ウィキペディアによると、もとは『粘土塀』と題された作品。
1948年10月、真善美出版から改題刊行。
1965年12月、冬樹社から「さすがに表現のまどろっこしさは争えず、多少手を加え」(「あとがき」より)刊行。
新潮文庫の底本が冬樹社版。講談社文芸文庫版の底本が真善美出版版。どちらも品切れ再版未定。たぶん古書市場ではボッタ値がついてます。
終りし道の標べに (新潮文庫 あ 4-11) | ダ・ヴィンチWeb
終りし道の標べに (講談社文芸文庫) | ダ・ヴィンチWeb
読んだのは冬樹社版の1971年4月の11刷。「装幀 伴 信之 写真 伴 博之」とありますが、カバ欠でどこにも写真等ありません。
『けものたちは故郷をめざす』岩波文庫版*1のリービ英雄あとがきに、どちらも大陸時代を描いた作品ということで、本作品との比較が書いてあったので、それで読みました。しかし加藤弘一サンウェブサイト他によると、全集(作品集?)にはそれ以前の十代の習作も収められているそうで、それも大陸を舞台にしてるとかで、最近新潮文庫からそれが出たそうなので、それも読んでみます。
(1)
もともとのタイトルが『粘土塀』だったので、残雪《黄泥街》は本作品のオマージュなのかと思いましたが、たんなるぐうぜんで、ぜんぜんちがうようです。
(2)
加藤弘一サンウェブサイト他によると、真善美出版版と冬樹社版の大きなちがいは、冒頭の弔辞の宛名を金山時夫とハッキリ書いていたのをぼかした点、ほかもうひとりの人物もイニシャル「S」に変更した点などだそうです。金山時夫という人は、安部サンの親友で、いっしょに中国人の村などに遊びに行った人だったとか。その苗字からコリアンではないかなどともネットのコメント欄に出るのですが、安部サンのご息女ねりサンのトークによると、東工大に進んで許嫁とともに満州に戻り、結核で逝去したとか。加藤弘一サンのサイトなどによると、安部さんはコロ島からの引き揚げ時、自分の家族といっしょに、金山さんの許嫁と母親の帰国にも奔走、尽力したとか。
(3)
恐縮なのですが、読んでて、戦前満洲日報勤務から戦後TVドラマ「事件記者」脚本などを手掛けた島田一男サンの『中国大陸横断』の一篇、「満州桃源郷」みたいだなーと思ってしまいました。粘土塀の内側のお屋敷に、そういう世界がある(かもしれない)
中国大陸横断 : 満州日報時代の思い出 (徳間文庫) | NDLサーチ | 国立国会図書館
そして、ネタバレですが、『けものたちは故郷をめざす』では、主人公は母国日本と同胞に残酷に裏切られるのですが(のちに日共を除名される自身を未来予知プレ・コグニションか)本書では塀の外、自由への逃走に成功します。アーヨカッタ。
(4)
人名が、北京語読みと日本語読み、ルビなし混在です。
・房サンは「ふあん」(北京語読み)
・馮サンは「ひょう」(日本語読み)
・呂サンは「りゆい」(北京語読み)
・高サンはルビなし。
・李サンもルビなし。
・陳サンもルビなし。
ひとりクリスチャンなのですが、あまり関係ないです。小説を書こうとしたのではなく、世界を書こうとしたとは「あとがき」作者の弁で、そうした非小説の事象の一つに過ぎないのでしょう。
(5)
料理名は北京語。朝日新聞ルール(清音濁音は有気音無気音に非ずルール)
・湯(たん)汁物と注釈。
・大米(たあみい)固く炊いた米の飯と注釈。
・白糖(ぱいたん)砂糖なんですが、なぜ酒のアテに出すのか分かりません。
・まんとう 蒸しパンの類と説明。
(6)
地名はよく分かりません。
沙河屯は上かなあ、それとも下かなあ。
巴河屯、罗林、龙湖、巴宁,すべて分かりません。
日本育ちで日本語を解する中国人など、けものたちに共通するモチーフはほかにもありますが、まあ、俺は満人街の家並みの粘土塀の向こう側も知ってるぞ、ってとこかもしれません。たんじゅんに、あの厚い泥塀の向こうに入ると出られないのではないか、という本能的な恐怖が日本人側にあったと考えるのも一興でした。以上