『アニルの亡霊』Michael Ondatje "Anil's Ghost" Translated by Ogawa Takayoshi マイケル・オンダーチェ 小川高義訳 読了

スリランカの小説を探していて、検索で出た小説。映画「イングリッシュ・ペイシェント」原作小説の作者が、11歳に英国に移住したスリランカ出身者だそうで、その彼が幼少期のふるさとを舞台に、執筆時現在進行形だった血まみれの内戦を描いた小説。彼はカナダで作家になり、ヒット作『イギリス人の患者』から8年後、2000年、ミレニアムに次作としてこの作品を発表したそうです。

アニルの亡霊 | ダ・ヴィンチWeb

たぶん版元品切れ再版未定、電子化未。2001年新潮社刊ですが、版元公式ウェブサイトには出ません。クレスト・ブックスには入っておらず。

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Cover Photograph:©2000 by Elger Esser, taken from Elger Esser, Vedutas and Landscapes, ©2000 by Schirmer/Mosel Publishers, Munich( )/ORION PRESS

あるスリランカ人のいうことには、表紙はスリランカの景色だそうですが、とくにそう明記はされてません。エルガーエッシャーというドイツ人の写真で、ミュンヘンの会社が版権があるとかなんとか。

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あるスリランカ人は、彼の名前をミッチェルと読みました。そういうこともある。

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スリランカムスリムの言語と思われる、ウルドゥー語ウィキペディアベンガル語ウィキペディアもないかったので、比較的ウルドゥーに近い? ペルシャ語を貼っておきます。

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カバー折の著者紹介によると、オンダーチェサンは、英領セイロン時代、茶農園を営む裕福な地主階級に生まれたそうです。両親ともオランダ人、シンハラ人、タミル人が混ざり合った家系で、英語版ウィキペディアによると、オランダ人とシンハラ人の混血種族はダッチ・ブルガーと呼ばれ、そこにはポルトガル人との混血、ポルトゲス・ブルガーの要素もあるように書いてあるのですが、オンダーチェサンの紹介にポルトガルまでは書いてません。インドとポルトガルといえばゴアですが、オランダはよく知らないです。オランダからインドネシアは遠いので、飛行機のない、海路しかない時代は中継地があって当然でしょうけれど。

Dutch Burghers - Wikipedia

Portuguese Burghers - Wikipedia

段々社から出ているスリランカの小説『熱い紅茶』の、'80年代後半シンハラ人暴動でまっさきにやられるのがこれら欧亜混血のユーラシアンたちです。都市商工民。

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南部に人民解放戦線、北部にタミル・イーラム解放の虎を抱え、内戦まっさいちゅうのスリランカを舞台に、故郷を離れて15年になる33歳の女性法医学者、アニル・ティセラが国連から派遣され、現地考古学者サラス・ディヤセナと共に、仏教遺跡の埋葬された遺骸の中に内戦ドサクサ殺害エビデンスを紛れ込ませて誤魔化そうとする行為が横行してるのを暴き、戦争犯罪を明らかにしようとします。いやー、直球な小説だなあと。

タミル・イーラム解放の虎は、映画「ダイ・ハード」一作目で、ナカトミコーポレーションを人質にとった商業テロリスト集団が見せかけの要求で政治犯釈放を求めたリストの中に入っていて、仲間が「なんだそりゃ」「ニューズウィークでで読んだ」と答える場面で記憶に残っている人も多いかと思います。

携帯電話が出て来るので、もう少し後の時代かと思ったのですが、終盤、1993年5月の自爆テロが起こるので、そのくらいの出来事ということになるかと思いますが、冒頭の著者注で「似たような組織や事件が実在したとしても、ここに登場する人物、物語は、あくまで架空のものである」と"M・O"名義で言い切っており、大統領名も架空なので(さらにいうと犯人名はイニシャル一文字だけ)ちがう時代でもいいのかもしれません。

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そもそもアニルは男性名だそうで、彼女は中学生の時に、兄からその名前を譲ってほしいと強硬に駄々をこねてゆずってもらったということになっています。理由は不明。"e"をつけて"Anile"にすれば少しは女性らしくなると両親は要望したそうですが、それも却下。その意味も不明。作者とちがってシンハラ人ということになっていて、シンハラ語でも末尾に"e"にあたる文字をつけれるのかどうか、それも不明。訳者あとがきによると、彼女がしょっちゅう自然の泉で水浴した後腰に巻くサロンは、本来男性が巻くものだとか。タイ人がサロン姿でくつろぐのは、前川健一サンの文献や、台北の地下鉄工事宿舎のタイ人を見て知ってましたが、スリランカ人もサロン姿になるんですね。ストリングホッパーみたいな麺も常食だし、スリランカはインドに多少東南アジアのエッセンスが入ってるんだなあと。

