その辺にあった本。いもやが出てくるので、つい誘惑に駆られて読みました。おおいもや、どうしてあなたはいもやなの?
画 大塚文香 装幀 名久井直子
角川書店でなくハルキ事務所なのですが、同様に例のハッカーたちに汚染されているらしく、事務所公式をはてなブログに貼ろうとするとすべて文字化けします。
前巻は未読。神保町に古書店を開業して軌道に載せた滋郎サン時代の話かと思いきや、続編と登場人物は変わらないようです。
ハルキまだ映画撮ってたのか、しかし何故にみおつくし料理帖、という公式の広告。
「ランティエ」2023年2~7月号掲載。
”FIRE”みたいなものでしょうか、ランティエとは。
掲載誌も文字化け粉砕済み。すごいな、角川がイスラエルを支援してるわけでもあるまいに。
税金で買った人気本はなるべく早く次の人に回さないといけないと思ってます。
本書タイトルをグーグル翻訳で英訳すると、食堂がカフェテリアになり、内容によりいっそうマッチします。所謂ブックカフェ的なノリを出版不況下で模索する面があるので。じっさい、ゾッキ本しか売れない古書店が経営成り立つわけもないので、滋郎おじさんの時代はどうしてたんだろうと。街の古書店の場合は、SM雑誌とさぶ、薔薇族で息をつないでいたところがほとんどでしたが、神保町だし。芳賀書店にはかなわない。
女性がカフェ的なものを始める小説は前にも読んだことがあり、山岳地帯の田舎でカレー屋だったかな、商売は甘くない、チビシーよ、というスパイスがないと現実味がなく、単なる絵空事になってしまうのでさじ加減が難しいと思います。私が好きなのは坂木司の沖縄もので、甘い考えでリゾート起業をもくろんでうまくいかなくなってもメンツから弱音を吐けない人物たちが、売春ドラッグ闇バイトで殺されるなど毎回オンパレードを主人公の周りで引き起こすという、『和菓子のあん』のほっこりがウソのようなまじめさで、読者を啓蒙、戒めるのにこれ以上の教材はないとも言えます。デニー知事もナイチャーの沖縄移住の真実を描いてもらって、悪くは思わないはず。
古書店の名前が鷹島古書店で、町田の高原書店へのオマージュ、三浦しおんへのリスペクトかと思いましたが、勝手な妄想です。今でも中公文庫の『蝦夷共和国』に四千円の値がついていたのは忘れられない。私が買ったのは式亭三馬の浮世床でした。あと麗羅の人物韓国史も買いました。
若い方の主人公の名前、美希喜(みきき)が、読めないわ語呂が悪いわで困りました。なんで三文字にしたんだろう。「みき」か「きき」にすればよかったし、じっさいそのどっちかにちぢめて愛称にしたほうが呼びやすいと思う。オーディオブックやラジオドラマにすれば、読みにくさ聞きにくさは明瞭になるはずです。年かさの方の主人公、珊瑚はこれまた奇抜な名前で、柔道部物語からつけられた名前なのかどうかだけ知りたいです。あとはおおむね平常運行の名前。作者も原田マハと縁者ですかと聞かれまくってるのかなあ。
目次
第一話 森瑤子『イヤリング』と川端康成『掌の小説』と日本で一番古いお弁当屋さん
第三話 『カドカワフィルムストーリー Wの悲劇』と豊前うどん
第四話 昭和五十六年の「暮しの手帖」と「メナムのほとり」
第五話 伊丹十三『「お葬式」日記』『「マルサの女」日記』と「なかや」の鰻
最終話 「京都『木津川』のおひるご飯」と中華料理店のカレー
第一話のシナとよばれた女、否、森瑤子サン小説は今年七月ハルキ文庫から『指輪』と改題再版されたばかりで、「Wの悲劇」はいわずとしれたオペレッタ狸御殿のお局様役の角川映画代表作で、ほかにもいろいろ角川ステマがあるのかしれませんが、調べません。
本もいっぱい出ますが、手軽な文庫本が多いです。その辺の図書館からはリサイクルで放出されてしまって蔵書なしの(あるいは痛みがひどくて廃棄の)本、ブッコフで買うか日本の古本屋で買うかオークションで買うか悩ましい、うまいとこツボをついた本が目につきました。手が届く値段で、紙の古書を探すしかない本。全冊キンドルアンリミテッドでロハで読めたら、登場人物全員首くくってまう。
のっけの一冊目はボリス・ヴィアンの北京原人の秋、否うたかたの日々で、私はそれに関しては高浜KANのマンガしか思いつきません。女性ですが、リビドーにまかせてボリス節をジブリっぽく突っ走った。
あとはこんな感じ。シナとよばれた女は前述。不肖カワバタは読んでみます。
伊丹十三と石井好子サンが入ってるのが、なんとなくとっつきやすい本の好例という感じで、エヘへと思いました。「お葬式」は親と見れない映画という感想があって、たしかにあのセックスシーンは不謹慎、死者への敬意に欠けると死んだ祖先がカンカンに怒ってました。
三浦哲郎は面白そうですが、登場人物も厚さに難色を示しているので、どうか。
