前川健一『アフリカの満月』写真がこの人の写真だったので借りた本。
アマゾンでは中古しか出ませんでしたが、版元にまだ在庫があるようで。
※本書に帯はありません。カバーに傷みがありますので、ご了承の上お買い求め下さい。在庫僅少です。
20年前の本ですから、多少傷みのある在庫しかなくても、ちいさな出版社だから社員の入れ替わりも激しいだろうし、毎回新入社員に本の扱いを教えるところから始めて、それで定期的に棚卸しとか考えると、そんなものだろうと思うのですが、わざわざ帯なしと注記しなければいけないのかと。今が逆になんでもかんでも帯つけ過ぎなのではないでしょうか。確かにあると楽しいかもしれませんが、それも値段に含まれていると考えると…ああ、それで発売当初帯付きだった本を買って帯がないと怒る人がいるのか (´Д`)
版元公式の蔵前仁一の紹介文がかなりよい文で、「凡庸な生活記ではありません」とまず旅行者駐在等を敵に回してハードルをあげておいて、「真知さんに、エジプトの本を書いて下さいとお願いしたとき、真知さんは「うーん」とうなって」固まってしまった、とヒキを作っています。1990年春から1997年末までカイロで暮らし(妻の出産等での里帰り、アフリカ旅行による中断あり)旅行人に「カイロ便り」と題して1993年から1998年まで書いた連載と、ほかに書いた文章を合わせて単行本化。
装幀●旅行人編集室 本文写真●作者
【本文用紙】オベリスク71.5kg 【表紙】ボス鼠四六 Y 160kg 【見返し】タントS・7四六 Y 100kg【カバー・帯】パールコート四六 Y 100kg
奥付に明記した用紙の中に、帯まで含んでしまったために、古書ならともかく、新刊なら帯つきですよね? とイジられる羽目になったのかも。くわばらくわばら。
「はじめに」と「あとがき」があり、作者の好きなエジプト本紹介があり、本文は七つのパートに分かれていて、①バックパッカーにもあるあるなエジプトゴッツン事情やらなにやらの摑みの部分。小池百合子は出ません。②印象的な旅の風景。③アルバイトで日本人団体客の観光ガイドをしてた折の四方山話。さかんに、ツアーのオバチャン参加者から、吉村作治に会ったか聞かれます。④フラットの前の住人から引きついたお掃除おばちゃんの問わず語り。⑤駐在や、エジプト人と結婚等で現地に住む邦人にもあるあるなエジプトてんやわんや。野口健は出ません。⑥旅行人連載のネタ作りのため?面白そうな場所に突撃したりするバンキシャ的記事。フィフィも、師岡カリーマ・エルサムニーも出ません。⑦砂漠の修道院などの訪問記。出版前夜逝去の著者の恩師・辻邦生に捧げられていて、しかし私は、あれ?まだ存命じゃないの、と思い、よく考えたら辻仁成と混同してました。
がんばれ!旅行者たち
バックパッカーなんて、頑張るものでもないと思うのですが(探検や登山ならがんばるでしょうが)下の世代が育たないと本が売れないから、こうなってしまうのだろうかと。この頃は元気だったと思います。2011年12月1日発売号165号で休刊。その前にも休刊してて、一時的な復活そして本格休刊だったようです。自己責任の壁が厚いというより、派遣時代かつ外国人労働力解禁で、庶民に余裕がなくなり、必然的にバックパッカー人口も減少したのでしょう。旅先の海外からブログ更新するコンピュータ関係者やデザイナーははてなでも見ますので、そうしたリモートワーカーの手に職系の人だけが、コロナまではほそぼそと、やれてたのかもしれない。
作者はサイエンスライターなのですが、叙情的な記事のほうが印象に残りました。砂漠の修道院訪問記は気合入って書いてるのでいわずもがなですが、紅海沿岸の穴場リゾートや、シナイ山山頂、カイロ生活でも、エレベーターに迷い込んだ子猫が救出後ふたたび闇に吞みこまれ、もう見つからず、門番の息子が「神がこう望まれたのだ」というくだりなど(頁187)よかったです。
お掃除オバちゃんトークものは、後半、それの新作にしてもよいのに、してなかった話があり、もっと貫けばよいのにと思いました。ガイド同僚と話しながら歩く会話に、つきまとうスカラベ売りのセリフが割って入るような実験手法のスラップスティックエッセーも、やりたければもっとやってもよかったろうと。今の作者のツイッターやブログほかを見ると思います。総じて、社会派ネタは、オチが飛ぶというか、えっ、こう落とすの? みたいな印象を持ちました。具体例を挙げたいのですが、いざ探すと見つからない。監修の奥さんのまなざしでそうなるのか、作者が惑っているのか、なぜだろうと思いました。