頁12、15年ぶりの帰郷で、いきなり時差ぼけ解消その他のため、トディーを飲みたいとアニルが言って、たいした帰国子女だとアテンドの男性が軽く皮肉る場面があります。やし酒の意味のトディーですが、あたたかいカクテルのトディーでも通じる場面だと思いました。

トディ - Wikipedia

話を戻すと、タイトル『アニルズゴースト』は、別にアニルサンが死ぬわけでもなく、彼女が法医学者として遺骨と対話する場面が多いから、それでみたいです。アニルサンが夜のしじまの中で、デスクに向かって椅子に座り、スタンドライトに照らされたされこうべを、両手で抱えている姿を思い浮かべると、いいのかも。しかし彼女はアリゾナほか米国で修業を積んでるので、米国流の、ロックをガンガンにかけながら死体を切り刻んで死因をつきとめる流儀にも馴染んでいます。時には飲みながらの作業。終わった後はボウリング場へまっしぐら。頁164。オクラホマでは、酒類販売免許のあるボーリング場一覧が職場に貼り出されていたそうで、禁酒条例が敷かれた郡への転勤は誰も応じなかったとか。海外の紛争地帯への派遣もこれが初めてでなく、グァテマラの思い出が冒頭挿入されます。

正直、スリランカの内戦がどれほどの死者、行方不明者を出しているのか、さっぱり認識がありませんでした。ウィキペディアを見ても、日本語版は死者数などの記載に乏しく、英語版ほかを見るが吉でした。

(1) 人民解放戦線

人民解放戦線 (スリランカ) - Wikipedia

 

Janatha Vimukthi Peramuna - Wikipedia

Multiple official and unofficial forces and reports confirm that the death toll exceeded 60,000. 

(グーグル翻訳)複数の公式・非公式勢力と報告書は、死者数が6万人を超えたことを確認している。

ජනතා විමුක්ති පෙරමුණ - විකිපීඩියා

 ඉතා විශාල දේපල හානියක් සිදුකල මෙම අරගලය මගින් ලක්ෂයකට ආසන්න තරුණ තරුණියන් ඇතුළු බොහෝ දෙනෙකුගේ ජීවිත අහිමි වෙයි.

(グーグル翻訳)莫大な物的損害を引き起こしたこの闘争により、10万人近くの若者を含む多くの人々が命を落としました。

மக்கள் விடுதலை முன்னணி - தமிழ் விக்கிப்பீடியா

 

(2) タミル・イーラム解放の虎(スリランカ内戦

スリランカ内戦 - Wikipedia

 

Sri Lankan Civil War - Wikipedia

1983–2009: At least 100,000 killed[20][21][22]

ශ්‍රී ලංකාවේ බෙදුම්වාදී ත්‍රස්තවාදය - විකිපීඩියා

60,000–100,000 killed overall (estimate)[14]

ஈழப் போர் - தமிழ் விக்கிப்பீடியா

100,000+ பொதுமக்கள் சாவு (கணக்கீடு)[14]

(グーグル翻訳)10万人以上の民間人死亡(推定)[14]

本書は、なぜ数字が出にくいのか、の理由を、小説というかたちで活写しているといえます。とにかく行方不明、とにかく記録が残らない、どっちがやったのか分からない。骨と語る時間の静けさと好コントラスト以下後報

【後報】

だったのが、どこのページだったか見つけ出せないのですが、唾を吐いても、吐いたところから植物が生えてくるような気がする、という箇所。

アフガニスタンイラクだと、戦闘による荒廃は、なかなか復旧しないもので、それは自然がそうだからで、古くはモンゴル侵入のさい、彼らはカナートを知らなかったので地下水路を無造作に破壊しまくって、一帯の乾燥化がいっそう進み、緑化しようにもナカナカ、という感じが現代のアフガンやイラクの風景と私にはダブッてみて、一度荒廃した自然はなかなか戻らない、それは人心にも影響を与えている、と思うです。

