『ビンラディンの論理』(小学館文庫)読了

カバーデザイン 後藤葉子(QUESTO) デザイン 奥村靫正  書き下ろし

 前川健一『アフリカの満月』に写真が使われている田中真知という人の旅行記の冒頭、カイロでの日々に登場する、当時カイロ大学の院生だった小池百合子、否、ハッサン中田考という人の本も読もうということで読んだ本。2002年元日初版。その時点の論理、主張であることに留意しながら読みました。

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近著書では、イスラム学者の東洋人として異彩を放つ著者画像がたくさん見れますが、この頃はまだ、政教分離の世俗アカデミアの学徒としても、外務省の嘱託エリートとしても、立派に押し出しの効く風貌でした。アマゾンレビューに、小学館文庫、こんな本も出していたのかという驚きの声があり、本書カバーのラインナップを見ると、そうかもなとも思えますし、ピョンジョンイルもいるんだし、それほどでもとも思えます。関係ありませんが、私の知人の諏訪で孤独死した人は、本人は道教の仙人路線だったのでしょうが、ヒゲや服装はかなり最近のハッサンに似ていると思いました。

中田考 - Wikipedia

この人を検索すると、関連検索ワードに「妻」が出て、なくなられた奥さん(やはりイスラム教を信仰する学究の徒)などまで知ることが出来てしまい、カリフラノベやら、七十歳からの世界征服やら、秋の夜に吹き抜ける風を感じました。日本橋の誠品書店で、この人の本の隣に上馬教会ツイッター部の本が並んでいて、両信仰ともにそれでいいのかと思いました。

 本書は、オサマビンラディンの名を借りて、作者がこれまでもまとめてきた、イスラム主義者についての考察と理解しました。用語として、本書の「イスラーム主義者」は私があまり深く考えずに言ってしまう「イスラム原理主義者」であり、私はそれに、「狂信的な」や「ファナティックな」をつけたりするのですが、作者はそういうことはしません。冒頭にこそ「イスラーム主義反体制組織」や「イスラーム主義武装闘争派」などの単語を出してきますが、作者的にイスラム主義穏健派やイスラム主義世俗容認派は二律背反で存在自体認められないはずなので、「イスラーム主義者」の説明が進むにつれて、つけたし単語は姿を消してゆきます。

冒頭で、9.11以後、欧米マスコミでは、「白人の使命」、露骨な植民地主義の復活を唱える議論が噴出しつつある、と書いてあり、ガーディアンとシカゴ・サン・タイムスとウォールストリートジャーナルのそれっぽい記事邦訳タイトルを列記して煽ってるのですが、どうもそれらは、元ネタの田中宇「米英で復活する植民地主義」2001年11月12日になんかに載った記事をそのまま使ったらしく、ほんまかいやと思いました。

ウォールストリートジャーナルの記事だけでも原文読もうと思い、ポール・ジョンソンテロリズム対策の決定打は植民地主義」同紙2001年10月9日付の原文を探して、地元英字新聞常備図書館と日比谷図書館に電話をかけ、2001年の新聞はマイクロ含め保管してないことと、日比谷図書館が都立図書館でなく千代田区立図書館になっていることを知り、大学図書館の利用カードは身辺整理した際に捨ててたので、再発行すれば大学図書館で過去の記事のマイクロ読めるかと思ったら、利用カード作るには校友会の年会費5k支払いが前提とあったので、記事ひとつでそんな出せるか―と思い、最後の頼みの国会図書館遠隔複写申請じゃーと登録手続きなどしてみると、記事タイトルを指定しないとピンポイントで複写申請出来ないことに気付き、原題なんづらと検索したら、ウォールストリートジャーナル公式サイトで記事全文が読めたので、とてもよかったです。したっけ、原題だと、そんなに植民地主義の復活を露骨に歌ってないじゃないか、こういうところで小細工があると、のっけから眉唾になるのになー、と思いました。

www.wsj.com

 「テロへの答え?しょくみんち主義」後半義和団事変の話など、中国ネタが振られてるので、フーン("´_ゝ`)と思いました。

以下後報

【後報】

巻末に飯塚正人という人が「イスラム原理主義者と自爆テロ」という小文を特別寄稿しているのですが、要らない気もします。ハッサン節が炸裂するだけでよかったのでは。しかし小学館としては公平性を保つために必要だったのか。ハッサン的にはこの文章、受け入れてよいのでしょうか。受け入れたとしたら、それは世俗主義になるのか。(ならない)