カイロ・アメリカン大学という大学が、良家の坊ちゃん嬢ちゃんの大学だそうで、小池百合子はカイロ大学なので、違うと思いました。陸の王者广K广O。
頁26 ❶「門番のバクリー1」
エジプト人の発想は基本的に「その場しのぎ」だ。そのとき、なんとかなればよくて、あとのことは考えない。トラブルが起きたら、またそのとき考えればよい。だから、いつまでたっても根本的な解決がない。
こういう、「エジプト人」を、「韓国人」「中国人」「大阪人」等々に自由に入れ替え可能な文章を、現地にいると書きたくなる気持ちも分かりますし、またそれを「現地の人たちを見下している」とまなじりをつりあげる人がいるのも分かります。考え出したら、文章を書く手が止まるだろうなとは思いました。こういうところだけ削ればいいので、かなり削ったはずですが、見落としか。
頁98 ❸「ネフェルタリの墓」
正直いって、エジプトに住んでいるくせに、ぼくは古代エジプトの遺跡や壁画がそんなに好きではない。(略)
これが地中海をまたぎこして、ギリシアにわたると、あたかもドライアイスが気化するように、堅固な石の彫像のなかから、明るく、軽やかな音楽が、典雅な律動とともに立ちのぼってゆく気がする。乳白色の大理石は、もはや固体ではなく、なめらかな皮膚か水面のように、流れ、震え、躍る。それがぼくは好きだった。
けれども、ネフェルタリの墓を見て、考えが変わった。(以下略)
こういう文章が著者の真骨頂な気がします。ギリシャとエジプトでは時代が異なるんでないの、とも思いましたが、大丈夫なのでしょう。陸の王者广K广O。
読むほうもある程度エジプト知ってるだろうから、分かるデショ、的に説明を割愛してる中で、私が分からなかったのがまず「ガラベーヤ」という単語。白い帽子と思ってると、女性もつけてるとあり、何かなと検索したら、あの、ながーい服でした。
コプトに関して、説明もあまりないのですが、「コプト教」「コプト教徒」と書く書き方は違和感がありました。キリスト教のコプト派、と私は捉えているので、「コプト教」と書かれると、まるでキリスト教とは別の宗教のような印象を持ってしまう、と思いました。作者は、カルケドン公会議で単性説を異端としたほうのキリスト教の立場に立って、コプトをキリスト教の一派と呼びたくなかったのだろうか、とも深読みしました。でも特に信仰のない普通の日本人とも書いてる支那ー。
『コプト社会に暮らす』 (岩波新書 青版893)読了 - Stantsiya_Iriya
砂漠の修道院のくだりでは、コプト語の祈祷も登場し、コプト語なんてないだろう、アラビア語だろうと思ったら、それはありました。私が物知らず。マロン派はどうなんでしょう。
師岡カリーマ・エルサムニーの本を読むと、クラスメートのクリスチャンは裕福な人が多かったとあり、本書頁202❻「ゴミと豚と神と」に登場する、ザッバリーンと呼ばれるカイロのゴミ収集業がほとんどコプト派の信仰者で、貧困で劣悪な環境に暮らしており、豚を飼う彼らは不浄な動物を飼うわけなので多数派イスラム教徒から迫害されている、というくだりと、どう整合性をつければよいのだろうかと思いました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
もっとも、砂漠の修道院のくだりで、修道士を志す若者は、高学歴者が多いというくだりがあり、そっちはなんとなく納得しました。社会でゴッツン。息子が修道士になりたいと云うと、親は猛反対するそうです。日本だとどうかな。息子が雲水になりたいと言っても、特に止めない気瓦斯、伝統仏教なら。
頁228❻「エジプトのハレ・クリシュナ」に、バハイが出ますが、バハイは彼らの言によると宗教ではないそうなので(以前日本人のバハイの教えの信者を知っていて、新宿の元フジテレビのあたりでその建物を見て、懐かしいと思ったことがあります)本書で「バハイ教の信者のバハイ教徒」という記述があるのは、ちょっとヘンかなと思いました。小杉泰『エジプト・文明への旅』が紹介してる、エジプトのバハイ信者が、異端を理由に会社で不利益を蒙ったので裁判を起こしたが、バハイは所謂エジプトで信仰の自由を認められる宗教でないので、訴えが退けられたという記事のくだりです。でもウィキペディアでもバハイは「バハーイー教」になっている。
