『掌の小説』川端康成著 (TANAGOKORO-NO-SHOUSETSU) "The Short Stories in The Palm of The Hand." by Kawabata Yasunari (SHINCHŌ BUNKO) 読了

原田ひ香『古本食堂』続編*1に出てきた小説を含む超短編集。122編の短編が収録されて、本編頁636。どの話が『古本食堂』に出てきた話か忘れました。森瑤子サンがリメイクして、そちらにもそれなりに味があるというような話だったと思います。「てのひらの小説」と読んでましたが、「たなごころのしょうせつ」だそうで。

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「てのひらのしょうせつ」とルビが付されている場合もあるが[1]、川端本人は「たなごころのしょうせつ」としているため、雅馴を尊ぶその読み方が尊重されている[2][3][注釈 1]。

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カバー装画 平山郁夫 デザイン 新潮社装幀室 1971年3月15日初版 読んだのは2011年8月5日73刷改版 1990年5月の改版に際し10編を追加。解説 吉村貞司(1971年3月)

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四編を選んで映画化もされたとか。

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掌の小説 (映画) - Wikipedia

不肖カワバタなのでやり放題です。それでも、戦前のほうがエログロナンセンスや猟奇といった、当時の世相を反映していたように思われました。戦中、特に末期の作風は、物資を欠いたり人によっては住居も焼かれたりのある意味極限ですので、夾雑物をそぎ落としたソリッドな味わいのものとなっています。生きてるだけで丸儲け時代。戦後の作風は、やはり民主主義というか、緊張が解けた安堵感が背景にあるように読みました。そして睡眠薬耽溺、飲めないのにゴーゴーバーでバリボリやりながらミニスカ鑑賞。田中英光のアドルムとかツスマスーズと同時代人の疾走として、自裁

<戦前やり放題篇①>

頁49『時計
「この花やかな女を、彼女の産んだ子を背にくくりつけ、この金の腕時計を持って質屋に行くように作り変えてやろう。」

<戦前やり放題篇②>

頁322『士族
「あんたの肖像を描いてあげようね。」
「あら、嬉しいわ、ほんと?」
「ほんとだとも。今日はその白い服を着たまま描いてあげるけれどね、あんただって(略)知ってるでしょう。人体は裸でなくちゃいい絵は描けないんだよ。(略)この次には裸になってくれる?」
 少女は花嫁のようにこわい顔になってうなずいた。(略)彼は士族の娘を花茎のような足からむしゃむしゃ齧ってしまうはずであったのに(略)

<別の意味の(オルタナ)戦前やり放題篇❶>

』夏の伊豆。道路人夫の朝鮮人一隊が、工事が終わって移動する。

頁89『海』
「私腹が痛くて歩けない。」
「そうか。俺が抱いて行ってやる。俺と夫婦になれ。」
「いやです。--父が言った。俺が殺された土の上で結婚するな。内地に来ている奴のお嫁になるな。朝鮮へ帰って嫁に行け。」
「ふん。だからお前の父はあんな死にざまだ。(略)
「俺と夫婦になれ。」
「もう誰も来ないの?」
「俺でおしまいだ。まあ三年待ったって朝鮮人はこの路を通らないや。」
(以下略)

けっきょく少女はふしょうぶしょう嫁になることを承知しておぶわれ、海を見たくないので海を自分に向けないように歩けと命令します。海を見たくないので見ないようにする娘は、頁613『月下美人』にも出ます。海に背を向けてバイオリンを弾く。

<別の意味の(オルタナ)戦前やり放題篇❷>

頁91『二十年
 村は野蛮で淫乱だった。その小字の一つは水平社の部落だった。
 部落の少女たちは小学校で少年たちを惹きつけた。彼女らの色気づいた姿は学校中の少年を早熟にした。(略)
 その二人が栗島子爵家の牡丹園で十四五年ぶりに顔を合わせた。
「やあ。」
 大きな声で肩を叩かれた彼はいかにも偉丈夫らしい海軍将校に圧迫を感じて、肩を叩き返すことが出来なかった。
 傍の貴婦人が勝気らしい上目遣いをした。彼の驚きを見ると梅村が言った。
(略)
「子供の時分が面白うござんしたね。」と、澄子がこともなげに微笑んだ。
(以下略)