むかし、中国から日本に帰国して、新幹線に乗っている時、濃密な湿気を吸い込み続けたせいか、くらくらしてきて、同時に、車窓からの風景が、赤茶けた大地ばかりがどこに行っても続く中国と比べ(北方の河南山西は言うに及ばず、湖南や江西、広東までもえんえんだだっぴろい赤茶けた大地が続くときがある)日本は緑が濃いなあ、勝手に植物が育つんだろうなあ、と思ったことです。

昨今は森林の手入れ不足や耕作放棄地の増大もあって、ツタ類が猛威を振るっている感じですが、それでも、木が砂漠の熱波に負けてしまうような土地柄とはわけがちがう。スリランカもそんな感じ、あるいはもっとすごいのではないかと想像します。

吉田敏浩さんの本で読んだビルマ少数民族地帯より、高度が低い分、さらに熱帯熱帯という感じではないかと。それだからオンダーチェサンの本書登場人物は、泉を見つけると即いちもくさんに飛んで行って、水浴びして、泳ぎます。かといって垣根涼介さんのアマゾン取材記のように、下痢に悩まされるわ全身水と同じ茶色/真っ青/緑色になるわ、ということはありません。じっさいにそうなのか、オンダーチェさんの故郷美化が入ってるのか、それは不明。

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頁21、水牛ヨーグルトに黒砂糖、ジャッガリーをかけたものを朝食に注文する場面があります。こういうのは、まだ、現地に行かないと食べれないかな。粉末水牛ミルクの通販が検索に出たりしましたが、コロナカ理由で途絶して、やってないのが今も続いてるように見えます。

ダヒ - Wikipedia

頁32には、「雄牛のミルク入りのお茶」というジョークが出ます。本書は性的な箇所もありますが、ブンガク的お上品さを保っているので、ここも読んだ時、オスの牛が乳を出すわけないので、そういうジョークだと認識しましたが、エロで壊れた現代人の中には、精液入りの隠喩かとカンチガイする人がいるかもしれません。が、そういう人が本書を読むかどうか知りません。そして、そのオーダーに対してコンデスンミルク入りが出て来て、コンデンスミルクの比喩として、実はザーメンは合ってる可能性があるのかどうか、も分かりません。

頁25

 また船のデッキへあがった。陽光と騒音の世界だ。コロンボ港を行き交う小型船のエンジン音が響く。メガホンの声が混雑した水路にやかましい。

こうした都市の喧騒と、郊外の自然の静けさの対比が、見事です。冒頭でアニルはタミル人集落に行き、かつてナニーだった老婆と再会します。そこで、アニルがほとんどタミル語会話についていけないレベルであることが説明されます。乳母の孫娘が登場し、(タミル人の)難民キャンプで働いていると自己紹介します。

その後出て来る毒舌医師を、アテンダーの考古学者の弟と途中で混同しそうになり、名前ちがうよなあと、何度も確認のため登場頁に戻りました。消えた設定かと思いきや、ちゃんと使われます。予想の斜め上を行く形で。

下記は、米国もしくはカナダのセフレ(妻子持ち)とアニルが出会う場面。

頁42

「ディナーでもどう?」

「(略)ついて来ればモントリオールで最悪の食事をさせてあげる」

 というわけで車で郊外を抜けた。

「フランス語わかるのかい?」

「いいえ。英語だけ。書くのならシンハラ語も一応」

「そういう出身なの?」

多民族混在社会における自己紹介とそのレスポンスは、こうなるのかなあという。アニル・ティセラという名前と、褐色もしくは黒色だが彫りの深い顔立ちから、どこ系かぱっと分かるかというと、分かりません。オンダーチェサン自身は、ユーラシアンなせいか、肌の色は薄いです。ちなみに彼女の回答は「こういう人間よ。西側世界の住人」

頁54、マッルンが、「野菜炒め」のルビとして登場します。読み飛ばしてましたが、アニルの両親も医者で、彼女の出国(奨学金をゲットして米国留学)後、交通事故で死んだとここに書かれてました。で、乳母には逢いに行きますが、親戚とは、帰国後連絡を取ろうとしない。

海老のカレーが出ますが、とくにないです。頁82、中華料理店のフライドヌードルが出ます。店名が「フラワー・ドラム」と英語で、エアコンが効いていて、焼きそばはネパールのようにチョウミンというか、コルカタのように英語かと思うと、「チャーメン」とルビが振られています。そう言うのかな。今度聞いています。