直毛の日本人をいじれる床屋があんましカイロにはなくて、ミトオーバという場所の床屋を紹介してもらうのですが、この地名?を、検索しても水戸OPAしか出ません。
美容師や理容師のバックパッカーがカイロに来ると、日本人定宿のゲストハウス→著者の奥さん→在カイロ日本人奥さん社会、へぱっと広まって、みんないそいそと髪切りに来て、バックパッカーも小遣い稼げてWin-Winのくだりはよかったです。そういう規模の邦人社会だったんだなと。今はアフリカ全土を中国人が席巻しているでしょうから、中国人の美容に在留邦人は行ってるのかもしれません。韓国人はどれだけアフリカにいるだろうか。
タイトルにもなっている、ピラミッド登頂は、バックパッカーからはよく聞いた話で、まあ今は、事故がひとつ起こると、ネット上で「日本人の恥」とすぐ言われてしまうので、なんしか大変だなと思います。エアーズロックで前世紀末に日本人が転落して死んだとき、さかんに叩かれた記憶があるのですが、検索しても、もうそれは出ず、直近の邦人死亡者はパックツアーだそうで、そしてその後、エアーズロックは安全上の理由でなく、宗教上の理由、少数民族文化尊重の理由から、全面登頂禁止になったそうで、今からこっそり登ったら、誰であれこりゃもう完全に叩かれるだろうなと思いました。
頁80 ❸「大観光」
(略)いずれにしても、これでツアーの全行程は終わった。ほっとして来た道を引き返してるとき、お客同士の会話が耳に入った。
「あの太陽がアッラーという神さまなんですな」
「イスラム文化というのは、 たいしたもんですな」
「そうですねえ、それなのにどうしてモロッコは戦争ばかりするんでしょうかね」
(略)アッラーとラーがいっしょでも、古代エジプトとイスラムがごっちゃでも、イラクとモロッコの区別がつかなくても(以下略)
日本で中国語会話に通ってもこんなものです。教師による「天安門事件なんてありません、日本でネットで出る記事はみんなウソッパチです」といった方向のあれやこれやも加わります。 で、私も本書読むまで、エジプトのキリスト教徒の人口に占める割合を、レバノンやシリアとごっちゃにしていて、一割でなく、三割か四割だと思ってました。ほんとうに人の記憶はあてにならない。だから人がトンチンカンな知識を披露していても、むやみに嘲笑ってはいけないなー、です。それは必ず、自分に返ってきます。
前述のザッバリーン、ゴミ収集のコプト派キリスト教徒たちの話で、ナイル西岸のインババ地区の生まれで、三〇年前にザッバリーンに強制移住、という文章があるのですが、ここも解説はありません。ザッバリーンの英語版Wikipediaにそんな記事がありましたが、インババのWikipediaにはありません。移転先のモカッタムにもなし。
上のほうに、本書の❶「テロリスト参上!」に関連した、1994年の映画ポスターのページを貼っています。検索したら、つべにも上がってましたが、消えるんだろうな、そのうち。
The Terrorist (1994 film) - Wikipedia
この映画評のくだりが、現代から見ても、あるいは本書刊行はルクソール事件のあとですから、本書刊行時点から見ても、う~んという部分があり、それで作者は悩んだと思いますが、けっきょく自分に正直なまま、変えずに出したようです。
頁51 ❶「テロリスト参上!」
(略)テロ事件の直後には、あごひげを生やしているだけで拘引されたり、熱心にモスクで礼拝しているだけで逮捕されたりという事件があとを絶たなかった。民主主義を標榜しながら、実際には政治的にかぎりなく独裁に近いのがエジプトである。そんななか原理主義者たちに残された最終手段がテロなのだ。彼らにとってテロは、話し合いの場をもうけることすら許されない状況下で、自分たちの存在を政府にアピールする唯一の手段なのである。
むろん。暴力行為そのものは肯定できないけれど、だいじなことは、なぜひとがテロリストになっていくのか、なぜイスラム原理主義グループが暗躍しなくてはならないのかということであるはずだ。(以下略)