ええと、作者によると、イスラム過激派(という言い方を作者はしませんが)が登場した背景は、貧困ではないということで、イスラム過激派伸長の理由は、教育の大衆化とイスラーム教育の普及によるもの以外ないそうです。(頁198「終わりに」)なぜそうかというと、(1) 9.11主犯の全員が、裕福なガルフ諸国出身者だったから。(2) コーラン五章四四節「アッラーの啓示に従って統治を行わない者は不信仰者である」だから。(ほんとはコーランアラビア語で読まないといけないので、日本語で読むというのもあれなんでしょうが、読めない)上の学校まで教育を受けたものは、コーランを読むから、ぜったい(2)に行きあたる、ということだそうで、聖戦と言われるジハードは、異教徒への戦争がジハードと私も思ってましたが(ソ連のアフガン侵攻に対するゲリラがまずそう呼ばれてましたし)それ以外に、(2)にあたる、背教者への聖戦もまたあるそうで、腐敗した公権力、政府に対するジハードのが多いということなのですが、この辺になると、「イスラム原理主義」でなく「イスラーム主義」という言い方の執筆になってくるので、ハッサンて過激ネ、と言って思考停止したく。

橋爪大三郎も、同じ啓典の民とか表向きは言ってるけど、コーラン読むとけっこうキリスト教徒DISってて、キリスト教徒としては、うわべのうわっつらの「共生」などではなく、彼らがアラビア語で書いている内実を知ったうえでなお、礼節を持って接しなければならないと言ってました。そういう意味で、知は力なり。

で、マドゥラサ(イスラム神学校)を作ることは、視野偏狭な原理主義者育成に貢献する事なので、ペシャワール会の活動にそれがあることなど、どうなの、実績として誇っていいの? と私が思ってることとは、矛盾しないのかなという気はします。(2)を教えますからね、学校で。それは、筆者の云う、教育の大衆化と、イスラム教育の普及原因説とも、また矛盾しない。

しかし、貧困が悪い説はその後も飽きず倦まず繰り返されていて、映画「ホテル・ムンバイ」でも、テロ実行犯がピザも食べたことないという、貧困育ちをイメージさせる場面がありました。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

筆者によると、貧困悪い説はなぜいけないかというと、貧困を止めるためという名目で、腐敗した政権、世俗政権にさらに援助金を流れこませて、何の解決にもならないのみならず、政権や軍によるイスラム主義者の弾圧資金につながるので、逆効果だということです。しかしほっといても(2)なんだから、権力者が対策を打つのは或る意味当たり前では、ですが、ここから、作者のカリフ主義の主張が出て来るわけで、世俗の王侯や太守の政権が群雄割拠するのでなく、王権神授説的なカリフ制が復活すれば、そういうこともなくなるであろうと。ほんまっすかね。

 こうした思想に至るまでに、回教徒たちも「歴史」から日々学んでいるわけで、有力な維新団体(と勝手に呼びますが)であるエジプトの「ジハード団」結成の契機となった思想は、モンゴルがペルシャもトルコもバグダッドも一蹴した空前の大征服の12~13世紀に、彼の地を支配したフラグのイル=ハン国が、ムスリムを自称しながらイスラム法を実施しなかったことに対する、当時のイスラム法学者イブン・タイミーヤの一連の著作だそうです。彼がこのタタール帝国への聖戦レスポンシビリティを説いたファトワは、おおいに現代のイスラム原理主義者たちに影響を与えたとか。頁114。

kotobank.jp

イブン・タイミーヤを検索すると、ハッサンの本が出ます。だからウィキペディアも、日本語版は相当ハッサンが書いてるんではないかと。

伊本·泰米葉 - 维基百科,自由的百科全书

中文版ウイキペディアでは、同時代のイブン・バトゥータが、「この人あたまおかしい…"脑子有问题"」と言ったというエピソードが採用されています。

Ibn Taymiyyah - Wikipedia

イブン・タイミーヤは、サウジのワッハーブ派に影響を与えたとハッサンも書いてますが、英語版Wikipediaはもう少し進んで、アルカイダにも影響を与えたと書いています。

モンゴルは家畜の殺し方も喉を掻っ切らず腹をかっさばくやり方でハラルでないし、そういうもろもろから、タタールへの聖戦は異教徒へのそれかと思ったのですが、背教者、カーフィル(不信仰者)への聖戦であるとは意外でした。そうかー、中国回族とか、インドネシアとかホットになるだろうな。不信心へ聖戦されると。トルコもそれで動揺してるんですね。

