています。上のカバはその案内に描いたあったもの。前回来た時はICUの学生の中をかきわけて歩いた記憶があるですが、今回はそこまで行かず、21世紀になってから建てたとおぼしき新興住宅地をとぼとぼ歩きました。そこまで来る途中にバスから外を見ると、ぽつんとJA三鷹市支店が取り残されていました。
三笠宮関係の展示は撮影不可。ほかは、個人で使用する場合に限って、ということで、どこまでかなあ… と悩みながら、多少撮りました。この日記がアフィリエイトとか絡んでいたら、あげぬが吉ですが、絡んでないので、いいのかなあ、どうだろうかなあという。ここは、ふつう「手を触れないでください」なのに、「お手を触れないでください」なのがおもしろくて撮りました。品がいいんだなあと思って。したっけ、諸星大二郎原画展でも「お手を触れないでください」でした。
コロナカでなければやっていたのが、児童向け体験ナントカで、これは、「楔形文字で自分の名前を書いてみよう!」コーナー。ミイラのメタファーをこめて魔美チャンなのかは分かりません。タイ語の「マイミー」とかけてるわけではないと思います。厳密には楔形文字には「オ」がないようで、(現代のアラビア語も、「ア」と「イ」、「ウ」と「オ」、は、同じ字を単語によって慣れで判別してた気瓦斯)「オ」の段は中近東文化センター特製のオリジナル楔形文字だそうです。
実は入ってすぐのオベリスク展示の階段に、協賛企業や個人の寄付者の名前が、ズラリ楔形文字併記で書かれているコーナーがあるのですが、そこはまあ、撮りませんでした。
もうひとつ、ナイルの恵み、麦を挽こうコーナーもあります。どちらもアルコール設置。麦を挽く女性像の複製も撮りましたが、ここには載せません。
でも九月は開館日ないんですよね。八月まではそれでも、予約限定で週一日だけ入れたんですが、九月はそれもやりひん。十月の再開を括目して待て!みたいな。だから八月さいごの開館日に滑り込みで見たです。
園内を窓から覗く。
ロゼッタストーンの複製の、ギリシャ語部分の「プトレマイオス」表記。これがキッカケで、シャンポリオンの全文解読につながったんじゃ~、という分かりやすい展示。
Κλαύδιος Πτολεμαίος - Βικιπαίδεια
同定された楔形文字部分。人類の叡知というか、失われたものを復古するのも大変だけど出来たよ、というエッヘン感に圧倒されるというか。
近世のペルシャの水差しに書かれた文句。アラビア文字には手が出ないので、アルファベット表記のほうで検索したら、トルコのこどもユーチューバーみたいのが出ました。子どもで勝負するひとって、イスラム圏にもいるんだなと。トルコ人はアラビア文字を(学んでないので)読めないので、アルファベットはあっても、アラビア文字の併記はありません。
Ceylin-H | Bir Gül Aldım Elime ( Çocuk İlahisi ) - YouTube
左前の脚だけ、爪の色がついてないです。
三笠宮殿下は、101歳まで生きておられたのですね。張学良も蒋宋美齢もそのくらいまで生きた気がします。晩年の姿など、いろいろ見れます。中近東ということしか知りませんでしたが、ヘブライ語が専門だったとか。
三笠宮殿下は、101歳の御年までご存命でおられたのですね。(十二月のお誕生日で、十月薨去ですので、満では100歳でしたが)張学良も蒋宋美齢もそのくらいまで生きた気がします。晩年のお姿など、いろいろ見れます。中近東ということしか知りませんでしたが、ヘブライ語がご専門だったとか。
展示では津野田事件など触れられていませんが、まあ検索出来ますので。当然ながら中文版ウィキペディアのほうが日本語より詳しい。
これはまったく個人的な感興ですが、「西アジア」ではダメだ、チグリス川とユーフラテス川に囲まれた肥沃な三角地帯から始まるその周囲は、ここのように「中近東」でなくてはダメだ、という気がします。そして我々はきょくとう。Far East Network, FEN.
おみやげに、例のトルコの魔除けのお目めのブレスレットを買いました。さんびゃくえん。以上