表紙はマスード。Ahmad Shah Massoud (November 2000) Seamus Murphy/Vll/Redux/アフロ 装幀 谷中英之
白水社がこんな本を出していること自体異色かと。2021年11月15日印刷。2021年12月10日発行(初版)紀伊国屋のポイント帳尻合わせで買った本。
ウィキペディアのこの人の経歴は、ウソは書いてないんでしょうが、本書と合致してないです。インテリジェンスだからこうなるのかなあ。ウィキペディアだとパキスタン大使館にいたのは二年のように見えますが、本書では足掛け五年。私がラーワルピンディにいた時ですが、ホテルの隣の部屋の邦人が睡眠薬強盗に遭い、大使館の邦人保護課の人が駆けつけてくれたのですが、その時この人もいてたら会ってたということなんだろうなと思いました。おそらく会ってないんでしょうが。その頃はカイバル峠が開いたり開かなかったり。外国人としてアフガニスタンに入ることは出来なかったが、アフガンふうのシャルワールカミースを着てしまえば、邦人はハザラ人に風貌が似てるので、アフガン人に交じって入れないこともないとかなんとかの時代だったようななかったような。
邦人保護課の人はホテルに来て、「今は日本人はこういうところに泊まってるんですねえ」と言ってました。基本的に邦人は地球の歩き方がある国では、そのとおりにしか動かないはずで、そこで紹介されてるホテル(の中で口コミがプラスされる宿)に泊まるわけですから、地球の歩き方を見れば沈没場所は分かるような気がしますが、「○○への道」みたいな肉筆コピーも出回ってますし、ラーホールのように、サルベーションアーミーとYMCA以外はぜんぶ泥棒宿強盗宿だから、その二つが満室だったら泣くしかないと聞く場所もありましたし、日本のインテリジェンスがどこまでやれてるのか、かいもく分からないです。
作者の人はカブール留学二年してからやっと現地の友人とバザールに行き、詳細に市井の人々の生活を観察し出します。頁34。これは、インテリジェンスとしてはちょっと遅すぎる気がしますし、書くより行動の人との自己分析(頁229)と少し違わないかと思いました。また、ダリ語を専門にやったので、パシュトゥー語は分からないというくだりがあり(頁101)、そんなインテリジェンスはいないと思いました。中村医師だって、私が唯一見た講演会で、以前現地でひとことふたことパシュトゥー語を覚えたという人がそのことばをしゃべると、即座に「それはダリ語ですね」と言ってたくらいなので、現地にプロが長くいたら、ある程度通暁するんじゃないかなあと。本書はそうしたところが、話盛るの反対で、ケズってる気がします。ありのままに書いてるけど、すべてではない。
たとえば、冒頭の頁15で、トルクメンやウズベクを出した後で「また、トルコ系の言語を話す人々もおり」と書いていて、トルクメンやウズベクはトルコ系だから、同語反復じゃんと思いました。ここなど、デコイかもしれませんという。「~人」と書かず、「~族」と書いてるし。
ダリ語をやってたということで、ダリ語はペルシャ語とほとんど変わらないと私がペルシャ語を習った先生も言ってたので、それで旧ソ連領中央アジアで唯一アーリア系のタジキスタンに作者が赴任したのだと、そこは腑に落ちます。お役所の人事は不可解なことばかりで、適材不適所、人を効率的に動かしてないとよく言われますが、作者は一貫して現地スペシャリストとして正当に評価、スペックを発揮する場を与えられてきた(あるいは自身で開拓してきた)のだと思います。
以前讀んだ、部下がハニトラで自裁した上海元公使の『大地の咆哮』もよかったですが、これも、大使までのぼりつめた人が書いた本として、異色だと思います。というかこういう人が、平時にのほほんとしてた人ではつとまらなかったからでしょうが(また成り手もゼロだったのでは)大使にまでのぼりつめたということ自体異色な気がします。外務省人事知りませんので、まったく適当に書いてますが。