もう一個、歴史絡みの記述として、頁128、オスマントルコトルコ共和国になって、1924年カリフ制を廃止したことによって、イスラム共同体の政治的一体性が永遠に失われ、法学者たちはその喪失感から、世俗主義近代主義イスラム復古主義を真剣に思索し、その復古主義が武闘派、過激派たる「ジハード団」「イスラーム集団」の生成につながった、とあります。ここのまえふりとして、アッバース朝後期のファーティマ朝後ウマイヤ朝によるカリフ乱立は書いてあるのですが、肝心のオスマン・トルコのスルタン=カリフ制については、本書時点ではまだ1mmも触れてないのが、気になりました。だって、トルコのスルタンが、支配地域のアッバース朝のカリフから、カリフの地位の禅譲受けたわけで、征夷大将軍天皇の地位を兼ねたようなもので、いや、それだと同民族だからまだ認識としては甘いか、征夷大将軍が朝鮮王位を兼ねたとか、李朝朝鮮の大王が天皇位を兼ねたとか、宗教的な要素を抜くとそういう話で、キリスト教でいうとどうでしょうか、カノッサの屈辱とかアヴィニョンの捕囚のときに、皇帝と教皇が、どっちかを、相手を、廃位にして自分が兼位して、パパ・エンペラーとかエンペラー・パパになっていたらという話で、それなのに、オスマン朝のスルタンカリフが廃位になったから深刻な喪失感はないだろうと、素人は思ってしまいます。

必要ならワッハーブ派のサウジが復活させればいいと思うのですが、カリフ。で、あと、第八章「ビン・ラーディンの湾岸産油国ネットワーク」は、タリバンの三つの支援柱、サウジ、パキスタンUAEの中でUAEに光をあて、前二者には支援する理由があるが、三番目のUAEは、さて、悪のテロ支援国家といえばイラン、と、イランを隠れ蓑、標的にして、巧みに自分自身がテロ支援を行なってきたけんど、それはなずぇか、……………なぜかの説明がよく理解出来ませんでした。筆者は話が脱線するから書きたくなかったのか、イランと、シーア派については、1mmも書いてません。スンニー派の中のスーフィズムに関しては、さすがエジプト在住者といった感じで、復古主義者のことを筆者はサラフィー主義者と呼び、イコールイスラーム主義者とし、コーランに準拠しない神秘主義や聖者廟信仰者のスーフィー主義者こそ、日常におけるサラフィー主義者の敵である、としています。頁54。女性に貞淑を強要するサウジは復古主義者の天国なんだとか。このあたりはよかった。でもシーア派、イランは手に余るのか、書いてません。UAEの正体すら読んでよく分からなかったのに、イランまではといったところでしょうか。ましてやイスラエルをや。

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灘高から東大に行った筆者ですので、各章の前にこうしたサマリをつけてくれていて、とっても分かりやすいところは分かりやすいです。サマリがあるから分かるやろ、と思ってるところは、何がどうしても分からないものは分からない人には分からないかも。

2002年に書かれた本で、その後も作者は旺盛に活動しており、SNSでの情報発信もまめに行ってますので、近年のサウジの女性ドライバー解禁や、UAEイスラエルの国交正常化についても、ファトワではないでしょうが、なにがしかの見解を出してるんだと思います。検索してませんが。出してなかったらさびしい。

エジプト民主主義の荒廃、アノミーについて触れた頁168など、ハッサンとフィフィ、ハッサンと師岡カリーマ・エルサムニーアラビア語で鼎談してアルジャジーラで流したらよいと思いますが、そうしたら私にはそういう対談があったことすら知りようがない。だから日本語でやれば目に触れる機会があるかもしれません。でもカンバセーションしないかもな。いちおう検索してみて、ハッサンが2014年8月20日午後2:42にフィフィについて言及してるツイッターが見つかりましたが、フィフィのリプライはなかった。2002年時点で、ムバラク政権は法治国家でないとか、ロイター通信記者によると選挙の投票率は5%であるとか、ボロクソなんですが、どうなのかなあ。

ハッサンはファトワが出せる人なのか、出せない人なのか。また、日本学術会議に入ればいいのにとも思います。この人なら推薦があれば内閣総理大臣も任命すると思う。しないかな。以上

(2020/10/10)