『人之彼岸ひとのひがん』《人之彼岸rénzhībǐàn》"MIRROR OF MAN : Thoughts and Stories About AI" wrriten by Hao Jingfang 郝景芳 著 translated by Tachihara Toya & Asada Masami 立原透耶・浅田雅美=訳(A HAYAKAWA SCIENCE FICTION SERIES No.5051)読了

英題はハヤカワの版権ページ記載のもの*1。"The Other Side of Human Being"くらいの訳かと思ってたのですが、チャイニーズキャラクターの感性は英文に転記不能と判断したのか、スパッと超訳してます。本作は英訳されてないのですが、英語圏向けにはもうこの「ミラーオブマン」でアピールしています。

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スウェディッシュは見つけられなかったのですが、ハングル訳は見つかって、「인간의 피안」インガニ・ピーアン、「人間の彼岸」です。鏡じゃない。中日と同じタイトル。

인간의 피안

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百度によると、原著には《前言:何為人之彼岸》というまえがきがあるのですが、それは邦訳されてません。「まえがき:人の彼岸とは何か」为何不翻译关键的部分?

また、原書では小説が前、エッセーが後で、じゅんばんが逆です。小説の順番も、五番目と六番目が逆です。意味は不明。

カバーデザイン 川名潤

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上は中文をさべるカクケイホウサン。下は英語をさべるジンファンサン。

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原書表紙は、鯉のイラストもよく分かりませんし、〈之〉が〈心〉に見えて仕方ありませんでした。AIがテーマと思わなければ、《人心彼岸》であってもおかしくないですし、《人进彼岸》でも《人井彼岸》でも《人ツ辶彼岸》でもおかしくないのかも。

《人必彼岸》ではさすがにないと思いマス…… 人屄温暖。

お墓参りのお彼岸をお彼岸と呼ぶのはたぶん日本だけで、春のお彼岸はシーミー、清明節になると思います。秋のお彼岸は中秋節かと思いましたが、中秋節十五夜で、お彼岸とは関係ナシ。カンゴロンゴ先生によると、日本は植物の生育が著しいので、春と秋、年二回お墓掃除をするのが理にかなってるんだとか。

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/upld/thumbnails/zh/news/backstories/210321-2.pdf

本書の題名を見て、まず思い浮かべたのが、下記の歌の歌詞、”如果你有新的,新的彼岸,请你离开我,离开我“ でした。そういう「彼岸」かなと。

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エッセーというか論文の、『スーパー知能まであとどのくらい』《离超级人工智能到来还有多远》浅田雅美訳では、小説群のテーマの核心部分がそのまま装飾なしで出ます。

頁22

文法的に見ると、「スーパーから酒を持っていく」と「公園から酒を持っていく」ではいずれも正しい表現だが、どちらが理にかない、どちらが理にかなわないかを、私たちは理解している。

また、

頁23

(略)「石を卵の上に置く」か「卵を石の上に置く」か、これは言葉遊びにすぎないが、人工知能にとっては実際の意味もなさないし、人工知能は人が家をぐるっとまわれば元の場所に戻ってくるということも知らない。

はたまた、

頁27

(略)「木に鳥が五羽とまっています。銃で一羽を撃ち落としました。あと何羽残っていますか」のような問題さえ、人工知能は返答することができない。人工知能は、鳥が怖がって逃げてしまうと推断するすべを持たないのだ。

などなど。この論文のタイトルも、「どれくらい」と訳した方がいいと私は思うのですが、「どのくらい」と訳されています。選択の意図は不明。IKKOサンの「どんだけ~」に影響されたのかも。

もうひとつの論文は、ハウツー本みたいなタイトル人工知能の時代にいかに学ぶか』で、中身もハウツーです。本書記載の原題は《人工智能时代应如何学习》で、直訳すると人工知能の時代にいかに学ぶべきか』となります。さらに言うと、百度記載のタイトルは《人工智能时代应如何学习》です。ハヤカワ版は「該」が抜けた。浅田サン訳。

さいしょの小説『あなたはどこに』《你在哪里》立原透耶訳で読者は、漢族の名前にすべて北京語読みのカタカナルビが振られているのを知ります。姜劲涛jiangjintaoという人物のルビがチァン・チンタオでなくジァン・ジンタオなので、有気音無気音は清音濁音に非ずルールの朝日新聞ルールでなく、読売新聞ルールのルビだと分かります。

