読んだのは平成25年4月の77刷改版。カバー写真 Holger Leue / Getty Images デザイン 新潮社装幀室 解説は初版時の田中美代子そのまま(たぶん)目次はなく、一行だけ歌の訳詞についての注釈が、本文末尾についています。初出は昭和三八年九月講談社書下し単行本。
山崎洋子のホテルニューグランド紹介本に出てたので読みました。
舞台は横浜ですが、それで山崎洋子が紹介したのか、ニューグランドまで出て来たから紹介したのかは忘れました。
私は三島由紀夫は、ほとんどというかまずもって読んでません。太宰もカワバタもトルストイもドストエフスキーも読まなかった。『賭博者』だけ読んだかな。『仮面の告白』とか『金閣寺』とか、読んでないのにストーリーを知ってる気になっています。『潮騒』だけ読んだかな。母乳は眼病の薬になるそうなので、その観点から、"Kinkakuji-Temple"読んでみてもよかった。
昔、東大物理学の院に進学した知人が、小論対策で文学に親しんでいた頃、ミシマにも手を出して『金閣寺』を読んで、あーこれはこの人ちょっと…と言っていたことがあります。でも彼は後輩になった。あと、AVのアルバイトちょっとやって逃げ出して消息知れずになった人が、『豊穣の海』全巻読んで、う~んう~んと言っていた。これはこのひとそうなるわ、だそうで。
それから、茅場町でしたか、経済関係のシンクタンクで、日本では楽観的な景気予測の旗手として知られていた研究所の、美しい女性の方で、合コンの誘いがひきもきらないのに、女性が結婚しなくてもずっと働ける場所としてお茶女でここを紹介してもらったとかで働いていた人がいました。家庭はわりとナロウな父親と転がってるエロ本みたいな家だったそうですが、まあその後結婚したんでしょうが、当時、自分の恋愛状況について、ミシマの『永すぎた春』そのままで、婚期があれなのである、と言っていて、読んでみようかと思いつつ現在まで未読なのを思い出しました。この人には、何故か、その職場の独身女性たちが、山手線の内側でそれぞれそれなりのマンション暮らしなのですが、手料理をひとりで作ってひとりで食べてもわびしいとかで、月イチくらいで誰かの家に集まって、その家の女主人の手料理を賞味する会、みたいのに招いてもらった思い出があります。世の中にはそういう世界があるのかと思った。その研究所は、女性が独身でもずっと働ける場所としての意味以外に、女性が結婚してもずっと働ける場所としての意味をどう付加していくかの過渡期が、その頃から勃興していたと思います。のちに、ごはんはまとめて炊いて一食分ずつ小分けして冷凍しておくようなワーキング女性の世界を知るにつけ、あの山手線の内側のマンションは、それよりワンランク上だったのか、やはり白鳥が水面下で必死に水かきするように小分けしていたのか、どっちだったんだろうなあと空想に耽ります。
狩野英孝。
頁8
きっと母は出がけに靴下の伝線病を発見して、あわてて穿き代えて出て行ったのであろう。
ストッキングは、伝線とはいうけれど、伝線「病」とは言わないんじゃいか、と思い、検索すると、著名な方のソネットブログで、向田邦子もエッセイで靴下の伝染病という表現をしていた、のが分かりましたが、エッセイ名不明で、そこまでです。ミシマ単体で考えると、ユキオは言葉を言葉としてのみ理解することが好きで、必ずしも、言葉を、血肉を伴った実体として認識することに重きを置いてなかったと思うので、それで「伝線」でなく「伝線病」なのかと仮定します。
同じ頁に出てくる「絽刺ろざし」を検索しました。
頁19などに出てくる「ワッチ」という単語も分かりませんでしたので、検索しました。
♪♪24時間 たたかえますか♪♪/海の不思議箱 日本船舶海洋工学会 海洋教育推進委員会
船舶用語という但し書きをつけないで検索すると、思わぬ誤読を招きます。
頁26
窓の手前の影までが、瀝青チャンのように燃えていた。
瀝青の中でも、チャンは"chian turpentine"というスペルとあるので、それで検索すると、テレピン油になってしまいます。
頁30など、お華客と書いて「おとくい」と読ませており、検索しましたが、ふりがな文庫で他の用例が確認出来ただけでした。中国とは関連のない言葉なのだろうなと。
頁73
「あのね、フィリッピンの大宗メインカーゴは何だっけ?」
「ラワンだろう」