ここから、パリパナという、引退後追放されて、テラワーダ仏教の僧侶もしくは隠者のように森で暮らす老人が出ます。この辺りまで、断片的な記述と、「女性主人公の法医学ドラマ」というしばりでなかなか読み進めなかったのですが、パリパナの物語から、一気に引き込まれ、読み進むことが出来ました。森の中の乾いた土地に作られたいおりで、静寂の中、碑文との対話、死者との対話が続きます。

パリパナの導きというか紹介で、遺体の生前の人相を復元出来る、本来は仏像に目を入れる職人の、アーナンダと云う男が登場します。いかにも仏教的ネーム、インド亜大陸でもたぶん仏教国スリランカにしかいない名前。ふしぎですが、訛るのか、ビルマやタイだと、あまりにサンスクリット仏典から直球でつけられる名前が、ない気がします。パーリ語サンスクリットで発音が変わるのか変わらないのかすら知らないレベルの人間が私ですが。

仏像に目を入れる時も、仏像に正対してはいけないそうで、仏像に背を向けて、鏡を見ながら、無理な体勢で筋肉に負担をかけながら彫るんだとか。日本でも仏壇の御燈明を消す時、息をふきかけるとなまぐさが仏様にかかるので、手で払って消すのですが、同じロジックでしょうか。

さげまんというか、タイ小説『妻喰い男』で勝利する妻のように、男を病死や事故で殺してしまう女性のことを、スリランカでは「ヘナフル」と呼ぶそうです。これも今度聞いてみよう。(と思ってたぶん忘れます)

頁162、セモリナ粉でケーキを作るそうで、セモリナ粉に「ルラング」とルビが振られています。

頁211、しっかりと瞑想出来なかった僧侶は来世で犬に生まれ変わるというチベットの言い伝えが唐突に出ます。初めて聞きました。テラワーダのスリランカにもそれなりにチベット密教の情報が入っているのか(ビルマでは中国歴代王朝同様、邪教扱いだそうですが)あるいは欧米で得た知識か。中勘助の小説とはちがうと思います。

犬 - 岩波書店

頁253、オート三輪に「バジャイ」とルビが振られています。サムローがあって、リキシャでないのもスリランカインド亜大陸の中では東南アジアに近い点。ロヒンギャがいる、猿岩石が空路で抜けた、道のない西南密林シルクロードビルマ-インド国境より、海路でタイやマレーシアとつながってるスリランカのほうがより?東南アジアと共通する文物があるという… 人種的にはよりコーカソイドだと思いますが。黒いコーカソイド

ビルマ小説もそうですが、スリランカ小説も通俗小説が多く、後世に残るようなものが少ないと、これまで読んだスリランカ小説の訳者解説にありましたが、頁254、精力絶倫の場面や、ある男がホテルの一室でネグリジェ姿の女に会ってマティーニを持たされる場面などがある小説が、ユングの著書といっしょに北部内戦下の死にそうになるほど忙しく物資も欠乏した診療所に置いてあって、疲れても元気を振り絞る医師たちがそれに対しジョークを書き込む場面があります。「なるほど、経験あるわ~」など。

頁260、アニルサンがアリゾナで気の合った女性同士で暮らした時、西部劇鑑賞ざんまいだった場面があります。映画「赤い河」で、チェリー・ヴァランスという役者がどこにあたってあんな簡単に死ぬのか、マリワーナすいもって法医学的見地から考察します。

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私はむかし、チベット人たちが祖国中国への愛に燃えて、ヤングハズバンドなど侵略者イギリス人と戦う中国映画《红河谷》を見ましたが、なんの関係もなさそう。

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頁264

ジャフナ半島のタミル人がどこの家でも庭に三本の木を植えているという話は有名だ。マンゴー、ムルンガ、ザクロ。ムルンガの葉はカニ入りカレーに煮込めば毒消しになる。ザクロの葉は水につけて目薬に。実は消化を助ける。マンゴーは植えてあると楽しい。

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このページに、ジャーナカ・フォンセカという名前の人物が出ます。アニルのバディの考古学者サラスの弟ガミルの同僚。フォンセカというのはスペイン系の苗字なので、上述のポルトゲス・ブルガーの系譜に連なる人物なのか。それがジャーナカという、真っ向勝負な仏教系の名前を持っているのは、めずらしいと思いました。オンダーチェサンのオンダーチェがスリランカっぽい苗字なのかどうか知りませんが、ミッチェル、マイケルは西洋人の名前。仏教系の名前で西洋人の苗字の人物とはめずらしいと思います。巻末の著者謝辞には、1910年代スリランカで医療にたずさわって手記を残した、マネル・フォンセカという人物に、三回くらいありがとうを述べていて、そこから取ったのだろうと思いましたが、マネルはマヌエルでしょうから、キリスト教的。それをジャーナカに置き換えた隠喩の意味は分かりません。ガミニもガミニ・グナティラカという人が謝辞に見え、そこから取ったなと思いました。アーナンダという人物への謝辞も見えますが、これはたぶんよくある名前。ほかに謝辞と同名の登場人物はありません。