本書の内容は上の講演サマリとほぼ同じです。第五章まではほぼクロニクルで、梅棹忠夫『モゴール族探検記』やアマレス『アフガン 褐色の大地』の時代からソ連侵攻、範馬勇次郎*1がムジャヒディーンを素手でなぶりごろしまくって、腐敗しきった大地に「田舎の神学生」(Ⓒ中村医師)タリバン登場。タリバンとは何か、との考察へ続きます。それが第六章で一転して、情調たっぷりにマスードの死とその後の黙示録の世界、9.11が語られ、さらに一転して第七章で中村医師の夢が作者が見たなり感じたなりのかたちで描かれます。六章と七章はどうにもそこまでの部分とうまいことつながってないのですが、それがアフガン、それが本書の味と言えるかと。
本書もペシャワール会の本同様、カブールをカーブルと書いていて、現地のイントネーションに精通すると、ほんとにそうなんねやと思いましたが、読んでくうちに、ほかにも、通常巷間で使われるカタカナと、ことなったカナ表記が散見されましたので、引き写します。
ジェララバード(本) ⇔ ジャララバード(通)頁40
スコイ戦闘機(本) ⇔ スホーイ戦闘機(通)頁40
ジェハード(本) ⇔ ジハード(通)頁48
エンシャ・アッラー(本) ⇔ インシャ・アッラー(通)頁73
ムジャーヒディーン(本) ⇔ ムジャヒディーン(通)頁80
サラーム・アリコム(本) ⇔ アッサラーム・アレイクム(通)頁151
ドストム将軍(本) ⇔ ドスタム将軍(通)頁185
ドゥーシャンベ(本) ⇔ ドゥシャンベ(通)頁166など
頁80には、コーランも出ますが、岩波文庫同様、クルアーンと書いてます。
頁126にムッラー・ソーヘブ(和尚様)という言葉が出て、頁140にムッラー・サーヘブ(お坊様)という言葉が出ます。方言差なのかなんなのか。
頁90、パキスタン大使館勤務時代に、米国大使館の食糧支援プログラムを利用して糧食の横流しで一儲けをたくらむ「現地で出来た友人」から名義貸しを迫られて断る場面、「みんなやってることなのになぜ友人を裏切るのか」と地団駄踏まれるシーンは、どこでもかしこでも既視感のある人は多いと思います。さらにまあ、アフガニスタンなので、私は読んでいて、井戸掘り時代の中村医師が、PSMともうひとつのNPO以外のNPOはみんなうわべだけで私腹を肥やして現地がその後どうなろうと知ったこっちゃない連中だ、と言ってたのを思い出しました。ここに、裨益という言葉があり、意味を知らなかったので検索しました。
頁108に、カンダハルはパシュトゥーン人の故地とあり、それは知らないだけでなく想定外だったので、へえと思いました。パキスタンのトライバルテリトリーとかペシャワールのほうがパシュトゥーン爆心地だと思ってたので。カンダハルって、映画にもなりましたが、すぐ下はバローチのクエッタで、ちょっと西に行けばイランじゃないですか。あんましパシュトゥーンパシュトゥーンというイメージがないです。ちなみに、クエッタは、私が唯一、日本で働いてたという日本語の出来るパキスタン人の家で、外食でないパキスタン料理をごちそうになったところです。
こういう、タリバンの女性抑圧を糾弾する映画が真っ先に作られたような土地で、最初にタリバンが蜂起して、現地ムジャヒディーン制圧に成功していたというのも、神の矛盾な気がします。
頁134、イスラム社会では身体に瑕疵があることが吉兆とされ、タリバン指導者ムッラー・ウマルの独眼も、それに与すると思われていたとか。
頁116には、カンダハルは昔から男色が盛んなところであったとあり、それも知りませんでしたが、なんとなく、あちらの少年のなまっちろい体がやたら泳いでるイランのプールで、ホモソーシャルなプールはおそろしい(プールも男女別)と思ったのを思い出しました。
頁146
アフガン社会では拮抗する勢力間に抗争が発生するのを避けるため、弱小派閥の長を指導者に選出する場合が多く見られる。
アフガン人はカオスが好き、という風に思ってしまいがちな個所。
