なんで読もうと思ったのかもう完全に忘れてますが、数年前から、いつか読むリストに入れてた本。
Book Design 装幀 宮下佳子
マーブリング 宮下正義
マーブリングしただけの人が名前載るとは意外でした。装幀者の家族でしょうか。
巻末に訳者あとがき
訳者あとがきによると、本書は英語版からの重訳だそうです。しかも奥田サンにとって、小説を訳すのは初めての体験だったとか。
サーダウィサンの著書はかなりの数を鳥居千代香という人が訳していて、村上真弓サンという人も二冊訳しています。奥田サンがそこに参入した意味はよく分かりません。
訳者あとがきによると、サーダウィサンは「社会主義に期待しているが、「女の問題」に関心を示そうとしない社会主義は評価していない」そうで、「長い間、テレビ、ラジオ、新聞からボイコットされ、著書の多くは発禁処分」だそうで、「テロリストや狂信的な宗教グループからたびたび命を狙われ、武装警官が自宅附近に配置されていた時期もあった」とか。なんとなく、分かります。同じカイロ大学卒の都知事と同じかどうかは別として。「彼女が中心となって出していた雑誌『健康』(Health)は廃刊処分」で「サダト暗殺により釈放されるまで八十日間獄中にあった」とか。大変デスネ。
頁32
(略)だれかのひじが女子学生の胸に当たったりすると、彼女たちはほとんど口を開けずに、聞こえないような声で「あっ…」と言い、ふくらんだ鞄で胸を守ろうとした。柔らかな胸の感触はリンパ液のように男子学生のひじから肩や首へ伝わった。(略)電車の中ではもっと我慢ができなかった。女性の胸にわざと自分の身体をおしつけたりした。(略)
エジプトの高等教育は男女共学なんだな、回教圏だけれども、と思いながら読み、同時に、これは、まあ、原理主義者にとっては許しがたいだろうな、女性が書いたという点でも、と思いました。
それはそれとして、私はこれを読んで、高尾長良『肉骨茶』*1と共通するものを感じました。①主人公が摂食障害、食べ吐き。②著者が医学部に進む。
頁16
母はバヒーアが何を望んでいるのかわからなかった。だからいつも食べもので騙そうとした。バヒーアは母が見ていない隙に、口の中のものを吐き出すことにしていた。
本作はこんな感じ。
頁22
白いテーブルの上には十八本の蝋燭が灯っていた。母はバヒーアにお菓子をたくさん食べさせた。彼女は母が後ろを向いた時にそれを吐き出した。
頁36に「アシュート特産の籐椅子に身を沈めている父」という描写があり、アシュートが分からなかったので検索しました。本書に訳注はありません。
訳者あとがきによると、本書の時代設定はおそらく1952年のエジプト革命の頃だそうで、これによってエジプトはイギリスの植民地支配から独立し社会主義国となったそうで、1956年には憲法が施行され、女性は選挙権と被選挙権を獲得し、1962年には初の女性大臣が誕生したとか。2016年にはエジプトで学んだ日本初の女性都知事も誕生したわけですが、だからといってエジプトで女性の地位が高いわけではないというのが本書の行間。
頁113、デモ隊が「エジプト!」「エジプト!」と叫びながら行進するのですが、どうもこれは"Egypt"でなく"Miṣr"مِصْرُと言ってるんじゃいかと思いましたが、邦訳は英語からの重訳なので、その辺にこだわりはないかと思いました。エジプトはジャパンみたいなもんで、国民は「ミスル」と呼んでます。ニホン、ニッポンみたいなもんで。ちょっとちがうかな。日本は中世では「じっぽん」とも読まれていたそうで、ジパング、ジャパンはそっからだという説もあるので。
猟奇的にもフェミニズム的にもサーダウィサン最大のトピックは彼女が六歳の時に女子割礼を受けさせられている点にあって、訳者あとがきも日本語版ウィキペディアも底は外すわけにはいかないと、筆を割いています。私は女子割礼はアフロアフリカの事象だと思っていたので、サハラ以北でもあるんだと腕組みしました。どこまでこの文化は広がってるんだろう。男子割礼は回教圏共通ですが、女子は分からない。オスマントルコ圏はトルコもアラブも(オスマントルコではないですが)ペルシャもフムスやらピタパンですが、女子割礼はアラブを越えてトルコやペルシャまで広がっているのかいないのか(あえて検索はしません→やっぱりしました→女性器切除の痛み | NHK)本書では頁135、姉が女子割礼を受けて泣き叫ぶのですが、主人公は執刀人のじいさんが死に、父親が近代都市カイロに転勤するので、難を免れます。
だからというわけではないのですが、彼女は市内に部屋を借りてる男子学生にナンパされたその日にその部屋でセックルして、デモに参加して「うじゃうじゃと這いまわっている南京虫」(頁127)が茣蓙にいる監獄にブチこまれ、保釈金を払った親に結婚させられ、新郎が初夜に迫ってくるとキックの応酬で拒絶し、娼婦とのセックスしか知らない新郎をうろたえさせ、逃げだして大学(医学部)に戻ると指導教授から彼が女子学生を連れ込む部屋に誘惑され、またもキックの応酬で対応します。
頁156
(略)「ぼくは誤解してたようだ。君はぼくのことを愛してるんだと思っていたよ」
「いったいどこでそんなことを思いついたんですか?」彼女は驚いて尋ねた。
「ぼくは女というものをよく理解しているよ」彼は先生らしい口調で言った。
「どの頭で?」
彼は自分の頭を指さして、にっこりした。「解剖室で教えなかったかね」
「解剖室と真実とは違います」彼女は軽蔑したように答えた。
「真実とはなんだい?」
「男の脳は頭にはないということです」
「じゃどこにあるの?」
「股の間に」彼女ははっきりと答えた。
彼は上着を着ながら、言った。「君は普通じゃないね」
「あなたはまったく普通の男ですね」彼女は微笑を浮かべながら言った。
この先生は青い目をしていて、修道院へ行けとか言うので、コプト派キリスト教徒かもしれません。頁155では「オマル・カイヤム」というエジプトのワインを女学生に飲ませます。エジプトでなくペルシャの詩人オマル・ハイヤームだと思うのですが、そういう名前のワインは見つけられませんでした。彼の詩「ルバイヤート」を名前にしたワインは見つかりましたが、スペインのアンダルシアだった。
上の東京新聞の記事だとエジプトのクリスチャンは人口の約一割となっていて、以前読んだ本*2の知識では、三割から四割いなかったっけ? と不思議でしたが、年々押されて今はそれくらいなのでしょうか。外務省のデータでも日本大使館のデータでも約一割になっている。
フィフィサンなどが、エジプトもアラブですが、そんなにブルカ、ヒジャブ着ていないと言っていたのですが、頁147を見ると「黑いガラビアを来た女たち」とあり、ガラビアだとブルカやヒジャブとは言えないなと改めて思いました。
以上