先日読んだ人民解放戦線'70年代蜂起の小説には、首に古タイヤの焼死体が出ましたが、本作では、てのひらにクイを打ち込まれて道路にはりつけにされたり(頁123)両手のひらと右足を銃で撃ちぬかれた生後九ヶ月のふたごが出たり(頁256)します。手のひらを撃つ意味はなんだろう。キリストになぞらえているわけではないでしょう。そういう、残虐非道行為の文化というのは、たやすく伝播するということなのか。あるいはシンクロニシティー。

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同じページに、菓子と書いてトフィーとルビが振られてます。

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内戦下とは無関係に刃傷沙汰が二回起こります。アーナンダが自傷し、カナダで知り合ったアニルの恋人が、離れたくないを連呼してアニルに刺されます。といっても、どちらも腕を、ボールペンか何か、凶器とみなされるか微妙なものでやられるのですが、けっこう読んでて驚きます。なんでそうなるの? と。

アニルサンはたぶんショートヘアじゃないと思うのですが、短い髪のスリランカ人も出ます。頁273、ガミニサンが北部の野戦病院のような内戦診療機関で毎日死ぬほど過重労働しながら、生命の充実を感じていた頃に出会った看護婦。人妻とのことでしたが、確か事情があるんじゃいかったかな。乳児の心臓バイパス手術のような困難なオペにも果敢に取り組んでくれる、息のあったバディだった。祖母の形見の赤いイヤリングをしていたそうです。その後、上流社会にもどって、親同士の取り決めの婚約者が出来て、結婚して、家に帰らない夫になり、離婚します。病棟の空いたベッドに仮眠して翌朝また勤務開始するワーカホリックな生活。毎朝口に放り込む一錠のタブレットに頼る。タブレットの正体は頁277で明かされ、覚醒剤と書いてスピードとルビが振られます。

お話としては、だいたいAA世界の内戦なので、ハリウッド映画のように、現地に取り残された人の安否を気遣いながらも、欧米から来た人間は機上の人となり、銀翼の横に見える、雲海の下の現地に思いを馳せます、というような結末はイヤだと抗いながらも結局薬局となります。助けてくれると思った人物は見込み違いで、サラスは身を挺してアニルを守り、死体で発見される人は死体で発見され、アニルはたぶん欧米に帰ったのでしょうが、書かれません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20200609/20200609212641.jpg最後、アーナンダは、窃盗団に爆破された巨大立佛群の修復作業をします。金目のものが埋まってないか爆破してみた、という動機と書かれますが、私は読んでて、回教徒の偶像破壊主義アイコノクラスムではないかと勝手に思いました。座間でも一時期けっこうお地蔵さんの首がもがれたので。

で、修復される巨大立佛群は、北を向いていて、めずらしいと思ったです。

北向庚申神社/お札は栗原中学校入り口、信号脇のスリーエフ店さんでお求め下さい - Stantsiya_Iriya

北向地蔵と馬頭観音 - Stantsiya_Iriya

座間栗原(上)と登戸で写真撮ったくらいで、他は知りません。

全八章。各章のタイトルまで原題が分かるのは素晴らしいと思いました。

<目次>

サラス Sarath

修行の森 The Grove of Ascetics

弟 A Brother

アーナンダ Ananda

鼠 The Mouse

心拍のあいだに Between Heartbeats

生命の輪 The Life Wheel

遠景 Distance

「輪」ではなく「車輪」ではないか、など、論議もありましょうが、それでも原題を書いてくれた訳者と新潮社に感謝です。"Between Heartbeats"が、ガミニの青春時代、戦場の医療機関でのやりがい搾取エピソードで、なんしか、よかった。そして、"The Grove of Ascetics"、古代遺跡の碑文の声を聞いてるうちに、文献にない歴史的事象を、空想の産物でなく事実として語り出してしまい、学会を駆逐された泰斗がいち僧侶として晩年を送る姿の静けさがなければ、本書は読めませんでした。以上