初期の記述、なぜソ連はアフガニスタンに侵攻したか、のくだりで、当時のイスラーム主義派はエジプト留学のムスリム同胞団の教派にくみしていたとあり、それだとハッサン中田考の得意分野だなと思いながら読み、しかしパシュトゥーン人の社会規範はイスラーム法というより、パキスタンのトライバルテリトリーで言われる部族慣習法、パシュトゥーンワーリーと言われるものが強いとあり、だから「田舎の神学生」タリバンなのだとなっていて、わりとすとんと落ちるところがありました。ここは、頁230、ハザラ人とパシュトゥーン人は民族や人種といったカテゴリでは異なるが、社会システムを人類学的に見るとほとんどいっしょだ、と考えを進めていて、ここもすとんと落ちています。以前讀んだ北尾トロのインド側の集落の本で、ヒンドゥー側なのに既婚女性を見てはいけないとかヒゲをはやさない男は男じゃないとかの社会規範が、パキスタン側、ムスリムと一緒じゃんと思ったのを思い出したデス。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
頁151に、アフガン人は男女ともにアイラインを入れるので、それで目が目立つと書いてます。毛を赤く染める人(老人など)についても書いてほしかったデス。
吉田敏浩のビルマ政府と少数民族各グループの内戦の本など読むと、銃器は猟銃に毛の生えたようなもので、殺傷力が全然あれなので、それだからあっというまに全土が阿鼻叫喚の生き地獄にはならないんだろうと、カラシニコフとRPGのアフガン(とアフリカなど)を比較して考えます。それもまた、アフガンがなかなか内戦から抜け出せない理由かと。あと、頁230で、現在のアフガニスタンはヘロインが大量に出回っているとあるのも、シラフでない人間が大量にいて、治安もなんもおかしくなってるという風に解釈しました。それはよくない。
「ノムース」「ベ・ノムース」の概念のところで、思ったのが、中村医師死亡後、複数のアフガン人が、「殺した奴はきっと後悔するだろう」と言った箇所。アフガン社会の「恥」の概念に沿って、後悔するだろうと予測したわけで、この辺、統治は非常にビシッとやるが、外交に関してはほぼノーセンスといわれるタリバンもまた、「ノムース」「ベ・ノムース」だけ見てるんだろうなあと。
「ノムース」「ベ・ノムース」の例で作者が挙げているのは、オウベイジンは必ず夫婦一対でパーリーに現れ、本来他人の眼に触れさせてはノーグッドなマイワイフをべらべら周囲に紹介しまくるとか、ばっかじゃねーのタヒねよ、だとか。それでいくと、カーチャンなんかはじくさくてバンサンカイなんかに連れて行けるけゑ、てなやまとをのこ、日本男児は「ノムース」「ベ・ノムース」を無意識に理解しているのかもしれません。イスラム以前からあるパシュトゥーンワーリー。部族慣習法。てきとう。
タリバンとパキスタン軍が、マスード攻めでタッグを組んでいたと作者が断定してるところなど、象徴的です。
しかしそれだけでは四方八方から干渉を受けるアフガン情勢は解読出来ないわけで、異文化の民にとっては、ノムースなにそれの世界ですから、当然無視して、アフガン人が死後後悔するような行動を平気でとる。とらせる。中村医師のマルワリード用水は、当初外部に秘密事項で、それをある時点から外にバンバン情宣したそうで、秘密にしてたのは、公開すると、荒らしに来るやつが絶対出るからだそうで、事実、書類偽造で乗っ取られかけたのを、地元の役人がPSM側で動いてくれて、防げたんだとか。本書はヘラートでタリバン関係者が独自の農作物耕作拡大を試行してる話を載せていて、外部に漏れるとよからぬやつが来るので、撮影NGだったそうです。私は、マルワリード用水のグーグルマップで、付近にひとつだけバザールのアイコンはあったけれども、コメントがひとつ、「写真載せるな」とウルドゥーだかなんかで書いてあったのを思い出しました。マルワリード用水の情宣が解禁になり、諸外国のアフガン権益について脅威になった面もあるのではないか、と、実は、私は、中村医師の凶弾について推理しています。一路一帯の趣旨とバッティングしたことはないかとか、考えてしまう。高野秀行『イスラム飲酒紀行』カーブル編では、高野秀行は中国人のお姉ちゃんのいる店でようやく酒を飲んでいます。カーブルのもう一つの顔。
以上