『私たちの星で』読了

 カバーイラスト ⒸMARTM / 123RF SROCK PHOTO 初出は「図書」2016年1月号~2017年8月号 単行本化に際し、若干加筆修正したとのこと。装幀者が誰かは、記載箇所が見つけられませんでした。

私たちの星で

私たちの星で

 

 ほかの方に河出のパレスチナ人作家のカナファーニーの短編集のことを教えて頂いて読んだのち、その人がカナファーニーを読もうと思ったのは、カリーマの人が東京新聞で紹介したからだと知り、カリーマの人を知らなかったので、何か読もうと考え、これが岩波だから薄そうだし、往復書簡集なので簡単かなと思って読みました。

往復書簡集の相方は『西の魔女が死んだ』の人で、正直、この人がこんなに政治や文化を語る人だとは思ってませんでした。エストニア紀行や、冬虫夏草は読んだ気もするのですが、いや、この人の冬虫夏草でなく、中島たい子の漢方小説だったかな。でも、首相官邸の前に行くような人とは存じませんでした。また、世界各地を股にかけて飛び回る生活をしている人とも思わなかった。コンゴ人の難民認定オメパーティーとかさらっと本文中に出ますが、コンゴといえば高野秀行のムベンベしか思い出さない私には豚に真珠Ðス。

梨木香歩 - Wikipedia

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往復書簡集にはあまりいい思い出がなく、天安門絡みで中国を出て渡仏したシャン・サとシャネル日本法人トップの往復書簡集『午前4時、東京で会いますか? パリ・東京往復書簡』が美辞麗句と褒め殺しで埋め尽くされていたのに辟易したり、例のホンカツペンダサン往復書簡集で、ペンダサンの山本七平がバカみたいに日本語の知識をひけらかして修飾過多の文章をこれでもかとぶつけてくる慇懃無礼な態度に出たのを「京都のお公家さんとかこんな感じなんだろうなあ」と思いながら読んだ記憶があったからです。

それで、これも、最初両者手探りでホメ殺し合戦始めてるので、あーまただよ、女の戦いは故・発言小町だけでじゅうぶん、喪女板とか鬼女板とかそういう時代でもないんだし、と思いながら読み進めたのですが、両者に慎みと労わり、敬愛があるので、後半は感心しながら読みました。だいたいこういうのは、キャッチボール投げると、へーすごいですねそういえば私も、てな感じに相手のことへのリアクションでなく、自分のことに話を移す繰り返しになりがちなのですが、梨木サンはまるまる一回、相手の体験を咀嚼するだけで終わってたりして、こりゃこっちは贅沢な読書だと思いました。薄くて濃い。

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私はあんましイスラムの日本語文章の書き手を知りませんです。ペルシャシリン・ネザマフィは商社で働いてるからあんましもう文章発表してないイメージですし、レバノンの、重信房子の娘の重信メイは一冊読んで面白かったのですが、それ以後読んでない。本書のカリーマの方は知りませんでした。著作が少ないのは、私が知らない理由にならないです。パレスチナの本の紹介で知りましたが、その時点では広いアラブの何処の人か知らず、何を読もうか検索した時にエジプトと知りました。私としては、エジプトは人口の三割くらいコプトキリスト教徒と思ってるのと、あと、ナイルの恵みというか、世界四大文明のひとつだったわけですので、アラビア半島のオイルパワー遊牧民と違い、吉本芸人のイラン人の人の本で、アラブはペルシャにコンプレックスがあるのではないかとの考察の、そのコンプレックスを感じてないであろう数少ないアラブだとも思っています。チュニジアも感じてなさそうですが。

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師岡カリーマ・エルサムニー - Wikipedia

頁041、カリーマの人のくだりで、代々木のモスクがもとはロシア・タタール人が建てたとあり、それは知りませんでした。ロシア国内のヴォルガ流域の回教徒の、ロシア文化を取り入れた暮らしを、日本で亡命ロシア人として継承する老婦人の記述は、興味深く読みました。

頁049、梨木サンのくだりで、南九州の、中国の粽子に似ているけれども、灰汁で煮る「アクマキ」という料理が紹介されていて、それは知りませんでした。面白い料理がある。

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頁084のブルキニ禁止令、まったく記憶がないです。たいしたことじゃないとスルーしてたかな。この本はかなり話題にしていて、価値観の違いを感じました。

ブルキニ - Wikipedia

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頁124『アリーとニノ』は図書館にないかったです。カナファーニーはあったんですけど。師岡の人は、モスクワに親友のジョージア人がいるとか、どういう人生なのかと思います。この往復書簡集を読むと、年長者を立てる日本の習慣を自然に身につけているような気がしますが、ちがうかな。年齢関係なく相手に敬意を払う習慣なのだろうか。頁096、ユダヤ人はアラブ人に会うと、必ず最初に自分がユダヤ人であることを明かす、その逆も然り、というくだりは、とても示唆に富んでいると思いました。でも私たちは仲よくしようね、というメッセージなんだとか。日本人と韓国人が会ってまあお互い国籍を明かした後、どこかで歴史論争や意地の張り合いが始まるのとはだいぶ違う(始まらないこともあります)頁025、エジプト含むアラブ内でのシリア人の立ち位置の話も面白かったです。珍重されているのか。

ふたりの年はエトひとつ分マイナスいち違うようで、片方は還暦、片方は知命。本書刊行時はまだその年に達してませんが、もう達したんじゃいかと。薄くてよい本でした。以上