松谷みよ子のモモちゃん三部作(その後も続刊がありますが、本作には出てこないので)が、「ほんとうは怖いモモちゃん」という感じの感想で語られています。後世がそのように解読するのであれば、作者晩年直球の自伝『じょうちゃん』も読んでみたがいいと思います。そしてそこで、週刊朝日連載時私のどぎもを抜いた白土三平夫人李春子サンとの確執の記述が、単行本ではオールカットされていることはここでも指摘しておきます。これがために朝日新聞社は週刊朝日を廃刊にしてアエラを残したのではないかとすら思えると言ったらそれは言いすぎ。
角川もまた更級日記を出してるのがさらっと紹介され、これはよかったです。そういえば私はまだアイヌ俳人だか歌人の角川学芸文庫をまだ買ってないので、ゴールデンカムイブームの余波、知里幸恵ブームの余波が残っているうちに買わなくては。江國香織サンが更級日記を訳しているとは知らず、そんな引き付ける魅力がある古典なのかと思ったです。古典は軍記ものだけ読めばいいと思ってる私。具体的には平家物語と太平記。歴史の勉強にもなっていいですよ。
本書登場書籍の白眉はもちろん暮らしの手帖昭和五十六年四月号で、これがためにわざわざ酷暑刊行会の赤羽から神保町に主婦が遠征するという念の入った導入です。この号、復刊ドットコムでもカンゼンでも晶文社でもいいので、どこか復刻すればいいのにと思います。登場する弁当や集合写真の掲載許可を再度取りなおすのは不可能なので、許可が取れなかった分はモザイクもしくはベタ塗りにして出版し、「誰が買うんだこんなもん」と在庫の山となり、倒産してバッタ本として神保町に並び、はじめてそこでカルト的な人気に火が付く、という夢想を抱くのは自由ですし。
ブックカフェは難しいと勝手に思ってます。近隣のそれは福祉雇用があるので、その辺の補助もあって成り立ってるのかなと思ってますし。冷食業食でないメニューも難しいだろうし、当人たちのやる気を引き出したり客を増やしたりするのも難しいだろうなと。子どもとその親という客層は、絵本を置いたところで来なさそうだし。老人以外ターゲットが思いつかない。
ゾッキ本では家賃も払えないので稀覯本を売らんならんのですが、神保町くらいになると、逆に分かってないシロートさん向けに、この本は国会図書館のデジタルアーカイブで無料で画像スキャン版が閲覧出来る(要ログイン)んですが、それでも紙版が欲しいですか? と念推すくらいなので、なかなか大変ですよね。リアルな実体を手元に置きたいからこのおひとは大枚はたくんだろうと売ると、あとで「なんやネットでタダで読めるやないかい、カネ返せやアホンダラ」とねじこんでくるような狂人もいるかもしれないですし。
コーヒーは作中のプロの指摘通り、五百円とっていいと思います。コンビニコーヒー二百円、ファミレスのマシーンコーヒードリンクバー三百円と考えると、「お店で手で淹れたコーヒー」で五百円以下だと、客に出すのに気が引ける素人芸なのではと足元を見られかねない。もちろんそれだけ取ってゲロマズは問題外ですが。
最初の日本最古の弁当屋は、茶系統だけのおかずとあり、おいしければそれでよいと思います。いろどりもないとおいしそうに見えないと小林カツ代は煽って、ニンジンの糠漬けのような、味は茶系統チンイツと変わらないものを入れろと推奨してたのですが、ほんとうに罪深いことです。ケンタロウさんがいつか復活して、コウケンテツに「似た名前で同業界でかぶせてこないで」と言う日が来ることを祈っています。
滋郎サンはBLだったので生涯独身という設定で、戸越公園に古典文学の公的機関があるのをうまくストーリーに組み入れてると思いました。高円寺の中央線沿線青春群像は出ませんが、前作では出たのかもしれない。山の上ホテルのバーは、うらやましいです。
ホウシャオシエンの映画、一青窈のひの字も出ないのは、著者と「ひ」の字がかぶってるからかもしれません。浅野忠信は「酔いがさめたらおうちに帰ろう」「ねじ式」などの作品が記憶に残ってますが、なにしろ「殺し屋イチ」がひどかったので、私の中では永遠に評価がマイナスです。ほかのヤクザ役俳優にぜんぶ持ってかれて、委縮して演技してた。実力派同士競いあうステージまで行くと、とたんにダメになる役者さんなんだなと。
いもやは、私にとっては今はなき早稲田の支店の味で、海老のしっぽまで食べると五十円オマケしてくれるお店の風習です。神保町のそれは、明大OBのOL(性別どっちでしょう)が昼休みに大手町からタクシー乗りつけて食べにくる店で、今でもあるのですが、当たり前のように行列で、地図アプリの名店制覇の巡礼者と少子高齢化の常連のポルカでしかないのなら、早稲田のように消えてしまって、人びとの記憶にのみ残る店になるのも、それはそれでアリだと思います。チョコとんのフクちゃんなど、消えた名店と迷店は早稲田にも無数にある。問題①三品は前者か後者か。問題②レッドピーマンは前者か後者か。回答:①「そもそも消えてないし」②世界のハルキ・ムラカミは目白からあこまでようかよわはったどすなあ。通ったかしらんけど。