「マラヤは?」
「鉄鉱石だな。じゃ、キューバの大宗メインカーゴは知ってるか」
最初、検索ワードを入れるか入れぬかのうちに、もう日本語の結果が出てしまい、玄妙だなと思ったのですが、念のためもう少し検索してみると、中国語の意味が海員用語に浸透してる気もしました。
で、「太宗」と空目すると、それはそれで幸せな空想に耽れると思います(途中までの私です)太宗カーゴ。
頁136
「泣くどころじゃないわ。いや、もうそんな話」
房子はたとしえもない甘さを籠めてそう言った。
頁140
(略)白い美しいデリックが屋根ごしに林立して、この暗鬱なけしきの中に、そこだけ光りかがやくものが羽搏いているように見えた。
以下後報【後報】
頁156
朱いデコラの円卓のむこうから、竜二は横目ですばやくこの微笑を捕えた。
頁188
「こっちへ来いよ」
リーダァ格の少年が、竜二の腕の外套を曳いていった。
(略)
「乾船渠かんドックってどこだい?」
「ここだよ」
(略)その微笑は、繊細な硝子細工のように、ひどく脆くて危険なものに竜二には見えた。(略)少年は竜二から、実に巧みに、すりぬける小魚のようにその長い睫の視線を外らして、説明をつづけた。
この少年たちのグループは、ええ家の子だけの、しかも天才だけのグループだそうで、その首領の少年は、ひょっとして三島自身の過去の肖像かもしれないと思いました。
【後報】
そういう意味で、ミシマなりのアンファンテリブルを描こうとして、それもまた自画像になったのかなあと。以前読んだ『百万円煎餅』の、健康的なブルーフィルム俳優夫妻の話などは、或る程度距離を置けると思いますが、多分に演劇的な人生だったので、自身重ね合わせで「悪」をどれだけ描けるか、という。
『日本文学100年の名作第5巻1954-1963 百万円煎餅』 (新潮文庫)読了 - Stantsiya_Iriya
石原慎太郎のほうが、例えば下記に収録された、良家のおぼっちゃんかつワル('50年代にマイカー持ち)が、メンヘ…な女性をひっかけてやったら、ずっとついてくるので、ちょんの間に売り飛ばしたが、どだい商売むりなメンヘ…で、返品されてまたついてきて、海に面した断崖絶壁で、軽く以下略という話など、この人は小説では本当に小説家だなというのをずっと書いてるそうで、それを(ふだん石原慎太郎の小説は読まないので)たまに読むと堪能出来ます、みたいなことがあります。
『日本文学全集66 現代名作集4 埴谷雄高/安部公房/中村真一郎/藤枝静男他』(筑摩書房)読了 - Stantsiya_Iriya
下記は、なんで英文を書いたのか不思議と思った箇所。
頁126
店に出ない間に、英国物の代理店から、数ダースの商品の送状インヴォイスが来ていた。
Messrs. Rex & Co., Yokohama
Order No. 1062-B
ここも。
頁141
かれらは内側のベニヤの壁にマジック・インキで書かれた楽書を、ひとつひとつ声を出して読んだ。(略)「I changed green, I'm a new man」
この落書きの意味が分かりません。緑に変わる、ってなんでしょうか。"I changed clean"なら分かるんですが。
こけおどしのハッタリでこんな英文出したとも思われないのですが、どんな深謀遠慮があったのか。ハマを舞台にしたということで、何か気負ったのか。東大出がこんな英文珍重するわけもなし。
頁157
次第に募る寒気の中で登るは待った。待ちくたびれたあまり、平仄の合わない空想をした。母が再び現われて、こんな風に叫ぶという空想。
「みんな嘘なのよ。あんたをだまして面白がったりして御免なさいね。私たちは決して結婚なんかしません。そんなことをしたら、世の中はめちゃくちゃになり、港では十艘のタンカーが沈没し、陸ではたくさんの汽車が転覆し、街の飾り窓のガラスはみな割れ、薔薇という薔薇が石炭みたいに真黒になってしまうものね」
英語は兎も角、漢文のほうでは、普通に漢詩のルールを背景にした、「平仄を合わせる」なんて単語を普通に使うミシマは、白亜の洋館で、何を思っていたのか。
「平仄を合わせる(ひょうそくをあわせる)」の意味や使い方 Weblio辞書
この小説の船乗りは、モラトリアムインテリ青年(三十路越え)なので、スープをすするさいも音を立てないようなマナーが身についています。以上
(2019/11/19)