なぜイスラム過激派がなくならないのかって、そりゃ社会に不満のある人を洗脳してるからだろう、不満のある人はなんにしろなくならないし、というのが現時点での私の見解ですが、この映画の封切り時点では、著者はこうも感じていたんだと。ルクソール事件後に同じ文章を再度載せるのは、不思議なベクトルにいらぬ勇気と根性を使ってしまった気がして、それがこの人の持ち味なのだと思いました。
著者は前述のコプトのゴミスラムを訪れたさい、帰りに、もらった聖人のカードを投げ飛ばして捨てて、それをそのエピソードのオチにしています。砂漠の修道院では、帰りにギザで降りて、とちゅうの果物売りの屋台でオレンジ三キロ買って、家でむさぼりくうところで終わります。なぜ「自分」でオチにするんだよう、と思いました。その辺が、ライター稼業のストレスと、折り合いの付け方が微妙にとがってる感じがして、難しいなと思う。
頁222❻「あるオランダ人スーフィー」
(略)ぼくは大学ではイスラムの話などはしないのですかと訊いた。
「あまりしないですね」と彼はいった。「わたしの師は、いまの時代にひとがひとのためになにかをしようとすると、かならず反対の結果を招く、とおっしゃられた。(略)いま、できることは自分のことに責任をもち、自分をコントロールすることだけなんです。わたしはメディアを信用していません。(略)ひとに話をするのもおなじことです。原理主義者の問題点もそこにあります。彼らはすぐに思ったことを行動に移す。(略)」
しかし、原理主義者の側からすれば、このようなスーフィーの姿勢こそが攻撃の対象となっているのも事実だ。原理主義者はスーフィーを「ジハード(聖戦)をしない」「政治活動をしないでジクルばかりやっている」(略)といって批判しているのだった。
この部分がなかったら、私は前の方のファナティック容認のところだけ読んで、作者を誤解したまま終わるところでした。毛沢東やマルコムXと同じ路線でイスラム原理主義の暴力路線を肯定しようとした進歩的文化人はまさかいないと思います。作者もまた。私が以前見た、イランかどこかのスーフィーは、本当に高速でくるくる旋回してた気がしますが、本書に登場するエジプトのそれは、念仏講に集まるお年寄りの踊り、富山のおわら風の盆みたいなイメージで私は捉えました。
この話は、ヒッピームーブメントやカウンターカルチャーを経て、イスラム教神秘主義に辿り着いたオランダ人カイロ・アメリカン大学英文学教授へのインタビューです。いわゆる現地在住ジャーナリストのネタ漁りの一環ですが、この人がいいこと言ってるので、取材した甲斐がありましたねと思いました。
頁223❻「あるオランダ人スーフィー」
「わたしが、それらを通じて学んだことが二つあります。一つは、真の教えとはオーソドックスなものであること、もう一つはお金をとって教えるものは信用できないということです。(略)
(略)終始ふところの深さを感じさせる、落ち着いたおだやかな口調で話した。ひとりよがりでない信仰は美しい。人格にほんとうのまるみをあたえる。
以上
【後報】
著者に部屋を譲ったHさんという方は連載中に死去されたそうで、別の本で、ハッサンという邦人ムスリムが登場するので、その人かと思いましたが、そうではないことが読み進むと分かります。ハッサンの人は、本書には巻末の「偏愛するエジプト本」の、河出「アジア読本 アラブ」大塚和夫編にしか登場しませんが、検索すると、ものっそいたくさん本を出していて、ツイッターで、さっきこの人バナナ食べたとか、そういうことも分かります。たぶん今でも著者の友人だと思います。『70歳からの世界征服』見ると。
「偏愛するエジプト本」は、奴田原という人の『エジプト人はどこにいるか』やマーク・トウェイン『地中海遊覧記』など、読んだ方がいいのかなあ、でも奴田原という人の本は前に読んで、大江健三郎が日本パヨクの内ゲバ暴露しててげんなりしたしなあ、マーク・トウェインはまた、ブ厚そうだしなあ、とためらってます。
『フロベールのエジプト』はいいのですが、ジェラール・ド・ネルヴァルの『東方旅行記』は、そのタイトルだと、東洋文庫のマンデヴィルという人の本しか出ず、ネルヴァルのそれは、『東方紀行』という名前で、野崎歓という人の講談社文芸文庫の¥2,640もする本でしか出ないです。ネルヴァルの他の本はなんぼでも出るんですが。
古代エジプトを論じた本は割愛。
(同日)