<戦中篇>

頁485『十七歳』で、戦地からの姉の夫の手紙に、「支那家屋」の壁の前に立つ夫の写真が同封。

<戦後編>

(1) 頁563『』、不肖カワバタの親類の小説家志願の若者が書いた実録小説中の表現「下の兄も贋気ちがい」

(2) 頁584『隣人』には「つんぼ」という表現がたびたび出ます。

この後の版は知りませんが、私が読んだ2011年版では、「今日から見ると、ナントカカナトカな表現も」とか「ナントカカントカを尊重して原文のママと」みたいな断り書きはありません。でも言い換えもされてない。ノーベル文学賞受賞者、世界のカワバタだからでしょうか。

解説は伊豆の話と浅草の話の話数の比較しかしてませんが、鎌倉の話もそれなりにあります。あとは東京だと、大森界隈か。頁169『一人の幸福』と頁508『』は満洲の話。

頁57『金枝雀
 奥さん。この金枝雀は殺して妻の墓に埋めてもようございましょうね。

頁129『玉台』は愛することと所有することは同義なのか違うのかという話で、如何にも戦前の認識のようでもあり、三周廻って今日的のようでもあると思いました。

頁132『夏の靴』には乗り合い馬車が出ますので、泉鏡花『義血侠血』の金沢同様、公道整備後モータリゼーションが始まるまでの一時期、日本でも乗合馬車という交通機関があったことが分かります。小女郎(こめろ)という言い方も面白かったです。頁277『母の眼』には、馬車自動車両方が出ます。過渡期。

頁214『馬美人』は「うまびじん」と読まず「バビジン」と読ませます。何故だろう。湯桶読みを嫌ったのか。

頁219『処女作の祟り』は、戦前の一高生が、白木屋三越の食堂の女給のシャンの後をつけることが流行していたという、ナニコレ案件。女給さんは胸に番号をつけていたので、一高生はそれをドイツ語で呼んでいたとか。

頁219『処女作の祟り
三越の十六番(ゼヒチェン)と白木屋の九番(ナイン)とが僕等の人気の中心だった。

こういうのが戦後になると、石原慎太郎サンの、金持ちの悪童のイタズラ案件になって、その後一億総中流化でなんクリになって、そして非正規雇用派遣社会になりマスタと。就職氷河期以降の世相を代表する文学はあるのかな。西村賢太かな。

頁319『士族
 彼は銭湯を出しなに女湯を覗いてみた。脱衣場の鏡に死んだ蛸のような乳房と、その乳房のような赤子の頭とが、ぐらりぐらり揺れていた。

不肖カワバタなので女湯を覗き見するくらいお茶の子さいさいです。というか、昔はゆるかったんでしょう。盗撮ツール一式を携えたタイムスリップものが出たら、人気出るかな。案外、「見られることを意識しない肉体は弛緩して見られたものではない」の法則が発動して、百年の「色情狂」(©頁415『舞踏靴』)も覚めるかも。いや、そんなことはないか。ヘンタイだものbyあいだみつお、うそ。

頁279『三等待合室
   奉巡礼四国八十八箇所霊場
  本来無東西
   千葉県印旛郡白井村
  何処有南北
  南無大師遍照金剛
  迷故三界城
   字富塚   川村作治
         同行✖人
  悟故十万空

最後に、上の文章を北京語で読んでみようと思います。

フォンシュンリースーグオバーシーバーガスオリンチャン
ベンライウードンシー
チエンイエシェンインファンジュンバイジンツン
HUチューヨウナンベイ
ナンウーダーシィビエンジャオジンガン
ミーグゥサンジエチョン
ズーフージョン チュアンチョワンツンズオジィ
トンシン✖レン
ウーグーシーワンコン

feng4xun2li3si4guo2ba1shi2ba1ge軽suo3ling2chang3
ben3lai2wu2dong1xi軽
qian1ye4xian4yin4fan1jun4bai2jing3cun1
he2chu4you3nan2bei3
nan2wu2da4shi軽bian4zhao4jin1gang1
mi2gu4san1jie4cheng2
zi4fu4zhong3  chuan1cun1zuo4zhi4
tong2xing2*ren2
wu4gu4shi2wan4kong1

たぶん、「塚」だけ国字だと思います。土偏ない〈冢〉しかあちらにはない気瓦斯。たまに日本の漢字文章をぜんぶ北京語で(広東語や閔南語の人はそれで)読んでみると、頭の体操になると思います。以上