『楽園の泉』"THE FOUNTAINS OF PARADISE" by Arthur C. Clarke(ハヤカワ文庫SF)"TOKYO HAYAKAWA BOOKS"読了

堂場瞬一『風の値段』*1に出て来る小説で、軌道エレベーターを語るならまずこれを読まないと話にならないというようなノリでしたので、読みました。しかし、どの小説に出て来たのかをさっきまで忘れていて、津村記久子『この世にたやすい仕事はない』*2*3に出て来た小説と思い込んでました。ちがった。

で、軌道エレベーターの古典的名著ということなのですが、現在の電子版の表紙は、まったくそれを感じさせません。舞台は事実上のスリランカで、クラークサンが、軌道エレベーターの都合上から、自身の住む愛するスリランカを、北緯六度~十度から南方に六百キロズラして赤道直下においたのですが、何故かそれを前面に押し出した表紙になっています。

なんでだろう。英語版も同様です。

直球でスリランカの文物が出て来る箇所は、頁127、「薄いパンケーキのようなもの」だけです。たぶんホッパー、アーッパを指してると思われ。

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下が私の読んだハヤカワ文庫初版表紙。カバー・鶴田一郎

赤道上を地球の自転と同じ速さで動き、そのため同じ地点の上に永遠に止まっている同期衛星や宇宙ステーション。天体力学の法則によって物体が空に静止していられるものなら、そこからケーブルを地上にたらし、地球と宇宙空間とを結ぶエレベーターができないものだろうか? 4万キロにおよぶく宇宙エレベーター> ――この壮大な夢を胸に、地球建設公社の技術部長ヴァニーヴァー・モーガンは、赤道上に浮かぶ美しい島国、タプロバニーへとやってきたのだが・・・・・・自らの夢の実現に向かって突き進む天才科学者の姿を見事に描く、巨匠クラークのヒューゴー賞ネビュラ賞受賞作! ISBN4-15-010731-9 C0197 ¥500E TOKYO HAYAKAWA BOOKS

軌道エレベーターです。

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宇宙エレベーターとは 神奈川大学工学部 宇宙エレベータープロジェクト

しかし、私はクラークサンが激怒したと言われる映画版2001年のキューブリックの感性に近いのか、どうもクラークサンやアシモフサンは馴染めず、本書も頑張って読んだ割に、何も印象に残らなかったです。巻末の大野万紀サンの解説や、著者あとがきを読んで、ソウデシタカと思いつつ、なにがそうでしただか分からないと自問自答。

現在の表紙は、ひとことで言って文化多元主義、マルチカルチュアリズム的世界をクラークサンなりに先駆的に本書で現出させた点を言いたいのだと思います。旧植民地をついの棲み処にした欧州人は少なくないでしょうが、クラークサンとスリランカのように幸せなエンディングを迎えなかった例もそれなりにあるわけですから。マレーシアやフィリピンならそれほど悪くはなかったでしょうが、ベトナムアルジェリア、ナイジェリアやパキスタン、中国だと、余生もクソもというケースが多々あったと思われます。スリランカもタミル人とシンハラ人の内戦、左翼ゲリラの跳梁があったわけですが、クラークサンが夢を語ることが出来るくらいの余裕はあった。すべてをへし折る暴風雨ではないかった。

頁53、イスファハンから来たペルシャ人が出るのですが、「太陽はペルシャ人の神である」などという記述が飛び出します。古代エジプト人と間違えてるのか、ゾロアスター教徒のつもりで、教義の理解が違うのか。

頁85、ラニという召使が「アイヨー、マハタヤ!」と叫ぶ場面があります。マハッタヤーは掌柜,老板、サーヒブ、トワン、だんなさまのような意味あいの言葉とスリランカの本*4で知りました。ラニちゃんといえば相模大塚や八王子などに幅広く展開するバングラデシュ料理チェーンのマスコットです。でも、”哎呦!“が分からない。スリランカ人も「アイヨー!」なんて言うんだろうか。邦訳の妙かなあ。

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頁111、異星からやってきたスター・グライダーとファースト・コンタクトの後に地球人類は、『オックスフォード英語辞典』と『エンサイクロペディア・テラエ(地球百科事典)』、それから『中国語大辞典』(ローマ字版)を彼らに提供します。笑ったのが、中国語大辞典をわざわざピンイン版で(たぶん。ウェード式版かもしれませんが)提供するくだり。クラークサンのような知の巨人も、漢字廃止論者なんでしょうか。ただし、スター・グライダーは既に音波で英語と中国語の語彙を採集していたとのことなので、音声音波ならピンイン版のが適してると人類が考えたとしても不思議はないです。

頁188、インド・中国地域の事実上すべての通信、気象、宇宙交通を一手に収めている「アショーカ宇宙ステーション」が登場します。クラークサンの世界では、インドが中国のめんどうも見てるんですね。しかし、ほかにも宇宙ステーションがあり、「キンテ」「イムテホプ」「コンフューシアス(孔子)」「カメハメハ」(ハワイの大王だけ頁354に出ます)と命名されています。

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「キンテ」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

頁238

ヴィクトリア朝――エリザベス朝だったかな?――の人間がよくいったように、だから、どうだっていうのよ」

「いいか、マクシーヌ――ニュージーランドがたったいま沈んだと、ニュース速報が出ているぞ――(略)

私はぼけーとここを読んでいたので、気候変動の天変地異で小松左京的なことがいろいろ起こっていて、人類を救うには軌道エレベーターしかないんだろうと勝手に考えてました。そうではなく、これはキウィをからかったジョークのようです。

頁299

(略)月はなかったが、下の陸地は、町や村のきらめく星座によって見分けられた。モーガンは、上の星を眺め、下の星を眺めているうちに、自分がどの惑星からも遠く離れて、宇宙空間の奥に一人ぼっちでいるような錯覚にとらわれた。やがて、海岸の居住地の光にかすかに縁どられた、タブロバニーの島全体が見えてきた。北方には、何か場所を間違えた夜明けの先触れのような、ぼんやりと明るい拡がりが、地平線の向こうからせりあがってきた。しばらくはなんだか見当がつかなかったが、南部ヒンドスタンの大都市のひとつが見えているのだと気がついた。

 もう彼は、どんな飛行機にも飛べないほどの高度まで来ており、(以下略)

タブロバニーがスリランカです。ヒンドスタンはインドそのままですが、スリランカだけ『復楽園』という本に出て来る名前になっています。

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『ふわふわの泉』の元ネタも『楽園の泉』だったのかなあ。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

以上