積ん読シリーズ カバー・藤浦亜希 聞き手・鈴木秀子
狐狸庵先生と言われても「在日ですか」となってしまう昨今ですが、なんとなく読みました。
窪塚洋介主演でマーティン・スコセッシ監督で米アカデミーにカスリもしなかった「沈黙」は遠藤夫人の教会ではその時点でも禁書(頁128)だったそうで、そんなだったかなあと思います。私は未読です。JTの広告に、囚われの神父が、ぼんやり捕縛だか代官だかのくゆらす煙管を眺めて、タバコもキリスト教も同じように日本人にとっては外来物なのに、一方は嗜好物として好まれ受容され、一方は拒否断罪される。その違いはなんなのか、どこからくるのかと思う個所が書かれているのだけ読みました。
頁46
「(略)この間まで八紘一宇を叫んでいた連中が、掌を返したように今は民主主義、民主主義って叫んでいる。こんな連中は信用ならないから、(略)
頁47
(略)『海と毒薬』を発表したとき、血書でもって「死ね」と書かれたものが送られてきたり、「日本の恥部を抉ってどうするつもりだ」っていう脅迫状が舞い込んだりしました。それから日本刀が送られてきたこともありましたっけ。(略)
それからロッキード事件のときだったかしら、(略)朝の五時頃に電話がかかってきて「亭主を出せ」ってえらい剣幕なの。(略)「余計なことつべこべ言わないで亭主を出せ」(略)私、癇癪おこして、「寝てるっていうのにわかんねえのか。おみおつけで顔洗って出直してきやがれ!」って言っちゃったの(笑)。
(略)「これからすぐ行くからな」とか捨て台詞を残して電話が切れたんですけど、(略)(笑)。結局、来なかったんですけどね。
まあ普通来ない罠と思いますが、風流夢譚事件や赤報隊のようなこともあるので。悪魔の詩はまた別か。ものかきの女房としての覚悟は出来ていた、という個所。私は『海と毒薬』は未読。奥田瑛二の映画を蛭子能収が酷評していたことだけ覚えてますが、前にもそれは書きました。『深い河』は、「深い」はいらないんじゃいかと狐狸庵先生逡巡したそうです。私は『スキャンダル』も未読。じゃー何を読んだかというと、
『新装版 わたしが・棄てた・女』(乃木坂文庫)(講談社文庫)読了 - Stantsiya_Iriya
ぜんぜん関係ありませんが、10万円の件で、創価学会には足を向けて寝られないと思います。創価学会は、筒井康隆の小説で、『公共伏魔殿』はNHKを描いた小説か、それでなく、タイトル忘れましたが、何かで読んで、その後、チベット仏教寺院で、ほんとに仏像は偶像だから拝まないんだなと思ったことがあります。今はそこまでしか書かない。10万円の件では、以下略
頁73。遠藤夫人の母は写経狂で、「観音教の世尊偈」を何百巻も写経していて、山本健吉という人が「ころび観音」と評したそうです。
狐狸庵先生は、何度も禁煙試みて失敗してるんですが、お手伝いさんがガンにかかって余命いくばくの時、煙草断ちをして、それ以降吸わなかったそうです。頁80。ラブリー利他。
「心あたたかな医療」に関連して、狐狸庵先生がいかに病とつきあって一生を送ったかが書かれ、院内感染という単語も出ます(頁209)どきっとした。狐狸庵先生と母親との関係性、イスラエル… 頁332、日本カソリックのジャーゴン「御ごミサ」は初めて聞きました。
頁148、「善魔」という概念が出ます。悪魔でなく、善魔。「地獄への道は善意で舗装されている」みたいな意味と解釈しました。含蓄のあることばです。ちなみに、「酒魔」という言葉を以前聞きましたが、それはまた別の話みたいです。
いや、こんな病弱な人だとは思ってませんでした。駒場の空気は渋谷の汚染がちょうど降りてくるのでよくなくて、玉川学園に引っ越したら改善されたそうです。町田ことばらんどで遠藤周作展やったこともあるのかなと検索しましたら、遺品も寄贈されたそうで、2014年に「遠藤周作『侍』展―“人生の同伴者”に出会うとき」というのをやったそうです。また何かやらないかな。以上