…昨今言われる、AIはネトウヨなどの洗脳にかかりやすく、たやすくホロコースト肯定派などになってしまうという研究成果を踏まえてか踏まえなくてか、それに対する抑制をかけたらこうなった、という話です。よく先をよむなあ、でも規制が機能しないジャングルフィーバーな資本主義社会に暮らしてない(実際は中国も規制が機能してないことが往々にしてありますが、それを認めるかというと、という建前の話で)からこそ書けるのかも、という気もしました。規制の空回りが頻繁に告発されて、立法の不備がさかんにマスコミに批判される社会で生きてると、こういう発想は出ないかも。

かつての東欧SFとは、そういう意味でだいぶ新興の中国大陸SFは違います。反映する社会が存在する国家の実情が違うので、おのずとそうなるのかな。

つぎの小説『不死医院』《永生医院》でも、白鶴という人物のルビがパイヘーでなくバイホーなので、有気音無気音は清音濁音に非ずルールの朝日新聞ルールでなく、読売新聞ルールのルビだと分かります。ヨンションをフシに直してるのに、医院は病院に変えなかったんだなと思いました。

規制の話の続きで言うと、この小説にあるような、医療面での倫理は、そもそも野放しな気がしますが、その報道がなされてるかというと、です。真実を知った主人公の行動でオチてるのですが、逆の行動に出たほうが、私としてはよかったです。AIに支配される社会ではありますが、大企業はすべて悪であるという、当代中国で公式に許されるパターンの中に入った話なので、そこは安全弁があります。

『愛の問題』《爱的问题》浅田サン訳は、一ヶ所誤植がありました。*2デルフォイデルポイと書いてるのはご愛嬌。

デルフォイ

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山水shanshuiという名前の青年は、シャンシュイとルビが振られており、それは確かにそうなんですが、中国人の圧倒的多数はサンスイと呼んでると思います。

この短編集は、浅田訳も立原サンが文章を小説っぽくいじったそうで、立原さんは訳者あとがきで、文責はワタスデスと書いてます。

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この話はAIが殺人事件を推理すると、動機とかこんな感じにブッタ切られてしまうという点で、とてもよかったです。途中にシリが出てきて、実在のAI名とカブッてるよと思いました。

『戦車の中』《战车中的人》立原サン訳は、タイトルが「の人」を略してるというより、戦車は漢語では〈坦克〉"tanke"と、めずらしく北京語でも直球でタンクの音訳になるはずで、それが原題でもジャンチャーなので、古代ローマのチャリオッツとかそういう「戦車」なのかなと思うと、はたしてダグラムに出て来るような戦闘機械です。

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所属名というか、部隊の系統名の漢字のラレツ(「司」や「監察」など)が人民解放軍ぽいと思いましたが、特に理由はありません。私は別に米軍や自衛隊やロシアや人民解放軍の部隊名に詳しいわけじゃないので。

この話はたんじゅんにおもしろかったです。人は遠い先を見据えた理念では生きられない。

『人間の島』《人之岛》浅田サン译は、本のタイトルが「ひと」なのに、〈人〉をにんげんと訳してます。理由は不明。ひょっとして江戸っ子だったので、「しとのしがん」と読んでいて何かあったのかもしれません。

…この話の人間賛歌はやや甘々で、松本零士アニメの時代の邦人ならウケたと思いますが、自由な民主主義社会なだけに隣の家のキンペーチャン独裁にひそかに憧れているような人やトラソプ好きな人には無意味だと思います。両者は往々にして同一人物で、年輪を経て思想が変わっただけですが…

『乾坤チェンクンと亜力ヤーリー』《乾坤和亚利》立原サン訳は、本書唯一のメンヘラ、否、メルヘン。邦訳ではこの話がトリを飾り、原書ではレンジーダオがトリ。ヤーリーは、ヤリスとかそういう名前なのかもしれません。中国の子ども、東アジアの子どもとちがって、抑圧されてないのがぱっと分かるようになっている。

総じて、全能の神であるAIに、人間様の人情の機微が分かるけえ、というレジスタンス等々が描かれます。同じ人間の独裁ならいいの? と嫌味なツッコミをついつい入れてしまいたくなる、そんな小説群です。プロレタリア独裁がAI独裁にとって代わられる日は來るのか。そして、その時真の公正な社会は実現するのか。はてさて!以上

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