メナムのほとりは勁草書房の本のタイトルかと思いました。あれはメナムの残照か。メーヤウならスタライ。神保町もまた、「残ったスープにライスを入れて、嗚呼、サティスファクション」のトムヤムラーメンティーヌンの軍門に下ったと私は思ってるので、特になし。ブログで私が食レポめいたことを書きたくない理由に、本書の「ご飯がジャスミンライスでなくて白米というのも、どこか優しくていい」のような、ほんとに本心からそう思ってる?的な褒め殺しをしたくなく、かといってけなして、悪意のあるおひれがつくのもいやだからです。燃料をそそぐとすぐそれをネタに攻撃しがちな人間は、なんで自分でネタを拾わず、他人の尻馬に乗るんだろう。
九州のごぼ天うどんやかしわうどんは、おいしいに決まってますが、やはりあちらで食べるのがいいのではと勝手に思ってます。
第三話で急に本がたくさん出て、第四話で急にいろんな店が出て、思い出したように性的マイノリティーねたになってと、振り幅が激しい、ネットのその時その時の評価に翻弄される洋上の木の葉のようなアドリブ連載だったと思いました。帯広のケーキ屋も行ってみたいですが、釧路の人間も帯広に行くというくだりのリアルさは、まだ分からないです。根室には行かないのか。そして旭川との距離は。十勝発祥のチェーンの意味は。今度どさんこの同僚に聞かなくては。
頁253の、人生を料理に例える大喜利はよかったです。双葉社の編集の人がそういうの好きだったと思う。「人生って、チャーハンみたいな感じがいいのかもしれない。生まれたての状態をまず三日置いて冷ましてヒヤゴハンにしてさ、いきなり熱した熱~い鍋に放り込んでさ、焦げ付かないように熟練の鍋振りテクで攪拌されて、味付けして、溶き卵を均等に混ぜ込んで…、パラパラにほぐれたのをまたまあるくお玉で整形されてお皿に盛りつけて供される。人生も、そんなのでいいのかもしれない」「人生って、ギョーザみたいのかもしれない。最初はあれこれ具を考えてさ、ニンニクを入れるか入れないか悩んだりして。けど、いったん具を作り終えて皮に包む段になると、もうひたすら、一個一個同量に餡が包まれてるか、くるんだ皮はまた開いたりしないか、半分無心に一心不乱に同じ作業を繰り返す。皮と餡が同時になくなると、なんかほっとしたりしてさ。それをホットプレートで焼き上げる段になると、もうカリッとしたアレしか想像してないわけだよ。それがべちゃってなってしまう時もあるかもしれないし、またそれがいとおしい時もあるかもしれない。人生って、けっきょく、そんなんでいいのかもしれない」この大喜利は無限に出来るので、みなさんお試しください。
画廊を開ける時間がだんだん朝早くなって、そうすると高齢化した常連さんの早朝散歩の時間とかちあって、早起きは三文の徳で買ってくれるようになるが、そのビジネスモデルももう続かなくなった、のくだりはリアルでした。どこも大変だ。
気が付くと中央新聞の犬飼さんは最後まで出ませんでした。ゴドーのようだ。あるいはクラムボン(エロ漫画家ではなく宮沢賢治のほう)
中表紙。頁138の「小さなシミ」のようだと思いました。このナカグロならぬナカアカが。裏表紙は鰻重で、たしかにうなぎを食べに行く場面はあるのですが、うなずき沖漬けうざくとかしか出ません。お重を食べる場面が出ない。飲み過ぎてそこまでいかなかったのかもしれない。
中華カレーを私が最初に食べたのは、早稲田の公設市場の店です。早稲田にも公設市場があったという。
奏人というキャラが米津けんしに見えて仕方なかったです。神保町の古書店バイトは、政治的な店はどうか知りませんが、院生院卒が多いと思いますので、客も前途ある若者に対してそんな無礼な口は利かないと思うのですが、さてどうか。前述のように、デジタル閲覧出来ることを知って豹変するような客を相手にするポテンシャルもあるわけですし。ワンオペとトイレは、たしかに喫緊の課題。なぜそんなにレベルの高い通訳を使えるのか、ちょっとふしぎでした。その辺の人を使って、とつぜん尖閣諸島や南京アトロシティー、731ブードゥイについて問わず語りを始められてしまうリスクは軽減されますが。
♪い~もや、いもや、い~もや、いもや、い~もや、いもやで高収入(ちがう)
山本書店で、高価な漢籍を爆買いする書香の人と通訳を見て、もうこの人は、文革の下放時期に知り合った糟糠かつ農民の妻が水に濡らした本を返品して別の本に取り換えろとか毎回無茶苦茶言ってくるのを、「昨日妻が失礼なことをしたそうですいません」的な漢語を述べながら謝りに来るような世代ではないんだろうな、と思ったのを、思い出して終わりです。以上